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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-07-03

[law][history][book]長尾龍一「思想としての日本憲法史」

危険な魅力にあふれた一冊です。例えば最近議論されている天皇の継承については次のような指摘があります。

皇室典範の起草過程において、具体的に問題になったのは、先帝の後継者指名権、譲位の認否、女帝の可能性、庶子の扱い、それに憲法と皇室典範の関係などであった。(略)

立法過程の研究は、立法後に当然のことのようになってしまった事項が、立法前には少しも当然でなかったことを意識させ、人々を既成事実の呪縛から解放する機能をもっている。実際皇室典範成立の直前まで、起草者たちの間では、先帝の指名権や譲位や女帝の可能性などが真剣に議論されていたのである。

(略)

その点で注目すべきは、井上こそが起草関係者の中で、天皇制の一義的法制化に反対した人物であることである。彼は指名権や譲位の慣行の存置を主張し、また明治15年の「憲法試草」(『梧陰文庫影印・明治皇室典範制定前史』220頁)において「内閣ハ天皇臨御シテ万機ヲ親裁スルノ所トス」と、内閣における天皇親臨を定めようとした。これは制度の技術者・法制官僚という井上イメージの修正を迫るものをもっている。それなら、井上案を排して天皇制の完全な制度化を実現した人物は誰かというならば、明治19年6月11日の「帝室典則」の責任者三条実美らの意見も無視できないにせよ、やはり20年3月20日の(伊藤、柳原、井上、伊東)四者会談(高輪会談)において決定を下した伊藤博文こそ、その決断者であろう。

「井上毅と明治皇室典範」(pp51,52)

他方で「護憲派」には次のような辛辣な評価も。

戦後憲法学は「マッカーサー信仰」の聖職者団、聖典解釈者カーストである。それは信仰告白をした職業的聖職者の集団であって、信仰は平信徒より遙かに熱烈で、全国民が憲法に叛逆しても、最後に殉教するといった人々の集団である。

「聖典としての日本国憲法」(p238)

とまあ毒にも薬にもなる刺激的なテキストが満載です。護憲にせよ改憲にせよ、憲法を語るのであればまず本書を読んでから、とお薦めしたいと思います。

しかし、本書には20年以上昔のテキストも含まれていますが、その古びていないことといったら感服するしかありません。遠く及ばないのは仕方がありませんが、そうでありたいという気持ちだけは失わないようにしないと・・・。

[law]「憲法改正論議の現在」@ジュリストNo.1289(2005.5.1/15)

上記を受けて、カーストの内輪の論理に終始しているか、外部の存在を前提にした緊張感を持っているかという観点から寸評をば。まずは「I 憲法改正の理論的課題」から。

愛敬浩二「憲法によるプリコミットメント」(pp2-8)
プリコミットメント論への違和感を示しておきながら、それがいわゆる改憲派への反論としての有効性が認められるからといって外部にはそれを用いようとするのは、悪い意味で外部を意識しているものでしょう。
渡辺康行「憲法の解釈と改正」(pp9-17)
論証の方法という形式的な問題を、現代日本の憲法学説を素材に用いつつ検討したもの(p17)というだけあって、基本的には内輪の議論であることを自覚しつつ謙抑的に議論を展開しています。1点気になったのが、原意主義について制憲者意思とはフィクションに過ぎないという長谷部先生の所説を紹介し、好意的に受け止めているようですが、条文案を作成した者、それに対して積極的に賛成した者、消極的に賛成した者、等々とある程度類型化して整理することは可能で、フィクションと言い切るのはどうかなと思います。参考資料にとどまるといいつつ、参考にすべき客体があるとすればフィクションではないということで、おそらくは作成者の意思を参考とし、他方でそれは制定主体の意思ではないのでその程度のものとして受け止めるべき、という整理なのでしょうか?
赤坂正浩「憲法改正の限界」(pp18-25)
憲法改正における限界を想定するのは典型的な内輪の論理だなぁ、と思って読んでいたところ、最後の最後に・・・法理論的な説明のレベルを超えた現実の世界では、憲法改正限界論には改正提案への警鐘という役割だけが期待されることになるのだろう(p25)というところで、わかった上での(深く掘り下げるための)範囲を限定しての議論だったと納得しました。
長谷部恭男「冷戦の終結と憲法の変動」(pp26-34)
これまでも当サイトで何度か触れたBobbittの議論を紹介しているテキストです。憲法の改正そのものより、その前提となる各課題についての国民合意形成の方が重要であるとの指摘はなるほどと思う一方、その合意形成とはいかなるものであるか、また、憲法の(形式的)改正がなくてもその合意により相当程度のことがなし得るとして、それは憲法の守備範囲を狭くしてその分だけ硬性性を高めるものだと思いますが、そうしたマイクロカーネル的考えの妥当性については、さらにつっこんだ議論が聞いてみたい気がします(ジュリストの紙幅はそれほどないですから)。
阪口正二郎「立憲主義のグローバル化とアメリカ」(pp35-41)
アメリカ(特に現ブッシュ政権)の単独行動主義について、立憲主義と民主主義の対立という視点を提供しているのはとても興味深いです。「立憲主義」「民主主義」自体に多様性があるので(特に死刑廃止を「立憲主義」の構成要素と整理するのはいかがかと思います)、これだけに囚われるべきではないのは無論ですが。

つづいて、「II 憲法改正の必要性と妥当性:個別論点の考察」です。

西原博史「憲法裁判所制度の導入?」(pp42-50)
違憲判決がドイツやアメリカに比べて少ないことのみをもって日本における違憲審査制の実際は、機能不全というに近い状況だろう(p42)とするのは安直に過ぎるのではないでしょうか。特に内閣法制局の働きに注目して内閣提出法案の憲法不適合が‐皆無か否かにはもちろん争いが大きいが‐それなりの範囲に収められてきたという事情がある(p46)なら、皆無かどうかで争いが起きるぐらいなのですから、現憲法下で6例しかないこと=機能不全ではないでしょう。それとも内閣法制局がなく十分な検討がないまま法律案が提出され、最高裁が毎年数件も違憲判決を出さなければならないような状況が望ましいのでしょうか? というわけで、galaxykikiさん、一度お目通しされてはいかがでしょう?
岡田信弘「首相公選制」(pp51-58)
政治家をはじめとする非憲法学者の議論も丹念に取り上げうまく整理している点はよいのですが、憲法との観点でこれを論じるのであれば天皇制から逃げるべきではないでしょう。
大橋洋一「地方分権と道州制」(pp59-66)
道州制という関心事項先にありきのような気がします。憲法上の論点がないとは言いませんが、他のテーマに比べればこの特集に入っていることの必然性が感じられません。
元山健「両院制」(pp67-73)
イギリスの貴族院の歴史を丁寧になぞっている一方で、参議院の議論がいかにも通り一遍であるように思います。自民党の事前審査と党議拘束の問題は、そもそも事実関係に誤りがありますし(どちらも自民党が参議院で過半数割れとなった1989年以前から存在します)、衆参の機能分化は憲法以前にまず習律、ついで法律・議員規則からというのであれば、参院の決算審査重視という最近の試みをまずは分析する必要があるでしょう。
蟻川恒正「立憲主義のゲーム」(pp74-79)
タイトルからはわかりづらいですが、憲法機関としての天皇と自然人として当該機関を担う一個人との関係についての挑戦的な議論です。内輪のオタク話ではありますが(笑)、知的興奮を十分満喫させていただきました。webmasterとしては今回の特集中の一押しとしたいテキストです。
井上典之「平和主義」(pp80-87)、藤田久一「平和主義と国際貢献‐国際法からみた9条改正論議」(pp88-94)
憲法学界の問題を個人に帰するのもなんですが、憲法学界の主流がかつて第9条第2項を準則と解して自衛隊違憲論を唱えていたことの総括なくして第9条を語っても、外部からは説得力を感じません。新旧憲法の変更に当たって、多くの憲法学者が恥ずかしげもなくご神体を取り替えたとは上記著作で長尾先生が指摘しているところで、その意味では第9条以前からの話なのかもしれませんが、自民党に代表されるいわゆる保守勢力が事実をなしくずしにしていると論難し、その事実に抗し得なくなると何のけじめもつけずに転向し、それを恥じて黙するならまだましですが、理想を追求しつづけていたからいわゆる保守勢力をある程度抑制できたのだと過去を正当化することは、傍から見て信頼に足るはずもないのですから。
小山剛「新しい人権」(pp95-103)
各人権をどうするかという議論よりも、憲法の人権規定の性質そのものをより掘り下げる方向性はいいと思います。さらにその中で、憲法改正論では、新しい人権条項を加えることに目が向いているが、反対に現行の人権条項をどこまで簡素化できるかと考えた場合、若干の包括的規定さえ用意すれば、表現の自由や生存権といった重要な条項を削除しても、憲法改正の限界に抵触することにはならない(p102)と内輪においても思考の枠組みを問い、他方でドイツでの州憲法制定時の実態から、新しい人権を規定する場合に現実には、個別利益の政治力によって決まることも免れないのであろうが(p103)とさらりと触れるあたりに、優れたバランス感覚を見る思いです。
小泉良幸「国民の義務と,愛国心」(pp104-110)
冒頭に、憲法での義務付けへの伝統的な学界の反論を紹介しつつ、このような応答は、おそらく説得力をもちそうにない(p105)として議論を展開していく姿勢に好感を持ちます。その結果が思想の自由の再検討の必要性の認識というのは、今の憲法学が直面する課題の深刻さを端無くもあらわしているのでしょう。
本秀紀「政党条項‐『憲法的編入』の意味と無意味」(pp111-120)
現憲法に政党条項がない理由として、条項を設けないことにより積極的に自由を保障したのだということは納得ですが、戦前の政党政治の衰退がドイツとは異なり「上から」の政治的抑圧(p119)だったからそれでよかったのだというのはあまりに表面的ではないでしょうか。例えば統帥権干犯問題は、当初は単なる軍部のみの特殊な意見で省みられていなかったものを、犬養毅率いる政友会が時の与党を攻撃するというまったくの党利党略で憲法秩序に組み入れてしまったわけです。むしろ反省の対象として軍部、とりわけ陸軍に責任を押し付けた政党人の都合ともいえますし、(憲法事項ではないでしょうが)ガバナンスについての法的枠組みまでなおざりになってしまったことを考えれば、それほど肯定的にのみ語りえるものでもないでしょう。
山元一「憲法改正問題としての国際機関への権限委譲‐『国家主権』における≪実質的思考≫と≪形式的思考≫」(pp121-129)
フランスでの議論はwebmasterの理解が及ぶところでなく、したがって議論の中心部分についてコメントはできませんが、その日本への適用として語られる、アジアにEU的な国際機関が成立したと仮定した際にそこでの立憲主義が民主主義と素朴に接続し得るとの想定は、楽観的に過ぎるように思います。

[misc]バジルポテト復活@First Kitchen

たまたまFirst Kitchenに行ったらうれしいものを見つけました。

これ以外に復活してほしいのは、マックのチキンタツタです。チキンタツタそのものも良かったのですが、せめてあのバンズを使ったメニューを出してくれないかなぁ・・・。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
an_accused (2005-07-03 12:15)

 小山論文と小泉論文は面白そうですね。
 就職して依頼、職務に直接関連しない雑誌論文を読むことなどなかったのですが、レビューを拝見して読んでみたくなりました。

bewaad (2005-07-04 03:20)

私も就職後ジュリストを買ったのは初めてです、って学生時代にも片手で足りるほどしか買ってませんでしたが(笑)。

小山論文と小泉論文は、憲法学界としてはともかく、ネット上でのホットイシューの周辺を論じているものですから、それらが従来の通説を墨守するようなものでなくてよかったと個人的には思いました。

タンク ソロ ウォッチ、sm (2013-08-27 15:32)

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