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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-09-16

[politics]過去記事のサルヴェージ

今後の政治動向を考えるに、現時点でのwebmasterの考えを相対化するために、関連しそうな過去のテキストをいくつか引用してみます。正直なところ、webmaster自身がどのように書いたか記憶があやふやな点があり改めて見直してみたのがきっかけなのですが、今に至るまでの時代の流れ(についてのwebmasterの同時代における見方)を紹介することには、皆様の思考の一助としてそれなりに意義があるかな、と思いましたので(若干手抜きっぽい(笑)のはご容赦を)。

小沢一郎が1990年代以降の日本政治における重要なキーパーソンであったことは否定しがたい事実だが、中でも最も注目すべきことは、野党にある種の桎梏をかませたことだろう。それが何かというと、とにかく政策を重視し、政局の要素を軽視・蔑視する態度である。細川政権が発足したとき、しきりに55年体制の崩壊という言葉がささやかれたが、社会党こそほぼ消滅したものの、結局今に至っても自民党は与党であり続けている。その大きな原因の一つがこの桎梏と考える人間は、霞が関には結構多いのだ。

(略)

歴史にifは禁物だが、もし小沢が政策の不一致よりもとにかく自民党の息の根を止めることを優先して社会党・さきがけを取り込み続け、1995年度予算を連立政権で編成していたら、おそらく自民党は崩壊していただろう。各種圧力団体からしてみれば、自民党は与党であり予算にコミットできるから意味があるのであって、連立政権が一度でも予算を取り仕切る実績を見せれば、雪崩を打って自民党を見放していた可能性は極めて高い。やりたいことをやるのはそれからでも十分であったはずなのに、自らの政策にこだわって政権を崩壊させ、自民党を与党に復帰させてしまった。

2003年7月27日

ただし、中長期的に見れば、両者の立場は逆転する。ラフに言えば、日本において選挙で多数派を獲得してきたのは、いわゆる地方の名士に支持された政治勢力だ。これは板垣退助の自由党からほぼ一貫している。江戸時代の村役人(名主・庄屋など)以来の農村有力者の系譜を継ぐ農協等の幹部や特定郵便局長、開業医や商工会議所幹部、酒造業者など、今の自民党の支持基盤を見てもこれは明らかだ。

しかし、高度経済成長を経てこれらの顔役のグリップが効く共同体の多くが解体してしまったことにより、この必勝パターンが崩れ去ろうとしている。その手の共同体は、都市よりは地方、若年層よりは高年齢層に相対的に残っているが、地方人口・高齢者人口がともに下がっているし、今後その流れが止まるとも思えない。当然、反小泉派はここに依拠しており、だからこそ反小泉派が勝ってしまうと選挙には勝てないのだが、反小泉派の強みは、ここに依拠する政治勢力は彼らしかいないということだ。

他方、小泉総裁は都市・若年層を中心とする無党派層=政治勢力に把握される形での共同体を形成していないグループを支持基盤としているが、ここは民主党の支持基盤でもあるし、今後新しい政治運動が起こるときは必ずこの層を狙ってくることは間違いない。小泉総裁及びその一派はこのグループの支持をつなぎ止める必要があるのだが、今のところ小泉自身の個人的資質に依存しており、それを代替する組織的対応も見つかっていない。

だから、自民党の戦略としての小泉・反小泉疑似連合を続けるために次の一手が必要とされているのは小泉総裁側だ。それに失敗すれば、自民党が野党に転落するにとどまらず、小泉サイドは自民党内で負け組としてとどまるか民主党などに吸収されるか、いずせにせよ集団として存続するすべがない。反小泉派は、仮に望まずして野党に転落しても、上述の基盤を背景に一定の発言力は維持可能なのだが。

2003年8月31日

自民党という政党は選挙区選挙を勝ち抜いてきた議員の連合体であり、各議員は高度な「自治権」を有しているため、党本部の統制力は「内政不干渉」なものにとどまっているのだ(ちなみに正反対の極にいるのは、想像に易いだろうが共産党)。例えば今回話題の73歳定年制についても、あくまでその適用は比例代表選挙にのみ出馬する候補に限られ、小選挙区で出馬する議員は対象外(例:現在84歳ながら今回の選挙に出馬する相沢英之)。

選挙区選出議員から比例代表に転出するというのはこの自治権を放棄することであり、それこそ今回のように意に沿わない引退を強いられることにもなりかねないからこそ、中曽根は終身1位という身分保障を要求したのだ。

江藤隆美や持永和美の世襲に反対する造反候補の出馬を止められないため、3選挙区中2つが分裂選挙となる宮崎県に典型的に見られるように、こうした選挙区選出議員の独立性の尊重は組織にダイナミズムを生むが、共倒れのリスクが大きくなるのも事実。そうした自民党にとっての長所が活き短所が出てこないのが、かつての中選挙区制だったのだが、小選挙区比例代表並立制の現行制度の下では、今後どう対応していくのかが見もの。党本部の統制が強化されていくのか、それとも選挙区選出議員の独立した活動が自壊をもたらすのか。

2003年10月26日

話を元に戻すと、そうした混乱があったときに、民主党が自民党と相当程度違う方向性を持ったものとして認識されていれば、どうせ同じようなことをやるのなら自民党でいいや、ということにはならず、自民党にはどうやったってできないのだから民主党で仕方がない、我慢しようということになるはずだ。 ではどこに自民党に押さえられていない票田があるのか。

それは、都市部だ。高速道路をめぐる問題でも、対応策が「三位一体改革」と称されている地方財政問題にしても、郵政三事業、とりわけユニバーサルサービスをめぐる問題でも、その根底には都市と地方の対立という構造があるのだが、未だかつて都市の繁栄のためには地方をある程度切り捨てるのはやむを得ないと正面から訴えた政党はない(個人はいる。 石原慎太郎だ)。石原都知事もそうだし、民主党関係者では埼玉の上田知事、神奈川の松沢知事、横浜の中田市長もそうだが、都市部では一般にやや右の受けがよいが、自由党亡き後自民党に代わる保守政党がない(まあ、保守新党ってのもあるにはあるが)ことも考え合わせれば、保守&都市重視というマーケティング戦略の成功率は高い。

もちろんその場合、地方での得票は大して見込めないが、ラフな試算では、東京で9割、南北関東・東海・近畿で8割、残りは2割の議席という計算でも選挙区で140程度(全体で300)、比例区で100超(全体で180)の議席が確保可能でありほぼ単独過半数に手が届くレベルであり、状況に応じて他の政党と連立を組めば与党になることは十分可能と言える(ついでに言えば、この戦略で一度政権をとってしまえば、あとは「一票の格差」解消を名目に都市部の議席配分を厚くすることにより、まず負けない体制が出来上がる)。

といいつつ、このアイデア、実はwebmasterのオリジナルではない。某国の同名政党の集票パターンをまねただけである。その某国の選挙で、その政党がどんな地域で勝ちどんな地域で負けたか、色を塗ってみるなどすると、都市部重視戦略(ただし、あちらはリベラルであり、本邦とは逆となるが)にもフィージビリティが感じられるのではないだろうか?

2003年11月3日

政治と一口に言っても、その取り扱うテーマは極めて多岐にわたるし、一つ一つ取り上げればそれぞれが一生を費やして取り組むような複雑な問題だらけ。官僚として、世に言う「政治」の一端に携わることで口を糊しているwebmasterであっても、自分の担当外についてはよくわからないことばかりだし、それを他の職業で活躍することにより世に貢献している人々がわからないことを責める気には到底なれない。この傾向は、経済が発展し社会に流通する情報量が増加していく中で強化されることはあっても、その逆はあり得なかろうし、また、豊かになった各人がそれなりの発言をしたがる以上、百家争鳴の状況は混沌の度合いを増すばかりだろう。立花隆がスノーの発言を引いて文系と理系の隔絶に警鐘を鳴らして久しいが、彼の努力とてしょせんは蟷螂の斧である(というか、立花隆自身、理系分野のテーマについては理解が怪しいと指摘されているわけだし)。もはや、物事をよくわかったエリートの連帯感に基づく政治判断という理想像は、現実から遊離したものとしか言いようがない。

したがって、何らかの政策テーマがあるときに、その内容をできるだけ正確に伝えて判断を仰ぐということが望ましい、逆に言えばそうしたコミュニケーションがきちんとできればわかってもらえるというのは、そのテーマに携わる人間のエゴでしかない。人々の政治に関する判断は、自分の専門分野であればともかく、その他の分野については政策そのものを見て行われるものではなく政治家を選ぶという形でしか行い得ない、つまりは政策を見たって判断不能なことについては、それを主張している人間を支持するかどうかでしか決めようがないからだ。

この点は、ある意味現代民主主義の前提となっている代議制民主主義が十分に機能しているともいえるのだが、古典的な意味での代議制民主主義とは変質しているのもまた事実。何らかのコミュニティにおいて常日頃接する中で信頼できるか否かを見極めていくというのが古典的な代議制民主主義のありようだが、その手のコミュニティが崩壊過程にある以上、異なる手段でその手の信頼を勝ち得ることができた人間こそが、今の日本において人々の支持を集めることとなっているのだ。

小泉総理の支持率がなんだかんだいっても高止まりしているのは、今の政治家の中では小泉総理がこの点を一番きちんとおさえているから。webmasterが総理用の資料を作成する際にも、いかに短くわかりやすいものとするかについて、官邸の事務方からくどいほど念を押される。そうした小泉総理の手法は「ワンフレーズ・ポリティックス」などと揶揄されることも多いが、負け犬の遠吠えに過ぎない。商品が売れないときに良さがわからない消費者が馬鹿だといっても始まらないように、小泉のよりも自分のほうが中身のあることを言っていると誇ってみたところで、良さを伝えられなかった側の負けである。

2003年11月24日

これらの帰結として、webmasterはflapjackやkmiuraが図らんとするコミュニティの再構築、そしてそのコミュニティの指導的立場の人間に対してまんべんなく一定レベル以上のものの見方・考え方を提供するというクオリティペーパーの働きについて悲観的に見ているわけである。確かにそうしたコミュニティがあれば、指導者層が主導して一定の方向性を与え、それについて疑問がないわけではない成員も、他にこれといった代替策が思いつくわけでなし、参加しないことによる「村八分」のコストがあまりにも高いため、指導者層に従うという政策形成が可能であろうが、それは既に(少なくとも日本では)成立し得ない時代を迎えている。

その代替物としての政策形成のあり方としてwebmasterが考えているのが、テーマや時間を区切った上で、参加者が主体的に参加しているという実感を得られるようなオペレーション。けだし、最近の成功したボトムアップの運動は大概がこのパターンにはまっている。 薬害エイズ問題しかり、UDがん研究プロジェクトしかり、linuxもある意味そうだし、何より大カトーよろしく「故に構造改革はなされるべきである」で全てを片づける小泉総理が典型例だ。だからこそ、webmasterは例えばリフレ政策についても、その学問の世界での勝負と同等以上にそれをどのような形で広めていくかにもこだわるわけであり(もちろん好きでやっている部分が一番大きいのだが)、抽象的な意味での啓蒙活動には興味がない。

2003年12月17日

年金未納騒動の中で民主党代表に選出されて以後、選挙の前後を通じて「まじめ」というスローガンで売り出し中の岡田であるが、霞が関から眺めた彼の姿に最もしっくりくる言葉は何かと考えると、それは「いい人」である。具体的なエピソードはwebmasterの匿名性を確保する観点から差し控えさせていただきたいが、抽象的に言えば官僚相手だからといって居丈高にもならず、ざっくばらんにうち解けた話ができる人である。履歴に明らかなように順風満帆といってよい人生をこれまで歩んできており、そうした人間は乱暴に言えば、人の善意をどこか否定しきれないタイプか人の痛みに鈍感なタイプかの両極端に分かれがちだが、この区分で言えば疑いなく前者のタイプだ。

(略)

そんなキャラクターである彼が政治家、それも政権を狙う立場にあるそれとしてどのように評価され得るかを考えると、残念ながら否定せざるを得ない。まず、現在の民主党のセールスポイントである改革の推進に向かないのだ、そうしたキャラクターは(webmasterはだからいいと思うのだが、一般受けにとってはマイナスだろう)。フランス革命でも明治維新でもよいのだが、大規模な社会変革には相当のコストが不可避であるのだが、それを目の前にしても平然と改革を続けられるのか−その点、自殺者増加を聞いても特効薬はないとコメントできる小泉総理は、改革推進者としてはまことに適任ではある(彼にとっての改革が推進されることが日本にとっていいかどうかはさておき)。

(略)

本題に戻ると、他にも彼が間違いなく直面せざるを得ない試練が2つある。1つめは、メディアからはしごをはずされるときがいずれ来るだろうが、そのときにどう対応するか。勝手な推測で悪いが、どうも彼はネガティブなメディアの論調に対して論理的な反駁を試みそうな気がしてならない。が、そんなことをしても全体をきちんと聞いてくれる人などごく一部であり、片言隻句のみを取り上げられてさらなる中傷に用いられるのがオチだ(その点、ワンフレーズだといわれる小泉総理は、メディアに全体を使うか全く取り上げないかの二者択一をせまっており、やはりうまい。「人生いろいろ」発言にしても、長々と説明していればどこをどう使われてネガティブキャンペーンにさらされたか知れたものではなく、あれはあれでダメージを最小限にとどめたものだったと考えられる)。

2つめは、党内の意見対立が先鋭化する局面において、どうその解決を図るか。民主党内には、旧日本社会党左派出身者が典型だが、憲法問題などについて明らかに彼とスタンスを異にする勢力がいる。小沢一郎の顰に倣ってそれを切り捨てるようでは政権は遠いが、かといって馬鹿正直に説得にかかったところで説き伏せられるはずもない。かつて自社さ連立政権時代に自民党がそうであったように、議論はうやむやにしつつ既成事実を積み上げていくような骨の抜き方ができるかどうか。

2004年8月1日

結論から言ってしまえば、この2つの価値観の対立は、中長期的には「地方」派が絶望的なまでの少数派に転落することで解決するだろう。「地方」と「都市」は、人口以上に住む人の属性が異なる。高齢化のスピードが段違いに速いことに加え、高付加価値産業の知的インフラとでもいうべき職種−弁護士や公認会計士、外国語やコンピュータ関連のスキル所有者や研究者など−の分布を見れば、圧倒的なまでの濃淡がついている。つまり、政府の介入が相当程度あったとしても、それがスターリンによる強制移住ほど極端なものでなければ、民間ベースでの格差拡大のペースが若干は鈍ろうとも、反転することは想定しがたい。一部の「地方」では衰退を免れるところもあろうが、全体の趨勢はあまりにも明らかだ。

こうした対立が最近になって先鋭化しているのは、格差が最近になってから生じたからでは無論ない。高度経済成長に伴う大規模な人口移動からの時間の経過がこうした先鋭化をもたらしたのではないか、というのがwebmasterの推測だ。「都会」へ移動してきた第一世代、すなわち出身地への郷愁や共感、さらにはある種の罪悪感−自分は故郷を見捨てて都会でいい暮らしをしている−を持っており、地方への重点的な資源配分をある種の仕送りや贖罪だと受け止めることができる世代は引退しつつある。他方でその二世・三世、つまりは生まれながらにして「都会」に属し、「地方」への特別な思いを抱かない世代が現役にどんどん参入し、社会の中核を担いつつある。とすれば当然、「地方」への所得移転への抵抗感は高まる。

2004年9月21日

結局のところ、そのように遷り変わった社会的多数派の意見を踏まえつつ国家の意思決定をどのように行うべきか、はやり言葉で言えばガバナンスのあり方についての問題を今の日本が抱えているのだ、ということを道路公団を巡る騒動ははしなくもあらわにしたと言えよう。最終的には「地方」の減衰により解消されるだろう、というのは前回明らかにしたwebmasterの見解であるが、それまでの間この問題を放置しておいて良いというものでもあるまい。以前書いたことではあるが、自民党が分裂し都市部自民党と民主党の2大都市型保守政党が対抗し、キャスティングヴォートを行使する立場に地方部自民党が立つという姿が、当面、実現可能性がそれなりに高く、かつほどほどに都市と地方の対立を緩和する道ではなかろうか。

2004年10月31日

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]
一国民 (2005-09-16 13:07)

>商品が売れないときに良さがわからない消費者が馬鹿だといっても始まらないように、小泉のよりも自分のほうが中身のあることを言っていると誇ってみたところで、良さを伝えられなかった側の負けである。

ジャパネット小泉?

bewaad (2005-09-17 09:48)

民主党からあの社長にスカウトがいったりして(笑)。

JSF (2005-09-17 14:23)

中身なぁ・・・例えば防衛予算で「政府が500億円削減ならウチは5000億円削減だー!」等と、実にいい加減な決め方で数値を出してきた民主党の中身なぁ・・・

民主党は中身を伝えることに成功していたら自爆していたかもしれませんよ。いや、その兆候はあった。竹中に挑発された枝野がアッサリそれに乗って郵便局員8万人首切りを明言しましたし。

「民主党の主張する数値は、一体なんだ?」とされて終わり。

bewaad (2005-09-18 06:46)

あの文章はデフレ脱却を最優先にすべしという政策スタンスを念頭において書いたものです。パーツの中には見るべきものがないわけではありませんが、全体としての民主党の政策パッケージは全く評価できないと思っています。


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