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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-10-28

[notice]feedmeterの貼り付け

以前から登録はしていて、なかなかトップ300ランクに入ってこないなぁと思っていたのですが、念のため個別サイトとして調べてみたところ、昨日現在で人気度2.5、だいたい100位台半ばといったあたりに位置していることが判明しました。

なぜランキングに入ってこないか、思い当たる節はメーターをページに貼り付けていないことだけですので、100%テキストサイトへのこだわり(笑)をかなぐり捨てて貼ってみた次第です。

[BOJ][economy]優秀な中央銀行家

植田前政策委員会審議委員(現東大教授)が日経・経済教室で「普通の(優秀な)中央銀行家」と書いた部分はある種の皮肉ではないか、と本石町日記において指摘されていまして、興味を持って経済教室を読んでみたのですが、webmasterは皮肉だというのは違うのではないかと思いました。まず、植田前審議委員の該当部分のテキストは次のとおりです。

そう考えると、普通の(優秀な)中央銀行家が当然と思うタイミングで金利を上げ始めるのは時間軸政策の趣旨に関することになる。そこから少し遅れて動くというのがポイントである。この点は、この政策の問題点にもつながる。すなわち、時間軸政策をあまりに強い形で実施すると、金利引き上げがきわめて遅くなり、結果としてインフレ率が適切な値を大きく上回って上昇するリスクを冒すことになる。ただし、こういうリスクを全くとらないのでは、そもそもこの政策を実行していることにならない点に注意が必要である。

これを皮肉と受け止めるとすれば、昨今、量的緩和解除を見越した発言を福井総裁や少なからぬ審議委員が行っていることについて、そんなことをすれば時間軸政策(量的緩和の解除をマイルドインフレが観察されるようになった後とする旨のコミットメントにより、量的緩和が必然的にゼロ金利を伴うことを前提に、将来のマイナスの実質金利(=名目金利−インフレ率)期待を醸成し(マイルドインフレになってなおゼロ金利政策を継続することになるので、その際にはマイナスの実質金利となります)、ひいては現在の長期金利を引き下げること)の狙いが達成されないではないか、バカモノ、という趣旨となります。真に優秀な中央銀行家ならそれをわかって今は「出口」を感じさせる発言をするべきでないのに、何を考えていやがる、と。

#植田前審議委員がこのような下品な言葉遣いかどうかはさておき。また、リフレ派からすれば、(時間軸政策では不十分としても、それしかない現状では)そのような趣旨であって当然ではありますが。

しかし、webmasterが見るところ、この植田前審議委員の発言は、次のクルーグマンの台詞を強く意識したものではないでしょうか。

つまり流動性トラップにおける金融政策の無力は、実は標準的な信用問題の、鏡の国版の結果であるわけだ。金融政策が機能しないのは、中央銀行がいまは何をしようとも、機会さえあればすぐにもとにもどって、価格を現状水準近くに安定させるだろうと国民が期待しているからだ。もし中央銀行が「無責任になることを信用できる形で約束」できるなら、つまり市場に対して、価格の十分な上昇を本当に許すと説得できれば、それは経済をブートストラップして流動性トラップから引き出せる(ここでも、1933-41年のアメリカ経済回復に関する分析(1992)は、まさにこうしたブートストラッププロセスが産出増大の主な原因だったことを示している。ただし彼女自身はそういう書き方はしていないけれど)。

「復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲」(pp20-21)(webmaster注:「1992」とは、Romer, C. (1992), "What ended the Great Depression?", Journal of Economic History 52, 757-84.のことです。)

ここでクルーグマンは、まっとうな中央銀行がインフレファイターであることを念頭に、そのまっとうさを捨て去ることができればインフレ期待が醸成されデフレから脱出できると説いているわけで、インフレターゲティングはそのための手段でしかありません。植田前審議委員は、審議委員時代にはインフレターゲティングの導入に反対だったのですが、この経済教室のテキストを読めば、「まっとうさを捨て去る」という目的には賛成で、そのための手段としてインフレターゲティングよりも時間軸政策を妥当と判断したということになります。

#で、日銀のゼロ金利解除に代表される「前科」を考えれば時間軸政策程度では不十分だ、というのが昨日の最初のエントリの趣旨です。

とすれば、ここでの植田前審議委員の「普通の(優秀な)中央銀行家」とは額面どおり受け止めるべきで、本来中央銀行たるものインフレ抑制に努めるのは当然だけれども、あえて外道を歩まなければならないのだ、悲しいけど今ってデフレなのよね、という趣旨ではないでしょうか。クルーグマンの表現では「無責任になることを信用できる形で約束」ということになりますが、通常の環境における中央銀行のあるべき規範を踏み外した、だらしなくふしだらな政策運営こそが求められているので、あえて劣悪な中央銀行でなければならないのだ、と。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
本石町日記 (2005-10-28 12:59)

私もアグリーです。もっとも、この件で感想を聞いた日銀マンの多くは「皮肉」と受け止めていました(笑)。恐らく\策論議がおかしい対話が対話になっていない−ことを強く自覚し、政策委の普通の中銀以下のような振る舞いに劣等感を抱く心境にあるため、「優秀」が反語的な意味合いを帯びているように感じられるのだろう、と私は推測しました。「額面通り受け止める」のは論評の土台に乗っており、論評に値しないお粗末感を覚えていた彼・彼女らにはむしろ優しい解釈かもしれません。ふと私よりbewaadさんの方が日銀に優しいように思えた、と言うと怒りますか?

本石町日記 (2005-10-28 13:01)

最後の結びは「怒りますか(笑)?」です。すいません。

bewaad (2005-10-29 04:30)

いや、植田前審議委員の心情を慮っただけで、つまりは彼が優しいというだけで、私がそうというわけではありませんので(笑)。


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