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2006-01-25

[economy]自分で判断することの非合理

tockriさんの「情報公開とかガラス張りだとかのこと」を読んで思ったよしなしごとを、経済学のジャーゴン用いて(必ずしもwebmasterが正確に理解しているとは限らないので眉につばをつけてくださいまし)。問題提起は次のようなものです。

いったい一人の人間はどれだけのことを知ってなくちゃいけないんだろう。

企業や政府や専門家は情報を公開している。もちろんわかりやすいのから理解不可能なのまで色々あるにしろ。
いっぽう僕には僕の生活があって、プログラムをどう書くか一生懸命考えたり、奥さんと一緒にどこに遊びに行こうか考えたり、そうそう「全てのことについて」調べて理解して、とやる脳の空き領域が残ってない。
テレビを見るにしても、いつもいつもニュース見てるんじゃなくてピタゴラスイッチだって食いタンだって見たい。ゲームだってしたい。

こんな怠惰な僕なので、今の世の中では社会的な何かで不利益を被ったときには「自己責任だ、知識が足りないお前が悪い」と言われて何も言い返せないんだろう。

「情報公開とかガラス張りだとかのこと」(@とっくりばー1/24付)

tockriさんは怠惰だとご謙遜ですが、十分に合理的な行動ではないかということを、昔のテキスト(もともとはさらに昔ログインで読んだ鹿野司さんの連載「オールザットウルトラ科学」ですが)で書きました。

世の中で入手可能な情報量は、前世紀後半あたりから指数関数的に増加しているわけですが、当然ながら、それを受け取る人間の情報処理能力は、そんなには進歩していません。 もちろん、コンピュータに代表される情報処理を支援する機器の発達や、学問体系=「ある一定の範囲の情報に関する定型化された処理の枠組み」が深化したことなどにより、より効率的な情報処理が可能にはなっていますが、ヒトという種である以上、例えば100万字を1秒で読むとか、そういったことは不可能であることに変わりはないわけです。

これによりどういうことが起こっているのか。昔であれば、各個人の専門分野であるとか、趣味の領域といったものの情報量はたかがしれていたので、人が処理する情報の多くは、それ以外の、特に進んで見たり聞いたりしようと思うこと以外の分野に関するものだったわけです。 卑近なもので言えば、お隣からいい匂いがするけど、魚でも焼いているのかな、とか、この前○○さんのところの娘が泣いて帰ってきてたけど、あれって××さんの長男に振られたからだってさ、とか、そんなのだし、もう少し抽象度の高いものであれば、例えば日本人なら白米が好きだよね、とか、桜の花の散るのを見てもののあわれを感じる、とか、そういったもの。

ところが、これだけ人々の間を流通する情報が増えてくると、その気になればどれだけでも情報なんて集めることが可能で、各専門分野や趣味のように少しでも多くの情報を知りたいと思う分野があるときには、それに関する情報だけで、人の情報処理能力なんてものは簡単に手一杯になってしまいます(何でもいいですが、興味のある分野に関する言葉をサーチエンジンにかけてみれば、その結果は全部読むとすれば一生かかるほどの情報量でしょう)。 まして、興味も無い分野に関する情報なんてものは、生きていくのに最低限度のレベルでしか消化されなくなってきているわけです。

これがどういうメカニズムによりもたらされているかを考えると、効用関数と供給コストの問題といえましょう。一定量の情報からどの程度の効用が得られ、当該情報が増えていくに当たっての限界効用がどのように逓減していくかにおいて、より高い効用が得られる情報に特化していく方が合理的なわけです。

しかし通常であれば情報入手に費やすコストは限界的に逓増していきます。「赤字」にならなければよいと平均効用=平均費用となるまで情報入手活動を続けるのか、それとも効率を最大化して限界効用=限界費用の段階でブレーキがかかるのかwebmasterにはわかっていないのですが、とまれ平均なり限界なりの効用を費用が追い抜いたところで他の情報入手活動が相対的に魅力的となり、切り替わっていくことになります。

逆に言えば、追い抜かれるのがより量的に多いものに特化していくのが合理的対応になります。同じようなことを確定申告と源泉徴収に関して書いたことがありますが、いやなことに費やす時間・コストがあるならやりたいことに費やす方がより高い効用が得られ、より幸せになれるわけです。合成の誤謬によりマクロ的には好ましくない状況になるかもしれませんが、それにはマクロ的に対応すべきであって個人の効用関数がおかしいなどといわれる筋合いはないはずです。

さて、情報の流通量の増加とは情報入手に当たっての費用の低下、とりわけ逓増の度合いのフラット化と言い換えられます。かつてなら人づてをたどったり外国語のソースに当たらなければならなかった情報が今ではネットで容易に入手できるのであれば、それだけ特化する部分の情報量が増加することになるでしょう。一方、それ以外については効用の絶対水準が小さいのですから、逓増のフラット化はそれほど効いてきません。かくて深く狭い情報入手活動へのシフトが生じることになります。

ところでこの状態に対してtockriさんが考える対策は次のようなものです。

次善の策として、「知らなくて損をしても、人のせいにしないで、反省して次に気をつける」「知らなくて損をした人を責めない」っていうのは実現できないもんだろうか。これから先も、「公開されている情報」は「個人の知識許容量」をずーっとずーっと超えていくんだから、知らなくて間違えるのなんて当たり前だと思えばあんまりヒステリックにならなくて済むんじゃないかな。

「情報公開とかガラス張りだとかのこと」(@とっくりばー1/24付)

これって実はソーシャルキャピタルのことではないの、とwebmasterは思いました。ソーシャルキャピタルとは乱暴に言えば社会的な人的つながりのことで、それが充実していれば全体としての生産性が上がります。それがどのようなものか、webmasterの理解ではなんでも自分でやるのではなく人任せにすることで分業・協業の利益を得ることですが、安心してそのように「丸投げ」できれば知ることの効用が高い分野に特化でき効用改善となります。

他方で「丸投げ」ができなければ、きちんと自分で裏を取ることでリスクに備えるという効用、マイナスを避けるという消極的な効用が存在することになります。本来の効用関数を考えれば相対的少量で効用と費用がバランスするところ、知らなきゃ損すると知ることの効用がいわば上げ底され、その分だけ特化が妨げられてしまうわけです。

この「丸投げ」しても大丈夫だろうという期待感こそがソーシャルキャピタルということになります。tit for tat(しっぺ返し)ではありませんが、仮に「丸投げ」して失敗することがあったとしても信頼し続けることで、相互不信のスパイラルを回避し特化し続けることが可能となりお互いにとって望ましい均衡が維持されます。その失敗が故意を持ってなされ信頼できないという認知がなされれば、相互不信から監視コストが必要となり、望ましくない均衡にシフトしてしまうと。

ただ、情報量の拡大自体がソーシャルキャピタルの可能性を奪っているのではという気がwebmasterにはします。先に引用の昔のテキストの先を続けます。

ここで、人の集団というものは一体何ものなんだということを考えてみれば、とどのつまりは情報の共有がそのコア。 これには2つの意味があって、1つは情報を共有するもの同士がそれ故に連帯するという、そもそもの集団の成り立ちの点。 つまり、何にも話が合わない人とは同一集団に帰属している、なんて意識はもてないということ。 もう1つは集団自身が新たな共有すべき情報を独自に作り出すという、集団の自己強化の点。 つまり、集団の中で誰がどうしたとか、集団の中でしか通じない特殊な用語法ができたりして(例として霞ヶ関の言葉を出すと、首相のことを"PM"(Prime Ministerの略)と言ったりとか、仕事の内容と手続をそれぞれ「サブ」=substanceと「ロジ」=logisticsと言ったりしてますが)、その結果、ますます情報の共有が多くなって集団内部での連帯感が強くなるということ。

したがって、上記のように、それぞれの個人の自ら進んで追い求める情報量が増加し、それに伴い既存の集団内において共有する情報量が減少するということは、既存の集団の存在価値がその分だけ薄れていって、これまでの国家・社会といったものを支えてきた基盤が揺らいできている、という結果につながるわけです。

いっそのこと清貧主義に帰依し、効用関数に従ったビヘイビアをやめてかつての低生産性の共同体主義に復古すればよいと考えるなら楽なのですが、それは間違いだという根拠のない直観がささやくので別の道を見つけたいものです。しかしそれは難しいなぁ・・・限界効用逓減がきつい分野についてはスティーヴン・ストロガッツ「SYNC」で描かれた流行の同期現象の閾値が低いと考えると、その「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」的な流行の連鎖が一つはあるでしょう。

同時に、限界効用がそれほど逓減せず限界費用低下の影響を大きく受ける部分では狭く深いつながりがあるでしょうから、それらが車の両輪となってanima politikosたるヒトのつながりの主要部分を担っていくのかなと思うのですが、それらに存するソーシャルキャピタルは少なそうですし・・・。

[history]ライブドアを巡っての虚業云々という言説

を見てそういえばと思ったのですが、商は詐なりとされ士農工商において最下に置かれたという通俗的儒教理解、あるいは働かざるもの食うべからずといったマルクス主義的資本家観に共感する者は決して少なくないようです。なんだかなぁ。

昨日(リンクしたエントリで)書いたように、ホリエモンの内面においてはいかなる事業も自ら以上に愛着を持てるものではなく他のものと容易に置換可能であるという意味において虚ではあるのでしょうけれど、社会にとっての話はまた違うでしょうに。

本日のツッコミ(全16件) [ツッコミを入れる]
estevan (2006-01-25 09:51)

>虚業
これは伝聞ですが新聞も嘗ては虚業扱いされてたとか。

しかしライブドアをIT企業と言うのは正直辞めてくれ。
あれは典型的なM&A企業だろうに。
あと海外メディアではドアをベンチャーの雄扱いしてるがこうした経営実態を知らないで報じてるんだろうな。。。

金鉱マン (2006-01-25 11:55)

 “言語”ではなくて“映像”で意思疎通できるようにならないでしょうかねぇ。言語の場合、習得するまでに多大なコストがかかりますが、映像はほとんど学習要らずな気もするんですが。
 あっ、テキトーに流してください。。。

ゆーき (2006-01-25 13:05)

>“言語”ではなくて“映像”で意思疎通できるようにならないでしょうかねぇ。

手話を世界共通の言語にするっていうのはどうでしょうw
でも文法も統一しないといけないから無理かな?

ひでき (2006-01-25 13:39)

>これって実はソーシャルキャピタルのことではないの

さすがぁ!すごく共感します。ここのところ、文章にならない想いが、まとを射られてしまった感じです。ありがとうございます!

tockri (2006-01-25 15:11)

ヒワカレ、ネ、マエリキク、ハ、ッ。ヨanima politikos。ラ、テ、ニ、ネ、ウ、ヒ、メ、テ、ォ、ォ、テ、ニ、キ、゛、テ、ニ。「"anima politikos"、ヌGoogle、ケ、Ε優拭▲Ε鬟縄Ε漫ΕΑΕΑ▲、ォクォ、ト、ォ、鬢ハ、、、ソ、眛エ、ル、ニ、、、ソ、ホ、ヌ、ケ、ャ。「、ノ、ヲ、荀魍ムクΕpolitical animal、マ。「・ョ・Д・羣Ε拭▲優鬟潺鬟泪鬟劵鬟離鬟皀鬟離鬟肋┘鬟望οだそうで、アルファベットだとolitiko zwoになるそうです。animaはラテン語で「魂」だそうです。

tockri (2006-01-25 15:12)

ギリシャ語入れたら化けちゃいました。ごめんなさい。
本筋とは関係なく「anima politikos」ってとこにひっかかってしまって、"anima politikos"でGoogleすると世界中でココしか見つからないため調べていたのですが、どうやら英語のpolitical animalは、ギリシャ語だとpolitiko zwoになるそうです。animaはラテン語で「魂」だそうです。

頭痛 (2006-01-25 16:39)

>>estevanさん
>>あと海外メディアではドアをベンチャーの雄扱いしてるがこうした経営実態を知らないで報じてるんだろうな。。。

特派員協会でもメディアでおなじみの人呼んでるみたいなんで
分かってるかと。
ttp://www.videonews.com/asx/fccj/012006_m&a_300.asx

すなふきん (2006-01-25 20:08)

>マルクス主義的資本家観
御意。投資が虚業であるとは明らかにおかしな話で、だったら資本主義そのものが虚業というwことになります。私も零細個人投資家ですし。ただ、そこらへんと今回の件で大衆がホリエモン同情論に傾倒しているように思えることとはまた別問題として考えたいと思います。ほとんどの大衆はホリエモンを応援しても一文の得にもならないどころか、ライブドア株暴落で樹海逝き状態になった人さえいるのに、あの根強い擁護の姿勢はどこから来るのかって疑問なんですよね。堀江氏個人も含めそれを取り巻く有象無象の胡散臭さというか、そこに目が行かないで逆に同情する心理って一体・・・。これ、勧善懲悪的改革主義路線に賛同してきた大衆の心理と同根の匂いを感じてしょうがないんですが。つまりもっと悪い奴がいるのになんでホリエモン?って感じで。でもそれを言い出すとキリがないですよね。へたすれば日本の改革のためにホリエモン無罪を勝ち取れ!なんていいだす人も出てきかねないです・・・。

鉄血人文主義者 (2006-01-26 00:38)

お初にお目にかかります。経済学については素人ですのでお手柔らかに。さて、やれ虚業だの実業だのという言説には、私も違和感を感じておりました。で、これは、マルクス経済学における労働価値説(客観価値説)の残滓のような気がしてなりません。価値というのは実体概念じゃなくて機能概念だと思うんですがね。で、額に汗して働いてモノ作りをすることにこだわる守旧派のモノ信仰それ自体が、キャバクラ嬢のブランドモノ信仰なんかと裏腹になっているんじゃないか。そうすると、ホリエモンのいう「改革」の意味って一体なんだったろう、と思ったりもするわけです。彼も結局は自家用ジェット機というモノなんか買ったりしてるわけで・・・。

bewaad (2006-01-26 04:41)

>estevanさん
オン・ザ・エッヂも旧ライブドアもIT企業の範疇にあったのにどうしてこうなっちゃったんですかねぇ(笑)。ITじゃ彼の悲願である世界一になれないからでしょうけれど。

bewaad (2006-01-26 04:44)

>金鉱マンさん、ゆーきさん
テキストファイルのバイト数と同じ動画ファイルの長さ(時間)を考えれば、映像での伝達は仮に可能であったとしてもおそろしく効率の悪いものになるかと存じます。

bewaad (2006-01-26 04:46)

>ひできさん
お考えの一助となったとしたら光栄です。今後ともよろしくお願いいたします。

bewaad (2006-01-26 04:47)

>tockriさん
何か記憶違いだったかもしれません。ちょっと自分でも調べてみます。ご指摘ありがとうございました。

bewaad (2006-01-26 04:49)

>頭痛さん
アメリカなんかじゃIPOレベルのヴェンチャーのM&Aも珍しくないですよね。

bewaad (2006-01-26 04:52)

>すなふきんさん
圏外からのひとことでessaさんが飛ばしなんて銀行だってやってるじゃないか、むしろ銀行からノウハウが伝わったんじゃないか、なんてことをお書きになられていました。それが検察により裏付けられた銀行経営者はお縄を食らっている(証取法違反だけでなく特別背任で実刑だったりも)わけで、でもつかまっていない違反者がいっぱいいるとお考えなんでしょうねぇ(で、それが本日(26日)のエントリで書いたような問題につながっていくのかと)。

bewaad (2006-01-26 04:55)

>鉄血人文主義者さん
金貸しへの嫌悪感なんてものは昔から洋の東西を問わずあったわけで、その意味ではヒトという種に本能的に備わっているもの(そうした性向が適者生存に貢献した)のかも、って根拠はありませんが(笑)。

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