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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2006-06-20

[BOJ]福井総裁に関していただいたコメントについて・その2(「疑念」概念と規範の意義)

内規(日本銀行員の心得)上の「疑念」についてはいろいろな議論をさせていただきましたが、もうちょっと前提から丁寧に説を展開する必要があるように思われますので、今回はそのあたりから。

一般用語として「責任追及」とはよく用いられますが、何らかの問題ある結果が生じた際にその中の何の責任を追及するのか、抽象的に考えると2種類に分類できます。

  1. 生じた問題ある結果に責任を認める
  2. 問題ある結果につながる作為/不作為を行ったことに責任を認める

1がいわゆる結果責任で、2は刑法学における有責性の概念に相当するものです。

刑法学における有責性って何よということですが、何らかの作為なり不作為なりが刑法上罪と認められるためには、次の3つのハードルをクリアする必要があります。

  1. 構成要件に該当する
  2. 違法性阻却事由が存在しない
  3. 責任阻却事由が存在しない

構成要件というのは作為・不作為の要件定義で、例えば殺人罪なら故意に人を殺せば構成要件に該当することになります。同じく人を殺したという結果があっても、故意に傷つけたら結果的に死んでしまったのなら傷害致死、傷つけるつもりすらなかったけれど何らかのミスでうっかりというなら過失致死、というような違いが出てきますが、いずれにせよ人が死んでいなければこれらのいずれの罪にも該当しません。

違法性阻却事由とは、代表的には正当防衛で、外形的には構成要件に該当していても、構成要件が前提とする作為/不作為は悪いというものが成立しないことを意味します。殺人罪が悪いのは人の命は尊重されるべきだからですが、であるなら自分の命が尊重されない状態における反撃は悪いとはいえない(=違法であると非難できない)ということになります。

責任阻却事由とは、評判が悪い心身喪失なら無罪という類のものです。なぜ心神喪失状態で人を殺しても殺人罪ではないのかというのは、人を殺さないことが期待できないから。人殺しを避けることが一般に期待されてしかるべきで、それが可能であるにもかかわらず、そうした回避をしなかったというのが問題だという考えに基づきます。逆に言えば、そのような回避をすべきとの判断ができないような状態こそが心神喪失と認められるべき状態です。

さて、狭義には有責性とは責任阻却事由がないこと、つまり責任阻却とは責任が(認められ)ないわけですから、阻却されなければ責任がある=有責(性が認められる状態)であるということになります。しかし広義に考えるなら、構成要件も違法性阻却事由も同様になさざるべきことをなした/なすべきことをなさなかったという判断に問題を認めているわけで、いずれも有責性に根拠を持つものといえます。

構成要件で言うなら、故意犯はむろんそのような故意を抱い(たことに起因して結果をもたらし)たことを問題としていますし、過失犯であっても注意義務違反、つまりそのようなうっかりミスを避けるべく注意を払うべきだったのにそれを払わなかっ(たことに起因して結果をもたらし)たことを問題としています。

違法性阻却事由にしても、なぜ一般用語としての正当防衛行為であっても過剰防衛と法的には判断される場合があるのかを考えれば、そこまでしなくても自己防衛を図ることができたにもかかわらず、それにとどまらなかったことが問題という認識があります。

以上を模式的に書くなら、ある状況下においてAとBという2つの選択肢があった際に、AではなくBを積極的に選んだ、ないしはBを選んではならないということを合理的に判断できたはずなのにそうした判断にいたらなかったからこそ、罪たる行為は非難に値するということになります。対偶をとるなら、非難すべきでない行為があるとすれば、それは選択の余地がなかったということ。

もちろん内規は刑法その他の刑事罰規範ではなく、この考え方が直接援用できるわけではありませんが、不利益処分を求めるのであれば少なくともこれに反するような解釈は好ましくはないでしょう。まして今回の内規はそれらしき規定を含んできます。改めて掲げてみましょう。

7.個人的利殖行為

(1) 職務上知ることができた秘密を利用した個人的利殖行為は、厳に行ってはならない。

(2) 現担当職務と個人的利殖行為との間に直接的な関係がなくとも、過去の職歴や現在の職務上の立場等に照らし、世間から些かなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には、そうした個人的利殖行為は慎まなければならない。

また、疑念を抱かれる利殖行為に該当するか否か判断し得ない場合は、あらかじめ所属長(所属長自身の場合はコンプライアンス会議の審議を経て総裁が役職員の中から定める者)に相談するものとする。

日本銀行員の心得

ここでは、(1)と(2)の命ずる規範の種類が違うことがポイントではないかとwebmasterは考えています。(2)が(1)と同種の規範であれば、「・・・世間から些かなりとも疑念を抱かれる個人的利殖行為は(厳に)行ってはならない。」となるはずです。「行ってはならない」と「慎まなければならない」の違いは、書き分けてある以上は何らかの違いがあると解すべきでしょうけれども、「慎む」には行わないとの含意もあるので、とりあえずここでは違いがないとして議論を進めます。

残る違いは、(2)にある「予想される場合には・・・慎まなければならない」という条件節です。最後の部分を書き換えるとしても、「予想される場合には・・・(厳に)行ってはならない」ということで、予想されなければ行っても内規違反ではないということになります。他方で(1)には条件節がないので、行ってしまえばプロセスの如何を問わずアウト。

もちろん、不注意にも予想せずに個人的利殖行為を行った者が十分に注意をしたがゆえに個人的利殖行為を慎んだ者よりも有利になるのは公正さを欠きますから、「予想される場合」とは個人的利殖行為を行う者が主観的に予想する場合ではなく、一般にその地位についている者に求められる資質に照らしてなすべき予想が存在する場合と解すべきでしょう。一定の客観性ある基準で主観的な行動を判断するという意味では、善管注意義務(善良なる管理者の注意義務)や受託者責任、プルーデントマンルールのようなものといえます。

webmasterが「疑念」の内容がいかなるものかにこだわったのは、以上が前提となっています。個人的利殖行為に関する判断を迫られた際、適法行為と違法行為の両者から適法行為を選ばせるようにするのが規範の第一の存在意義で、したがって適法行為が期待できないような場合は非難すべき状態にはないということになります。

本件に関して当てはめるなら、「疑念」が合理的・論理的なものでない限り、不適切な個人的利殖行為を慎む前提となる「疑念」の予想が期待できません。先のエントリでは「言いがかり」という言葉を用いましたが、つまりは事前に予想すべきとされない「疑念」をいくら抱かれてもこの規定の違反にはなりませんし、逆に実際に「疑念」を抱く人がいなかったとしても、事前に予想すべき「疑念」を予想せずに個人的利殖行為を慎まなければ、それは違反となるのです。

この場合、規範の存在意義は個人的利殖行為に関する判断に影響を与えることです。判断に当たって明らかに問題となるべき選択を行わないようにすることがその趣旨ということになります。問題は「疑念」が生じるかどうかではなく、「疑念」を生じさせないよう事前に行動を選択したかどうかで、だからこそ結果責任ではなく(結果は事前にわからないので)、ある種の注意義務違反に対する責任を追及すべきであるとwebmasterは考えています。

なお関連で、刑法上は刑法上でも不能犯の概念(例えば呪殺は起こり得ないので、人を殺そうとして呪うことは殺人の未遂犯ではなくそもそも殺人罪(の前置行為)を構成しないとするもの)を応用して本件をwebmasterは検討しているのではないかとのご指摘がありましたので、それについて少しだけ。合理性・論理性とは、ここまでも書いてきたように予想の期待可能性に源を発し、いかなる予想(に基づく行動選択)をなすべきかの判断材料として用いています。

したがって、実は内容においてはほぼ重なるとは言え、違う道筋から議論をしているのであって、不能犯類似の問題ではないとwebmasterは考えています。ほぼ重なるとは、不能犯において何が不能かを判断するのは結局専門的知見等に委ねざるを得ず、それは合理性・論理性ということになるからです。他方で違う道筋とは何か。

こんな問題、法律関係者しか関心がないと割り切って(笑)専門用語を安易に使えば、不能犯は保護法益侵害のおそれがまったくないのでそもそも構成要件に該当しないという整理でしょう(刑法総論はあまり真面目に受講していなかったので怪しいなぁ(笑))。他方で本件は、保護法益侵害のおそれがあるかどうかは問題ではなく(更に言えば、結果において保護法益が侵害されてもそこに着目して結論が覆ることなく)、注意義務として何を課すべきか、裏返せば何を注意義務違反とすべきかという観点から構成要件を整理したものということになります。

(続く)

本日のツッコミ(全15件) [ツッコミを入れる]
西麻布夢彦 (2006-06-20 21:39)

政治責任の話が抜けているように思われます。
信任できない吏僚の罷免は主権者の権限なのでは?
(たとえ注意義務を果たそうが、良い結果を出そうが、世論が辞任を求めるなら辞めざるを得ないでしょう。今回は、逃げ切ったと思いますけど)

※徹頭徹尾、法律論をされたいのはよく分かりますが

ななしさん (2006-06-20 22:19)

>世論が辞任を求めるなら辞めざるを得ないでしょう。
( ´゜д゜`)エー 日銀の独立性の趣旨はどこへ行ったのやら。
どこのどなたに日銀総裁を辞めさせる権限があるの??
確かに日銀法56条1項には
財務大臣又は内閣総理大臣は、日本銀行又はその役員若しくは職員の行為がこの法律若しくは他の法令若しくは定款に違反し、又は違反するおそれがあると認めるときは、日本銀行に対し、当該行為の是正のため必要な措置を講ずることを求めることができる。
と書かれていますが、政府は何も言ってないんでしょ。
そして辞めさせる根拠がないとして自発的に辞めなきゃいかん根拠は??
そして日銀総裁って吏僚じゃないと思うんですけど。
人の地位を剥奪するような法律や定款の行使には憲法の間接適用があるってな事大学の一般教養(或いは専門)でやらなかった?
政治責任なんて曖昧なもので辞めなきゃいけないなんてどこの専制国家出身ですか?
三島的世界なら腹切って終わりなんでしょうが、世界はそう浪漫に溢れているわけじゃないですよ。

47th (2006-06-20 22:30)

刑法が有責性を厳密に求めるのは、刑罰という効果と結びつけられているからであって、内規違反に対して、このようなアナロジーを適用することには必ずしも納得していないのですが(もし、アナロジーを徹底するのであれば、そもそも「些かなりともの疑い」は明確性に欠けるので無効といった方がすっきりしそうですし)、そもそも、bewaadさんは、日銀の金融政策の担当職員が2月に村上Fへの解約を報告しなかった場合に、日銀がこの職員に対する注意・戒告を行うことも否定されるのでしょうか?
それとも、注意・戒告ならいいが、解雇処分は許されないという立場をとられるのでしょうか?
注意・戒告すらも許されないという立場であれば、立論は一貫すると思いますが、私を含め多くの人の賛同を得るのは難しいと思います。
もし、注意・戒告はいいが解雇はいきすぎという話であれば、,修譴脇盖違反かどうかの問題ではなく、その内規違反の悪性の程度と処分のバランスがとれていないという話、か、あるいは◆嶌海なりともの疑念」の内容を処分の重さに応じてスライディング・スケール的に観念するかの何れかに立っているということになるのではないかと思います。
´△硫燭譴砲擦茵◆嶌海なりともの疑念はあるが辞任する程度のものではない」という議論であり、bewaadさんの「辞任するには法令(内規)違反が必要」という立論との間では循環してしまいます。
結局、この問題を解決するには、辞任要求という効果にはどのような類の疑念が必要かをダイレクトに論じるべきであって、「合理的な疑い」や「有責性」という抽象的な刑法・刑事訴訟法プロパーの概念を持ち出しても、解決にはならないのではないかという気がしました。
・・・といいつつ、法的プロパーの議論の誘発をしてしまったのには私も寄与しているところがあるので申し訳ないのですが・・・
ただ、繰り返しになりますが、そうした議論の枠組みを除けば、無理を強いるような責任の採らせ方にはコストが生じるというbewaadさんの根本的な問題意識については共感していますが、法的な議論に引っ張り込もうとする余り、却って主張の要点がぼやけてしまっているような気がしたので、敢えてコメントさせて頂いた次第です。他の方の興味からも外れると思いますし、私の方は、法学プロパー議論については、これで打ち止めにして、再びギャラリー・モードに戻らせて頂こうかと思っています。

koge (2006-06-20 23:32)

確かに、企業の取締役は株主に、大臣は首相に、そして議員・首長は有権者に、それぞれ理由なく辞めさせる権利がありますが、日銀にはそれがまったくないですからねぇ…。私は以前書いたとおり、「神の目」がない日本ではせめて「世間の目」による監視がないと独立してないことの弊害より独立していることの弊害のほうが大きくなりそうだと言う考えなのですが、今から日銀法変えたってその前の悪事を問うのはさすがに法の不遡及に引っかかっちゃいますから。
で、この際福井氏を日銀の一従業員(笑)として見ると、一般企業や一般職公務員としてみればこれで辞めさせるのは99%不当解雇でしょうし、減給や降格も難しいでしょう。ですが、金融機関の職員(証取所社員や証券外務員など)なら、配転や降格の処分理由には十分なりえると考えます。
個人的には関西人の「公共財」たるタイガースを村上を通じて我が物にしようとしたことは阪神ファンとして万死に値する(笑)と思いますので、大阪支店長に左遷しファンの手で道頓堀に放り込むくらいが妥当かと。

言いがかりですが (2006-06-21 00:17)

そういう議論をなさるのであれば、刑法において、塩を投げても暴行罪として処罰されるという実情をどう評価されますでしょうか?
いずれにせよ、(47th様も指摘されておりますが)法律関係者の端くれとしましては、自由刑を含む制裁を伴い、社会的stigmaの大きい刑事法とのアナロジーを強調されることには、強い違和感を覚えます。

luke (2006-06-21 01:01)

論理をきちんと理解できたとは言いかねるのですが、「結果責任ではなく(結果は事前にわからないので)、ある種の注意義務違反に対する責任を追及すべきである」という点には同意いたします。

ただ、「些かなりとも疑念を抱かれる」「慎まなければならない」等の曖昧な文言や、文字通りに解釈してしまうと守ることが困難な『人生訓』的な内容など、この服務規程に厳密な法的解釈をすることにそもそも無理がある気がしてなりません。

以前述べたことの繰り返しで、47thさんと結論としては近いのじゃないかと思いますが、行動規範として本来は何が求められているのか・内規はどうあるべきだったのか・今回のケースは『望ましい規範』に照らすとどうなのか、などの点に興味があると申し上げて、今後の展開を楽しみにさせていただきます。どうか無理なさらず、ごゆっくりお願いします。

通りすがり (2006-06-21 04:54)

ファンドはマネーロンダリングに使われる事もある。私募ファンドの出資者情報を公開させようとしたら、シンガポールに高飛びを企てた元役人の経済ヤクザ(ファンドを隠れ蓑にした仕手・総会屋)がいた。経済ヤクザの出資金をたどっていったら日銀総裁のポケットマネーが混入していた。しかも(微妙に)私人時代にアドバイザー契約を結んでいた事もあり、当該ファンドの勧誘資料には日銀総裁の名前が使用されていた。もしかしたら、配当金だって賄賂性を有するものかも知れない。どこかの野党議員は秘書給与を出してもらっていた。そういえば明らかに怪しいファンドだったのに検察の捜査が入るまではやたらと持ち上げられていたな。

僕が認識している事実はこうなんです。

法的にシロだから。内規でもOKだから。どうする事もできません。そんな役人みたいな事は言わないで欲しい。辞任の是非の議論なんかどうでも良い。ちゃんと全てを解明して欲しい。

このままウヤムヤなら限りなく黒に近いグレーであったという認識は強化される事はあれ改まらる事はない。民間人としては、またかよとドッチラケになるのも飽きてきた。期待するだけ無駄なのか?

西麻布 夢彦 (2006-06-21 07:46)

>ななしさん様
政治責任というのは、憲法学の概念なので、曖昧でも専制でもありませんよ。(^_^)

roomer (2006-06-21 08:13)

>通りすがりさん

>そんな役人みたいな事は言わないで欲しい。

本当に役人なんだから、役人みたいなことを言うなってのは無茶でしょうw

k (2006-06-21 15:59)

通りすがりさん
>ファンドはマネーロンダリングに使われる事もある。

銀行だってマネーロンダリングに使われますよ。ファンドだけのような意識操作は良くないと思います。

>そういえば明らかに怪しいファンドだったのに検察の捜査が入るまではやたらと持ち上げられていたな。

持ち上げていたのはマスコミとそれを(なぜか)純粋に信じていた(西麻布さんの大好きな)世論・庶民なんですよね。

私はどちらかというと、世論・庶民が何でも理解できるという前提自体がおかしいと思っております。情報社会の弊害といえばいいのか、どんな分野においても、誰もがそこそこの情報を手に入れることができるようになっているために、誰でも自分の意見が通じると錯覚するところがあるのではないかと。

何でも理屈では通らないのは正しいとしても、何でも世論や庶民感情を持ち出してくるのには辟易します。こんな日本が、どれほど他国から理解されうるものなのかに興味があります。結局日本という国は、共同体を主体とする村意識・島国根性で問題を処理(解決ではない!)していくのだなぁと、しみじみ思ってみたり。
地域共同体が崩壊したせいで、マスメディアを主体とする国家的な共同体が形成されたりしているのかしらと思うと、空恐ろしくなりますね。

通りすがり (2006-06-21 21:14)

>>roomerさん
今回の件でのbewaadさんの言説を見ていたら、どうしても言って見たくなってしまいましてw

>>kさん
印象操作ではありませんよ。率直に僕の印象を語ったまでです。僕の現状認識はそうなっているという事ですから、それを他人がどう思おうと知りません。
ただ、同じように思っている人が多いと思いますよ。「公」職につくものが、私的な利害関係を有しているというのは問題です。思い切りレント問題が生じます。日銀に限らず、首相の「私的」諮問会議と言われている思いっきり公的な某会議も、利害関係者だらけですよね。竹中大臣がやっている「私的」な諮問会議も同じ。利害関係者だらけで大方針を決めても「私的」な会議だから構わないと言いぬける。経済ヤクザに金を出していても、知らなかった・内規ではOKと白を切る。こういう公というもののあまりに軽んじる体質に頭に来たり、白けたりしている人もいるという事実をお伝えしたかったのです。

西麻布夢彦 (2006-06-21 22:11)

>k様
呼びました?
一言言っておきますと、私は、ホリエモンやMAC村上のような、「偽りの改革者」に騙されている「世論」が不快だから、自ブログで論陣を張っていたので、世論万能論ではありませんよ。
また、むしろホリエモンやMAC村上礼賛は、官邸がマスコミを操作して作り出された大衆世論で、庶民の持つ健全な良識が反映された世知ではないと考えます。
(庶民は主体性を、大衆は操作の客体性を持つ概念です)

あと「こんな日本が、どれほど他国から理解されうるものなのかに興味があります」と言いますが、日本以上に賢明な国なんてないのでは?
愚か者に理解されなくて、嘆くこともないでしょう。
よしんば、日本が愚か者でも、他国(他人)の目を気にするとは、共同体意識に否定的k様らしくない。

閑話休題……
> 持ち上げていたのはマスコミとそれを(なぜか)純粋に
> 信じていた(西麻布さんの大好きな)世論・庶民なん
> ですよね。
は、少し違うと思います。
ホリエモンやMAC村上を信望していたのは、フリーター・ニートのような、社会のメインストリームから排除された人たちだったように思えます。
多くの庶民は、彼らにうさんくささを感じながらも、明確な言葉で表現できないために沈黙していたように思います。
私の周囲では「馬鹿がいるから、クズ会社を高値で売りつけとけ」という扱いだったと記憶しています。

k (2006-06-22 21:12)

>通りすがりさん

>こういう公というもののあまりに軽んじる体質に頭に来たり、白けたりしている人もいるという事実をお伝えしたかったのです。

これについては納得しました。マスメディアから伝えられる「公」の人々の所作は、結局全部茶番に見えるという点でそのように感じるのは私もです。

>西麻布さん

>よしんば、日本が愚か者でも、他国(他人)の目を気にするとは、共同体意識に否定的k様らしくない。

私は共同体には確かに否定的ですが、その理由は外から理解できない「赦す」という行為で問題を解決してしまう点についてです。
共同体が家族や友人同士という小さなものであれば、それは大事にするべきだと思います。
しかしクラスとか、学校とか、会社とか、国という単位になったとき、「赦す」という行為は外部から問題の処理のされ方が理解できないという点で、オウム真理教(全く理解はできないけれども教団員の方々は満足している方が多かったようですし)と何も本質が変わらないのではないかと考えます。
すなわち、世界・他人の目を気にするのではなく、世界・他人に理解できる形で表現をしていく、すなわち説明責任を果たすことが、共同体の否定につながると考えております。

こういう議論は自分でBlogを作成して書くべき事のような気がしますので、bewaadさんのbolgのコメント欄で語ることではないですね。。。webmaster様、申し訳ございません。

>ホリエモンやMAC村上を信望していたのは、フリーター・ニートのような、社会のメインストリームから排除された人たちだったように思えます。

これも(マスコミの大好きな)変なカテゴライズを使った見方だと思います。社会のメインストリームとは何なのでしょうか?お金持ちの人?働いている人?28歳で1部上場企業勤め(死語かも!)で結婚していて子持ちの女性だと今の若者の間ではメインストリームではないかもしれませんねw
団塊の世代の描いたメインストリームなんてもはや機能不全に陥っているのに、それに外れたというような話をするのはナンセンスです。フリーター・ニートというカテゴライズも、結局老人の作った勝手なカテゴライズで全く意味がないように思えます。
ホリエモンや・村上ファンドを応援していたのは、現体制を何らかの形でかき乱してくれることを望んでいた人だったのではないかと思います。それは、いろんな年齢のいろんな種類の人たちだったのではないでしょうか。そうでなければ、こんなにも国を挙げた大騒ぎにならなかったと思います。まぁ、ニートやフリーターにそんなに力があるなら、ニートやフリーターやってないと思いますよ。
それよりも、やっぱり庶民というのがどういう人か分からないですね。たとえば年齢が30代だったら貯金がどれくらいある人が庶民なのでしょう。市役所で働いていたら庶民ではない?では、証券会社でトップの成績を取り続けている人は、庶民から除外なんでしょうか。共働きだと収入が夫だけが働く場合よりもかなり収入が多いですが、それは庶民ではない?ホリエモンはおそらくいつの間にか庶民ではなくなったわけですが、それはどの時点からなのでしょう。
やはり庶民というものがちっとも分かりません。そこを明確にしていただきたいと思います。

bewaadさんの議論は、できるだけ意味の分からないカテゴライズを排除して行われている(と私には思える)点で好感を持って拝読させていただいております。

乱文失礼いたしました。

西麻布夢彦 (2006-06-22 22:10)

>k様
> ホリエモンや・村上ファンドを応援していたのは、
> 現体制を何らかの形でかき乱してくれることを望んでいた人

これには同意します。

> やはり庶民というものがちっとも分かりません。
> そこを明確にしていただきたいと思います。

法学の世界も法実証主義的に文理解釈する世界もあれば、アングロサクソン的なコモンセンスや大陸的な古き良き法もあるわけです。
その意味で、形式論理的な法解釈は不毛だとも思います。

また、これは自分のブログで書いたのか、ここで書いたのか忘れましたが、本来、権力(公務員)を縛るために生み出された「法の支配」の概念を公務員が保身のために使うということに違和感を感じています。
確かに、美しい法解釈は「正しく」見えますし、管理人様は、悪しき権力者に阿っているのでもないでしょう。
しかし、形式論理の追求が、ずるい権力者の保身の道具になるという事実は、残念ながら存在します。
ホリエモンやMAC村上が、もっともらしい「資本の論理」を振りかざしながら、ただの乗っ取り屋だったように、もっともらしい法律論理を振りかざして、公権力を私利私欲に使う人が絶えないのが残念ながら、現実なのです。
私が、ホリエモンと同列に官の腐敗に憤るのは、そのような欺瞞が好かんからです。
糸山英太郎先生のように、あけすけに悪事をしてくれる方が爽やかに感じます。
(まあ、汚職はイケマセンが)

(2006-06-24 10:33)

(横レス失礼します)

私利私欲に使わず、慈善事業団体に寄付せよと?私利私欲に使わず、世界の紛争を止めるために社会貢献せよとばかりに国連へ寄付せよと?

それとも国内の地震災害費に寄付せよと?

世論が、マジョリティが全て正しいということではないという点において賛同ですが、爾来の中心で正義をかざすようなプロパガンダでは世論は動かされないと思います。

国債を買って支えろというプロパガンダなら、まさしく戦後の国民総出の財政再建ですね。株を買って支えろと投資立国と発言するところに、もう既に末期を感じますね。

右のポッケも左のポッケも。過去の債権に投資し、利益を生み出し、顧客の支払いにあてています。

バブル後、山一証券の引当金は25%だったそうですよ。まあ、そのうちどんな理論も成り立たなくなってくるでしょうw


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