archives of BI@K

CSS: default alternative
(要cookie)

toppage memoranda

(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|

2006-10-01

[notice]昨日いただいたコメントへのレスは、明日とさせていただきます。ごめんなさい。(T/O)

[sports]K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA雑感

  • 今年はよさそうだな、と感じさせたのはレミー・ボンヤスキー。相手がグッドリッジだったので試合内容はあまり参考にならないようにも思いますが(笑)、体がしっかりできてました。あれだけ上半身に肉をつけた割にはスピードが落ちておらず、あとはスタミナがどうか、といったところでしょうか。
  • 本命をボンヤスキーとするなら、対抗はセーム・シュルトでしょうか。これまた相手に問題がありましたが、安定していますね。
  • チェ・ホンマンは、団体として売り出すのもよくわかる素材のよさです。確かジャイアント馬場だったと思いますが、体が大きいことは立派な素質だと。加えてあの善人顔(笑)ですから、成績が伴えば人気が出るのは間違いないかと。着実に技術を身に着けているのはたいしたもので、あとはジャブを磨くのと(距離をとるのに、彼ほどの大きさがあれば前蹴りはオーヴァースペック(の割りに遅いので非効率)なので)、何らかのフィニッシュパターンの確立(webmasterとしては、体の大きさゆえに出所や軌道が変わるアッパー系を推したいです)ができれば大いに化けるでしょう。谷川プロデューサーとしては、このポジションには曙を想定していたのでしょうけれどもねぇ・・・。
  • アーネスト・ホーストは、今日負けさせないためにあのカードだったのでしょう(笑)。構えを変えパワー重視にしたのは年齢を考えてのことでしょうけれど、その路線ならば上には上がいるでしょうし。
  • 武蔵は、これまでフィジカルな弱さを戦術で補って結果を出してきたわけですが、その路線にも限界があるということでしょう。

[misc]吉牛食べた

アメリカ産牛肉の輸入禁止前は、それほど同業他社と違いがあるとは思っていなかったのですが、現時点ではそれなりの差があるような。アメリカ産ショートプレートならでは、といったところでしょうか(脂身がポイントなのかな?)。

[misc]焙煎ごまえびフィレオ食べた

通常のえびフィレオよりも断然優れていると思いますが、その理由としては、

  • 焙煎ごまダレがフライものに合う(先達として、ロッテリアのディップナゲット(がまだ「ディップチキン」と呼ばれていた頃)にはかつて焙煎ごまソースがありましたが、復活させてほしいものです)
  • レタスでなくキャベツ(以前書いたとおりです)

ということが挙げられるでしょう。いっそ、通常のものと入れ替えません(笑)?

本日のツッコミ(全585件) [ツッコミを入れる]

Before...

????????????????崇???激?ゃ??THD-250T1A [ちょっとそこ! と| 助ける助け彼らはへのプラグインを作る場合は、知っていますか? 成功の結果私はいくつかのターゲッ..]

&#12289;&#12501;&#12479;&#12289;&#12473;&#12488;&#12525;&#12540;&#12392; [<a href="http://ekc-radovljica.si/">(01)ソファー?チェア</a> &#12..]

&#48;&#48;&#12288;&#12505;&#12540;&#12472;&#12517;&#40;&#77;&#41; [<a href="http://demsar.si/">()プラス(1個</a> &#48;&#48;&#1228..]


2006-10-02

[economy][BOJ]日銀のデフレターゲットは世界標準?

plateauxさんによるとあるパネルディスカッションのご紹介が、なかなかに面白いです。

Paul Volcker (元FRB議長)に、歴代のNY連銀総裁のGerald Corrigan (現ゴールドマン)、William McDonough (現メリル - たぶん)、Anthony SolomonにTim Geithner (現職)という豪華メンバーを揃えて先週行われた、パネル・ディスカッションの内容がちょっと話題になっています。内容はBloombergKing Reportなどで少し触れられていますが、基本的にはインフレ警戒色の強いものであったようです。

Corrigan
「瓶から昔のインフレの魔物がとび出る可能性が少しある。一旦やつが飛び出ると、再び閉じ込めるのは極めて難しい」(おなじみのたとえですが)「米国市民の福利という面に限って言えば、長期的に極めて深刻な問題となる可能性がある」

Volcker
「インフレが少しずつ這い上がってきているのに少し懸念を強めている。・・・・ウォール街の多くの人々は引き締めと言う面では大したことは何も起こらないという前提で動いている。しかし、いったん人々がそれを確信すれば、インフレはますます上昇し、それに対して手を打つのも難しくなる」
「我々は奇妙な世界に生きている。そこでは、3%のインフレは安定を意味し、0.5%の物価下落はデフレになるらしい。新しい言葉には全くついていけない・・・」(笑)

「ポール・ボルカーの「奇妙な世界」」(@Economics, Technology & Media10/1付)

とりわけヴォルカーの最後のコメントは、おそらくは日銀の現在のスタンスにも共通するのではないでしょうか。竹森俊平「世界デフレは三度来る」でも紹介されたグリーンスパンvsイェレン論争の結果、FRBが目指すべきインフレ率の目途として示された2%に上下1%ポイントの幅を持たせた1%〜3%のインフレターゲットを念頭に置けば、その下限を下回る0.5%はデフレに準ずるものとして積極的な金融緩和が求められますし、他方で3%はギリギリ許容の範囲内ということになるわけですが、ヴォルカーにとってはこのターゲットには極めて違和感があるということが察せられます。適正範囲として0%〜2%を念頭に置いているのであるなら、まさしく今の日銀と同じ姿勢です。

#ヴォルカーは0.5%の下落、といっているので、ここでは正負を取り違えています。失礼致しました。よって、日銀と同じというより、日銀よりもなお悪いということでしょう。0.5%であってもデフレは許容すべきでない、との知見は彼の念頭になく、あくまでインフレとデフレは対称性をもって警戒すべき、ということなのでしょうけれど、日銀ですらそこまでは言っていません。言いたいのかもしれませんが(笑)。(10/4追記)

改めて2%というインフレ率の含意を紹介するなら、

  1. デフレになってしまうと、金融政策の効果は極めて限定されたものになってしまうので、そうならないだけの「糊代」の確保、すなわち、
    1. 何らかの外部ショックがあってもデフレにならないだけの「インフレ率の糊代」の確保が必要であり、かつ、
    2. そうした事態が生じた際の金融政策対応を可能とするだけの「金利の糊代」の確保が必要。
  2. 他方で、物価変動の資源配分に対する影響を考えるなら、
    1. デフレになってしまうと、価格の下方硬直性のある財(金利や賃金)の資源配分に多大なる非効率が生じる一方で、
    2. インフレ率が数%にとどまるマイルドインフレ下においては、資源配分の非効率性はほとんど生じない。

ということになります。

このような見方がFRBにおいても形成されるにいたったのは日本のデフレがあったから、つまりは1990年代後半以降ということになりますが、グリーンスパンの前任であるヴォルカーは、当然ながらその際にはFRBを離れています。他方で彼が活躍したのは1970年代のアメリカ経済の高インフレ体質の是正局面においてであって、インフレに対して警戒心が強いのも無理はありません。

外部から見るのであれば、結局のところはアメリカはデフレにはならなかったわけで、デフレになってしまったなら大変という懸念は共有できたとしても、そのための予防をどういった状況において、どの程度行うかについては、上記のような2%インフレ目標的な行動ではないという意見もあり得ます。ヴォルカーの上記のような事情を考えれば、現在のFRBのスタンスはややゆるすぎだ、という判断に彼はいたっているのでしょう。

もしデフレに対する警戒心が、このような世代の経験の差に由来する部分も大きいのであれば、日銀ももうしばらくしたらFRBのような路線転換があり得るのかもしれません。ただし、ヴォルカーを乗り越えるにはグリーンスパンという巨大な存在が必要だったでしょうから、単に時間が経過すればよいというものでもないでしょう。そのような「革命家」が登場するならば、思いのほか簡単に崩れ去るのかもしれない、と理解すべきなのだとwebmasterは思います。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

L [Volckerは、"we live in this peculiar world where 3 percent i..]

bewaad [>Lさん 日本語訳でも「下落」ってついてました。先入観ゆえの早とちりが最近多いようで、お恥ずかしい限りです。ご指摘あ..]


2006-10-03

[notice]trackback再開しました(T/O)

[government][law]新司法試験合格者の国I合格者相当採用

が、金融庁を皮切りに行われていくようです。

このたび、金融庁と人事院は、人事院が導入した「経験者採用システム」を利用して、選考採用試験を下記のとおり実施することになりましたので、お知らせします。

金融庁における新たな行政需要に対応し、金融行政に関する法令の企画立案業務や市場監視業務等を担当する職員を採用するため、本年法科大学院の課程を修了し、司法試験に合格した方を対象に採用試験を実施します。

金融庁職員採用試験の実施について(人事院記者発表資料)

これについて、pre-juristさんが、当サイトのエントリを引きつつ次のようなご指摘をなさっています。

ただ、ある程度の専門知識をすでに有している人(民間の金融部門である程度勤めていたとか)は、いままでの金銭的・時間的な投資を考えると、弁護士としての厚遇をあえて捨ててまで、公務員として一から出直すか?が疑問です。弁護士から金融庁への任期つき採用は頻繁にありますが、どれだけ優秀でもポストを用意できないため、お帰りいただくことが多いみたいですし。

一方、元から公務員志望もあった人を取り込むための手段である可能性もありますが、法科大学院での経験が公務員に役立つのかは現段階ではよくわからない気もします。

やっぱり、公務員で要求される法律の取り扱い方と、法科大学院と法曹に要求される法律解釈論とは別物なんじゃないの?という疑問がぬぐいきれませんから。

「金融庁の新採用」(@After Paper Chase9/29付)

後段の部分がかつてのwebmasterのテキスト‐短くまとめるなら、法曹と官僚に求められる法的能力はヴェクトルが異なるのではないか、ということ‐に関連するのですが、本件に関して申し上げるなら、その点についてはwebmasterはそれほど心配はしていません。というのも、ロースクールではそれほど高度な教育は行われないだろうからです。端的には新司法試験合格者であっても司法修習は求められますし、その後の実務をも経てようやく法曹らしくなっていくのでしょうから、その手前では方向転換は容易でしょう。

他方で深刻なのは、むしろpre-juristさんの前段の部分ではないでしょうか。これについては、branchさんからも似通ったご指摘があります。

なんと、新司法試験合格者を修習前に採用しちゃうのかー。ちと驚き。どれくらい応募があるか心配な気もするけれども、修習修了者の就職難のおそれが指摘されたり、司法修習生の“落第”過去最多の107人(読売) のように修習修了も確実とはいえなかったりする現状からすれば、手っ取り早く確実に手に職を、というひとたちが結構集まるのかも。修習修了なんて当然で任官任検でも大手渉外でも選び放題くらいバリバリに優秀でもあえて役人になろうという物好きも、中にはいなくもないのかな。金融庁にしてみれば、そういうひとを採れればラッキー、くらいのものか。

続・航海日誌(9/29付)

つまりは人材の質の問題です。待遇の差はこれまでだって明らかだったわけですが、これまでは司法試験と国Iの志望者は早い段階で分かれていた一方、新司法試験合格者にとっての法曹という進路と官僚という進路は目の前で直接比較が可能な選択肢となってしまいます。つまりは従来は進路の変更コストが高かったのですが、それがほぼなくなるわけで、「待遇弾力性」が高くなってしまうんだろうなぁ、と。

これは杞憂かもしれない、という見方もあります。

その一方でこの日は朗報もあった。人事院が新司法試験合格者を対象に金融行政を担当する職員の採用選考を実施すると発表した。第一弾は金融庁となるが、来年以降は他の省庁にも拡げられることとなっている。金融庁は現在、任期付き公務員として多数の弁護士を採用しているが、国民・利用者の目線で金融行政をする上で大変な戦力となっている。それなら合格者を国家公務員試験一種並に正規公務員として採用しようという訳である。

新司法試験に合格しても弁護士になるためには、その前に司法修習生として1年間研修に専念しなければならない。社会人であれば勤務先を退職し、収入も激減し、遠隔の地である実務修習地へ単身で赴任しなければならないかもしれない。訴訟に直接携わるつもりはなく、金融関連立法や金融商品・M&Aの最新スキームの構築に関心がある合格者だったら、研修所はパスして、金融庁の公務員になる方が魅力的だと言えるだろう。企業にコンプライアンスを守らせることに熱意を持つなら、格好の活躍の舞台が与えられる。弁護士が5万人、6万人と増えてくれば、法廷活動は専門分野の一つに過ぎなくなる時代がやってくる。裁判員裁判になり、公判前手続きが当然のこととなれば、刑事事件さえも専門分野となりかねない。コンプライアンスの専門家として、金融庁から銀行へ、証券会社へ、あるいはその逆の転身も当然視されるだろう。人事院と金融庁のこうした英断は弁護士や法務博士の流動化が一気に進むきっかけになるかもしれない。

新司法試験が浮き彫りにした法科大学院の光と影

これは久保利先生による弁護士側から本件を評価してのコメントですが、法曹から見て役所にこのような魅力があるというのは正直意外です(笑)。でも、

金融関連立法
弁護士になってから有力政治家に近づいた方が早道です(木村剛さん(彼は弁護士ではありませんが)の路線)
金融商品・M&Aの最新スキームの構築
投資銀行等に行くべきです(役所が「最新スキームの構築」などできるはずもありません)
企業にコンプライアンスを守らせる
役所に来ることにそれなりの意味はありますが、おそらくは多くが途中で引き抜かれるでしょうけれど、天下り規制の対象になるリスクをどう評価するか(現に「任期付き公務員として多数の弁護士を採用」できているのは、事務所が収入を補填していることに加え、本人・事務所ともに「箔が付く」ことの効用が大きいとwebmasterは考えています)

のような事情を考えるに、中の人としては過大評価じゃないの、と思ってしまうわけです。

といっても、webmasterは本件に反対というわけではありません。典型的には東大法学部ですが、学卒者の多くがロースクールに進学している今、すなわち国Iなど次第に受験されなくなってきているという状況においては、国Iという領域を守っていたところで衰退が待っているだけでしょう。であるなら、少しでもハードルを下げて、変わり者の優秀な学生に幸いにして志望していただける際に余計なコストがかからぬようにするのは、売り手市場における買い手の対応としてはまっとうなものでしょう。

結局は、仮に新司法試験合格者のうち相対的に質に劣る層にしか来てもらえないとするなら、それは新司法試験合格者を採用するからでは決してありません。とっくにそのような実態になっていることの表れでしかないのです。

最後に残る不安を述べるなら、霞が関内の力関係に悪影響を及ぼすおそれがあるのかな、というようにwebmasterは思います。法律職採用のwebmasterが言うのもなんですが、やはり法律職が霞が関全体の傾向としては優位にあるのは否めません。行政が法律の執行部門として存在し、その行動が法律の統制に厳格に服するべきである以上、それ自体は妥当なことではあるのですが、これ以上優位性が増すことには賛成し難いのもまた事実です。

国I法律職が将来的に空洞化し、法律屋の採用が実質的に新司法試験によって担われるようになるのであれば、霞が関内の法律屋には修士号相当の学位である法務博士(10/4追記)という付加価値が乗ることになります。他の条件が同じであれば、これはステイタスを増す方向に影響こそすれ、マイナスになるようなことはないでしょう。webmasterが心配しすぎであるということならばよいのですが、今に比べてさらに法律屋が幅を利かせる霞が関というのは、あまり望ましい姿ではないような・・・。

[comic]現在官僚系もふ・第68話

また異動。次は官邸の公募に応募するのでしょうか(笑)?

本日のツッコミ(全484件) [ツッコミを入れる]

Before...

??儕ぐ膏?冦??????????????NA-F70PB8-T???????????刊??噺??.0kg [こんにちはちょっとちょっとオフトピックの私がしたこれは|場合にはブログはWYSIWYGエディタを使用する場合は疑問に..]

シャープ 40V型フルハイビジョン液晶テレビ【HDD/ブルーレイ内蔵】 AQUOS ブラック LC40DR9B [LC40DR9B] [こんにちはで作業あなたがしているホスティング会社のウェブホストあなたが気になります私はどれを知らせる? インターネッ..]

スーパーコピー時計 [<a href="http://www.tokei-n.net/">スーパーコピーブランド</a> <a href..]


2006-10-04

[government][economy](悪しき)コンサルタント主導行革

コンサルタント主導開発の問題点としてよく挙げられるのが、この理想に基づき設計を行い現状調査を怠った結果、現場では使い物にならないシステムが出来上がるというもの。たしかに現状の非効率な部分は沢山あるわけだけど、実際にそれで業務が回っているわけだから、少なくとも無視してはいかんのだよな。

こういった改革の結果として優秀な人が残ればいいが変化の前後でインセンティブ構造も変わり他でも働けるような優秀な人がより住み心地の良い労働環境を求め転職していく一方、逃げ出せない無能な人のみが残っていくなどといったことも起こる。

まぁ、コンサルタントというのはある種の狂言回しであるということを認識しておくことが重要なのかも。決してコンサルタントにすばらしい知識や経験を求めてはいけない。どんなに優秀だったとしても、ついこの前やってきて仕事の後は責任も取らず去っていく人々が真の解決策など生み出せるわけがない。自社のことを本気で考えられるのは社長や社員達だけなのだから。

「凄いのにそう見えない人」(@A.R.N [日記]10/3付)

やっぱりそうですよねぇ。webmasterも似たようなことをかつて書いたわけですが。

福井先生がお好きな民間でも、例えばコンサルタントは一流であれば自ら汚れ仕事を厭わず花はクライアントに持たせることによって成功するものです。汚れ仕事を現場に押し付けて自分が花を独占するコンサルタントがどのような評価を得ているかご存知ですか? 推進会議の場で百万言官僚相手に罵詈雑言を投げかけるより、官僚に対する批判の盾にわずかばかりでもいいからなってみる方が、よほどご自身の意見に説得力を持たせることでしょう。

「福井秀夫先生、偽装建築問題について何か言ってくださいまし」(1/4付)

世にあふれる行革の提案というのは、民間企業はかく成功したので導入すべしであるとか、海外ではこんなにいい事例があるので見習うべきであるとか、大概はそういったものです。しかし、それこそコンサルティングという民間の例に倣うなら、A社で成功したやり方がB社でもうまくいくとは限りません。問題点が違えばもちろん処方箋は変わってきますし、同様な問題で処方箋が同じであっても、服用法を誤れば効くものも効かなくな・・・るどころか、副作用が強く出てかえって害することにもなりかねません。

真の意味でのリストラクチュアリングにおいてコンサルタントができること、あるいはすべきこととは、当事者が問題に気付く手助けをし、それに対する処方箋を考える材料を提供し、その実現のための環境整備を支えることに尽きます。当然ながらその際には、当事者の声によく耳を傾け、何がしかを改めさせるのであればその立場を尊重しつつ誘い、モチヴェーションを高めることが必要になるわけです。

ところが行革においては、官僚の言い分を少しでも聞き入れることは抵抗勢力への妥協で、そのメンツを潰すことはお灸を据えるということで推奨され、鞭打たれながらモチヴェーションを上げよと強いられるわけです。民間の知見を活かすべきところ、それを無視して上から指令を下せば人はそのとおり動くものだとするなんて、それって何て東側諸国(笑)? 別にどちらのやり方を選ぼうと決定権者の自由ですが、どちらがうまくいく可能性が高いかは自明でしょう。

ただし、当事者が積極的に関与したからといって成功するとは限らず、例えばプロジェクトKのような当事者によるものであっても、「たしかに現状の非効率な部分は沢山あるわけだけど、実際にそれで業務が回っているわけだから、少なくとも無視してはいかんのだよな」との言に反するものはあるわけです(同プロジェクトへの批判についてはかつてのエントリをご覧いただければと思います)。つまりは、当事者かどうかというより、現実に向き合う姿勢の有無が問題であるということが正しいのでしょうけれど。

[government][economy]大田大臣インタヴュー等に見る経済政策の展望‐2006年自民党総裁選・その13

#これまでの関連エントリについては、2006年自民党総裁選indexをご覧下さい。

経済成長重視といわれている安倍政権下の経済政策ですが、財政再建を最優先との考え方が退けられている(ただし、与謝野税調会長という人事をかく評してよいのかには留保が必要でしょうけれど)点以外は、サプライサイダーらしき雰囲気が漂う以上のことは、例えば所信表明演説を見ても、はっきりしませんでした。その展望を垣間見せたのが次の大田大臣インタヴューです。

――内閣は成長重視路線だが、景気が鈍化した場合に、成長と歳出削減の両立をどう図るのか。

「総理の基本的な考えは、政府が需要をつくるのではなく、供給を強化して潜在成長率を高め、財政再建と経済成長を両立させるというものだ。その方向に沿った政策のあり方を考える。具体策はこれからだが、潜在成長率を上げるということは、仕組みを変えて生産性を上げるということだ。特効薬はなく、民間議員と相談しながら進めたい」

――現在の景気認識は。

「景気の回復過程は続いている。ただ、デフレに後戻りする可能性がないかどうか、もう少し注視する必要がある。日本銀行は金融政策で、政府の方針と整合的な金融政策をとってくれると期待している」

読売「【主要閣僚に聞く】(5)大田弘子経済財政相」

思いっきりサプライサイダーですねぇorz。「いざなぎ越え」といわれる今般の景気回復期のほとんどを通じて拡大し続けるグロス輸出と、それに呼応して活性化した設備投資という景気のエンジンを考えても、今の日本経済のボトルネックは供給要因ではなく需要要因であるということは明らかだと思うのですが、あくまで目指すは供給力強化ですか。需要が足りなければ、高められた潜在成長率など絵に描いた餅の最たるものなのですけれども・・・。

他方、そのような「政府の方針と整合的な金融政策」というのは、いったい何を想定されているのでしょうか。供給の強化に役立つ金融政策として、無理やり楽観的な予測をするなら、安定的な期待インフレ率を醸成して経済活動に際しての不確実性を減らすもの、ということが考えられないではありませんが、いかにもこじつけですよねぇ(笑)。

そもそも「デフレに後戻りする可能性がないかどうか、もう少し注視する必要」とは、現在はデフレでないということで、この点については前々任者の竹中元大臣よりは前任者の与謝野前大臣に近しい認識とも言えます。次のように尾身財務大臣が発言していることからしても、それは大田大臣個人のものではなく、政権中枢において共有されているように危惧されるわけですが。

尾身幸次財務相は3日の会見で「デフレ脱却宣言をしてもいいのではないか。やらないのは不自然だと思う」と述べ、既にデフレから脱却しているとの認識を示した。政府がデフレ脱却を認定すると、金利の先高観が強まり国債の利払い負担が増えかねないと、財務省はこれまで「(脱却は)視野に入っているが、脱却したということはまだはばかられる」(谷垣禎一前財務相)と説明していた。一方、大田弘子経済財政相は同日の会見で「原油価格は足元で少し下落しており、影響を見たい」と慎重な見方を示しており、デフレ脱却を巡る政府内の見解が分かれた格好だ。

尾身財務相は「政府として、財務相として脱却宣言すべきだと申し上げているわけではない」としながらも、「企業利益は空前と言っていいし、人手不足感も顕在化しつつある」と強調。さらに「指標にとらわれて、全体としての経済がここまで良くなっているにもかかわらず、まだデフレから脱却しないというのは、ちょっとどうか」と指摘した。デフレ脱却宣言をすると、日銀の再利上げ観測が強まり、金利が上昇するとの見方については「(日銀には)経済全般の状況を見ながら適切に対応していただける」と述べるにとどめ、金融政策への具体的注文は避けた。

デフレ脱却について、内閣府は、消費者物価指数などを基準に、再び物価が持続的に下落する状況に逆戻りしないことを確認した上で宣言するとしている。大田経財相は「特にエネルギー価格が物価上昇の要因になっている」と分析。「既に脱却していると思う」としていた与謝野馨前経財相より慎重な考えを示し、楽観派の尾身経財相との温度差をうかがわせた。【山本明彦】

毎日「デフレ脱却:「宣言してもいいのでは」尾身財務相」

山本記者の見立てでは温度差があるということになりますが、あくまで逆戻りのリスクについての温度差であって、現状がどうかについてではないようにwebmasterは思います。大田大臣は、現状においてもまだ物価は下落基調だとしていた竹中元大臣的なスタンスに立っているわけではないのですから。

本日のツッコミ(全94件) [ツッコミを入れる]

Before...

VyDZYpgfzE [[URL=http://www.borelli-tc.it/images/images/spyder-inverno..]

BzCELmkieC [[URL=http://www.farmaciaduemadonne.it/Image/duvetica-parka..]

ZwLMDkfyxV [[URL=http://www.studiotecniconline.it/Image/Timberland-ven..]


2006-10-05

[misc][book]京極夏彦「邪魅の雫」

京極堂シリーズ最新刊。webmasterの主観的シリーズ最高傑作「絡新婦の理」といろいろな意味で対になっている作品と言えます。出来は「絡新婦」ほどではありませんが‐凶器のギミックがご都合主義なのと、何より聖ベルナール女学院での学園風景のようなスパイスがないのがつらいです‐、榎木津ファンを増やすものであることは間違いないでしょう。関口ファンが増えるかどうかは迷うところですが、真の関口ファンであるなら、「こんなの私の好きな関口じゃない!」と憤ってほしいなぁ(笑)。webmasterは益田ファンですので、お腹一杯。

#マーラーの交響曲みたいにシンメトリ構造(マーラーの場合、5番を軸に1-9、2-8、3-7、4-6が対になっていると言われます)になったりして・・・って、「塗仏の宴」(「支度」「始末」)と「陰摩羅鬼の瑕」は、とてもじゃないですが対とは言い難いですけれども。

蛇足ながら、小説としての出来とはまったく関係ない話ではありますが、webmasterのような法律屋からみると非常に残念な間違いが一つあります。

「慥(たし)か、その年の夏に犯人は検挙されたのよね?」

敦子がそう云った。

「画家の平沢(ひらさわ)某──」

「おい」

中禅寺は不機嫌そうに妹を見る。

「まだ裁判中なんだから、犯人かどうかは判らないんだよ。精精(せいぜい)被告と呼ぶのが正しいだろう。判決は出てないんだぞ」

p349(webmaster注:括弧書きの振り仮名は、原文ではルビ)

刑事で検察に訴えられれば「被告人」でして、「被告」とは民事で原告に訴えられた者の呼称です。京極さんにして、この点の取材には抜かりがあったのですねぇ。これがその余の者の発言であればさておき、中禅寺の発言というのがいかにも残念です。

まして、この場には現役警官である青木がいたのですから、本来であればそれは違うと指摘されてしかるべきです。報道の紹介で触れたといったものではなく、正しい呼び方として発言しているわけですから。にもかかわらずスルーされているのは、京極堂シリーズの名のためにも取材をしっかりしてくださいと願うべきなのか、それとも法学用語のマイナーっぷりを嘆くべきなのか・・・。

[misc]Ardbegの30年物がうますぎる件

ISLAY独特のきつい薬くささの角がとれ、ISLAY以外の何物でもないのですが、そのよさだけが味わえました。ISLAYが苦手の人でもおいしく飲めると思います。それにとどまらず、ほのかにりんごっぽい風味も感じられ、熟成の極み、ですねぇ。ストレートで味わうべし!

#×ISLA→○ISLAY(10/6訂正)

値段もダブルで3,000円しましたが(笑)。

本日のツッコミ(全394件) [ツッコミを入れる]

Before...

冷蔵庫 モリタ 評判 [ファンタスティックブログあなたはここにあるが、私はした、任意のここ|この記事にで議論|同じトピックをカバーフォーラム..]

NECノートパソコンLAVIE Direct HZ(ストームブラック) [事実上すべてあなた断言驚くほど正確とそれは私を作る熟考理由はI していなかったことを supprisingly起こる..]

日立冷蔵庫 アウトレット [私はそう思いワクワク私が見つけた、あなたのブログページ| Askjeeve| | AOLの|ビンビン| Google..]


2006-10-06

[government][economy]日本の財政の維持可能性試算‐バランスシートアプローチ

日本の財政維持可能性について、次のエントリがはてなブックマークで注目を集めています。

前者は、財務省がよくやる財政を家計に擬えて維持可能性を語ったものです。後者は、前者において示された、財政だけでなくGDPもあわせ考えるとどうなるか、との問題提起を受け、国内経済を家計に擬えて同様の考察を行ったものです。

しかしながら、それぞれ難があるとwebmasterは考えます。まず、後者については、GDPをベースに考えるとは、財政再建努力(歳出削減and/or歳入増加)のGDPに与える影響を考えることに意味があるのですが‐例えば、GDPのうち民間部門で産出された付加価値相当分を全額税金で召し上げれば、単純計算では2年もかからないうちに国債を全額償還することが可能ですが、そのようなことをすれば誰も馬鹿馬鹿しくなって働きもせず、したがって無意味な計算だということになります‐、そのような検討が行われたものではありません。ならお前がやれ、といわれてもwebmasterにもそのスキルはありませんので、単に指摘に止めておきます。

他方、前者については、そうしたGDPとの関係以外に、

  • 収入を固定で考えている
  • 資産の存在を見落としている

という問題があります。以前、webmasterも異なった観点から試算をしたことがありますが、ここでは上に掲げた2点に着目した形で試算をしてみます。

まず資産の存在をどう考慮に入れるかですが、国のバランスシートを引いてみましょう。平成16年度末(2005年3月末)現在では次のとおりです(単位は兆円)。

ベース資産負債資産負債差額
国(一般会計+特別会計)700.3976.8▲276.6
連結(国+特殊法人等)838.81,104.0▲265.2

債務超過だ、破綻している! と見えますがさにあらず、国には毎年度税収があり、それは徴税権を有しているからですが、その評価が欠落しています。これをどのように評価すればよいか、ファイナンスの考え方を持ち込めば、永続して毎期生じるキャッシュフローの現在価値は次の算式で求めることができます。

  • PV=C/r

PVとは現在価値(Present Value)、Cはキャッシュフロー、rは割引率(平たく言えば金利)を表しますが、今年度予算での税収見積り45.9兆円・・・だと端数が鬱陶しいので45兆円、国債金利を2%として計算してみれば、

  • PV=45/0.02=2,250兆円

ということになりますから、2,000兆円弱の資産超過となってめでたし、めでたし。

・・・なんてバカなことがあるはずもなく、なぜなら将来の支出もまた同様に現在価値化して組み込む必要があるからです。税収と同じく今年度予算の一般会計歳出から、すでに負債として認識済みの元本償還分を差し引くと60兆円台後半となりますが、安全を見て70兆円で同じ計算をすると、3,500兆円になり、むしろ債務超過額は1,500兆円以上に膨らんでしまいます。

ここで、先に着目すべき点として挙げたうちの残りの点、収入の変動を導入します。上記の現在価値計算式に、キャッシュフローの伸びを追加すると次のような算式となります。

  • PV=C/(r−g)

gはキャッシュフローの伸び率で、1,500兆円の債務超過を解消するには、他の条件が同一であるなら、

  • (2,250+1,500)=45/(0.02−g)
  • g=0.008

ということで、毎年0.8%ずつ収入を増加させることができるなら、債務超過は解消できるのです。

とはいっても、支出側だって伸びるだろうとか、そもそも金利が2%なのかとか、債務超過は本当に200兆円台後半で収まっているのかとか、さまざまな議論があるでしょう。よって、一般化した式を立ててみましょう。

事前にお断りしておくべき点として、r>gであることを前提とします。r=gならば算式としてはゼロ除算になってしまいますが、その含意は割り引かれる分だけキャッシュフローが増加するので、永続するキャッシュフローの合計は無限大だということ。ましてr<gならなおさらです。

#これはドーマー条件(=名目成長率>名目金利ならば国の債務は発散しない)の傍証となりまして、国の収入の伸び率が経済成長率に等しいとして(実際には、実績値から計算すると経済成長率の1.1倍(=税収弾性値が1.1)になります)、経済成長率が金利を上回るなら資産は無限大となるので、債務超過は解消されるということになります。ドーマー条件そのものと異なるのは、負債側が無限大にならない限り、つまりは負債の伸び率を金利以下に抑えることができるなら、という限定がつくことです。

この前提の下、収入と支出は既述のように45兆円と70兆円を発射台にし、債務超過については、資産のうち公共用財産180兆円は現金化しない=存在しないものとみなして相当額を加え、さらに安全をみ(るという建前で計算の便宜を図っ)て500兆円とします。割引率はr、収入の伸び率はg1、支出の伸び率はg2とした場合、資産負債差額がゼロとなる条件は次のとおりです。

  • 45/(r−g1)=500+70/(r−g2)

両辺に(r−g1)×(r−g2)を乗じます。

  • 45r−45g2=500×(r−g1)×(r−g2)+70r−70g1

左辺にg1を寄せます。

  • 500rg1−500g1g2+70g1=500r^2−500rg2+25r+45g2
  • (500r−500g2+70)×g1=500r^2−500rg2+25r+45g2

両辺を500r−500g2+70で除します。

  • g1=(500r^2−500rg2+25r+45g2)/(500r−500g2+70)
  • g1=(100r^2−100rg2+5r+9g2)/(100r−100g2+14)

さて、この式の含意が何なのか、眺めているだけではwebmasterにもさっぱりわかりませんので(笑)、実際に数字を当てはめてみましょう。

g2|r1.00%2.00%3.00%4.00%5.00%6.00%7.00%8.00%
0.00%0.40%0.88%1.41%2.00%2.63%3.30%4.00%4.73%
1.00%1.40%1.88%2.41%3.00%3.63%4.30%5.00%
2.00%2.40%2.88%3.41%4.00%4.63%5.30%
3.00%3.40%3.88%4.41%5.00%5.63%
4.00%4.40%4.88%5.41%6.00%
5.00%5.40%5.88%6.41%
6.00%6.40%6.88%
7.00%7.40%

表の見方は、横がrですから割引率=金利、縦がg2ですから支出の伸び率で、交点の率はそのr、g2において資産=負債となるg1、つまりは収入の伸び率として必要な値です。例えば先の例として金利が2%、支出の伸び率が0%ならば、収入の伸び率は0.88%でよいということになりますし(0.08%ポイントの差は、この表の方が債務超過を多めに見込んでいることにより生じています)、同じ金利で支出も毎年1%ずつ増加するなら、収入は1.4%ずつ伸ばしていく必要があるということになります。

この表からわかることは、現時点で500兆円もの巨額の債務超過があるにせよ、そしてドーマー条件が満たされず名目金利>名目成長率であったとしても、収入の伸び率を若干でいいので支出の伸び率を上回るようにすることが可能ならば、債務超過は解消可能だということです。そのためには、やはり名目成長率を上げることがもっとも早道で、結局はデフレを一刻も早く脱却すべしということになります。

というのも、今年前半の経済財政諮問会議での金利・成長率論争においてすら、中長期的には名目金利と名目成長率は概ね一致する、という点では一致を見ています。この両者が継続的に乖離するのは、名目成長率はマイナスであるにもかかわらず、名目金利は非負制約にひっかかってゼロ下限となる状況、つまりはデフレ期に他なりません。既述のように税収は名目成長率を上回って伸びていくというのが経験則ですから、デフレさえ脱却できたなら、rをわずかに下回るg1を達成することにそれほどの困難はありません。

他方で支出を見るなら、それなりの名目成長率が維持できる、つまりはそこそこの景気が続くのであれば、景気対策としての公共投資等は不必要ということになりますし、雇用保険や生活保護といった景気悪化により増加する支出も抑制できます。今般の景気回復は公共投資を削減する中で達成されており、景気対策としての公共投資等はそもそも不必要だとの指摘もありましょうが、当サイトでは何度となく取り上げているように、今般の景気回復期において平成13(2001)年度の46.6兆円から平成17(2005)年度の62.6兆円へと、年平均で4兆円ずつ増加したグロス輸出(とそれに誘発された設備投資)が需要を補ったからこそ、公共投資の削減は幸いにして大過なく達成できました(公共事業関係費は、平成13年度予算の9.4兆円から平成17年度予算の7.5兆円へと、年平均0.5兆円ずつ削減)。

もしそうしたグロス輸出の増加がなければ、いかに小泉政権とはいえ公共投資による景気対策は不可避だったでしょう。そしてこの増加自体、構造改革の成果とはほとんど無関係であって、アメリカや中国の好景気と、物価変動の影響を除去した実質ベースで見ればプラザ合意以来という円安(本年9月の実質実効為替レイト101.3を下回るには、ちょうど11年前の1985年9月(94.8)まで遡る必要があります)の賜物に過ぎなかったのですから。

最後に、上記の試算は前提が甘すぎる、現実に即して厳しくみればそんなうまい話は成立しない、といったご指摘もあるでしょうから、ちょっとしたストレステストを試みてみましょう。債務超過は不良債権やら何やらで1,000兆円にのぼり、収入の発射台は現在の税収は僥倖であるとして40兆円、他方で支出の発射台は小泉前総理が政権から去った今では規律が緩むとして80兆円になった場合を想定してみます(つまり、算式を"g1=(200r^2−200rg2+8r+8g2)/(200r−200g2+16)"とします)。結果はご覧のとおり。

g2|r1.00%2.00%3.00%4.00%5.00%6.00%7.00%8.00%
0.00%0.56%1.20%1.91%2.67%3.46%4.29%5.13%6.00%
1.00%1.56%2.20%2.91%3.67%4.46%5.29%6.13%
2.00%2.56%3.20%3.91%4.67%5.46%6.29%
3.00%3.56%4.20%4.91%5.67%6.46%
4.00%4.56%5.20%5.91%6.67%
5.00%5.56%6.20%6.91%
6.00%6.56%7.20%
7.00%7.56%

大差ないでしょ?

本日のツッコミ(全96件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>初心者さん >労働力だろうと、一般商品だろうと、市場で向かい合う需要者と供給者は、 >たんに「ほしい」「うりたい」..]

bewaad [>通行人さん 補足ありがとうございました。]

コーチ [I am diabetic and these [url=http://www.recordchina.co.jp/..]


2006-10-07

[economy][politics]国会における経済論戦 その7(予告編)

正式には議事録が公開されてから取り上げようと思いますが、昨日6日の衆議院予算委員会にて、民主党の枝野幸男議員が今般の景気回復について取り上げています(ビデオライブラリで見る場合、枝野議員の1時間12分〜29分あたりです)。その中で、昨日も若干触れた輸出の効果についてのやりとりがありました(1時間18分過ぎ〜1時間24分ごろ)。

大まかな流れとしては、

  1. 枝野議員から、今回の景気回復には輸出拡大が大いに寄与しており、なぜ輸出が拡大したかといえば、実質実効為替レイトがプラザ合意以来の円安水準になったからではないのか、との問題提起
  2. 大田大臣から、輸出が拡大した理由は、(1)「三つの過剰」の解消を通じたコスト低減による競争力の回復、(2)アメリカやアジアの好景気、との答弁
  3. 枝野議員から、「三つの過剰」の解消とはリストラ=労働分配率の引下げが主要な内容であり、だからこそ景気が回復しているにもかかわらず消費拡大につながらず、内需主導の安定的景気拡大に至っていないのではないのか、との二の矢
  4. 大田大臣から、昨今は雇用拡大などに見られるように労働市場がタイトになってきており、これから所得向上・消費拡大が期待される、との答弁

といったもの。「実質実効為替相場」という言葉が出てきたとき(1時間19分15秒)にはしびれたものの、枝野議員については不安も感じさせる点があります。一つは、ちょっと前に批判的に検討した、高度経済成長とは時代が違うので改革が必要だとの認識です。もう一つは、労働分配率の引上げ策として、今回は何ら具体策には触れられなかったのであくまで想像ですが、何らかのミクロ介入を念頭に置いている雰囲気が漂うことです。後者については、詳細が明かされる別の機会までは留保が必要ですが。

#大田大臣については、ああ、やっぱり、の感が。

とまれ、今後の発展を期待させる議論ではありました。枝野議員の経済観については、例えば次を見るに若干の期待‐円安を通じたデフレ脱却志向‐とそれなりの懸念‐不良債権と中国がデフレの原因との認識、そしてなによりインフレーションターゲティングへの評価‐の混じった複雑な感情を抱かざるを得ませんが、次回はより突っ込んだ議論を是非お願いしたいものです。

不良債権処理とは、銀行のバランスシートを良くするというのが第一段階で、駄目な企業を処理するのが第二段階です。このように不良債権処理を進めることでデフレの芽をつみ、デフレにブレーキを掛けることができるのです。

バブル時に生み出された供給過剰をバブル後も維持しながら、経済を良くしようとしているところに問題があります。ここ何年か公共事業でテコ入れをしていますが、経済は苦しいままです。その一つの例として、ゼネコンの過剰供給があります。潰れるべきゼネコンが債権放棄で救われてリストラをしてダンピングをしています。その結果、まじめにやってきたゼネコンまでがダンピング競争に付き合わなければならなくなり、本来バブルで傷を負っていないゼネコンまでが苦しくなっているという状況があるのです。

(略)

実は、国内の供給過剰を止めても、全体的なデフレ傾向を止めることはできません。象徴的に言うと、中国からのモノの流れがあります。中国は、わが国より10分の1以上も安い労働力で日本のとほぼ同質のモノを大量生産し、日本に輸出しています。したがって、それらの安い品物に引きずられて日本の物価全体は下落せざるを得ません。

(略)

政府は、不良債権処理が厳しい状況で少しでもデフレを弱めるために、為替会計で大量のドル買い介入をすべきだと私は思います。これは、「為替特別会計」という、普通の国債とは別の会計で日本銀行から「借金」をします。ただし、今ほとんどゼロ金利なので、その安く調達した円でドル(米国債)を買うことになります。重要なことは、これは普通の借金とは違うことです。普通の借金は車の通らない道路を作るなど無駄な公共事業に消えていく可能性がありますが、基本的にはアメリカの国債を買いますから、その分政府の資産として手元に残ります。これに対して、アメリカと中国からは相当反発があるでしょうが、私は、デフレの緩衝材として、これは毅然としてやらなければならないと思っています。

インフレ・ターゲット論といって、日本銀行が大量に通貨を発行し、あらゆる手段を使ってインフレに導けばよいという議論がよくあります。しかし、国内にお金をばらまいても、国民はほとんど貯蓄に回してしまうのであまり意味がないでしょう。それよりも、本当にデフレにブレーキをかけようとするならば、直接ドルを買って日本の円が海外に出て行くようにしないといけないと私は思っています。

枝野幸男 オープンミーティング/テーマ:「経済再生 〜私ならこうする〜」/2002.11.16(土)

[government]優秀な学生が霞が関を選んだ一例

時折取り上げてきた、法務博士の進路として霞が関が魅力的かどうかという問題ですが、これまで書いてきたようにwebmasterも高望みはできないなぁと思っていますし、他でも例えばbranchさんも次のようにおっしゃっていて、サンプル数2で申し上げるのも乱暴ですけれど、より敬遠される流れであることは否定できないでしょう。

なお、法科大学院制度と霞が関における採用事情については、「霞ヶ関の最大のライバルである法曹界の行方がどうも怪しくなってきただけに再び霞ヶ関に人気が戻ってくることもありそう」役人日記(9/21付コメント欄))という見方もあるけれども、個人的には悲観的。新司法試験の合格率は旧制度と比してなお十分に高く、国I(事務系)の主たる供給源である(あった?('A`))東大や京大あたりの学部生にしてみれば、それなりに勉強すれば相当程度合格が見込まれ(出身大学(学部)別の合格率のデータとか、どこかにありませんかね?)、また、自分たちが二回試験に落第したり修習後の就職で割を食ったりするとはあまり考えていないのではないかと。弁護士の収入のvarianceが大きくなるという点についても、今後の見通しは不透明ながら、役人の所得水準を上回るというハードルはさほど高くなさそうなわけで。

続・航海日誌(10/5付)

ところが、次のような例があるようです。

28 名前:受験番号774[sage] 投稿日:2006/10/03(火) 00:32:22 ID:JC2f4IWF

山口真由さんは、今年主席で東大法学部を卒業し、現在は財務省事務官として活躍している。3年次に司法試験、4年次には国家公務員1種採用試験法律職に合格した。大学での成績も卓越しており、教養学部前期過程では全科目で優を取得し平均点は97.6点。法学部でも全ての科目で優を取得。さらにラクロス部男子のマネージャーやスキーパトロールのボランティア活動を学業と両立したことも評価され、今春の総長賞を受賞した。山口さんに二つの難関試験受験の体験談や勉強法、大学の講義との両立の方法などを聞いた。

山口真由さん
http://www.u-tokyo.ac.jp/stu01/h12_08_j.html

「■国一事務系官庁ランキング その4■」スレ・レス28@2ちゃんねる・公務員試験板

大学時代を通じての全優で、しかも3年生で司法試験合格なんていうのは、webmasterのような元ぐうたら学生からは想像すらつかない世界(笑)。フィクションの登場人物のキャラ設定だとすればもう少しリアリティってものを考えろといいたいところですが、フィクションではないわけで、世の中にはこういう人もいるのですねぇ。そんな人が霞が関を選んでくれるとは、って統計的には絶対に異常値でしょうけれど(笑)。

ところが、リンク先を見てみたら・・・

学生表彰(東京大学総長賞)

平成17年度第2回授与式及び授賞式について

(略)

受賞者紹介:

個人の部

山口真由さん(法学部4年)

山口氏は、平均点97.6点で教養学部前期課程の全コースで優を取得し、 法学部においても全コースにおいて優を取得して「卓越」として表彰される。また3年次に司法試験に合格、4年次に国家公務員試験にも合格。課外活動においては東京大学運動会男子ラクロス部のマネージャーとして1部リーグ優勝を果たした。また、スキーの才能を生かし、スキーパトロールのボランティア活動に参加している。

現在、演習担当教員との共著として研究書を刊行するための努力を重ねており、同氏は卓越した知的能力と奉仕精神を兼ね備えたすばらしい人物であるとの評価を得ている。

東京大学[キャンパスライフ]学生表彰(東京大学総長賞)

学部生にして専門書の共著者になるとは、ますます恐れ入ってしまいますねぇ・・・って、どこにも財務省に入省したなんて書いてないじゃないですか! とんだぬか喜び?

・・・東京大学新聞の記事が引用元だったようです。ぐぐったところ。

本日のツッコミ(全2845件) [ツッコミを入れる]

Before...

ロレックス プレシジョン 偽物 [時計,バッグ,財布,ルイヴィトンコピー,エルメスコピー 弊店に主要な販売する商品は時計,バッグ,財布,ルイヴィトン..]

シャネル ウォレットチェーン 定価 [ルイヴィトン トートバッグ 偽物のカタログです。 ルイヴィトントートバッグコピーは軽量で丈夫〜ルイヴトンの数あるバ..]

ルイ ヴィトン 新作バッグ 人気 [最安値! ★超人気新品★激安通販! 新品入荷! 新品イタリア製! 【2016最新入荷】低価格! 【全品送料..]


2006-10-08

[government][economy]日本の財政の維持可能性再論

一昨日に書いた「日本の財政の維持可能性試算‐バランスシートアプローチ」について、Dan Kogaiさんから次のように勘違いであるとのお叱りをいただいてしまいました。

本議論には「プロ」も参戦してきた。

http://bewaad.com/20061006.html#p01

ということで、毎年0.8%ずつ収入を増加させることができるなら、債務超過は解消できるのです。

ここでも同様の勘違いが見られる。我々が論じているのは、国家財政が破綻するか否か、では実はない。日本という家、若者という家族が破綻するか否かなのだ。それに比べたら国家財政なんぞ鼻くそのようなものだ。日本国民のために国家財政があるのではなく、国家財政のために日本国民があるというのであれば話は別だが。

そして若者達は、年寄り達が若者は国家財政のためにあるのであり、若者たちのために国家財政があるのではないと強烈に感じているのだ。それが嘘だというのであればその証拠をきちんと提示した上で彼らを納得させるべきだろう。

「持続社会な福祉社会」で述べられているのは、まさにこのことである。

「持続可能な福祉社会」(@404 Blog Not Found10/6付)

というわけで、「若者達は、年寄り達が若者は国家財政のためにあるのであり、若者たちのために国家財政があるのではないと強烈に感じている」のは嘘だと証拠を提示した上で論じてみましょう。ご納得いただければよいのですが。

#今回の内容は、以前要約したブロダ&ワインシュタイン論文から着想を得ています。

まず、前回webmasterが国家財政が破綻するかどうかを論じたのは、国家財政が破綻するか、それとも大いなるマクロ経済運営の失敗がなければ、「日本という家、若者という家族」は破綻しないからです。とりあえずマクロ経済政策において世界各国の平均程度には大過なく行われると仮定するなら‐ここ10年以上にわたるデフレの継続に鑑みれば楽観的過ぎるでしょうけれど(笑)‐、心配すべきは国家財政の破綻のみ、ということになります。何故だといわれると経験則だとしか申し上げようがありませんが、第一次大戦後のドイツにおけるハイパーインフレにせよ、その後の世界恐慌にせよ、国家経済の破綻と言うにふさわしい事態は、これらによってしか起こっていません。

とはいいつつも、おそらくDanさんがおっしゃりたいのはそのようなことではないでしょう。それを「破綻」と呼ぶことがふさわしいかどうかはさておき、おそらくは次のような事態への懸念の表明ではないかと察します。

  • 本来、安定的に継続可能な財政を担うためにあるべき国民負担率はX%であった。
  • しかるに引退世代はX−α%の国民負担しかしてこなかった。
  • したがって、若者世代はX+α%の国民負担を強いられることとなる。
  • このα=搾取に対して若者世代は憤っている。

#話を簡便にするため、引退世代と若者世代の人口の差は捨象しましたが、本質は変わりません。

これの何が嘘かといえば、引退世代のα分のツケを背負い込むのが若者世代だけだという点です‐厳密に言うなら、嘘というよりは、勝手にハードルを高くして苦しんでいる、ということになりましょうか。引退世代を第0世代、若者世代を第1世代、以下順に第2世代、第3世代、・・・第n世代として、αを第1〜第n世代で分割して負担するなら、世代あたりの搾取相当分はα/nということになります。どれだけnを増やしてもゼロにはならないので、その限りにおいて搾取をなくすことはできませんが、αはいわゆるサンクコストなので仕方がありません。どの程度までなら合理的な負担なのかについてコンセンサスを得ながらnを決めていくしかないでしょう。

#なお、αの存在については、引退世代にだって、若者世代が子どもを作らないから自業自得だとか、自分たちは若者世代と違って戦後復興期に苦労したとか、いろいろ言い分があると思いますが。

α/nで負担していくことの前提として、

  • Xが発散しない
  • αが発散しない

ことが挙げられます。

まず、Xが発散してしまうなら、まさしく国家財政が若者(やさらに後世代)を食い物にして破綻ということになりますが、この文脈で言うなら前回の試算はX+α/nが安定して推移するための条件を示したということになります。前回示したような財政運営が行われるのであれば、X+α/nは発散せず、当然ながらXもまた発散しないのです。

同様にαもまた現時点では発散しないと見込まれますが、αが生じた原因はほぼ少子高齢化の影響だけ、といっていいでしょう。これが現時点で安定した状態に落ち着いたと見るならαは現時点で観察されるαで確定でしょうし、さらに進んでようやく安定化するならもっと大きなものとなり、どこまでも進んで人口ゼロで安定するなら発散してしまいます。どこかで下げ止まらない以上は国家経済が破綻するのは当然のことですし、下げ止まるならαが大きくはなってもnの取り方によって調整可能です。

#もう一つ大きかったのはデフレによる税収落ち込みですが、今後再現がないと祈って今後の拡大、ましてや発散はないとします。

実際に数字でみるなら、先に紹介したブロダ&ワインシュタイン論文によれば、金利や歳出拡大の程度、さらには少子高齢化の進展度合いについて複数のシナリオを想定した上で、最悪の場合であっても、2100年まで(今回の文脈に即して言えば、一世代を30年とするなら、n≒3ということになります)かけて均して負担をするなら、X+α/3=45%程度に収まると推計されています。現在の国民負担率が37%台ですから、現状国民負担率は既にXになっていると考えれば、αは最大でも8×3=1524%相当(10/9訂正)といったところなのです。

#ブロダ&ワインシュタイン論文においては、αは2040年(シナリオによってはそれ以降)までの間に増加する歳出を賄うものとして設定されています。

また、この8%を具体的にいかなる手法で確保するかについては、必ずしも増税によらざるを得ないとは限りません。国民負担率の推移をグラフで見れば一目瞭然ですが、ピークがオイルショック時やバブル期にあるように、名目GDP成長率が高い‐すなわち、インフレか好景気‐ときに自然に国民負担率、とりわけ税による部分は上昇します。

つまりは税収の名目GDP成長率に対する弾性値が実績で見れば平均で1.1である(=名目GDP成長率の10%増しで変化する)ということの表れですが、所得税の累進性や法人税が売上げでなく利益に課されることによるレヴァレッジがあり、大いに名目GDPが成長すれば経済成長以上に税収が増え、自然に国民負担率が上昇するということになります。増税をしても国民負担率を上げることができますが、こちらの方がまずは志向されるべきでしょう、とは当サイトで繰り返し申し上げてきたことです。

以上からすれば、Danさん(が自らの問題意識と同じとして引くfromdusktildawnさん)の次の問題は、それほど大したものではありません。

この日本政府の膨大な借金を、どの世代が払うべきか?

というと、選択肢は次の3つ。

(1)借金をこさえた世代が返済する。(相続税増税)

(2)借金をこさえた世代の子供たちの世代が肩代わりする。(所得税増税)

(3)借金をこさえた世代とその子供たちの世代の両方が返済する。(消費税増税)

「借金を「返済するべき」人と「実際に返済することになる」人」(@分裂勘違い君劇場10/6付)

国民負担率が一定であれば、上記の(1)〜(3)のいずれに重きを置くかは、世代間の選択の問題ではなく、世代内の選択の問題です。要するにお金持ちに相対的に重く負担してもらうか(相続税ないし所得税)、それとも貧乏人にも相対的にそれなりに負担してもらうか(消費税)ということであって、上記引用に書かれているどの世代が負担するのかという分析は完全に的外れです。この観点から搾取を言うなら、国民負担が公的サービスの価値を上回るのは年収2,000万円以上ですから(ソースを失念し、かつぐぐっても見つけられなかったので、間違っていたら訂正します)、搾取されているのは若者世代ではなく、世代を問わず金持ちだということになります。

したがって、

いまや、政府の膨大な借金をこさえた老人たちの世代は、多数派です。
だから、少数派の若者たちの世代が、
「自分が借りてもいない金を返済する」
のは、当然、正義になるのです。

なぜなら、それは、多数派である老人たちにとって幸せなことだからです。
これこそ、最大多数の最大幸福の実現です。

いや〜、民主主義って、ほんと、すばらしいですね!

「借金を「返済するべき」人と「実際に返済することになる」人」(@分裂勘違い君劇場10/6付)(webmaster注:強調は、原文ではフォントサイズの大きさで表示されています)

というのは老人への不当な非難であり、少数派であるお金持ちによる多数派の貧乏人への呪詛としてこそふさわしいということになるのです。

なお、これまでの政府債務の積み上がりをある種のだらしなさとして難ずることの問題は以前書いたとおりですし(端的に言えば、ライフサイクルにおいて貯蓄超過となる現役世代に第一次ベビーブーマーという多くの人口が存していたことの必然的帰結ですし、借金なしの方針を守っていれば今よりもはるかに貧乏なままだったでしょう、ということです)、借金を作ったのが老人たちの世代だとの理解の下、老人たちに狙いを絞って大増税を課せば、消費が大幅に萎縮して景気が格段に悪化し、若者世代も多大なる悪影響をこうむることになります。

仮に、αをいかに円滑に消化していくかという観点ではなく、借金を作ったのは老人世代なのだから、その返済財源も老人世代から調達すべきという整理を行うならば、それこそが、鼻くそであるはずの国家財政に振り回され、経済全体を殺してしまうアプローチだということになってしまうのです。そうした点に配慮して、急激な国民負担の増加を避けて中長期的な財政均衡を模索することこそ、国家財政のみを見るのではなく経済全体を見るということだとwebmasterは思います。

本日のツッコミ(全262件) [ツッコミを入れる]

Before...

ブランド靴スーパーコピー [高品質のルイヴィトン コピー,シャネル コピー,プラダ 品は好評通販中! ブランド靴スーパーコピー http://..]

x0qn5di238 [http://www.brandiwc.com/brand-super-27-copy-0.html 大人気なブ..]

ロレックス レディース 文字盤 青 [シャネル偽物の財布、腕時計、靴、眼鏡、ピアス、バッグかばんの価格は大体いくらですか? シャネルのかばんの価格は具体..]


2006-10-09

[government][economy]日本の財政の維持可能性再々論

ネタにマジレス、という非常に無粋なことではないかという気がしてためらいもあるのですが(オイラ的には、議論なんかする気もないし、正しい結論なんか導き出すつもりもないとのことですし)、昨日のエントリに対してお書きいただいたfromdusktildawnさんのエントリへのリジョインダーを書きます。

もちろん、弾氏の主張のキモは、あくまでも「前提が崩れたんだから、若者の負担は理不尽に大きすぎる」というものであり、「とにかく大増税しろ」というのが弾氏の主張ではありません。

(略)

というか、そもそも弾氏は、国家財政そのものではなく、若者と老人の負担のバランスの悪さを解消することを論じているのです。

(略)

これに対する、bwaad氏の反論を、一般人の日常語で(笑)要約すると、

(略)

そうすれば、結局、国民負担率は、どの時代もたいして違わないんだから、過去の世代の作った借金を若者世代が負担していて不公平だとするのは、上の世代に対する不当な非難だよ。

(略)

ただ、一方で、議論として見ると、bewaad氏の記事は、反論になってませんね。

(略)

もちろん、オイラ的には 、「年寄りのせいで俺たちは苦労しているうううう!」という若者の被害妄想は、とても面白いので、その妄想を煽るオナニーネタは、気が向いたら今後もまたやるかもしれません。

「404 Blog Not Found弾子飼氏と現役財務官僚bewaad氏の論争が面白い件について」(@分裂勘違い君劇場10/8付)(webmaster注:強調は、原文ではフォントサイズの大きさで表示されています)

fromdusktildawnさんに正しく要約いただいたように、webmasterは「若者と老人の負担のバランスの悪さ」なるものは、少なくとも世間的に受け止められているほどのものではないと考えています。「若者と老人の負担のバランスの悪さを解消することを論じている」のに対して、前提としているバランスの悪さは過大評価だ、と指摘することは「反論になってません」のでしょうか?

この点については、fromdusktildawnさんご自身、「『年寄りのせいで俺たちは苦労しているうううう!』という若者の被害妄想」との表現をされていらっしゃいます。したがって、実はfromdusktildawnさんもwebmasterの主張をご理解いただいている、さらに言うなら、fromdusktildawnさんもまた、Danさんに対して、そのようなバランスの悪さは「被害妄想」であるとお考えなのではないでしょうか?

以上がリジョインダーの核心ですので、以下は枝葉末節といえばそのとおりなのですが、ご指摘いただいた点について個別にお答えしたいと思います。

まず第一に、
弾氏の論点は、

「終身雇用の会社」と「強固で安定した家族」という「見えない社会保障」の崩れによって生じた若者と老人の負担のバランスの悪さをどう解消するか

にあるのに、bewaad氏は、どうやって円滑に無理なく国民から税を徴収し、無理なく国家財政の借金を返済するか、という、いわば徴税と財務のテクニック論の話を延々と繰り広げる。
しかし、いくら円滑に税金を徴収して国の借金を返済したところで、弾氏が問題点として掲げている「見えない社会保障」の崩れによる若者と老人の負担のバランスの悪さの解消にはつながらない。
明らかに見当外れの議論を展開している。

「404 Blog Not Found弾子飼氏と現役財務官僚bewaad氏の論争が面白い件について」(@分裂勘違い君劇場10/8付)

「バランスの悪さ」なるものが単に受益と負担のことと理解していたのですが、この点に力点があるとするなら、それをきちんと論じなかったことについて「見当外れ」とされるのは当然です。では、改めて論じてみましょう。原文であるDanさんのエントリを引けば次のとおりです。

筑摩書房 書誌検索(持続社会な福祉社会)

【要旨】
かつての日本社会には、終身雇用の会社と強固で安定した家族という「見えない社会保障」があり、それは限りない経済成長と不可分のものだった。経済成長という前提が崩れ、「定常型社会」となりつつある今、再分配のシステムである「福祉」を根底から考え直す必要がある。本書は、「人生前半の社会保障」という新たなコンセプトとともに社会保障・教育改革の具体的道筋を示し、環境制約との調和、コミュニティの再生を含みこんだ、「持続可能な福祉社会」像をトータルかつ大胆に提示する。

なぜ若者たちが国に搾取されていると感じ、また実際に搾取されているかといえば、この限りない経済成長を元にした「見えない社会保障」の前提が崩れているのに、相変わらず同じやり方で国が動いているからだ。若者は汲めども尽きぬ国の資源なのだから、必要なだけ漁ればよいというわけだ。しかしこの国の近海にはニシンはもういない。同じやり方では若者がニシンになるのは時間の問題なのではないか。

「持続可能な福祉社会」(@404 Blog Not Found10/6付)

「限りない経済成長」という言葉でどの程度の経済成長を念頭に置かれているかは、少なくともここからは不分明ですが、実質GDP成長率で2%台、それに2〜3%のインフレを加えて5%前後の名目GDP成長は、現在の日本においても十分可能と見込まれます(実質GDP成長率についての詳細は、以前紹介した内閣府のパネルディスカッションをご覧ください)。

したがって、「なぜ若者たちが国に搾取されていると感じ、また実際に搾取されているかといえば、この限りない経済成長を元にした『見えない社会保障』の前提が崩れているのに、相変わらず同じやり方で国が動いているから」というのもまた、誤った前提に基づくピンとはずれの分析ということになります。本来達成できていてしかるべき名目5%成長を、10年以上にわたり達成できずに過ごした日銀や政府のマクロ経済運営(1995〜2005年度の平均が0.3%。1998〜2002年度の5年間に限れば▲0.9%(ボトムは2001年度の▲2.1%!))を若者が批判するというのなら、webmasterはそれは極めて的確かつまっとうなものだと思います。

#そもそも終身雇用なんてものは主として大企業において見られたもので、日本の被雇用者の大多数を占める中小企業の労働者にはほとんど関係なかったのにとか、戦後を通じて大家族制がどんどん崩壊していったのに「強固で安定した家族」とは何を想定しているのやらとか、そういった点もおかしいとは思います。

第二に、bewaad氏は、
http://bewaad.com/20061008.html#p01

老人たちに狙いを絞って大増税を課せば、消費が大幅に萎縮して景気が格段に悪化し、若者世代も多大なる悪影響をこうむることになります。

と言っていますが、仮に、弾氏の主張通り、相続税を増税したとしたら、本当に「消費が大幅に萎縮して景気が格段に悪化」するんでしょうか?

むしろ、相続税が上がると、老人たちは、自分の財産を、
(1)生前贈与する。
(2)自分で使ってしまう。
のどちらか、あるいは、両方をするんじゃないですかね?

もし、(1)の生前贈与が増えるとなれば、より消費や投資(教育など)の意欲が旺盛な若い世代に渡る機会も増え、むしろ、全体としては消費はややプラスになったりしないですか?
いや、そこまでいかなくても、少なくとも、bewaad氏の言うように、「消費が大幅に萎縮して景気が格段に悪化」するようになるとは、とても思えない。

また、(2)についても、自分で使ってしまうとしたら、やはり消費は増えます。bewaad氏の言うように、「消費が大幅に萎縮して景気が格段に悪化」するようには、やはりならない。
こうしてみると、相続税増税したら、「消費が大幅に萎縮して景気が格段に悪化する」という主張をするのなら、その論拠を示すべきでしょう。議論するのであれば。

「404 Blog Not Found弾子飼氏と現役財務官僚bewaad氏の論争が面白い件について」(@分裂勘違い君劇場10/8付)(webmaster注:強調は原文によります)

まず、webmasterは昨日、国民負担率が一定であれば、上記の(1)〜(3)のいずれに重きを置くかは、世代間の選択の問題ではなく、世代内の選択の問題と書きました(「(1)」が相続税増税です)。したがって、「老人たちに狙いを絞って大増税」とは、相続税増税ではなく、もっと別のアプローチで(例えば老人限定で資産税を課す、など)現在の国民負担率を上げることを想定しています。

だいたい、生前贈与やら消費やらで老人の「逃げ切り」を許すような制度では、「バランスの悪さ」が真だったとしても、それを解消できないではないですか。「消費が大幅に萎縮して景気が格段に悪化」するとは、「バランスの悪さ」の議論に乗った上で、そこで想定されているようなバランスの回復策(すなわち、「逃げ切り」を許さず、かつ後世代に負担が残さないだけの量を徴収するような施策)を講じるならば、ということです。本当にそうしたいなら、相続税増税なんていう甘いことを言っていてはダメですよ(笑)。

#こういうことを書くとまた技術論だと叱られそうですが、そもそも相続税を支払うのは死んだ老人ではなくその子ども等なので、相続税をいくら増税したところで、子ども等の取り分を減らすだけで、老人に負担を背負わせるものではないのですが・・・。

ちなみに、先に例示した老人限定の資産税がどの程度のインパクトかを示すなら、次のような推計が可能です。世帯主が60歳以上の世帯においては平均純貯蓄(貯蓄−負債)が2,000万円を超えていて、他方で高齢者世帯数は約835万世帯ですから、全体で老人世代に属する金融資産は167兆円ほどあるものと推測されます(「世帯主が60歳以上の世帯」と「高齢者世帯」は違う定義ですので、あくまで概算です)。10/6には政府の債務超過額について500兆円との数字を用いましたが、これをすべて老人からの召し上げで賄おうとするなら、金融資産を全部取り上げてもなお足らず、不動産等のその他資産をも相当程度徴収しなければならないのです。

なお、相続税増税については、以前にも書いたことがありますが、どうしても増税をするというなら最初はそこから、ということについてはwebmasterは賛成です。ただそれはもっぱら所得再分配の観点からで、老人世代をどうこうという観点からであれば違うと申し上げたい、ということです。

最後に、ちょっとだけマジレスすると、老人たちは、「現代の若者はニートで拝金主義者のホリエモンで日本人の美徳がなくて。。。」と被害妄想をするし、若者は「団塊の世代のような無能な奴らが。。。だから有能な若者が正当な地位を報酬を得て無くてうんたらかんたらごたくごたく。。。」という被害妄想をするけど、そんなふうに、「誰が悪い」という議論をいくらしても、議論としては、らちがあかなくって、議論をするなら、「誰が悪いかはともかく、とにかく現状こうなっているのだから、それをふまえてどういう方針を打ち出し、具体的にどうすべきか?」という方向の議論をしないと、遊びとしてはともかく、議論としては不毛だとは、ちょっとは思います。

「404 Blog Not Found弾子飼氏と現役財務官僚bewaad氏の論争が面白い件について」(@分裂勘違い君劇場10/8付)

自己弁護は気恥ずかしくはありますが、「『誰が悪いかはともかく、とにかく現状こうなっているのだから、それをふまえてどういう方針を打ち出し、具体的にどうすべきか?』という方向の議論」という議論をしていたつもりなのですが・・・。すなわち、現状は人口構成のシフトに伴い政府部門に負債が集中するような構造になっているものと認識し、それを現在の老人世代や今の現役世代、あるいは次の現役世代といった単独の世代で負担するのは特定世代への過重負担となるので複数世代に分散して負担することを方針とし、安定的な経済成長の達成による国民負担率の穏やかな上昇で対処すべし、と。

本日のツッコミ(全33件) [ツッコミを入れる]

Before...

小さいピアス ゴールド [バレンシアガ プレート 小さいピアス ゴールド http://www.jpchanluuinbananas.org]

インビクタ 時計 [www franckmuller com インビクタ 時計 http://www.jzlwjyw.com/]

モンクレール ダウン 2014 [当店は、モンクレール ダウン激安専門店で、高品質な人気モンクレール ダウンを提供しています。モンクレール 2014 ..]


2006-10-10

[politics]北朝鮮核実験実施

前から書いていることですが、戦前の日本の途をまっしぐらといいますか、降りるに降りられないチキンゲームを成算なきまま続けている感があります。このwebmasterの見立てが正しいのなら、今後どのような暴挙をしでかしても不思議ではないわけで、どれほど警戒してもし過ぎということはありません。

しかし、日本よりもはるかに本件を深刻に受け止めているのは中国でしょう。自らの手駒として活用できている間はよかったものの、コントロールが及ばなくなりつつある現実に目を向ければ、地続きですし首都も隣国中ソウルの次に近いところにあるわけです。海に視線を転じても、日本との間には日本海が横たわっていますが、北京への導水路である渤海はそれよりもはるかに狭いのです。

さらに悩ましいのは、これといった妙手がないことです。宥和政策が北朝鮮を図に乗らせてきたのは事実ですが、かといってさらなる経済制裁が招きかねない突発事態のリスクは軽視できません。それこそ戦前の日本は、南仏印進駐が引き金となった石油禁輸を受け、結果として「ジリ貧を避けんとしてドカ貧」に陥ってしまったわけですが、北朝鮮が二の轍を踏まぬ保証などあるはずもないのです。

最も望ましいのはクーデター等による路線変更でしょうから、おそらくは反体制派への仕込みなども入念に行ってはいるのでしょうけれど、中国から仕掛けた場合には、失敗すればこれ以上なく北朝鮮を硬化させることは必定ですし、すべての仕込みも無に帰してしまいますから、なかなか踏み切れもしないでしょう。アメリカが黙認するとの恩を売るなら、反体制派に蜂起させた上で軍事介入、というオプションもあり得るのでしょうけれど、その蓋然性はいかばかりか・・・。

[WWW]fromdusktildawnさんの掌の上で踊っていたwebmaster

ここ数日論じていた世代間バランス問題についてですが、その真相が明らかに。

fromdusktildawn
『もうちょっと、紳士的に説明しますと、
ぼくは、この話題に「2チャンネル」でいうところの、燃料を投下したかっただけです。
ターゲットインフレなんて、はるか昔から言われてたミミタコなことですけど、だれも聞いちゃいないですよね。
ごく一部の人しかいないところで、ごにょごにょ「正しい議論」をやってるからなんじゃないかと思います。
まずは、燃料を投下して、お祭り騒ぎにしておいて、そこから、ちゃぶ台返しして、議論してもらった方がより多くの人を巻き込めると思いますよ。
オイラ的には、これについては、とくに意見はないですね。
みんなの注意をこの問題に引きつければ、それでぼくの役目は終わり。正しい議論をするとか、正しい結論に導くとかは、koiti_yanoさんのような高い見識を持った方々にお任せしたいと思います。』

fromdusktildawn
『インフレターゲット、ですね。
ちなみに、クルーグマン氏の本は、けっこう好きで、たまに読みます。』

「分裂勘違いさんとDanさんの議論で少し疑問に思ったこと」(@ハリ・セルダンになりたくて10/9付)におけるfromdusktildawnさんのコメント

おっしゃるとおり、今回の議論を通じて通常よりも多くの方々(その多くは、当サイトを普段はご覧になっていないと察します)にwebmasterの主張をご覧いただくことができたと思います。暖かいご配慮をいただきありがとうございました。

ようは、単純に、一般人が興味を持っておもしろおかしく読めるような、分かりやすい記事を書いてないから、それが広まらないだけです。

それだけの問題ですよ。

「bewaad氏の主張が高度すぎて一般人に理解されないという被害妄想 」(@分裂勘違い君劇場グループ - 劇場管理人のコメント10/9付)

重ね重ねありがとうございます。かねてから多くの人に同様のご指摘をうけながら、ろくに進歩もできないなさけなさといったら・・・orz。できるだけ頑張ります・・・。

[economy]ノーベル経済学賞2006‐受賞者はエドムンド・S・フェルプス

前に書いたような日本におけるリフレ政策への福音ではない・・・わけでもなさそうです。

フリードマンの1968年におけるアメリカ経済学会での会長演説(Friedman, 1968)は、フェルプス(Phelps, 1968)と共に、ケインジアンのモデルの最も弱い点、つまりフィリップス曲線におけるインフレーションと失業の間のトレードオフに狙いを定めたものだった。少なくともサミュエルソンとソロー(Samuelson and Solow, 1960)以降、ある種のフィリップス曲線は、ケインズ自身が導入したものではなかったとは言え、ケインジアン・コンセンサスの一部となっていた。サミュエルソンとソローはこのトレードオフは理論的根拠が薄弱であることを理解しており、彼らの論文はなぜ短期と長期ではトレードオフが異なり得るかに関する警告でいっぱいだった。しかし後に続く論文ではあまりにも安易にこうした警告のすべてが忘れられてしまったのだ。フィリップス曲線は、なぜ価格が市場を均衡させることに失敗し、また価格水準が最終的にどのように調整されるのか、を説明することに常に問題を抱えていたケインジアンのモデルを補完する便利な方法を提供したのだった。

フリードマンは、インフレーションと失業の間のトレードオフは、もしも古典派の原理が適用され、かつ貨幣が中立であるならば、長期では成り立たないと主張した。なぜトレードオフがデータに現れるかというと、短期ではインフレーションはしばしば予期されておらず、また予期されないインフレーションは失業を低下させ得るからだ。ここでフリードマンが示唆したこの特定のメカニズムは、一部の労働者による貨幣錯覚だった。しかしマクロ経済学の発展にとってより重要だったのは、フリードマンが期待を舞台の中央に配置したことだ。

「科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(3)」(@svnseeds’ ghoti!6/20付)

1968年(あるいは67年)、マネタリスト学派の主唱者ミルトン・フリードマンは、エドモンド・フェルプスとともに独自の完全雇用失業率の概念を創出し、これを「自然失業率」と名付けた。もっとも、この自然失業率は経済が規範的な目標として目指すべきものとは考えられていない。フリードマンらが主張するのは、完全雇用状態を得ようとするのではなく、政策担当者はまずインフレ率を安定化させる(非常に低いレベル、あるいはゼロに)ことに努力すべきだ、ということである。もしそういった経済政策が維持可能なものであったならば、失業率は次第に「自然」失業率まで低下するだろう、というのがフリードマンの説である。

フリードマンの考えはマクロ経済学に大きな影響をもたらし、現在では完全雇用とは、ある所与の経済構造の下で維持可能な最低レベルの失業率を指すことが多くなった。これはこの用語を最初に用いたジェームズ・トービンにならってインフレ非加速的失業率(NAIRU=Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)と呼ばれる。概念としては自然失業率と同一であるが、経済には自然なものは何一つない、という立場から「自然」の言葉を避けているともいえる。完全雇用状態にあっては、循環的(あるいは労働需要不足による)失業は存在しない。もし経済が数年にわたってこの「自然」失業率あるいは「インフレ閾値」失業率以下で推移するならば、インフレは加速するはずである(賃金および物価に関する外的統制がない前提で)。逆に、もし失業率がこのレベル以上で長期間推移するならば、インフレは沈静化するはずである。こうして、インフレ率が上昇も下落もしないような失業率としてNAIRUは導出されるのである。そこで一経済のNAIRUの絶対的な水準は、労働市場における供給側の要因に依存しているといえる。構造的失業、摩擦的失業といった要因がそれである。

完全雇用‐Wikipedia

webmasterとしては、今回の受賞を機に、日本のNAIRUについての議論が盛り上がるといいな、と思います。

このような素人丸出しの感想ではなく、業界の人々の雑感がどのようなものかについては、いちごのノーベル経済省スレあたりでごらんいただければ。

本日のツッコミ(全496件) [ツッコミを入れる]

Before...

therriaultirv [stepqu [url=http://www.mersoleil-oleron.fr/tl_files/cl/chr..]

jemmettrma [nicolhf [url=http://shunli663.typepad.com]cartier outlet[/..]

jesenovecgzl [sagastume [url=http://www.homeandcabin.ca/goose/canada-goo..]


2006-10-11

[economy][government][book]岩田規久男「「小さな政府」を問いなおす」

本書の主張の中核、すなわち政府は必要のないことはすべきでない、ということには異論はありません。しかしながら、結局のところ「小さな政府」としてどのようなものを想定しているかについては、arnさんやkoiti_yanoさん同様、首を傾げざるを得ません。

また、小さな政府を推進する立場から書かれているため、適正なナショナルミニマムの水準が明確にされていないのも不満と言えば不満であろうか。明確には書かれていないので何とも言えないが、平等の水準に関しても「日本のお金持ち研究」の橘木氏らの見解とはかなり異なっているように見受けられる。

「岩田規久男著「「小さな政府」を問いなおす」を読む」(@A.R.N [日記]9/10付)

[補足]しかし、結局、「政府が大きい」か「小さい」かの客観的基準は分からなかった。多くの人が気軽に「小さな政府」と言いますが、何と比べて「小さい」のか知っている人がいたら教えてください。

「岩田規久男「小さな政府」を問いなおす」(@ハリ・セルダンになりたくて9/21付)

具体的なナショナルミニマムはどの程度のものか、また、「小さな政府」とはどういった大きさのものなのかが示されていないのは引用のとおりですが、個々の例として挙げられているものについて、webmasterには納得がいかないものも多いのです。一例として、日本の現状についての記述の中ではおそらく最も紙幅が割かれている、地方財政を取り上げてみます。

地方財政に関する著者の問題意識の主なものの一つに、次のとおり行政サービスの水準が過大だ、というものがあります。

02年度の基準財政需要額は歴史的に見て最大であったが、91年度の1.5倍に達した。その後は減少し、04年度の基準財政需要額は91年度の1.4倍まで縮小した。しかし、04年度の国の一般歳出(国の財政支出総額である歳出から地方交付税と国債費を引いたもので、国が政策費として使える金額)が91年度の1.2倍にとどまっていることを考慮すると、この基準財政需要額は大き過ぎると考えられる。基準財政収入額を所与とすれば、基準財政需要額が大きくなれば、地方交付税もそれだけ膨らむことになる。

基準財政需要額とは標準的な行政を行うために必要な額であるが、今日では、ほとんどの地方自治体でナショナル・ミニマムの行政サービスが供給されている。したがって、高齢化による福祉サービスの増大などの要因を考慮したうえで、その増加は消費者物価上昇率の範囲にとどめられるべきであろう。

(略)

こうした過剰な地方交付税による財源調整が行われるのは、人口の少ない地域の基準財政需要の算定を優遇し過ぎるからである。この優遇措置は人口移動を妨げ、人口の地域配分を固定化する。そのため、かえって財源不足自治体が多くなり、必要な地方交付税額も大きくなってしまう。

pp198-200

しかし、単に国との比較、それも一期間のみを切り取ったもので「基準財政需要額は大き過ぎる」と判断してよいのでしょうか。例えば、2004年度の国の一般歳出が過小である場合には、同年度の基準財政需要額が適正だということもあり得ます。また、国と地方の役割分担により、それぞれに対する行政サービスの需要が異なるならば、国は国で適正な水準であり、同時に地方は地方で適正な水準だということもあり得ます。

当然ながら、webmasterは基準財政需要額が現に適正な水準である、と主張したいわけではありません。適正でないと批判するには、あまりに根拠が薄弱ではないか、と思うのです。まして、「人口の少ない地域の基準財政需要の算定を優遇し過ぎ」だとまでおっしゃるのであれば、新書ですから紙幅の制約はあるにせよ、具体的にどの基準財政需要が過大計上であるかを示すべきではないでしょうか。

また、この引用部ではもう一点気になるところがあります。arnさんがご指摘のナショナルミニマムについてで、現状においてナショナルミニマムが満たされていることは当然の前提とされています。しかし、本当にそうでしょうか? 一例として、救急医療における搬送時間の都道府県比較を見てみます。

重篤なけが・急病人の受け入れ先となる各地の救命救急センター(3次救急機関)への搬送時間が、都道府県によって最大で6倍も差があることが、国際医療福祉大(栃木県大田原市)の河口洋行助教授らの調査で分かった。青森、秋田、長崎、鹿児島の4県では、60分以内にセンターに運べる住民数が県民の半数以下にとどまっている。

河口助教授のグループは、道路地図や車両の平均的な移動時間などのデータが入力された「GIS」(地理情報システム)というソフトを使用。全国の約2500の市町村の中心部から、最寄りの救命救急センターまで車で移動した場合(離島を除く)の所要時間を計算した。

搬送時間の全国平均は約59分。最も搬送時間が短いのは、センターが21カ所ある東京都で平均搬送時間は約17分、10カ所の大阪府は約24分だった。これに対し、広大な面積にセンターが10カ所しかない北海道は、東京の6倍近い約101分かかる計算になった。【金田健】

毎日「救命救急センター:搬送時間、都道府県格差は6倍 国際医療福祉大が調査」

本来、1次救急機関でのデータがとれればよかったものの、見つけられなかったので代用とさせていただきますが、都道府県で6倍ということは、市町村レヴェルで見るならもっと格差は大きいことでしょう。除かれている離島においてはなおさらです。よく一票の格差が問題になりますが、一票の格差は生命に直結するわけではありません。他方で救急機関への搬送時間は、事故や急病の際において生きるか死ぬかをまさに左右する問題です。

webmasterは、それほど格差のない搬送時間の確保はナショナルミニマムにふさわしいと思いますが、これはあくまで私見であって、しょせんは全国的なコンセンサスを得ていくより他ない問題ではあります。だからこそ、ナショナルミニマムの水準を論じるには、個別の積み上げを十分に行った上でなければならないでしょう。その結果として、現状の行政サービス水準を総量としては下回る水準がナショナルミニマムとして確定するのかもしれません。そうであればそれはそれでかまわないとwebmasterは思いますが、何の論証もなく現状で満たされているとする議論が妥当であるとは思えないのです。

こうした地方交付税交付金等を通じた地方への資源配分について、著者は副作用として次のような指摘をします。

以上のような地方交付税による地域間財政調整は、70年代以降支配的になった「結果の平等」を目指す政策の一環として採られた政策である。この政策によって、地域間の行政サービスの格差は大きく縮小した。そればかりか、人口の少ない地方の道路や公園や公立保育所などのサービス水準が、東京圏の都市よりも高くなったケースも少なくない。しかし、こうした「結果の平等」を目指す政策は、次の2つの問題をひき起こした。

第一は、日本全体の生産性と経済成長率の低下を招いたことである。70年代以降の行政サービスの地域間格差の縮小は、同じく「結果の平等」を指向したその他の経済政策(第二章参照)による所得格差の縮小とあいまって、生産性の低い地域から生産性の高い地域への人口移動を止め、結果として、福祉国家の糧である経済成長率の低下を招いた。

第二は、交付自治体の住民は自分たちで税金を負担しなくても、標準的あるいはそれ以上の行政サービスを享受できるようになったため、行政サービスの利益が負担を上回っているかどうかについて無関心になってしまったことである。そのため、自分たちが税金で負担しなければならなかったならば反対したと思われる公共事業などを支持したり、国からそうした事業をとってくる国会議員や知事を選挙で選んだりするようになった。

pp201,202

#真に「結果の平等」を目指していたのか(「結果の平等」の定義にもよりますが、少なくとも地域間格差ゼロを現実的な目標として目指したことはないでしょう)という点にも疑問はありますが、そこは置いておきます。

第一の問題とされる点については、まず前提となる事実関係に関して、参照すべしとされる第二章において次のように総括されています。

以上、二つの節にわたって説明してきた要因により、70年代に、政府支出(社会保障基金からの保険金給付を含む)の対国内総生産比は60年代の平均20%から6%も上昇して26%になった。一方、政府支出(社会保障基金への保険金収入を含む)の対国内総生産比は60年代の21%から25%に上昇した。このように、70年代(とくに、70年代半ば)以降、地域格差の縮小と工業の再配置を目指して公共事業費が増大するとともに、福祉国家を目指して社会保障関係費も急増したため、日本政府は急速に大きくなった。

p44(webmaster注:「以上、二つの節にわたって説明してきた要因」とは、社会福祉の充実を求める声の増大と、「列島改造論」に代表される地域格差是正論の興隆)

しかし、本当にそうなのでしょうか。社会福祉の充実や地域格差是正を求める声が70年代に入って(それ以前に比して)急激に大きくなったとも思えませんし、何より、いくら要望があったところでない袖は振れないわけです。70年代以降の政府の財政規模の拡大は、第一次ベビーブーマーがライフサイクル上貯蓄超過となる時期にさしかかったからことに由来するマクロ的な貯蓄投資差額の貯蓄超過基調あってのことであり、だからこそ経常黒字の定着・拡大と軌を一にしているとwebmasterは考えます。

この観点からするなら、問題として挙げられていることにも疑問符を打たざるを得ません。確かに低生産性部門への政府による資源配分は、経済全体の生産性を程度はともかく引き下げるとの分析には何ら異論はありません。しかし、福祉政策は論旨からずれるので捨象するとしても、地域格差是正の観点から行われたとされる地方向け公共投資がなかったとするなら、貿易摩擦の現実の歴史以上の激化か国内需要の不足かいずれかはさておき、生産性の低下以上に需要不足が経済成長率の低下を招いた可能性は多分にあるでしょう。

#公共投資の総量を確保しておけば、つまりは地方向けを削って都市部に集中的に投下しておけばよかったとの議論はあるでしょうが、成田空港や圏央道、外環道が典型例ですが、都市部の公共投資は予算制約以上に権利調整に制約されているのが実態で、つまりは総量も減少せざるを得なかったとwebmasterは思います。

経済成長率に与える影響については、著者は次のように述べるのみです。

第一次石油ショック後に、突然、高度経済成長が終わり、その後80年代の半ばまで経済成長率が高度経済成長期の半分以下になった原因については、石油価格高騰説とアメリカ経済へのキャッチ・アップ終了説とがある。しかし、二度の石油ショック後、物価が石油価格以上に上がったため、石油の実質価格(物価に比べた石油の価格)は低下したことを考えると、石油価格高騰説の妥当性は大いに疑問である。それに対して、増田は、田中角栄の「結果の平等」を目指す社会主義革命こそが高度経済成長を終わらせた真犯人であるという。

確かに、生産性の高い大都市から、それが低い地方に工業を移し、生産性向上に努めなくても政府が高い価格や仕事を保障すれば、日本経済の生産性は停滞し、それに伴って経済成長率も低下するであろう。

田中角栄型社会主義革命の成功により、地域間の所得格差と行政サービス格差が大きく縮小したため(地域間の行政サービスの縮小(ママ)については、第八章の2節を参照)、70年以降、東京圏への人口の転入超過(転入人口から転出人口を引いた人口)は急激に減少した。図2-2は70年を境に、北海道を除く地方県の人口の全人口に対する比率がほぼ一定になったことを示している。すなわち、70年代以降、大都市への人口移動はほとんど停止したのである。

pp49,50(webmaster注:「増田」とは、増田悦左「高度経済成長は復活できる」

まず、高度経済成長の終焉について、学者である著者が言うのですからここにあるような説しかないのでしょうけれど、ここには挙げられていない要因、具体的には固定相場制の崩壊の影響が大きいのではないか、とwebmasterは思います。まともな実証ができない人間のたわごとですから、データにより違うと示されれば自説を撤回するにやぶさかではありませんが。

また、70年代以降の人口移動停止については、合計特殊出生率が1950年代に急激に低下し、半ばには2.0を若干上回る水準になったことの影響がはるかに大きいのではないでしょうか。人口維持に必要な合計特殊出生率は2強ですから、つまりは50年代半ばには出生面から見れば過剰人口がいなくなったということになります。人口移動が次男・三男の口減らしの意味も強かったことを考えれば、そうした者の就職時の移動がなくなれば、人口移動はペースが落ちても当然です。

中卒就職なら15歳、高卒就職なら18歳という年齢と、50年代と70年代の20年間という時間差は、ぴったり適合します。仮に人口移動の停止が高度経済成長を終わらせた真犯人であるとするなら、田中角栄型社会主義などよりも、よほど合計特殊出生率の低下のほうが寄与したのではないかとwebmasterは思います。

#大店法その他のミクロ介入への批判的な見方においては、webmasterは著者と意見を異にするものではありません。あくまで財政的な側面に限ってのことです。

第二の問題とされる点については、基準財政需要と基準財政収入の見積りが概ね正しいのであれば、そのような影響はほとんどないと考えられます。そうであるならば、基準財政需要を超えて行政サービスを求める場合には、それは当該地方公共団体の負担において行われなければならないからです。つまりは既述の問題に帰着するということで、ここでは指摘が必ずしも正しいとは限らない、とだけ記すに止めます。

以上のように地域間格差の現行の是正策を批判する著者は、代替案としては次のようなものを挙げます。

複数の地方自治体がそれぞれ異なる行政サービスと異なる税負担を提案して競争するようになれば、住民は居住地を移動することによって、自分に望ましい行政サービスと税負担の組み合わせを提供する地方自治体を選択できるようになる。すなわち、第三章2節で述べた住民の「足による投票」の可能性が拡大し、住民の満足度も高まるであろう。

p205

日本の地方自治体の首長と住民にも、イギリスで再生に成功した都市に見られるような、民間の知恵と活力を最大限に活かした主体的・自立的なまちづくりへの挑戦を望みたい。(略)

(略)

地方の自立性を高めるための産業は、生産性向上に成功した農業だけではない。倉敷や金沢のような観光で特色を持たせる都市もあるし、岡山のように生命科学の産業が根付き、文化的施設も充実している都市もある。

日本の地方自治体には、国に頼ることなく、自主的なまちづくりの障害になる規制、税・財政制度や国の干渉を排除しようとする自主独立の精神こそが求められている。この意味で、地方は上からの地方改革を待つのではなく、国の地方分権改革の不十分さを指摘し、その先をいかなければならないと考える。

pp233-235

一部の地方公共団体は、そういう道もあるかもしれませんねぇ、というのがwebmasterの正直な感想です。webmasterは、著者の別の共著である「日本再生に「痛み」はいらない」において示された、今後自立的な発展が見込まれるのは人口50万人以上の都市に限られるのではないか、との見方にもっともだと頷く者ですが、ここで例示される倉敷、金沢、岡山はいずれも40万台後半以上の人口を抱える都市です。

そのぐらいの規模の都市ならば「自主的なまちづくり」とやらもうまくいくかもしれません。では、それ以下の人口しか有さない市町村は同じように成功できるのでしょうか? 「自主的なまちづくり」に、おそらくは平均をはるかに超える程度に頑張った夕張市はどうなったとか、大分県の一村一品運動は結局中長期的に見てどの程度成功したんでしょうかねぇとか、その辺りを見れば、ある程度は想像がつきます。

若干うがった見方ではありますが、ここで示されている著者の見解は、著者が批判する現行の地域格差是正策と、皮肉なことにある一点で共通しています。いわく、地方でも頑張ればなんとかなる、と。ただ頑張らせ方が、一方は創意工夫で何とかなるというもので、もう一方がゲタをはかせれば何とかなるというものだ、という違いにすぎません。しかしながら、多くの市町村は、いずれであっても何ともならないのではないか、とwebmasterは思います。

先にナショナルミニマムの議論をしましたが、仮に地方交付税交付金が過大となっているなら、ナショナルミニマムの提供者が個々の地方公共団体である、という前提こそがその原因ではないかとwebmasterは思います。先の例で言えば、救急機関への搬送時間を一定の限度内におさめることがナショナルミニマムであると仮定した場合、この前提を置く以上は効率性を犠牲にしてでも各地方公共団体に救急機関を、それもある程度の面積ごとに設置しなければなりません。そりゃコストもかかるでしょう。

こうした事態に対応するには、むしろナショナルミニマムを提供する権限を地方公共団体から奪って、例えば複数の地方公共団体をカヴァーするヘリコプターの利用で救急機関への搬送時間を短縮する、といった前提の転換が必要です。地方財政の建て直しに有効なのは、どの団体でも頑張れば何とかなるといった絵に描いた餅をそろそろ捨て去って、団体ごとにできることとできないことを仕分けした上で、ナショナルミニマムの提供主体としての適性ごとに任せていくことではないでしょうか。

webmasterは、地方自治制度の改革においていわゆる西尾私案を支持するのですが、それはこの問題にはじめて真正面から取り組んだものだと考えるからです。国に頼るなとか、自主独立の精神とか、そういった奇麗事ではなく、いわゆる限界自治体のターミナルケアが、今後の地方制度における最大の問題となっていくことでしょう。それこそ、人口が50万人もいればなんとかなるのですから、極端に言えばそうしたところは放っておいてもよく、そうでないところをどうするかについてこそ、工夫が必要なはずだからです。

最後に、以上とは大いに論旨が異なる話ですが、非常に気になった点を。

現在(06年)、1%後半と考えられている潜在成長率を構造改革によって少なくとも2%半ば程度まで高め、金融政策によってインフレ率を2%程度に安定的に維持することに成功すれば、名目成長率は4%台半ばに上昇する。そうなれば、消費税増税などの増税を最小限に止めつつ、財政再建が可能になるであろう。

p197

日本の潜在成長率は1%台後半だと、本当にそうお考えなのでしょうか、岩田先生?

本日のツッコミ(全7647件) [ツッコミを入れる]

Before...

AlfredHoke [An ideal homes does not necessarily typically have to be r..]

Williamadog [Fan-cover is the principal part of your folding fan, the m..]

Williamadog [Fan-cover may be the principal part of any folding fan, th..]


2006-10-12

[history][comic]アレクサンド・アンデルセンは実在した!

って、もちろんアンデルセンはフィクションの登場人物ですから本当にいるわけはないのですが、あんなにぶっ飛んだキャラにだって近しい人間がいるとは、やっぱり世界は広いです(笑)。

WarbirdsAns.Qその他の質問1136の回答13番が凄いです。
ちょっと抜粋すると(改行入れました)

(引用はじめ)

従軍僧はどこの部隊にもついているが、彼ほど勇敢に敵を殺す僧はどの部隊にも居なかった。
「片山さんも帰ったら一つ金鵄勲章をもらわないかんな」と通訳が笑うほど彼の戦闘は勇敢であった。
しかも彼は拳銃も剣ももたない、武器はいつも有りあわせのものであった。(中略)
北支に居たころ、西沢聯隊長から問われたことがあった。
「従軍僧はなかなか勇敢に敵をころすそうだね」
「はあ、そりゃあ、殺(や)ります」と彼は兵のように姿勢を正して答えた。
「ふむ。敵の戦死者はやはり一応弔ってやるのかね」
「いや、やっている従軍僧もあるようですが、自分はやりません」

という具合で、

左の手首に数珠を巻き右手には工兵の持つショベルを握っていた。(中略)
「貴様!・・・」とだみ声で叫ぶなり従軍僧はショベルをもって横殴りに叩きつけた。刃もつけてないのにショベルはざくりと頭の中に半分ばかりも喰いこみ血しぶきを上げてぶっ倒れた。(中略)
彼は額から顎鬚まで流れている汗を軍服の袖で横にぬぐい、血のしたたるショベルを(以下略)

うーむー、これでは、この本が直ちに発禁処分となったのも分ります。

(引用終わり)

うわあ、ヒラコーの絵柄しか思い浮かんできません。

MURAJIの戯れ言/2006年9月分(9/5付)

#引用した石川達三「生きている兵隊」については、作者自身の中公文庫『前記』によると、「この稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」という。しかし、「あるがままの戦争の姿を知らせる」(初版自序)ともしており、モデルとなった第16師団33連隊の進軍の日程、あるいは、描写が歴史事実と一致する個所も少なくないWikipedia)とのことですので、「近しい人間がいる」とは限りません。失礼いたしました。(10/13追記)

最強(and凶and狂)の聖職者といえば、webmasterのイメージではアンドレアス・プロコプだったのですが、彼は指揮官ですから、この片山さんの方がアンデルセンっぽいなぁ。

フス派の新指導者アンドレアス・プロコプは「ニ種聖餐説」の支持者であり、ドイツ人の血を引くものであり、聖職者であった。思想的には急進派に向いてたが、その思考の幅は広く、穏健派にも理解を示していた。しかし彼を、彼のいきる道をなにより確定したのは、彼が「ヤン・ジシュカの弟子」だったことだろう。彼がどの時点でフス派の説教師になったのか、どのような経歴でジシュカのもとで活動するようになったのかは不明だが、単純に聖職者としての指導力が買われた…というだけのものでもなく、あきらかに彼の軍事的才能が人々に買われたようである。そしてそれは、ヤン・ジシュカの遺産であった「孤児団」のリーダーになるということであり、同時にフス派全軍の指揮官になるということでもあった。

1426年6月16日、ウースチーの戦いにおいてはプロコプは見事な才能を発揮した。彼はヤン・ジシュカの戦術の一つ「戦車」を鎖でつないで防御陣形をつくり、味方の損害をおさえながら敵を完膚なきまでに叩き大勝利を得たのである。この戦では「ドイツ人の死体が麦束のように野原に散乱した」と言われた。実際、ほとんど虐殺に近いような戦いだったらしい。

(略)

第四次異端撲滅十字軍を撃退したプロコプは、そこで一つの教訓を得る。
その一つは「強大な外敵の存在は、内輪モメを押さえる」というものであった。
また、異端撲滅十字軍のほとんどの兵士がドイツ方面からきたものであるということからも、ドイツの諸侯勢力を撃破すれば、十字軍を事実上無力化し、暴力を停止できると考えた。

全フス派はこれに合意して大軍の出動を準備することになる。これが「華麗なる長征」、あるいは「スパニレー・イーズディ(偉大なる行軍)」の始まりとなった。

この大遠征の記録は実に驚くべき「連戦連勝」の連続である。

ターボル戦記 第六部【華麗なる長征】

8月14日、ボヘミアのドマジュリツェに接近した十字軍はフス派軍が接近していることを聞いて直ちに陣をひいた。このときプロコプは先手を取り損ねたが、直ちに軍勢を整列させ、フス派の名高い賛美歌「汝、神の戦士たれ」を歌わせて士気をふるわせ、全軍に前進を命じた。
しかしこれは十字軍将兵に思わぬ効果をもたらした。(略)

この「賛美歌による勝利」は、さすがに事実ではないだろうと思われたのだが、調べるとほとんどの記述がこの点では一致しているということに驚く。さらに、この「戦う前に逃走」という事態が、皮肉にも多くの十字軍将兵を救った。まともに戦闘に及べば、あるいは勝ったかもしれないが、大量の犠牲者をだしたことだろう。崩れ去る第五次十字軍は、その地平線まで埋めつくすような大軍にも関わらず、犠牲はわずかに2百名であった。フス派の詩人によれば「彼らは煙りのように散り、蝋のように溶けた」ということである。(略)

おそらく歴史上、兵力において劣勢にある方が、これほど完璧に勝利をおさめた例はない。

ターボル戦記 第七部【リパニへの道】

#プロコプの後代、フス派の流れを汲む傭兵隊長ギシュクラ・ヤーノシュ(ヤン・イスクラ)の方がさらにしっくりくるような雰囲気もありますが、こちらについては事績がわかる資料を見つけられなかったので、もし詳しい方がいらっしゃればご教示いただければ幸いです。

[economy][media]あれもリフレ、これもリフレ?

「景気にはインフレとデフレという2つの化け物がいる。同じ化け物ならば陽気なインフレの方がいい」

安倍晋三内閣の経済運営の行方を考えていたら、自民党の梶山静六元幹事長が生前、意欲を燃やしたデフレ退治の言葉を思い出した。デフレ脱却が近づいたいま、安倍内閣の経済布陣などからみると、今後はソフトなインフレ、つまりリフレーション政策を目指すはずだからだ。

最近ではリフレ政策は「上げ潮政策」とも訳されているが、イノベーション(技術革新)を通じて産業を活性化して税収増を目指す一方、消費税増税はなるべく先送りする。高い経済成長を優先することで、これからの少子高齢化に備える経済戦略だろう。

通産省OBの尾身幸次財務相は、かねて企業減税に意欲的で、来年度の税制改正では政策減税に取り組む意向だ。甘利明経済産業相は「産業政策は私のライフワーク」と自任するほど産業活性化や知的財産権に造詣が深い。

また、山本有二金融担当相が再チャレンジ担当相を兼務し、銀行が再チャレンジする人に融資しているかを監視する。経済財政諮問会議の民間議員のうち、伊藤隆敏東大大学院教授は一定のインフレを政策目標に掲げるインフレターゲット論者として知られる。

(略)

(経済部次長 井伊重之)

産経「経済ノート/成長加速へ「上げ潮政策」」

正直に申し上げるなら理解に怪しい点なしとはしませんが、リフレーションという言葉が肯定的な評価とともに全国紙に登場した、ということをまずは素直に喜びたいと思います。

#webmasterの記憶する限りでは、初出?

本日のツッコミ(全95件) [ツッコミを入れる]

Before...

Janicerkv [Il y a beaucoup de grands sacs issue forth les femmes dans..]

Evangelinwqf [Il y a beaucoup de grands sacs issue forth les femmes dans..]

KeymnLypemupt [<a href="http://www.xunjie.com/">xunjie</a>[url=http://www..]


2006-10-13

[politics][media]週刊誌の記事に基づく国会質問への批判

11日の参院予算委員会で、民主党の森裕子氏の質問に、安倍首相が怒りをあらわにする場面があった。

森氏の質問は、今週発売の週刊誌の報道を取り上げたものだった。

「私もさっきもらったばかりで、よく分からないが」と切り出した森氏は、「『安部晋三は拉致問題を食いものにしている』という週刊誌の記事だ。事実関係についてどう考えているか」と問いかけ、首相に記事の信憑性をただした。

首相は顔をこわばらせて答弁に立ち、「まず、よく分かっていないことを質問しないでいただきたい。私はいちいち、そうした記事を読んでいない」と語気を荒げた。記事を掲載した週刊誌についても「(拉致被害者の)有本恵子さんの両親が言ってもいない、私に対するコメントを載せたことがある。その程度の話だ」と切り捨てた。拉致問題に真摯に取り組んできたと自任する首相にとって、この問題での"誹謗中傷"は許せなかったようだ。

この質問に対しては、与党側が強く抗議。尾辻秀久委員長が「速記録を調査の上、適当な措置を取る」と引き取った。だが、引き続き質問に立った森氏は、「私の質問の趣旨がよく伝わってなかったようだ。『事実無根である』と答弁すればそれで済んだ」としれっと言ってのけた。

民主党では、出所の不明確な電子メールを根拠に今年2月の衆院予算委員会で質問した永田寿康氏が、議員辞職に追い込まれた。国会の信用低下を招いたとして、党もダメージを受けた。

週刊誌の記事を右から左に取り上げた森氏の質問は、永田氏のケースと本質的には差はないと言っていい。永田氏が本物と信じて質問したのに対し、最初から「よく分からない」と言いながら質問した森氏は、さらに悪質だと言える。

(略)

民主党にとって、偽メール問題はもう過去のことなのか。有権者が未熟な国会論戦に愛想を尽かすような事態を招くことになれば、日本政治にとっては大きな損失となる。

(吉山一輝)

読売「民主・森氏、週刊誌根拠に質問 首相憤慨/偽メール問題教訓生かせず」

マスメディアの事実誤認報道を前提とした国会質問に苦しめられることも少なからずある霞が関の住人にとっては、個人的利害のみを考えるならうれしい論調ではありますが、本当にそれでいいの、と不安にもなります。まず、この記事の趣旨を敷衍するなら、

  • 対象が政治家の個人的事象である場合に限らず、役所の組織的対応についても、週刊誌の記事のみを根拠として質問することは問題であるということになり、また、
  • 週刊誌の記事に限らず、新聞記事のみを根拠としても質問するということは問題ということになります。

いや、そうではない、役所に対してはかまわないんだとか、新聞記事ならばデスクがしっかりチェックしているのでどんどんそれらに基づいて質問してくれというなら、明らかにダブルスタンダードです。いや、そうしたダブルスタンダードに無自覚に準拠しそうな気がしてならないのですが(笑)。

でまあそのようなダブルスタンダードはないとして、報道を受けて「このような報道があるがどうか」という質問ができないとすれば、さぞかし野党は困るのではないかと、webmasterは自らの個人的利害を離れて言えば思うのです。世の中の情報の流通において、将来的な見込みについては様々な意見があるでしょうけれど、現時点においてマスメディアがその相当程度を担っていることは事実です。

となれば、政府に関する情報の相当程度の部分については、報道された段階でマスメディアのみが追及権を独占でき、野党はそれを指をくわえて見ていろ、といったことになってしまうわけです。野党の対策としては、極端なことを言えば、野党はマスメディアに対して、政府への批判に使えるようなネタは報道する前に自分のところに教えてくれ、などということをお願いしなければならないという妙なことになってしまいます。

問題は報道された事項を取り上げることではなく、吉山記者の言葉を借りれば「右から左に取り上げた」ことだとの主張もあるかもしれません。きちんと野党が独自に裏取りをしたものならば質問の材料としていいけれど、そうでなければ質問には使うな、と。確かに永田前議員のメール問題の教訓の一つは、質問の材料を吟味して変なネタには飛びつくなということでしょうけれど、それにしても段階に応じてのことではないでしょうか。

メール問題にしても、このような情報があるがどうか、という質問に対して事実無根だとの回答があり、それで終わっていればどこがおかしいのか、ということでしょう。そうした回答に対して、嘘だ、自分は証拠を持っていると言って泥沼に嵌っていったところがおかしいのであって、単に事実を確認する段階において求められる挙証責任と、政府の説明を虚偽であると追及する段階において求められる挙証責任は異なっているを考えるのが合理的でしょう。

結局のところ、本件は「よく分からないが」という言葉に安倍総理ともども吉山記者が釣られたということで、明らかに質問の核心ではないその部分を除けば、森議員の言葉として紹介されている、「『事実無根である』と答弁すればそれで済んだ」ということに尽きるとwebmasterは思うのですが、いかがでしょうか? 安倍総理がぶち切れるのは似通った立場に置かされることもあるwebmasterとしては感情的には理解できますが(だからといって感情をあらわにすることが是か非かは別問題ですが)、メディア自身がこの程度のことを問題視して野党の質問に枷をはめようとすることに加担するのは、いかにも近視眼的であるような気がしてならないのです。

本日のツッコミ(全12件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>truly_falseさん ご賢察いただけるかと存じますが、センスの悪さを否定しようとはこれっぽっちも思っておりま..]

bewaad [>peaceさん 懲罰動議はポーズ、あるいは貸しを作るための仕込みだと思いますけれどもねぇ。本気だったら、おっしゃる..]

bewaad [>talleyrandさん truly_falseさんへのお応えに半ば重なりますが、利巧か愚かかといえば愚かな話だと..]


2006-10-14

[economy]サラ金にノーベル平和賞を!

#これまでの関連エントリについては、グレーゾーン金利撤廃(出資法上限金利引下げ)問題indexをご覧ください。

今回は上限金利問題そのものというより、周辺の話題です。タイトルは半分は冗談ですが、半分はそうとばかりも言い切れない真面目な話で、というのもグラミン銀行とその創立者であるムハンマド・ユヌスがノーベル平和賞を受賞したからです。

47thさんのエントリとほぼ同じ趣旨ですが、よりブレイクダウンした形で(=長ったらしく(笑))書いてます。なお、情報の非対称性その他について触れていないがため片手落ちであることは承知しておりますが(経済学的なそのあたりの考察については、47thさんの別のエントリのコメント欄にポストされた大竹先生の東洋経済論説(経済誌に経済学の議論さんによる2006年10月11日 03:22のもの)がよくまとまっていると思います)、論旨の簡明化のためとご理解いただければ幸いです。

話の準備として、ユヌスとグラミン銀行についての皮相的評価を見るなら、次のようなものとなるでしょう。

マイクロファイナンス。これはいま、世界の貧乏人対策の希望の星の一つだ。世界中がこの方式に注目しているし、またかなりの成功例もいっぱいあって、やりかた次第ではかなり有効そうだということで、いろんなところで導入されようとしている。何をするかというと、要は貧乏人にお金を貸してあげようということだ。ふつうの銀行では規模が小さすぎるし担保も何もない貧乏人なんかにお金は貸してくれない。それを貸そう、というもの。そうすることで、元手がないから商売を広げられない、商売を広げられないから元手がいつまでもできない、という悪循環に陥っている貧乏な人たちが、自力でそこから脱出できるようにしてやろう、という仕組みだ。

これをいちばん最初にやったのは、バングラデシュの経済学の先生だったムハンマド・ユヌスという人だ。この人は数年前に来日したし、自伝は邦訳もあるし、おもしろいから読んでみるといいよ(『ムハマド・ユヌス自伝 貧困なき世界をめざす銀行家』 http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/?aid=&bibid=01587446&volno=0000)。この人は、バングラから海外に留学して経済学の先生になって帰ってきたんだけれど、経済学の講義をしているすぐ外の通りでは、飢えたホームレスたちが乞食をしていて、そのギャップにすごく心を痛めていた。自分の習ってきた経済学なんて、何の役にもたたない机上の空論じゃないか。

そういう人たちと話をするうちに、かれは貧乏な人たちが、商売の元手がないから貧乏から抜け出せないんだということを知るようになる。商売用の自転車を買いたいけれどお金がない、という男。家具つくりをしているけれど、その道具を買うのに高利貸しで借金をしたので、その返済で手元に利益がぜんぜん残らない、という女性。そういう人たちに、ユヌス教授は、ポケットマネーからほんの2000円とか3000円とかを貸してあげた。すると、みんなそれでちゃんと商売道具を買って、商売をして収入をあげて、きっちり耳をそろえてお金を返してくれた。

(略)

そこでユヌス教授は、これをもっと大規模にやろうと思いつく。まず数人をまとめて自分が保証人になり、銀行から融資を受けさせるようにした。そしてそれがうまくいったので、かれは自分で銀行をつくる。土地を持たない、特に女性を中心とした貧乏人専門にお金を貸してあげる銀行。それが開発援助の世界では知らぬもののない、グラミン銀行だ。

さて、マイクロファイナンスというと、必ずこのユヌスの話が出てきて、ほらごらん、貧乏人こそは正直で、お金をきちんと返すのです、従来の銀行や経済学の、ハイリスクハイリターン(というのは、リスクの高い投資や融資は、高い見返り、つまりは金利をとらなきゃやってられないよ)という常識がいかにまちがっているかがよくわかりますね、なんて言う人がいる。そして貧乏人に積極的にお金を貸すなんてすばらしい博愛精神、なんてことを言う人もたまにいる。

山形浩生の『ケイザイ2.0』/第21回 マイクロファイナンスと、高利貸しのポジティブな役割――バングラデシュのグラミン銀行の場合(1/2)

このグラミン銀行と日本のサラ金とを比較した場合、多くの人は貧乏人に救いの手を差し伸べるグラミン銀行に対して、貧乏人からその手に残されたわずかな金をもむしりとるサラ金という構図を描き、その志のありようの違いに憤ったりするのではないでしょうか。しかし、現実というのはそれほど単純な話ではありません。山形さんの記事の続きを見てみましょう。

でもこの話をきいて感動している多くの人が誤解していることがある。それは、別にグラミン銀行だって慈善でやってるわけじゃない、ということだ。いやいや、かれらだって基本は営利企業。しかも、かなり儲かっている営利企業だ。バングラデシュに行って、グラミン銀行を訪れてみると、そこは巨大なグラミンビルだ。立派だよ。中でつとめている人は、ぼくなんかよりずっといいラップトップをつかってやがる。生意気な。

そして、お金を借りている貧乏な人たちは、別にだまっててもホイホイとお金を返してくれているわけじゃない。また、グラミン銀行も、そんなに甘いところじゃない。かれらはかれらなりに、ちゃんとお金が戻ってくるような手だてを講じている。

それは相互監視システムだ。

いまのグラミン銀行は、一人で「金貸して」と言ってもお金を貸してくれない。必ず五人組みたいなグループを組織させる。そいつらにそれぞれ一定額の預金をさせることもある。そして、その5人の中のたとえば2人とかにまずお金を貸して、でも返済はその5人の連帯責任。返済は、毎週取り立て人がやってきて、その5人を集めて連帯で返済させるのだ。借りてる人が返せないと、残りの人たちが血相変えて、おまえの努力が足りない、商売をああやってみろ、こうやれ、と相互に指導をしあったり、営業をだれかが引き受けたりとやって、とにかくそいつが返せるようにもっていく。さもないと最終的には自分たちがツケを払わされる。

確かにこのシステムはすごい。バングラデシュでは一般の銀行の融資の数割がこげついて不良債権化していると言われるけれど、グラミン銀行の利用者は、期日通りの返済が九割を超えている。でも、それは貧乏人が正直だから、かどうかはよくわからないし、グラミンもそんなのをあてにはしていない。

これが成立するのは、グラミンがさっきも言ったように、もっぱら農村部の女性をねらっているからだ。コミュニティがあるため、相互監視がよく効く。さらに、家庭があるので女性は逃げられない。だから村八分にならないためには必死で働くしかない。それと、みんなのローンみたいな消費用の融資じゃなくて、商売用の融資が基本だからこうなります。でも、人によってはとてもきつい立場に追い込まれることはある。これまでは借金取りにいじめられたら、みんなが同情してくれただろうけれど、こんどはそのみんなが借金取りになってるんだから。「グラミンなんか使わない、あんなところで借りたらおしまいだ」というような声も一部にはあるそうだ。

山形浩生の『ケイザイ2.0』/第21回 マイクロファイナンスと、高利貸しのポジティブな役割――バングラデシュのグラミン銀行の場合(1/2)

サラ金では連帯保証が問題になることも多いですが、グラミン銀行がやっていることはまさに同じです。といいますか、もっとえげつない。加えて「一定額の預金をさせる」とは、事実上担保を求めているに等しいといえます。ひどいじゃないか、そんなことをしなくても貸してやればいいじゃないかとお考えの向きもあるかもしれませんが、もしこのような連帯保証がなければどのようなことになるか、さらに続きを見てみます。

さらに、ときどき貧乏人相手の融資だから金利なんてほとんどゼロだろう、と思っている人もいる。そんなことないのだ。年率名目金利で20-25%くらいかな。日本のサラ金より高いよ。

ただ、この年率25%の金利、という数字だけを見て、ああこいつらは高利貸しだ、サラ金だ、という印象を持つのはまちがっている。高い低いはすべて相対的なものだ。この25%のローンがなければ、この人たちがお金を借りる相手は、本当にすさまじい高利貸ししかいない。そこでの高利というのは、年率100%、200%の世界。これに比べれば、グラミン銀行の25%というのはもう神様みたいな低利だ。

山形浩生の『ケイザイ2.0』/第21回 マイクロファイナンスと、高利貸しのポジティブな役割――バングラデシュのグラミン銀行の場合(2/2)

名目金利の水準そのものを比べるわけではありません。おそらく日本経済とバングラデシュ経済との間に存するであろう資本の限界生産性の差を考えれば、グラミン銀行の利率はおそらく日本では半分以下に相当するでしょう。金利水準においてグラミン銀行がサラ金よりも借り手に優しいとは断言して差し支えありません。

ここで注目すべきは、「この25%のローンがなければ、この人たちがお金を借りる相手は、本当にすさまじい高利貸ししかいない。そこでの高利というのは、年率100%、200%の世界」という部分です。バングラデシュの高利貸し事情に詳しいわけではないので推測ですが、高利貸しはグラミン銀行のような連帯保証に相当する五人組やら預金担保の差し入れやらをさせない「優しさ」ゆえに、金利では「優しくない」ことになってしまっているのでしょう。

しょせん、金利はリスクの対価です。金利というとわかりづらい面はありますが、以前書いたように信用の売買だと考えれば、通常の売買と同じように理解可能です。中古屋に何らかの中古品の買取を求める場合、ヴィンテイジかどうかといった要素がないと仮定するなら、すぐに故障する不良品でない確率が高い新品に近いものほど高く買い取ってもらえるし、古いものほど安く買い叩かれます。メイカーの保証書付きなら高くなりますし、なければ安くなります。

それと同様に、借金とは、「○年○月○日に×円を支払います」という証文をいくらで買ってもらえるか、ということであって、不良品=不良債権でなく書いてあるとおりに支払う可能性が高いと判断されるものは高く買い取ってもらえるし、そうでなければ安くしか買い取ってもらえません。1年後に100万円を支払うという証文を90万円で買い取ってもらえるなら年利11%(=100/90)、80万円なら年利25%(=100/80)、以下同様に安くなる=高金利になる、ということです。

#この例えで言うなら、上限金利規制とは、20%を上限とする=83万円(=100/1.2)以下での買取を禁止する、ということになります。その結果、83万円よりも安くていいから売りたいという人は買い取ってもらえなくなる=お金が借りられなくなるのです。

グラミン銀行の優れたところは、この文脈で言うなら、単に無担保・無保証というのであれば100%以上の金利がつく、先の例で言えば買い取り価格が50万円の証文を、80万円で買い取っても利益が出るシステムを作り出し、広く買取をおこなったということになります。50万円以下の買取では返済のめどが立たず売れない(=借りられない)ような人でも、80万円なら売ろうと思い、売った代金でいい思いをする、という好循環を作り出したがゆえに評価されているわけです。その仕組みは、先の例で言うならメイカー保証があるので高く売れるのと同じように、不良品でなくなるよう保証人を集めた、ということが大きいといえましょう。

#借りた資金を元手に行う事業の指導ですとか、他の面ももちろんあります。そのあたりについては山形さんの記事の全文をお読みいただければ。

事業性金融のグラミン銀行に対する消費者金融のサラ金という違いはありますが、この議論の本質は日本に持ってきても同じことです。サラ金の連帯保証や、最近話題になったものとしては団体信用生命保険は極めて評判が悪いのですが、それらなくしては買い取り価格はより低いものにならざるを得ませんでした。上限金利規制がなければもっと金利が高かったということになりますし、上限金利規制のしたでは借りられないということになります。グラミン銀行がノーベル平和賞を受賞できるなら、同様に相対的に低金利での資金供給拡大を可能とするスキームを考えたサラ金だってノーベル平和賞を受賞したっていいじゃないか、というのは一面の真理は含んでいるのです。

#現にこの連帯保証スキームがもたらす過剰取立ては、インドにおいて社会問題化しているようです(サラ金と同じですなぁ。ちなみにリンク先は、これまた山形さんによるThe Economistの記事の紹介です)。

違う見方をするなら、得てしてサラ金の高金利に反対する人は連帯保証や団体信用生命保険にも反対するわけですが、矛盾した主張であるという指摘はせざるを得ません。連帯保証人を5人でも10人でも集めさせて低利で貸せというか、それとも金利を高くして連帯保証を取ることをやめろというか、いずれかでなければ整合的ではないのです。ま、そうした主張をする人々が念頭に置いているのは、連帯保証等がなくてももっと安い金利で貸せるはずなのに、それをせずに不当に搾取し、その結果大儲けして笑いが止まらないというサラ金像でしょうから、その限りにおいては整合的なのでしょうけれども・・・。

#そのような超過利潤をサラ金が得ているかどうかについては、svnseedsさんの考察が参考になります。結論としては超過利潤を得ている可能性があるというものですが、上限金利規制がある以上、現時点の特殊な金利環境の反映ではないかという気がします。合理的な見通しをサラ金経営陣が持っているのであれば、今後金利上昇があれば利鞘は縮小の一途をたどらざるを得ないと判断し、その時期を乗り切れるだけの内部留保を溜めるため今のうちに稼いでおこう、と考えるはずだからです。

[economy]フェルプスの業績とリフレ政策

フェルプスのノーベル経済学賞受賞を受けて、リフレ政策推進の立場からNAIRUに注目が当たれば、なんてことを書いたのですが、この点について日経の経済教室で清水啓典先生が興味深い指摘をなさっています。

フェルプス教授の中心的業績は、1960年代末に発表されたインフレと失業に関する一連の研究である。その業績は、今日では世界的に一般化したインフレ目標政策のような、期待を重視するマクロ経済政策につながっている。(略)

現在、世界の中央銀行ではインフレ目標政策の採用が一般化し、低インフレは経済効率を向上させ、雇用最大化や成長促進など、他の政策目標を達成するための手段でもあるとされている。バーナンキ米連邦準備理事会議長が目指すこの政策も、失業とインフレ率に関するフェルプスの発見に源を発している。

(略)

見方を変えれば、フェルプスの受賞は現在のマクロ経済運営の成功が評価されていることにもなる。日本でも、人類の英知の成果を享受する形で政策運営がおこなわれることを期待したい。

日経「ノーベル経済学賞にフェルプス氏/失業・インフレの関係解明/「期待」「情報」に注目/マクロ政策運営の支柱に」(10/13付経済教室)

フェルプスの業績の詳細や真価を承知しているわけではないので、清水先生のおっしゃることの妥当性をwebmasterは判断できませんが、妥当であるとすれば、このような方向での議論が盛り上がることを期待したいと思います。

本日のツッコミ(全36件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>cloudyさん 情報提供ありがとうございます。理由は書いてありませんが、多分利子を取ることなんでしょうねぇ。]

M [現在の日本でグラミンのやり方が通用するのか・・・?]

bewaad [>Mさん 山形さんはご自身のblogで、例えば宗教を活用するなんてことをおっしゃっていました。要するに何らかのかけが..]


2006-10-15

[politics][government]質問レクの人数

既に多くの人が知るところだとは思いますが、国会質疑に先立って質問レクがおこなわれ、質問者がどのような内容の質問をするか、担当者が情報を取りに伺います。これにより、答弁に立つ大臣等は単なる個人的見解ではなく、組織の長として責任ある答弁ができるようになっているわけです。これについて、気になる報道がありました。

経験不足、能力不足の安倍首相をフォローするために、官僚が大量動員されている。

野党議員が国会質問する時、大臣が答弁につまらないように、官僚が前日までに野党議員の部屋を回って質問の内容を確認する“質問取り”は、永田町の慣例。この質問取りに異常な数の官僚が投入されているのだ。

民主党の高橋千秋参院議員が、メルマガでこう暴露している。

〈さて、その質問のために先週質問通告したところ、関係省庁の役人が質問のヒアリングに来ました。どの委員会でも質問通告をすると、その答弁を書くために各役所の人間が質問取りと言って、大臣の答弁が困らないように事前に調べに来るわけですが、通常の場合は多くても10人くらいです〉〈それが昨日は、いっぱい来るので部屋には入らないから、通常、議員総会をしている第5控室という非常に広い部屋を借りて行うということになりました〉〈時間通りその会議室に行くと、なんと100人もの役人が座っているのです。「なにっ、これっ! なんかの大会?」と思わず口走ってしまいましたが、いくらなんでもこれだけの人数が来ることないのに〉〈安倍新総理や他の新大臣の答弁に不安があるため、こんなにたくさんの人が来たそうです〉

自分ひとりの力で答弁できない男を総理にしていいのか。

livedoor ニュース(ゲンダイ)「安倍首相の国会答弁官僚100人動員」

ここでの指摘がおかしいのは、質問レクに人数を割いたところで総理や大臣の助けにはならない、ということです。答弁の際であれば、事前に想定していなかったような脱線があった場合に対応するため、サポートとして多くの頭数を揃える、ということはあり得ます。しかし、どういう質問をするかを聞いて帰ってくるのに、1人でできるなら複数で行くことには何の意味もないのは当然です。

webmasterの経験でも、わざわざ人数を数えたりはしないので目計算ですが、100人程度の規模の質問レクはありました。どういう状況においてそのような規模のレクになるかといえば、さまざまなテーマについての質問をする場合、ということになります。先ほど申し上げたように各担当が接触しますから、テーマが増えればその数に比例して担当者は増えるのは必然です。

#なんでわざわざ担当が行くかといえば、議員の質問内容がよくわからないような場合に、その場で聞くべきことを聞いて趣旨や関心を確認するのは、担当でないと難しいからです。

では、高橋議員はどれだけのテーマを取り上げたのでしょうか。だいたい1時間6分の質疑でしたが、議事録がないので当該委員会のネット中継を聞いたところ、次のような内容でした。

  1. 北朝鮮核実験問題
    (答弁者)総理大臣、外務大臣、官房長官
  2. 「美しい国」
    (答弁者)総理大臣
  3. 障害者自立支援法
    (答弁者)総理大臣、厚生労働大臣
  4. 地方の医師不足
    (答弁者)総理大臣、厚生労働大臣、文部科学大臣
  5. 三位一体改革・市町村合併
    (答弁者)総理大臣、総務大臣
  6. 郵政民営化
    (答弁者)郵政民営化担当大臣(総務大臣)
  7. 少子化の年金制度への影響
    (答弁者)総理大臣
  8. 消費税
    (答弁者)総理大臣

一つのテーマでも複数の担当がいることもありますので(大きなテーマであれば、当然ながら分割した細目に各担当が張り付きます)、1テーマあたりの担当者数を3人と仮定しましょう。総理大臣や官房長官の答弁は担当省庁が書きますので、担当大臣が答えているかどうかにかかわらず担当の数は変わりませんが、それ以外の各大臣の場合はそれぞれの省庁の担当が書くので、この場合は増えます。また、各省庁の国会連絡室(国会関係の窓口部署です)の職員も同席しますので、こちらは2人と仮定します。この前提で概算すると、

  • 3×9(=テーマ数+1(「地方の医師不足」における2省))+2×7(内閣官房(総理・官房長官)、外務、厚労、文科、総務、郵政、財務)=41

となります。随分少ないなぁ・・・空振り(=質問レクの段階では質問するとされていながら、時間の関係などで実際には質問されなかったこと)があったにしても、半分空振りということは滅多にありませんが、そうだとして単純に倍にしても100人には届きません。80人いれば目計算では100人だと認識することもあり得るかもしれないけれど、などと考えながら原文である高橋議員のメイルマガジンを見たところ、さもありなんという表現が。

(略)結局それだけの人数が来て、しゃべったのは数人でしたが、それだけヒマなのかと思ったら、安倍新総理や他の新大臣の答弁に不安があるため、こんなにたくさんの人が来たそうです。構造改革はこちらに必要なんじゃないでしょか・・・?

私の質問はほとんどアドリブだから、事前に来てもあまり意味はないんだけどなぁ・・・

参議院議員 高橋千秋/まるまる通信 #400 2006・10・9(webmaster注:強調はwebmasterによります)

ということは、質問レクに先立って受け取る質問要旨(これを見て誰が質問レクに行くかを決めます)がアバウトで、十分な担当の絞込みができなかったのでしょう。例えば質問要旨に「少子化と年金」としか書かれていなかったとすれば、ひょっとしたらうちに関係あるかも、という可能性を思い浮かべる担当は二桁に上ることでしょう。

逆に言えば、高橋議員がアドリブでなくきちんと事前に質問の内容を固め、それを見れば必要な担当がきちんと絞り込めるような質問要旨を配布するなら、せいぜい先の試算の41人程度、内容によってはもっと少ない人間しか質問レクに行く必要はなかったはずです。レクに行く人数を減らすために構造改革が必要なのは、あなたの質問レクの仕方なのです>高橋議員。

本日のツッコミ(全1399件) [ツッコミを入れる]

Before...

WinstonOl [As we all understand an unhealthy lifestyle can lead to a ..]

Williamadog [Fan-cover is a principal part of a folding fan, the materi..]

Williamadog [Fan-cover is the principal part of any folding fan, the ma..]


2006-10-16

[economy]続・サラ金にノーベル平和賞を!

#これまでの関連エントリについては、グレーゾーン金利撤廃(出資法上限金利引下げ)問題indexをご覧ください。

前回のエントリについて、池田信夫さんから次のような論評をいただきました。

追記:マイクロファイナンスをサラ金と混同する人もいるが、ここで書いたように、グラミン銀行のシステムは村落共同体を基礎にしているので、都市では機能しない。むしろ日本の問題は、伝統的な相互扶助システムが崩壊したのに、そういう感覚で安易に親戚の連帯保証人になる人が多いことだ。日本では、もう関係依存型ファイナンスが成立する条件はないので、こういう「人的担保」についてもルールを厳格化すべきである。

「高利貸しが最貧国を救う」(@池田信夫 blog10/15付)

#名指しはされていませんが、リンク先が当サイトの前回のエントリです。

読み手がテキストをいかように解しても読み手の自由ですから、池田さんにとって混同であるというならばそれはそうなのでしょう。しかしながら、読者の多い池田さんの言葉が独り歩きするとすればさびしい気もしますので、改めてエントリの趣旨を整理し、webmasterがグラミン銀行の事例とサラ金とを混同しているのか、それとも共通する何かを見出したのか、どちらなのかについての皆様の判断の材料を提供したいと思います。その上で、webmasterの主観と池田さんの評価のいずれが妥当か読者のご判断に委ねたいと思います。

前回のエントリでwebmasterが書いたことをまとめるなら、次のとおりです。

  1. グラミン銀行がバングラデシュの既存の資金供給者よりも貧困層に対して低利資金を融通できたのは、連帯責任の導入により貸倒損失の圧縮に成功したことが一因である。
  2. 同様の効果は、日本において批判の多いサラ金の連帯保証や団体信用生命保険においても生じており、それらがなかったとすれば、より高金利での資金融通(上限金利規制下においては供給の縮小)につながったはずである。
  3. したがって、グラミン銀行が高い評価を受けるならばサラ金もそれなりの評価を受けるのが整合的で、よくあるサラ金の高金利と連帯保証等を同時に批判することは矛盾している(矛盾しないのは、リスクに見合わない高いリターンを確保している場合に限る)。

混同とおっしゃるのはこの2番を指してのことでしょうけれども(3番も?)、ここでは同じ考え方で整理可能だとしているだけで、同じものだなどということを申し上げているわけではありません(もっともわかりやすい証拠としては、連帯保証のみならず団体信用生命保険について言及している点です)。念のため、当該部分を再掲します。

事業性金融のグラミン銀行に対する消費者金融のサラ金という違いはありますが、この議論の本質は日本に持ってきても同じことです。サラ金の連帯保証や、最近話題になったものとしては団体信用生命保険は極めて評判が悪いのですが、それらなくしては買い取り価格はより低いものにならざるを得ませんでした。上限金利規制がなければもっと金利が高かったということになりますし、上限金利規制のしたでは借りられないということになります。グラミン銀行がノーベル平和賞を受賞できるなら、同様に相対的に低金利での資金供給拡大を可能とするスキームを考えたサラ金だってノーベル平和賞を受賞したっていいじゃないか、というのは一面の真理は含んでいるのです。

サラ金にノーベル平和賞を!(10/14付)

同じ考え方で整理することと同じことだと考えることの違いは、それによって誤りを導いてしまうかどうか、ということでしょう。日本の連帯保証とグラミン銀行の連帯責任はバックグラウンドが同じだ、としてしまえば池田さんご指摘のように同じでないのですから混同による誤りです。他方で、それぞれが持つ貸倒損失を減らすような仕組みは金利を下げる効果がある、というのは混同ではないわけです。それを受けての考察について、例えば上記で言えば3について、それはおかしいといった批判はあり得るでしょうけれど、混同というのとは筋が違うでしょう。

例えばスポーツにおけるオフサイドというものを考える際、サッカーにもラグビーにもオフサイドの反則はあるわけですが、ラグビーにおいてボールを持つ選手より敵ゴールに近いところ(=オフサイド)にいる選手が動かなくても、パスの受け手にならない限りオフサイドの反則にならないとするのは、サッカーのオフサイドルールとの混同により生じる誤りです(ラグビーにおいては、オフサイドにいる選手はオンサイドに向かって移動しなければなりません。オフサイドにいる選手がパスの受け手になることは、オフサイドの反則以前にスローフォワードに該当します)。

しかしながら、いずれも敵味方がつばぜり合いを繰り広げる場所を作り出すという効果は同じではないか、という主張をすることについて、サッカーとラグビーのオフサイドルールを混同しているとの指摘は当たりません(その主張に対する別の批判はあり得るにせよ)。ここまでが2番に相当しますが、まして3番、例えば、オフサイドの反則があるからこそ単調なロングボールの供給合戦にならず面白いんだよね、という部分についてはなおさらでしょう。

#オフサイドの話を出したついでに脱線しますと、フットサルやバスケットボールにおいてオフサイドの反則がないのは、その明確な説明を寡聞にして見たことがないのですが、ルール上認められるパスにより稼ぐことが可能な距離に比してコートが狭いため、オフサイドの反則をとらなくてもコート全面が「つばぜり合いを繰り広げる場所」になり得るからではないか、と思ってます。

[misc]セーラー服と短機関銃

演技力への評価はともかく、これまでルックスについては他の同年代女優と比べ好みというわけではなかった長澤まさみですが、金曜日のセーラー服と機関銃にて、学校で堤真一らを迎えるシーンの壊れた眼鏡が斜めになっている顔はよかったなぁ・・・。

それはさておき本題ですが、冒頭に流されたシーンでの「機関銃」の乱射、どうみても機関銃(マシンガン)ではなく短機関銃(サブマシンガン)でした。見た瞬間はMP40かな、と思ったのですが、ぐぐってみると薬師丸ひろ子主演の映画版ではM3だったとのこと。原作は未読ですが、こちらもそうだったのかな、両者の違いが見ただけでわかるほど知識もないし、そもそも原作の設定がそうなのかな?

・・・などと考えながら、先のMP40のリンク先(Wikipedia)をよく見たら、「エルマ・ベルケMP40短機関銃の登場するメディア作品」として、セーラー服と機関銃(2006年版)との記述が。webmasterの鑑定もまんざらではないなぁといいますか(ほとんどまぐれ当たりですが)、仕事が早っ!

ちなみに、今クールは今年一番のドラマ豊作だと思いますが、初回を見た限りでwebmasterが最も期待するのは嫌われ松子の一生です。まだ初回を迎えていない話題作としては、今日ののだめがありますが、好みで言えば上原美佐が出ますし(笑)、主役に上野樹里というキャスティングは大いに期待を膨らませてしまいます。でも、番宣を見る限り、過剰にマンガ風の演出をしていそうでちょっぴり不安。

本日のツッコミ(全19件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>一国民さん 初回を見ましたが、思ったよりは漫画風演出も目に付かず、まずは無難な立ち上がりかな、という気がしました。..]

梶ピエール [>「連帯責任かどうかは返済率に(したがって結果的に金利レベルにもということになると思いますが)影響を与えない」  私..]

bewaad [>梶ピエールさん 情報提供ありがとうございます。だとすると低金利を可能とするのは何なのかな、というのが気になりますが..]


2006-10-17

[law][government][economy][book]稲葉振一郎、立岩真也「所有と国家のゆくえ」

既に(少なくともwebmasterの巡回先では)多くの人が取り上げていらっしゃいますが(全体を俯瞰するには、svnseedsさんのエントリをご覧いただくのがお薦めです)、そのほとんどは経済の話と障碍者の話に重きが置かれていますので、この段階で取り上げる以上、そこから零れ落ちている論点を取り上げたいと思います。つまりは所有の、それも法的な理解についてです。

といっても、実はwebmasterが書こうとすることの本質は、svnseedsさんが読了前の時点で前駆的に取り上げた別のエントリにおける山形浩生さんの次のコメントに尽きています。

山形

結局誰かがあるものについて所有権を持っているかどうか、という問題は原理的に程度問題でしかない、ということになる。

……あたりまえじゃないですか。権利なんてお約束でしかないんだから。ぼくが目の前のポテチをくっちまったら、権利がどう騒ごうとそれは二度と戻ってこなくて、所有権なんてのはその補償をするのしないのという議論を、いちいち殴り合いせずに解決するために社会の人々が社会の中で決めたルールでしかない。そしてその「所有権」だって、フリーホールドから地役権から利用権からとりあえず手元にあるというだけの状態から、いくらでもレベルはある。それを無視して、突然いきなり絶対的な「所有権」なんてものが程度もなにもなく、シロかクロかで何やらドーンと実体的に存在するかのごとき議論は、顧みる価値のない空論にしか思えない。もし立石的所有論(ママ)が、所有権に程度問題を認めないようなしろものであるなら(稲葉大人の書き方はそう読めます)、それは権利バカの妄想以上のものではありえないように思うのですが。』

「所有について考えることの面白さについて」(@svnseeds’ ghoti!9/2付)における山形浩生さんのコメント

立岩先生の議論を読んでいないと公言されている山形さんですが、的確な把握であると思います。そうであることが端的に表れている部分を本書から抜き出せば次のとおりです。

立岩 それから所有の不可避性みたいな話に関しては、一つだけ付け加えておくとすれば、これも書いたことだけれども、近代における所有権は、単に財が個々人に配分されるというだけでなく、いくつかの特徴をもっています。総じて強い権利であり排他的な権利です。

(略)それとの比較で言うと、そういう排他的な、そして独占的な権利を個々人に付与している社会はたぶんそうはないはずなんです。

(略)

ただその上で、このことをどうとるかですよね。実際には、「即自的」な共同性というよりは、かなり自覚的で複雑で繊細な仕組みがあったりする。(略)

比べてわれわれの社会の所有権は単純なんです。完全に分割してしまうんですから。(略)それから共有ということに関しても、自然環境のことで取り上げられたりしますけど、入会地ってあるでしょ。成文化されていない決まりも含め、たとえば使っていいけど処分しちゃいけないとかね、どのぐらい使っていいとか、微妙な決まりがあったりする。(略)ぼくはちょっとそういうタイプの人間ではなくて、遠くへ行ったり昔のことを知ったりっていうことはあんまりやってこなかったし、これからもたぶんしない人間だと思うんで、あんまりたいしたことは言えないんですが、補足として付け加えておきます。

pp45-47

「遠くへ行ったり昔のことを知ったり」もされた方がいいのではないかと思うのですが、最低限現状ぐらいは踏まえた議論をしましょうよ、と。上記引用に続く部分で稲葉先生が土地や金融においては所有といってもあれこれ複雑ですよ、ということはご指摘なのですが、そういう部分において例外的に複雑なのではなく、所有権(と所有という言葉の使い分けは若干気になりますが、含意の有無は確認できないので、意味の違いはないとみなして議論を続けます)そのものの本質にかかわる部分で「単純なんです」と言い切れるような代物ではありません。

例えば、「使っていいけど処分しちゃいけない」のは、抵当に入れられた不動産がそれに該当します。不動産は複雑だと稲葉先生はしているわけですが、動産ならば登記できないので担保提供するなら質入れ、つまりは所有していても使うことすらできない状態になってしまったりするわけで、立岩先生が想定されているであろう「単純」なものではありません。所有権とは、それが有する各種の効果から帰納的に画されたものであって、それぞれの効果は個別に適用が判断されるもの。所有権は葵の御紋ではないのです。

#例外的に登記(ないしそれに類似する行為)ができる動産もありますが、捨象します。

登記を言うなら、登記とは第三者対抗要件を具備するために行うものですが、第三者対抗要件とは所有権の移動などを文字通り対抗する=認めさせるための条件です。AさんがBさんに不動産を売却した後、その登記がなされる前にCさんにも売却してしまった場合、Cさんが登記をしてしまえば、Bさんが所有するこの不動産はその旨の登記がなく、その所有権をCさんに対抗=認めさせることができないので、Cさんのものになってしまうわけです。

動産になってしまうと、先に触れたように登記ができないので、第三者対抗要件は引渡しとなりますが、構造は同じことです。所有権が絶対だというならば、なぜAさんはCさんにBさんの所有物を売ってしまうことができ、BさんはCさんから所有者は自分だと言って取り戻すことができないのでしょう?

#この場合、Bさんは損害賠償を請求することはできます。為念。

まだこれらの場合においては、Cさんは代金を支払ったという汲むべき事情はあります。では、取得時効はどうでしょうか。取得時効とは読んで字の如く、自分のものでなくても一定期間自分のものであるように見える状態を継続したならば、嘘から出た真で本当に自分のものにしてしまえる、ということになります。本来XさんのものなのにYさんがずっと我が物顔で使っていたらYさんのものになっちゃうなんて、Xさんの所有権は絶対でも何でもありません。

こうした諸制度の存在理由を論じた研究を積み上げればどこまで高くなるかは知れたものではないのですが、基本は取引の安定確保といい、長期間存続した事実関係の尊重といい、つまりはその方が世間がうまく回るから、ということが基本です。所有権といえども、いろいろ想定される対人関係かくあるべし、との判断が先にあり、その反射的に認められることとなった(さらにいえば権利と名付けられた)ものに過ぎないと考えられるわけです。

この点についてスタンスの違いを明確にするなら、次の部分を引くのが格好でしょう。

稲葉 (略)実はぼく自身のつもりとしては、この『「資本」論』という本において大事なのは前半で──それは自分にとってであって(笑)、他人がどう読むかは勝手なんですが──後半は、ときおり上すべりなアジテーションに走っててまずいなという危機感があるんです。

なぜ前半が自分にとって重要かというと、まずこれは第一回の対談のときに強調したことですが、所有と市場はイコールではないし、区別して考えるべきであって、なおかつロジカルに見て所有の方が市場より前にある、所有が市場の前提である。「市場なき所有」というのは十分に考えられる、だけど「所有なき市場」というのは、かなりトリッキーで、ふつうはあまりそういうことを言っても意味がない、ということを考えておりまして、そこの区別をつけたいということでごちゃごちゃやってるのが前半です。

p68

立岩先生のご主張を論ずるに稲葉先生の著書の自評を引くのもなんですが、この見解は共有されているようですので。で、webmasterは所有が市場の前提であるというのは違うのではないかと考えています。市場というものを近現代の資本主義的経済システム下におけるそれと狭く定義するならばそういうことかもしれませんけれども、既述のようにあくまで対人関係が先にありきと捉え、各人が何らかのつながりを有するモノを巡ってどのような関係性を構築するかによって権利が定まるとする立場から、モノを媒介に複数の者が交わる場を市場と観念するなら、市場があってはじめて所有が定まるとすることの方がロジカルなわけです。

さらに言うなら、先に立岩先生が近代的所有権との対比で入会権について触れているわけですが、それらが「所有権」「入会権」と名付けられ分かたれる前においては、渾然一体となったヒトとモノとの多様な関係性の表象の違いでしかなかったと考えられます。この辺り、ちょうど今読んでいる白田秀彰「インターネットの法と慣習」のp105で紹介される加藤雅信「「所有権」の誕生」を読んだ上で本来は物申すべきだとは思うのですが、とまれ、では、立岩さんのオリジナリティはどこかと言いますと、議論が所有する能動的な主体から始められるのではない、というところが第一のポイントです(p23)という割には、そこで対照的な所有論として掲げられているロックやノージックの議論の土俵に(メタ的には)乗ってしまい、まず所有ありき、になってしまっているのではないでしょうか。

乱暴な連想であることを承知で申し上げるなら、こうした姿勢は次のような話を想起させます。

アーラヤ識は刻々と更新され変化する。これは、バラモン思想において説かれるアートマン(自我)のような恒常不変の実体ではない。しかし、ひとはこれを自我と誤って執着する。この誤りもこころのはたらきである。これは、通常のこころの対象ではなく、アーラヤ識を対象とする。また、無我説に反するこころのはたらきである。そこで、この自我意識は「末那識」(まなしき)と名づけられ、独立のものとみなされた。

「9. 唯識派」(@インド思想史概説)

ここで言うアーラヤ識が「市場」におけるヒト・モノ関係で、「自我」が所有だと。この誤りをもたらす「こころ」もまた次のようにあり、立岩先生の苦悩はこの意味では悟りを目指す苦悶でもあるような。

つまり、あなたには権利がある、それは私らが承認することによって初めて発効する、しかし、そういうわれわれの恣意・価値とは別個にその人に権利があると言いたい。次に、そう思いたい、考えたい私たちの気持ちというか価値というものは事実として──その根源がどこにあるかはわかりませんが──あるって言えるんじゃないか、ということを書いたり考えたりしているっていうところです。

p194

[economy]あの人とwebmasterの見解が一致(笑)

#これまでの関連エントリについては、グレーゾーン金利撤廃(出資法上限金利引下げ)問題indexをご覧ください。

「あの人」とは福井秀夫先生ですが、福井先生のご主張に対してwebmasterは折に触れ異論を唱えてまいりました。この宿命のライヴァル(笑。先方には存在すら認知されていないでしょうけれど)の間に見解の一致が見られるとは!

◇引き下げは俗論迎合 円滑な融資を妨げる−−政策研究大学院大教授・福井秀夫氏

多重債務者の救済が緊急の課題であることに異論はない。しかし、それを上限金利の引き下げで解決しようとするのは効果が乏しく副作用のみ大きい。上限金利のない英国に比べ、上限のある仏独の方がかえって多重債務被害は深刻だ。少なくとも高金利が多重債務者をもたらすという相関関係は見当たらず、グレーゾーン金利(年20〜29・2%)の撤廃は問題解決にならない。むしろ円滑に融資を受け、返せている健全な借り手をむち打つものだ。

消費者金融に限らず、金融機関は一定の確率で貸し倒れが起きるリスクを含めて金利を決める。リスクはコストであり、その分散は保険同様重要だ。強制的に引き下げれば、業者は返済リスクの高い顧客を排除せざるを得ないから「信用収縮」が発生する。

金利規制の影響を試算したところ、平均貸出金利が年18%になれば、消費者金融の利用者950万人のうち59%が貸し渋りにあい、36%が貸しはがしの対象になる。(略)「低所得者は金を借りなければいい」という声もあるが、それを一律に法で強制するのは、疾病リスクの高い患者に健康保険加入を認めないようなものだ。

多重債務を抱え、債務整理に追い込まれる利用者は全体の10%程度。金利下げは、その救済にすらならず、大多数の健全な借り手と国民経済に打撃を与えかねない。はじき出された利用者は、5兆〜8兆円が必要とも言われるセーフティーネットの対象になる。(略)

(略)明確な根拠を示さず、「金利を下げる」という聞こえのいい政策を訴えるのは俗論への迎合だ。禍根を残さないためにも、臨時国会ではデータに基づく、冷静な議論を期待したい。【構成・赤間清広】

毎日「闘論:グレーゾーン金利撤廃 宇都宮健児氏/福井秀夫氏

これまで福井先生は本件についてあまり積極的にはご発言はされてこなかったようですが、これを機に様々な場でご主張いただければ(とりわけ、試算の詳細など)、と思います。さらに申し上げるなら、せっかく盟友とも言っていい八代先生が経済財政諮問会議の民間議員にご就任なのですから、諮問会議でも同様の議論がなされるよう、働きかけられたりしてはいかがでしょうか。

[WWW]少佐の予算要求演説の保存に手を挙げてみる。

pogemutaさんの跡地にて次のようなエントリが。

>『少佐の予算要求演説をどこかに残して!』(出入りの有識者 様)

ここはいずれ消滅しますが、どこかひきとって下さる公務員系ブログがあればそこに。

どなたかいらっしゃいますか?

「色々回答(随時加筆)」(@なにかがあったところ2100/10/15付)

既にqh-nuさんが立候補されていますので、先着順1サイト限定ということでしたら速やかに辞退させていただきますが、複数先に許諾いただけるのであればよろしくお願いします。グーグルキャッシュからも消えているようですので、ご回答はここのコメント欄にお寄せいただかなくとも、webmaster宛にテキスト込みでメイルいただければそれで結構でございます>pogemuta様。

[comic]現在官僚系もふ・第69話

ついにもっともらしい(と作中ではされている)異動の理由を考えることも放棄しちゃいましたねぇ。

本日のツッコミ(全13件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>アルベルトさん とすると、例えばサラ金が競争状態にあるとして、取引履歴の充実による与信枠拡大なんかは、顧客を囲い込..]

アルベルト [確かにそうですね。サラ金にはご指摘の面が間違いなくありますし、グラミンでも返済実績を積むとある程度は与信枠が拡大しま..]

bewaad [>アルベルトさん ノーベル賞受賞を受けて、経済セミナーあたりで特集をやってくれると、そのあたりの研究についてもわかり..]


2006-10-18

[politics][economy][book]権丈善一「再分配の政治経済学I/日本の社会保障と医療(第二版)」

ちょうど昨日、奈良県で分娩中の妊婦が脳出血で死亡したといういたましい事件が明らかとなりました。

奈良県大淀町立大淀病院で今年8月、分べん中に意識不明に陥った妊婦に対し、受け入れを打診された18病院が拒否し、妊婦は6時間後にようやく約60キロ離れた国立循環器病センター(大阪府吹田市)に収容されたことが分かった。脳内出血と帝王切開の手術をほぼ同時に受け男児を出産したが、妊婦は約1週間後に死亡した。遺族は「意識不明になってから長時間放置され、死亡につながった」と態勢の不備や病院の対応を批判。大淀病院側は「できるだけのことはやった」としている。

(略)

緊急治療が必要な母子について、厚生労働省は来年度中に都道府県単位で総合周産期母子医療センターを指定するよう通知したが、奈良など8県が未整備で、母体の県外搬送が常態化している。

毎日「分べん中意識不明:18病院が受け入れ拒否…出産…死亡」

この事件については、「18病院が受け入れ拒否(大淀病院妊婦死亡事案)」(@元検弁護士のつぶやき10/17付)のコメント欄にて、多くの医療関係者と思しき人々を交えての議論がなされています。医療現場に詳しくないwebmasterにとって教えられることが多い議論ですが、その中には次のように行政のあり方を問題視する声があります。

医療人1号さんのおっしゃるとおり、転送受け入れが不可能だったわけで、単に拒否という言葉だけ聞くと誤解を受けやすいと思います。日本語は難しいですね。もし、仮に無理をして受け入れた場合、人手が足りない中で治療をしなくてはならず、それこそ医療事故につながりかねません。本当に残念な結果ですが、この結果は、奈良県の、いや、日本の地方における医療の限界だったと思います。訴えるならば、国、県でなければならないと思います。もし、病院が訴えられたら、高度医療が行えない病院では出産は不可能ですね。

上記エントリの「No.7 momo さんのコメント」

県や国を訴えるとしたら、勝ち目はあるのでしょうか (救急医療体制の不備を放置した不作為の責任?)。社会的意義は大きいと思うので、そうなるのであれば支援したいところですが。

上記エントリの「No.28 田中 さんのコメント」

今、日本ではこのように官民が一体となって恩を仇で返す訴訟が増えているような気がします。大野病院の事件はその典型例でしょう。

上記エントリの「No.34 yama さんのコメント」

行政がきちんとした体制整備をすべきである、というのはおっしゃるとおりですが、なぜしていない/できなかったのか、というのは単に無理解であるとしても意味がないでしょう。というより、なぜ無理解なのかという原因をなんとかしないことには、事態を改善させることは困難でしょう。

そこで紹介したいのが本書です。本件や、その他主として地方における医療サービスの供給にまつわる問題について関心をお持ちの方には、一人でも多くの人に読んでいただきたいと思います。

医療サービスの供給制約がどこから生じているか、とりあえず効率性において他国に大きくは引けを取らないとの仮定をおけば、それは投入されるリソースの量がそれだけの供給をなし得る程度でしかないから、ということになりましょう。医療サービスセクターにどれだけのリソースを投入できるか、それは究極的には医療費に依存するはずです。国民全体として多くの医療費を支払うのであれば、それを原資に供給力を強化することができるからです。

日本における医療費について、著者は次のように指摘します。

このインプリケーションは、経済が強い国は、強い経済であるために、医療費が高くかかる医療制度を選択肢、経済が弱い国は、弱い経済であるために、低い医療費ですむ医療制度を選択するのである。

(略)すなわち、所得が鈍化・停滞すると、マスコミや研究者などは医療費の所得に占める割合の増加などを対象として、これを問題視するキャンペーンを展開する。このキャンペーンが医療費の費用負担者の政治力をアシストし、費用負担者の政治力が、医療供給者や医療を頻繁に利用している病弱者たちの政治力をしのぐようになる。そして、この政治環境のなかで、政府は医療費抑制の政策を成立させて、その政策を医療機関に実行させる。その逆に、所得が順調に伸びる場合には、マスコミや研究者たちは口をつぐみ、そのため、費用負担者の政治力は弱まってしまい、彼らの政治力を医療供給者や病弱者の政治力が上回るようになる。こうした意味において、医療政策は、きわめて政治的に意思決定がなされる再分配政策なのであり、それゆえに、医療費は所得によって決まることになるのである。

それでは、日本の状況はどうであろうか。日本は、長期的な不景気のなかで、数年間にわたって、医療保険財政の赤字を問題視する政治環境が整ってきた。こうした政治過程の動向は、マクロ医療費分析が、まさに予測することである。しかしながら、日本の医療費の水準は、所得水準で予測される国際標準の医療費と比べて約10%は低く、そのことが日本の病院と日本人の住環境との大きなギャップをもたらし、多くの人に入院生活環境の貧弱さを感じさせるだけではなく、患者およびその家族の経済的負担に多くのしわ寄せを生じさせる原因となっていると考えられるのである。

pp220,221

以前同様の指摘を障害者自立支援法に関してしたことがありますが、悪いのは平たく言えば貧乏‐もう少し厳密に言うなら、現状程度の経済成長が分相応であるとし、本来可能な程度の経済成長(名目で年率5%程度)は無責任な夢物語だという空気‐なのです。そうした前提を受け入れ、公共事業はいらないから、あるいは公務員の人件費が高すぎるからそちらを削って社会保障に回せ、というのは、低成長・財政再建派から見ればものの見事に分断統治が成功し、自らとは相容れない主張同士が互いに足を引っ張り合っているという、まことに不毛な事態に他なりません。

#個別の公共事業の見直し、あるいは公務員人件費の適正化を否定するものではありません。総額として過剰であるに決まっているとし、パイは増えないのだからあちらから奪え、とする姿勢が問題だということです。

似たような議論として、高齢化により医療費は必然的に増加するのであるから、医療費の抑制を図らないと将来大変なことになる、というものがあります。医療の充実を訴える側としても、ついついこの議論を受け入れてしまい、現場の苦労を訴えはしても、じゃあそのお金はどこから持ってくるのだ、財源を考えずに金をくれというのは無責任だ、と返されてしまうと、ついつい口ごもったり、あるいは公共事業費や公務員人件費等を削ればいいじゃないか、という話につながってしまいます。

しかし、これについても、著者は次のように指摘します。

(略)各年の横断面においては、高齢化と医療費とは、有意な相関は、まったくないのである。たしかに、パネルデータを用いて、医療費と高齢化とをプロットした散布図を描いたり、一国の医療費の動きを縦軸にとって、高齢化を横軸にとったりすれば、それがたとえみせかけの相関であったとしても、そこに相関があるようにみえる。しかしながら、国際間の単年度の横断面分析では、医療費と高齢化は、実は、はじめから関係はないのである。

pp207,208(webmaster注:強調は、原文では傍点です)

すなわち、高齢化が進めば、医療費の増加圧力は高まる。これは間違いない。しかしながら、医療費の増加を許容するかどうかは、その国の所得の水準に依存することになる。所得が伸びれば、高まる医療費をその国は許容する。そして、所得の伸びが鈍化したり、低下すると、医療費は抑制されるようになる。(後略)

pp209,210

お金持ちであればいい医療サービスを受けられるというのはある意味当然ですし、著者が引くゲッツェンの仮にニーズが医療費総額を決めるのであれば、バングラデシュの人びとは──彼らの多くはなんらかの病気にかかっている──、ボストンの人びとよりも医療を多く消費することになろう。しかし、事実はそうではない。なぜならば、病気ではなく富が一国の医療費水準を決めるのであり、それゆえ、不幸にも貧しいバングラデシュの人びとは、医療を受けずに過ごさなければならないからである(pp196,197)という言葉についても、誰も疑問は持たないでしょう。問題はあくまで、ろくな経済成長を達成できていないマクロ経済政策にあるわけです。

以上、医療問題に即して本書の切れ味を紹介しましたが、それをもたらしているのは、政策は、目標と現実と実行可能性とに制約された術(アート)である(p377)(webmaster注:括弧書きは、原文ではルビです)という冷徹な現実認識と、わたくしが成し得ることは、カエサルが洞察した「人間は、自分がみたいという現実しかみない」という人間性の落とし穴に陥らないように意識しつづけ、ご都合主義の知識へと偏らないように努めることだと思う(p378)という厳しい自制心ではないかとwebmasterは思います。

医療問題に関心のある方には、と先ほどお薦めいたしましたが(他にも、1990年前後の看護師(10/22訂正)不足問題の意外な理由(が何かは本書を紐解いていただきたく)など、どれも読み応えは抜群です)、題材は確かに医療分野に多くを求めているものの、それを乗り越えて全ての社会問題に関心のある方に読んでいただければ幸いです。

[law]所有意識と所有権‐大屋先生からいただいたコメント

標記のとおりですが、

……ちょっと長かったですね。すいません、自分のところで書けばよかった。

「稲葉振一郎、立岩真也「所有と国家のゆくえ」」(10/17付)への大屋先生のコメント

いえいえ、コメントとしてお書きいただくことに何ら不都合はないのですが、それよりもコメントということで多くの人の目に触れる機会が少ないことの方がもったいなくてなりません。ということで、改めてエントリとして転載いたします。

#事後承諾を求める形で失礼します>大屋先生。

そもそも「これはおれのものだぞ」という所有意識と、所有権というのは異なったものであって、前者は犬猫にもあるように思われるのに対し、後者は共和制ローマ後期のdominiumという明確な起源を持っているわけです。で、前者から一定の社会秩序が発達していくだろうことは確かで、その中にはおそらく市場も含まれますが、しかしそこから必ず後者が生まれるわけではない。

もともと所有権は、物理的な背景を持つ占有possessioとは異なった抽象的な概念であって、事実としてそれを誰が占有しているか、どの程度の処分をなし得るかという問題と所有権の所在は無関係である。カントは権利の本質について、意思的結合関係がすべての他者によって承認されていることだと考えましたが、この結合関係が人格とモノのあいだに作られるので一方的なのが所有権を含む「物権」であり、絶対的排他的な支配関係だというのも相手方の意思を想定しなくてよいという点にポイントがあるわけです。権利そのものが他者の承認にかかっており、ときには人格同士の結合関係である債権の対象ともなる以上、それらを無視して「なにをしてもいい」という意味ではまったくない。そもそも権利には全体として「権利の濫用は、これを許さない。」(民法1条3項)というシバリ、他者の承認を裏切ってはならないという制約がかかっているわけです。

ちなみにこういう権利観とそれに由来する物権・債権の峻別というのはカント→サヴィニーに端を発するわけで、その意味で大陸法系、なかでもドイツ系固有という色合いの強いものです。もちろん日本法はそこに属しますが、もともとローマ法の影響が薄い英米法系では話がまったく違ってくる。山形先生の「「所有権」だって、フリーホールドから地役権から利用権からとりあえず手元にあるというだけの状態から、いくらでもレベルはある」というのも「所有権」dominium / Eigentumをめぐる話としては乱暴に過ぎるわけですが、所有意識と所有権を明確に区別しない議論という出発点にそもそもの問題があったと、私なぞは思うわけです。

なお管見の限りですが加藤『「所有権」の誕生』は上記の枠組みで言うと所有意識から所有を尊重する社会秩序が形成されるまでの話であって、所有権ないし実体法上の「権利」(この概念は実体法・訴訟法の峻別を前提としますが、それが訴権主義のローマ法にも令状主義の英米法にも存在しなかったことには注意する必要があります)という特殊な概念が生まれてくる段階は扱っていないように思われます。ご関心のある向きには筏津安恕『司法理論のパラダイム転換と契約理論の再編』(昭和堂2001)をお勧めしたいところ。

「稲葉振一郎、立岩真也「所有と国家のゆくえ」」(10/17付)への大屋先生のコメント

[law]所有意識と所有権‐webmasterの感想

大屋先生のコメントとwebmasterのレヴェルの低い感想とを1つのエントリに括るのは申し訳ない気がするので、別エントリとしてとりとめなく書いてみます。

  • 所有権の絶対性とは、あくまで対象物に対するもので(一つには対象物は反対しないという意味で、もう一つには地上権その他の所有権以外の物権との対比においてもっとも包括的であるという意味で)、他人に対するものではない、ということが言えるのでしょう。
  • 「これはおれのものだぞ」というときの「おれのもの」というのが、時代を経て変遷を重ね「所有権」として結実したという流れではないかと。
  • ただ、「犬猫にもあるように思われる」というあたり、孤棲か群棲かによっては「おれのもの」の内容も異なるようにも思えますので、やはりそこは社会関係と相互依存といいますか、連立方程式風に定まるのかな、という気がします。
  • とすると、そもそもの「所有と国家のゆくえ」において、稲葉先生は投資効率の極大化に資するよう所有の内容が定まっているという説を紹介されていましたが、そのような経済活動を是とする資本主義社会において現状かくあるように所有権もまた変容したと言えるでしょう。
  • という辺り、我妻栄「近代法における債権の優越的地位」にあれこれ書いてあったようなおぼろげな記憶があるわけですが、何せ読んだのが大学時代ですから、中身がまったく思い出せません(泣)。図書館等で読んだのではなく買って読んだもので、捨てた記憶もないので、部屋の段ボール箱のどこかにでも眠っていそうですが・・・。
  • カントとかサヴィニーについても、一般的な法制史の概要の中において見かけただけで、ろくに読んでもいないくせにあのようなことを書いたのは無謀だったとしみじみ思いつつも、上記からは、大学時代に読んでいたとしても、それほど違うことが書けていたわけでもないのでしょう。
  • 内田本ぐらい買って読もうかなぁ・・・。いまさら訴訟法はついていけないでしょうから、せめて実体法ぐらいはある程度フォローしておかないと。
  • なお、最後に大屋先生がご紹介の本は、×司法→○私法でございます。その前著、筏津安恕「失われた契約理論」も面白そうです。
本日のツッコミ(全524件) [ツッコミを入れる]

Before...

waggle.tenshikazumi.com/grumps/grunge.html [巨人へFA移籍した相川亮二の人的補償で、ヤクルトへ加入した19歳の奥村展征。高卒1年目から二軍で86試合に出場。首脳..]

EGOIST???ま貯徐ぶ???Leaf lipless40S?????? ????????儷??布?級璧ら?_PB[??敞?????????┿???????儷?????????鏈?????2P13Dec14??http://fodofodo.com/uugetu-b2-002570-jheg.html [【AFP=時事】中国国営の新華社(Xinhua)通信は10日、中国政府当局がインターネット浄化キャンペーンの一環とし..]

???????????0%OFF???????????惰??併?????篠????儔???????????(Dr. Slowmo)?????い????い?(DVD?樸亶)????????と妄?c??c???????つ榿????亅http://www.iaiha.com/sgolf-shop-slowmo-dr1.html [政府は11日、2015年度予算編成で焦点となっていた幼児教育への支援策について、幼稚園に通う3〜5歳児を持つ低所得世..]


2006-10-19

[economy][government][media]公的部門の資金余剰主体への転換とその報道

中央政府と地方自治体、社会保障基金(公的年金)を合わせた日本の「公的部門」が今年上半期(1―6月)に実質的な資金の流出超過に転じた。税収の増加と支出の抑制により、この間の国債の発行額が抑制されたことなどが背景。公的部門が資金余剰に転じるのは統計でさかのぼれる1998年以降で初めて。

日銀の資金循環統計では、政府、企業、家計など部門別の資金の出し入れを把握できる。一定期間内の金融負債の増加額が金融資産の増加額を上回るとその部門は資金不足、逆の場合は資金余剰とみなされる。

日経「公的部門が資金余剰に転換・1−6月」

ネットではこれだけしか掲載されていないのですが、紙面においては、旧統計と接続してみると1991年以来だとか、中央政府の資金不足額は(依然余剰でなく不足ではあれど)過去最少だとか(「最小」と書いてありますが(笑))、社会保障基金の運用益増加の影響といったことが書かれた後に、次のような締めとなっています。

日本では従来、民間の企業部門が最大の資金の使い手で、家計部門の貯蓄などを吸収してきたが、バブル崩壊後は企業部門が資金余剰に転換。余ったおカネを税収の現象に悩む政府部門が国債発行などの形で吸い上げる構図が続いてきた。

日経「公的部門が資金余剰に転換・1−6月」

貯蓄投資バランスの観点からこのように解説した記事を、少なくともベタ記事ではwebmasterは見た記憶がないのですが、自称経済専門誌の片鱗をうかがわせた、というのは高評価過ぎでしょうか。

ちなみにこの記事の元ネタは、おそらく9/15に公表された今年第2四半期資金循環勘定の、それも資金循環統計(2006年第2四半期速報):参考図表(pdfファイルの10ページ目(紙ベースのものに振られている番号であれば9ページ目)に半期ベースの一般政府の部門別資金過不足が掲載されています)ではないかと思われます。これを見る限り、依然として民間非金融法人(記事でいう民間の企業部門)は資金余剰で、つまりは民間非金融法人と家計が資金余剰であることに変わりはなく、それを一般政府部門の資金不足なき今、海外部門が吸収主体となっているようです(pdfファイルの3ページ目(紙ベースの2ページ目))。

年度単位で見れば民間非金融法人の資金余剰度合いは右肩下がりですが(pdfファイルの12ページ目(紙ベースの11ページ目))、資金余剰の度合いの低さにおいては2005年度はまだITバブルの2001年度に及んでいません。下半期の動向に注目、といったところでしょう。

[economy][pseudos]トンデモ#16:日経新聞にイグノーベル経済賞を!

とまあ上のエントリで持ち上げておいてなんですが、18日の日経、「大機小機」から。

今回の景気回復期間は「いざなぎ景気」を上回ったといわれている。ここでいまの景気が「景気回復」であって、「景気上昇」と呼ばれていないことが興味を引く。回復というからには景気が戻る水準があるはずだ。景気回復が続くという表現には、いざなぎ超えをしてもまだ不況からの回復であって、本格的な成長トレンドに達していないという判断があるように見える。

日経「日本経済の修辞学的分析」(10/18付大機小機)

この辺りは、日経にしては珍しく(笑)まともな書き出しです。しかし、次第に怪しげな表現が・・・。

同じような問題はデフレ終結宣言が出そうで出ない状況についてもある。金融は緩和しているが、それがマイルドなインフレをもたらすのか、むしろ資産バブルにつながるのか、不明確だ。国際的資源需給ひっ迫で石油価格は高止まりしており、国内的には人口減少とこれまでの雇用抑制の反動で人手不足が出る兆しもないではない。しかし石油価格や賃金の上昇はスタグフレーションに跳ね返る可能性を秘めている。

日経「日本経済の修辞学的分析」(10/18付大機小機)

マネーサプライ伸び率がこれだけ低位で推移しているというのに金融は緩和しているんですか(笑。9月で対前年同月0.6%。ちなみに、マネーサプライの公表までpdf化するとは、日銀はますます許しがたい・・・)。資産バブルという言葉は久しぶりに見ましたし、インフレ率が仮に2〜3%まで上がったとして、それで不況になっても単なる不況ですなぁ。そんなものをスタグフレーションだなどと呼ぼうものなら、ヴォルカーに首を絞められるんじゃないですか(笑)?

で、いよいよトンデモが。

金融面からのデフレ要因はなくなってもグローバリゼーションの中では、技術水準が平準化する仮定での要素価格均等化、内外価格差圧縮の圧力がボディーブロー的に効いてくる。この圧力はこれまでデフレで実質為替レートを切り下げることで部分的に吸収されてきた。最近は名目為替レートの円安がこれに加わっている。

日経「日本経済の修辞学的分析」(10/18付大機小機)(webmaster注:強調はwebmasterによります)

要素価格均等化とか内外価格差圧縮という部分も魅力的ですが、強調部分に比べれば物の数ではありません。PPP(Purchasing Power Parity、購買力平価)により物価変動が名目為替レイトに影響を与えるのはよくわかりますけれども、デフレが実質為替レイトを引き下げるとは・・・。実際にそのメカニズムを解明できればイグの付かないノーベル経済賞ものです。まあ無理でしょうけれども(笑)。

PPPがなぜ成立するのかは、簡単に言えばインフレ率はおカネのモノに対する価値の変化を表すわけですが、あるおカネがモノに対して価値が下がるときには、当然そのおカネは別のおカネに対しても価値が下がる(逆に上がれば上がる)からです。例えば円の年間インフレ率が100%であれば、円貨はモノに対して半分の価値しかなくなる(あらゆるモノの値段を平均すれば、100円だったものは200円になる=倍の円貨を差し出さないと同じモノを入手できなくなる)わけですが、例えば米ドルに対しても、米ドルのモノに対する価値が変わらなければ、同様に半分の価値しかなくなるわけです(いずれも名目値)。

確かに名目値固定で考えるならば、デフレは実質為替レイトを切り下げる方向に影響を与えますが、PPPを前提に考えるならば、デフレが与える名目為替レイト切上げ効果を何かが打ち消して切り上がらなかった=その何かが切下げ効果を持っていた、ということになるわけです。それを名目値には影響を与えず実質レイトを切り下げる効果があるとは、PPPに喧嘩を売ってるんでしょうか(笑)。

実績を見てみましょう。実際の実質実効為替レイトの推移は、一般に1998年の金融危機以降デフレは深刻化したと観察されますが、今般の実質実効為替レイトの循環において、直近の「谷」(=円安)は1998年8月、その後1999年12月に「山」(=円高)を越えるも2000年11月までは一進一退、同年12月以降は円安トレンドというものです。この間、一貫してデフレは継続していたわけですから、そのことだけでデフレと実質為替レイトとは無関係だとわかりそうなものですが、一応計数その他をまとめておきます。

実質実効為替レイト対前年比日インフレ率 (CPI, a)米インフレ率(CPI, b)c=b-a備考
1998120.62.1%0.71.60.9
1999135.512.3%▲0.42.73.12月:ゼロ金利政策導入(日)
2000140.63.7%▲0.93.44.38月:ゼロ金利政策解除(日)
2001124.9▲11.1%▲0.91.62.51月:利下げ開始(米)/3月:量的緩和政策導入(日)
2002118.0▲5.5%▲1.12.43.511月:デフレ対策を明言(米)
2003118.40.3%▲0.31.92.2年初:大規模為替介入開始(日)/8月:「かなりの期間」の緩和のコミットメント(米)
2004119.20.6%0.03.33.33月:大規模為替介入終了(日)/6月:利上げ開始(米)
2005112.1▲6.0%▲0.43.43.8

#実質実効為替レイト、インフレ率ともに年平均です。なお、実質実効為替レイトは数字が大きいほど円高、小さいほど円安を表します。

大まかに期限を区切って考えるならば、

〜2000年
日銀の後手後手の金融政策運営により、デフレの実勢以上に実質為替レイト(当然ながら円の、です。以下同じ)が切り上がった。
2001年〜2002年末
日銀の量的緩和がFRBの金融緩和以上に積極的なものと評価され、実質為替レイトが切り下がった。
2002年末〜2004年央
FRBの積極的緩和政策が日銀のそれと同等と評価され、実質為替レイトはほぼ横ばい。
2004年央〜
日銀の金融政策に変化がない一方、FRBが引締めに転じたため、実質為替レイトが切り下がった。

ということが言えるでしょう。ここから将来を推測するなら、FRBが明確に金融緩和に舵を切った場合には、円の実質為替レイトは切り上がるのではないか、ということです。昨今の事情を考えるに、北朝鮮関係の地政学的リスクのおかげで切り上がらずに済むかもしれませんが(笑)。

本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]

Before...

 [好意的に解釈すれば政府が借りることで民間への貸出とか海外への貸し(貿易黒字=輸出産業の利益)が締め出されるのを「民間..]

bewaad [>日本不経済新聞様さん 他の記事の水準に慣れてしまって、当方の期待値がさがっていただけかもしれません(笑)。 再分..]

bewaad [>〇さん >政府部門が資金余剰なら地方や特別会計を含めた政府全体ではプライマリーバランスは黒字で政府純債務は減少し始..]


2006-10-20

[notice]この週末(おそらく土曜日の午前中)、閲覧に支障が出るかもしれません。

trackbackを再開したはずなのにどうもうまくいっていない、という恥ずかしい事態の原因がよくわからないので、この週末にサーバ上のファイルのチェックなどあれこれやってみるつもりです。閲覧には影響はない、はずですが、ひょっとして何か問題が生じるようでしたら、しばらく時間を置いてから再度アクセスいただくようお願いいたします。

[economy]名目成長率あれこれ

安倍政権最初の諮問会議にて

「創造と成長」というのは極めていい言葉ではないかと思う。小泉政権のときに、成長戦略によって2.2%の実質成長を達成、3%の名目成長という目標を立てたわけであるが、皆さんが示されたこの方向を進めていただくことによって、更に潜在成長力を伸ばしていけば、私はこの3%を超えていくことは不可能ではないと思うので、是非そうした諸課題に取り組んでいただきたい。

平成18年第22回経済財政諮問会議議事要旨

これは安倍総理の発言ですが、皆この路線に乗っている、つまり、

  • 今は2.2%よりも低い潜在成長率で、
  • それを「オープン&イノヴェーション」とやらで2.2%以上に引き上げるべし、

ということは誰も否定していらっしゃらない。現状だって安全を見ても2%前半の潜在成長率はあるだろう、という経済学的な常識が一切通用しない場の名前が「経済財政諮問会議」だというのは何の皮肉でしょうか。ま、何もしなくても達成できる目標を立て(てそれが許され)るというのは、諮問会議の利害のみを考えればうまいことやりましたね、と言いたくなりますが。福井総裁のみ、そうは言っても簡単に潜在成長率は引き上げられないという、それだけを取り出せば極めてまっとうな留保を示されていますが、この人の場合、だから1%台後半を前提にマクロ経済運営をしろという下心あってのことですし(笑)。

潜在成長率の話よりもさらに怖いのは、中長期的にみた平均インフレ率が年0.8%だということ。インフレターゲティングを導入している国のどこを見たってこんなインフレ率は下限を下回っているでしょうし、導入していないアメリカだってFRBが目指すべきインフレ率の目安は年2%です。これでは今の日銀の金融政策を大いに肯定しているということになってしまいますが、こんなレヴェルを狙って金融政策運営をされてしまえば、仮にデフレを脱却できたとしても、それなりの外部ショックでもあればデフレに逆戻りするというリスクを大いに抱え込んでしまうことになります。

伊藤隆敏先生がいても、これですか・・・。

民間予測

安倍晋三内閣が掲げる「今後10年間平均で名目3%以上の経済成長率」に対し、民間調査機関には懐疑的な見方が広がっている。18日までに出た調査機関各社による日本経済の10年予測は2.5〜2.6%。安倍内閣にとっては厳しい数字が並び、骨太方針に示された財政健全化目標の達成でも見方が分かれた。

同日までに10年予測を出した調査機関は3社。いずれも低い名目成長率となったのは、「人口減少時代に、高い成長率を維持するのが難しい」との判断からだ。

民間機関3社による今後10年の経済見通し
調査機関実質成長率(名目)消費税率財政健全化目標
三菱UFJリサーチ&コンサルティング2.0%(2.6%)7%→10%達成可能
ニッセイ基礎研究所1.7%(2.6%)7%→10%達成困難
第一生命経済研究所2.0%(2.5%)7%→8%達成可能

※財政健全化目標は、骨太方針の「2010年代半ばに、国と地方の債務残高を対GDP(国内総生産)比で安定的に引き下げる」ことを指す

安倍内閣は、企業活動を活性化させる投資減税や規制改革を進めることで「成長率を高めることが可能」としている。しかし、調査機関は「政策で企業の方向性を変えるのは難しい。背中を軽く押す程度の効果しかない」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)と否定的だ。

賃金については各社とも上昇を見込み、金利上昇から財産所得も増加すると予測した。ただ労働人口が減少する中、成長率を大きく押し上げる消費の伸びにはつながらないとみている。

各社の見解が分かれたのは、骨太方針に盛り込まれた財政健全化目標の成否だ。骨太方針では、国と地方を合わせた債務残高について、「2010年代半ばに対GDP(国内総生産)比で安定的に引き下げる」との目標を掲げている。

3社とも健全化の"頼みの綱"と指摘したのは、消費税率の引き上げ。いずれも平成21年度に消費税率が現在の5%から7%にアップすると見込み、26年度までに再度の引き上げを想定。最終税率は2社が10%、1社が8%になるとし、2社はこれによって財政健全化目標は達成可能との見方を示した。

だが、ニッセイ基礎研究所は「金利上昇による国債利払い費の増加によって、新規国債発行額は今よりも増え続ける」と指摘、安倍内閣の成長戦略に警鐘を鳴らした。

産経「政府目標の「経済成長3%」/民間予測は懐疑的

実質成長率の予測平均値が年1.9%、インフレ率の平均予測値が年0.67%ですか・・・そんなデフレの綱渡りを続けていたら、本来もっと高いはずの潜在成長率がその程度にしか実現できない、という予測ならば理解可能ですが、そうじゃないんでしょうねぇ(笑)。産業政策で潜在成長率を高めようとすることの馬鹿馬鹿しさを指摘したところは立派だと思いますが。

しかし、これだけ名目3%成長が難しいことなんだという認識が広まるというのは、先にも書きましたが、マクロ経済政策担当部局(諮問会議や日銀)にとっては非常においしい状況でしょう。他国なら無能者呼ばわりされても仕方がないような程度の結果であっても、よくやった、という評価が得られる環境が整っているわけですから。メディアがこぞって政府を甘やかしてどうする、と霞が関の住人たるwebmasterの個人的利害を忘れて苦言を申し上げたくもなります。

#これまでがひどすぎたから、慣らされてしまったんでしょうねぇorz。

財政健全化目標については、この程度の経済成長率で本当に可能なのかというのが最大の疑問ではありますが、なんでまあこんなに皆消費税にこだわるんでしょうかねぇ、というのも理解に苦しみます。相続税の課税最低限引き下げ、所得税の累進強化、納税者番号制の導入による補足率の改善など、他にやるべきことはいくらでもあるでしょうに。

OECDの分析

【パリ=野見山祐史】経済協力開発機構(OECD)は「景気回復で民間部門の成長ペースが速くなった国は、増税に頼らなくても歳入の伸びが高まり、財政が改善に向かう」という加盟国経済の分析結果をまとめた。調査対象の24カ国のうち、米英など7割で2004年から05年にかけてこの傾向を確認した。安倍晋三首相が掲げる「成長なくして財政再建なし」の主張を裏付けるような結果になった。

調査は加盟国の税収、社会保険料など公的部門の歳入の国内総生産(GDP)に対する比率を算出して分析した。歳入の伸びがGDPの伸びを上回ればこの比率は上がる。04年から05年にかけてデータがとれた24カ国中、17カ国で比率が上昇し、財政状況の改善を示した。この間、社会保険料と税金を合わせた国民負担が増えた国はなかったという。

比率上昇の首位はアイスランド(3.7ポイント)で、米国(1.3ポイント)、英国(1.2ポイント)と続いた。米国は現在も01年11月を谷とする戦後最長の景気拡大局面にある。国営の通信会社や金融機関を民営化し法人税を引き下げたアイスランドは04年下半期に前期比3%超成長し、05年中もプラス成長を保った。

OECDはこうした財政好転の背景について「民間部門の収益力向上により、経済全体の伸びを上回って企業の利益が増え、税収増につながった」と分析。政府が増税を急がなくても成長重視の政策で財政改善につなげられることを示した。

米国では1995年から2000年にかけても歳入のGDP比が上がっており、OECDは「この時期も税制の変更より景気回復が寄与した」(税制分析センター)とみている。

景気回復が続く日本も04年の同比率が26.4%と、03年に比べ0.7ポイント上昇している。

ただ欧州連合(EU)内で財政赤字の大きいドイツ、イタリアをみると景気が回復したにもかかわらず伊の比率が05年に0.1ポイント低下、独は横ばいにとどまる。ドイツが付加価値税の引き上げを予定するなど、成長だけで財政を立て直せるとは限らない例もある。

日経「「成長なくして財政再建なし」/7割の国で確認/OECD24カ国分析」

OECDのリリースを見ても同程度の情報でしかありませんが(本体はネットでは入手できないのかな? なお、全体の計数推移の表等にはリンクが張られています)、こうした知見が日本においても普及してほしいものです。

#ネットには掲載されていないのが残念です>日経。

[law]「みなし」の射程

仕事で一箇所、詰まってしまいました。中身は法律の解釈なのですが、

A法の第○条で「職員とは、(ア)をいう。」と定義づけがされている。
同じA法の第△条で、「(イ)は、職員とみなしてこの法律を適用する。」という規定がある。
そして、別のB法の第×条で「この法律において職員とは、A法第○条に規定する職員をいう。」と定義づけがされている。
この場合、(イ)に該当する人々もB法上職員とみなされてB法の適用を受けるのだろうか。
という問題です。

負けられない愚痴日記(10/18付)

結論から申し上げますと、

  1. (イ)に該当する者はB法の適用を受けない、とすることが通例。
  2. しかし、例外があり得ないわけではない。

という極めてすっきりしない話です(笑)。以下、順を追って解説を試みます。

まず、文言を整理すれば、A法第△条はあくまでA法の適用について職員とみなしているだけなので、B法その他A法でない法律の適用に当たってそれとみなす効力はありません。他方でB法においては、第○条のみを引っ張っているので、第△条とは無関係だということになります。

そのため、通常であれば、このB法に相当する法律が第△条に規定されているようなみなしの効力を引き継ぎたい場合には、次のような規定が置かれます。

(長期給付に関する規定の適用範囲の特例)

第8条 国家公務員共済組合法の長期給付に関する規定は、同法第2条第1項第1号に規定する職員(同法第124条の3、第125条及び第126条第2項の規定により当該職員とみなされる者を含む。)のうち、保険料の納付義務に関する連合王国年金法令の規定の適用を受ける者として政令で定めるものについては、適用しない。

社会保障に関する日本国とグレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国との間の協定の実施に伴う厚生年金保険法等の特例等に関する法律(平成12年法律第83号)(webmaster注:強調はwebmasterによります。また、他国との年金協定による国内法対応については、これ以外においても同様の規定が置かれています)

当然の話ではありますが、わざわざこのような規定が置かれるというのは、それを置かなければそうならないから、その必要性が認められるわけです。これと同様に、B法第×条において「この法律において職員とは、A法第○条に規定する職員(同法第△条の規定により当該職員とみなされる者を含む。)をいう。」となっていれば(イ)が含まれますが、そうなっていないのですから、B法の適用において職員として取り扱われるのは(ア)のみ、ということになります。その必要性が認められないので、あえて置かなかったのだ、と。

しかしながら、本当にそうであるとは限らないので、例外という話が出てきます。要するに、条文を書いた人間や審査した法制局の参事官がA法第×(10/21訂正)の存在を見逃してしまったので、知っていたらきちんとB法に「含む」規定を入れたはずなのに、それを入れ忘れた、というような場合が該当します。この場合、B法において(イ)についても職員として効力を及ぼさないとおかしなことになってしまう状況にあることが前提で、どちらでもいいならば通例どおり適用すべきではありません。

この場合は、状況証拠を集めて、規定を置かなかったのは置くまでもなく(イ)についても適用することが明らかだったからだ、という解釈をするしかありません。具体的には、

  • B法と横並びになっているC法においては「含む」規定がある一方、B法とC法で異なる運用をすることは想定できないので、B法においても含まれているものと解釈することが適当だ。
  • (ア)と(イ)の関係と同様の関係にある(カ)と(キ)について、B法(ないしC法)では「含む」規定があり、(ア)(イ)と(カ)(キ)について異なる法律関係とすることは適当でない(「同様の関係」がそれなりのものであることが前提)ので、(ア)(イ)についても含まれているものと解釈することが適当だ。

といった状況証拠を集めて解釈の補強をする、ということになります。もし状況証拠すら存在しないのであれば・・・(ア)のみにB法を適用するしかないでしょう。

本日のツッコミ(全10件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>小僧さん 役所間では相互貸借が可能なので、どこかに入っていれば読むことができる(さらに言えば、国会図書館へ行け、と..]

iGjposyAbPciL [, <a href="http://xn--79-mg4axag2fvhmi9cc.com/">スピンパレスオンライ..]

braChIcj [Chopsticks also make for attractive center pieces. オンラインカ..]


2006-10-21

[notice]trackback再開できました

今度こそ大丈夫です。いろいろご迷惑をおかけし、大変失礼いたしました。

[economy]続・名目成長率あれこれ

規制改革・民間開放推進会議

安倍晋三首相の規制改革に対する考えについては、「規制改革なしで(安倍首相が目標とする)名目3%以上の経済成長はあり得ないと思っている」と指摘。「(同会議が)経済成長を高め、歳出削減をサポートするための一翼を担う」と述べ、規制改革にも取り組む経済財政諮問会議と連携していく考えを示した。

産経「草刈議長 初の規制改革会議/"宮内路線"を継承」

記事中の発言は草刈議長のものですが、その肩書きを考えれば、このような発言をするのは(賛否はさておき)理解可能です。「規制改革は経済成長率の高低にかかわらず意味のあることであり、マクロ経済とは切り離してミクロ経済の観点から着実に実施していきたい。なお、規制改革なしでも名目3%以上の経済成長は容易に達成可能であり、政府・日銀には速やかなその実現を強く要望する」なんてことを言うような人間であれば、そもそも任命されないでしょうし。

しかしながら、こうした認識が日々マスメディアで報道され、「常識」として世に流布していくのは残念でなりません。こんな場末のblogで異議をさしはさんでも、蟷螂の斧でしかありませんし・・・orz。

伊藤隆敏先生の発言の整合性

──安倍首相は、1%台後半とされる潜在成長率を上回る名目成長率3%超も可能だと言うが。

「改革やイノベーション(技術革新)をしっかり進めれば、名目で3%成長も不可能ではない。射程内にある」

東京「"新生"経財諮問会議 民間議員に聞く/東大大学院教授 伊藤隆敏氏/グローバル化がカギ」

これまた、名目3%なんて楽勝さ、なんてことを公言するようでは民間議員にはなれないでしょうから、お立場を察しないわけではないのですが・・・。

"パッケージの中におけるインフレ目標政策の役割はどういうものかと言えば、まずインフレ目標として2年後にインフレ率を1〜3%にすような金融政策を行うという宣言を日本銀行が行い、これは3ページ目にありますが、これに対して政府もコミットメントを与えるということが必要になってくると思います。

第12回 ESRI-経済政策フォーラム/「インフレ目標政策を巡って」議事録における伊藤隆敏東京大学教授(当時)の基調講演

そもそも潜在成長率が1%台だという点をwebmasterは肯んずることができないのですが、それを受け入れるとしても、平均2%のインフレ率をそれに足せば名目3%を超えるわけです。諮問会議において唯一インフレターゲティングの導入を主張する伊藤先生の足を引っ張るのは近視眼的な態度だとは頭では理解しつつも、こうした発言が後々インフレターゲティングの導入の支障にならないかという懸念がぬぐえません。

具体的には、いよいよ諮問会議でインフレターゲティングについて議論をしよう、という提案を伊藤先生がされる際に、四人会のような裏の場で、「インフレターゲティングの導入を真正面から議論すると、『改革やイノヴェーションを進めてようやく名目3%成長が可能だ』と先生がおっしゃっていたのは嘘だったということになりますが、どう釈明されるつもりですか」なぁんてことをささやかれて日和ってしまうような危険性があるのではないか、ということです。

「嘘も方便だ」と開き直ることができるのであればいいのでしょうけれど、それはそれで、リフレ政策の推進を願う立場からはうれしいものの、そうした言い訳が許されない職で口を糊している身としては、うらやましさもありますが、どうしても嫉妬といいますか、アンフェアな取扱いに対する怨念のようなものが心の中に生まれることを抑えられないのが正直なところです。いや、厭なら辞めればいいだけのことですけどね。職業選択の自由はあるわけですし・・・。

#今にして思えば、竹中前大臣への「嘘」についての批判もこうした昏い衝動に突き動かされてのものだったような気がします。かくも悟ることができないとは、まさしく凡夫なるかな。

日経新聞・日本経済研究センター共催の景気討論会

次の4名(webmaster注:日経記事の掲載順)によるものですが、一部の良質な意見と、メディアの多数派が同居するものでした。

  • 深尾光洋日本経済研究センター理事長
  • 木内登英野村證券金融経済研究所シニアエコノミスト
  • 丹羽宇一郎伊藤忠商事会長
  • 吉冨勝経済産業研究所長

以下、日経の記事より、内容についてのwebmasterの主観的評価の順に発言を紹介したいと思います。昇順か降順かは読んでからのお楽しみということで(笑)。

木内シニアエコノミスト

「政府が成長を目標に掲げたとたんに歳出削減が緩み、バラマキ政策が復活するリスクがある」と懸念を表明したのは木内氏。安倍晋三首相の指導力で各省庁や族議員などの歳出拡大圧力を抑えることを課題に挙げた。

(略)

政府と日銀の関係を巡っては、木内氏が「新政権の閣僚らは日銀に厳しい顔ぶれが増えた」と語り、利上げを抑え込む動きが出かねない点に懸念を表明。(後略)

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

マスメディア上での最大公約数的な意見と言えるでしょう。

丹羽会長

丹羽氏 今回の景気は底が深かったので回復をなかなか実感できない。大企業製造業中心の回復で、所得や消費が伸びていないためだ。価格が継続的に下落するデフレ状況からは脱し、むしろ不動産などのバブルを警戒しないといけない。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

あのグリーンスパンですら事前に判定は不可能とするバブルを警戒できるとは、さすがはカリスマ経営者ですね(笑)。

これに呼応する形(webmaster注:この前に、後で引用する吉冨所長のTFPに関する発言が紹介されています)で丹羽氏は「医療、物流、介護分野などの規制改革で産業が広がり、成長することをいまシミュレーションしている」と明かし、サービス産業の規制改革を諮問会議で議論する意向を示した。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

こんな無茶なシミュレーションをやらされている内閣府の中の人の苦労がしのばれます。規制改革で生産性が向上するかどうか、するとしてどの程度なのかについての詰めをすっ飛ばして、規制改革により○%生産性が向上した場合には、という筋書きになるんじゃないでしょうか。

(略。先の木内シニアエコノミストの引用部の後半に続いて)丹羽氏も「金融政策が政府の政策と整合性を持つのは当然だが日銀の独立性は尊重したほうがいい」と同調した。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

仮に伊藤先生が諮問会議でインフレターゲティングの導入を持ち出した場合、それに対して反対する可能性も否定できないコメントです。今後の発言には注意しておくべきかもしれません。

深尾理事長

深尾氏 GDP(国内総生産)ギャップが解消し、景気は回復から拡大局面に入りつつある。雇用情勢は良くなり、設備投資も底堅さが続くだろう。しかし物価上昇率は1〜2%という望ましい水準より低く、日本経済が正常な姿になったとはいえない。まだ緩和気味の金融政策が必要だ。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

1〜2%という水準は若干低すぎるようにwebmasterは思いますが、とはいえ現状が低すぎるとの見解を表明したのは深尾理事長のみです。ただ、GDPギャップが解消という見方は、潜在成長率の相場観に不安を感じさせます。

深尾氏 私も景気の後半戦があると思う。リスクは円高だ。景気を支えているのは円安で、リスクを克服できれば、あと何年かは2%弱の成長を続ける実力はある。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

円安効果を正しく評価している点はよいのですが、「2%弱の成長を続ける実力」=潜在成長率が2%弱ということでしょうか?

深尾氏 06年度の実質経済成長率は2.4%、07年度は1.8%と潜在成長率並みの水準を予想する。円相場は07年度に1ドル=110円ぐらいまで円高になっていく可能性がある。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

やっぱりそうでしたorz。

吉冨所長

吉冨氏 企業の利益率が高まる一方、ここ3、4年に起きたのは賃金デフレだ。グローバル経済下の世界的な傾向といえる。景気回復は通常、離陸する飛行機の前輪のように企業部門が先行して上がるが、今回は所得、消費の離陸が遅れた。日本の潜在成長率は2〜2.5%と考えればよく、その前後で成長を維持していくことが課題だ。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

昨日来、もっとも高い潜在成長率推計ですが、経済学者の常識とされる数字なのですから、もっと広まってほしいものです。2%を割り込むなんてことはトンデモとして扱われるべき話なのですが・・・。

「全要素生産性の倍増計画を」と提案したのは吉冨氏。池田内閣時代の「所得倍増計画」になぞらえ、首相が掲げる「成長なくして日本の未来なし」の意味を分かりやすく示す数値目標の一例として助言した。「全要素生産性」は技術革新などで説明される広い意味の生産性。好況につなげた米国の例を挙げ、「生産性の低いサービス産業の規制改革」を求めた。

日経「本社討論会/景気「いざなぎ」超え持続/来年度の実質成長率2%前後予測」

文言を表面的に捉えるならば、絵に描いた餅ということになるでしょう。政府が全要素生産性(以下、TFP(Total Factor Productivity)と呼びます)を高めようとして高められるならば、いつまで経っても貧困から抜け出せない発展途上国問題なんてものは存在しません。

しかしながら、リフレ政策実現のための方便と考えると、実はなかなかうまい立論ではないかという解釈が可能です。からくりは、TFPの計測方法です。

TFPの計測はなかなか困難で、これといった決定版があるわけではありませんが、その有力なものの1つとしてソロー残差、というものがあります。実際に実現されたGDP成長率から、労働生産性と資本生産性を差っぴいた残り(=残差)がTFPであるとするもので、ソローというのはこの考え方を編み出した経済学者の名前です。

このソロー残差については、

1990年代のわが国では、ソロー残差として計測される全要素生産性(TFP)の成長率は大きく低下した。しかしながら、標準的なソロー残差には技術進歩以外の様々な要素が混入していると考えられるため、これをもって1990年代に技術進歩のペースが減速したと考えるのは早計である。本論文では、(1)収穫逓増と不完全競争、(2)資本と労働の稼働率変動、および(3)産業間における生産要素の再配分をコントロールした「修正ソロー残差(purified Solow residual)」を推計することによって、1973〜98年にかけての日本経済の「真の」技術進歩率の計測を試みた。その結果、1990年代のわが国で技術進歩率が減速したという証拠はほとんど、あるいは全く見出されなかった。また、稼働率の低下と、規模の経済効果が小さい産業に生産要素が集中的に配分されたことの両者が、技術進歩とは無関係なTFP成長率低下を引き起こしたことがわかった。本論文で得られた結果は、「失われた10年」の原因を技術進歩の停滞に求めるリアル・ビジネス・サイクル理論的な見方に疑問を投げ掛けるものである。

ディスカッション・ペーパー・シリーズ 2004-J-26/日本経済の技術進歩率計測の試み:「修正ソロー残差」は失われた10年について何を語るか?(要約)

という指摘がなされているわけで、つまりは稼働率が上昇したり、規模の経済効果が大きい産業に生産要素が集中(=当該産業において多くの雇用が確保されたり、盛んに資金調達がなされ(て設備投資がおこなわれ)たり)すれば、修正されざるソロー残差は大きくなるわけです。これらは一般に好況であれば生じる話ですから、リフレ政策によりマイルドインフレ下での名目5%以上成長がなされれば、ソロー残差が拡大=TFPが向上したという説明が可能になります。

したがって、表舞台では規制改革だ、と騒ぎつつも、裏では計画達成にはリフレ政策ですぜ、と売り込むというのは、なかなか捨てがたい妙手のように思われます。本来は名も得てしかるべきではあれど、とりあえずは名を捨てて実を取り、名の回復は後世の評価に委ねるというのは、次善の策として考慮するだけの価値があるのではないでしょうか。

#伊藤隆敏先生も、実はこの路線だったりして。

[media]メディアへの対応についての改心

「失敗をゼロにする」のウソ(飯野謙次)より。

質問: あなたの会社が不祥事に巻き込まれ、報道記者のインタビューに答える羽目になりました。やりとりの中で記者が同じ質問を繰り返しました。さて、あなたはどうしますか。

  1. 同じ答えを返す
  2. 言葉を変えて説明する
  3. 「君はバカか」とその記者を罵る
まあ、3を選ぶ人は少ないと思うが(現実では頭に血がのぼって気づいたら罵ってた、という人はいるかもしれないが)、ロワはなにも疑わずに2だと思ったが、正しい答えは1である。

同じ質問に違う答えをする人は、「毎回違う答えを返してくるのは、事実をごまかそうとしているのだろう」と思われてしまうから、なのだそうだ。

2を選ぶというのは、「相手が先程の説明で理解できないのであれば、別の説明でなんとか分かってもらおう」という気持ちからだが、相手がいかなる説明でも理解しない場合は仇になるというわけだ。

しかし、本当に恐ろしいのはその後で、

中には意地悪な記者がいて、わかったのにわざと同じ質問を繰り返して、「ごまかそうとした」と書き立てる可能性もあるとのことだ。

言われてみればそうだが、性悪説の立場で取材に来る相手に、性善説の立場で説明すると最悪になるというパターンだよね。すると、こちらも性悪説の立場で説明しないと危険だということだ。

「親切が仇になる瞬間」(@Francis Drake Briefing Room10/19付)

webmasterも、何の疑問も持たずに2の対応をしていました。それではダメだったんですねぇ・・・。これからはちゃんと1でやっていかないと。

これまで、記者ブリーフ等の場において1の対応をする上司のバックベンチにいたようなとき、「その説明じゃ通じないんだから他の言い方しなきゃダメだろう」なんてことを思っていたりもしたのですが、よくわかっていない若輩者の勘違いでした。ごめんなさい。

本日のツッコミ(全31件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>通行人さん おっしゃるような状態の遥か手前に記名記事があるわけで(その点については、よく当サイトで批判する毎日新聞..]

koge [>毎○新聞 むしろ記名だからこそかえってああいう記事を書くバイアスがあったりするのかも。読者はああいう記事を求めてい..]

bewaad [>kogeさん 記名だから読む、という人がどれだけいるのかを考えると、取り上げておきながらなんですが、記者の側にもそ..]


2006-10-22

[notice]ユーザスタイルシートの推奨設定

サイト側のCSSを早く変えろということではありますが、sheepmanさんによると、ユーザスタイルシートに次の設定をすると見やすくなるとのことです。取り急ぎお伝え申し上げます。

@-moz-document domain("bewaad.com") {
  div {
    height: auto ! important;
  }
}

[government]官僚の権力

AKITさん経由で。

ドラマ・映画や漫画では、
よくキャリア官僚の権力が凄まじく描かれてますが、
(法律を簡単に曲げたり、犯罪をもみ消したりとか。)
本当にあんなことあるんでしょうか?

僕の友達でキャリア官僚のやつ(まだ30前後だけど)なんて、
給料も大手民間企業より少ないし、
ひーひー言いながら、毎日が大変だ、って感じでよく言ってます。

とても漫画や映画のようなことは今の彼からは考えられません。
漫画や映画のようなキャリア官僚の姿はド嘘(あるいは事務次官などの超上層部の極一部)なのか、
それとも、僕の友人なんかは若いから、
歳を取ってある程度の身分になれば、ドラマや映画のような権力を行使できるようになるのか、
それとも、彼が特殊なだけで、若いキャリア官僚も実は権力があるのか、
その辺って一体どうなんでしょうか?

漫画やテレビを見てると、官僚の権力は凄まじいように思えてしまうけど、
(政治家は数も少ないし、ある程度は権力あるだろうけど。
それでも一般政治家はどの程度の権力があるんだろう?)
友人を見てると、そんなことも無いような気がしてしまったので……

人力検索はてな‐question:1161206884

本当にあんなことはないです(笑)。

しかしながら、そのように思われてしまうのも無理はないのだろうな、というのはわかる気もします。官僚の権力とはつまりは組織の権力であり、さらには法の力であるわけで、その意味では官僚には権力はあるわけですが、あくまで組織の歯車に対して付与されているだけです。そうした権力が有効なのは法律に書いてあることに限られますし、法律に書いてないことについては、官僚かどうかは関係がなくなります。

しかし、例えば法律がAであればX、BであればYと定めている場合において、役所がAだとの事実認識に基づきXという措置を講じた場合、事実はAでなくBだと認識する者からは、本来Bが講じられるべき措置であるにもかかわらず、法律を枉げてXを講じたと評価されてしまうでしょう。世の中は截然と分かたれているわけではなく、見解の一致が関係者の全てから得られない場合がほとんどです。

さらには、組織といっても目に見えるわけでもなければ、手で触ることができるわけでもありません。あくまで担当者一個人という人間が表象した形で現実化されるわけですから、その担当者があたかも権力そのものに見えてしまうような場合も少なからずあることでしょう。

もちろん贈収賄などの形で世に表れる行為があるのですから、そうしたことがゼロであるということではありません。でも、誤解を恐れず本質(とwebmasterが認識しているもの)を語ってしまえば、そうした問題が起こりやすい部分は法や組織が持つ権力の中では枝葉末節に過ぎません。懲戒処分の数によくあらわれていますが、懲戒対象職員の多くが末端の職員であるのは、幹部職員が不祥事をもみ消しているのではなく、そうした部分においては枝葉末節であるからこそ個人の自由になりやすいことの反映でしょう。

もっとも強力な権力においては、相互チェックが避けようもなく組み込まれているので、法律上できないはずのことができる、なんて可能性は極めて小さくなっています。「首相の犯罪」として世を震撼させたロッキード事件において、田中元総理が犯した罪はたかだか航空会社の機種選定への介入に過ぎません。他方で郵政民営化に関して、解散総選挙を含め、小泉前総理が合法的に為したことの大きさを考えれば、枝葉末節さ、という言葉の指すところがおわかりいただけるのではないでしょうか。

[law]強行法規性を問うことの意味

サミーさんの定款自治の範囲(2)というエントリーの中で、サミーさんは次のように書かれています。

問題は、の「この法律の規定に違反しない」の解釈ですが、

(1) 会社法は、強行法規性を有するので、会社法が規律している事項については、定款で別段の定めをすることができるということが文言上書かれていない限り、それは定款自治を許さない趣旨なので、そのような事項については「この法律の規定に違反」する

(2) 会社法が規律していない事項については、会社法に違反(潜脱を含む)しない限り、定款に記載することができる

ということを意味するものと考えています。

まず、そもそも「会社法が規律しているか否か」ということ自体、法文からは一義的に明らかになるのか疑問の余地なしとはできない気もしますが、その点はひとまず措いて、ここで注目したいのは(1)で述べられている「会社法は、強行法規性を有するので」という部分です。

私の理解しているところでは、宍戸教授をはじめ学界が問題としているのは、「新会社法において条文から定められた以外のオプション選択の自由が何故 限定されていると考えなければいけないのか?」ということで、これは言い換えると、「何故会社法の条文の任意法規性が限定されなければならないのか?」と いう問いではないかと思います。

それに対する答えが、「強行法規だから=任意法規ではないから」だとすれば、どうも議論がかみ合っていない気がします。

(略)

つまり、強行法規性とか定款自治の問題というのは、「何故、強行法規は強行法規でなくてはならないのか?」という問題意識の下に立てられた議論だったわけです。

これに対して、どうもサミーさんの書きぶりを見ていると、「少なくとも立法者としては強行法規とするつもりで定めた」ということを出発点として、「強行法規として定めたことで何か実際に不都合は出ているのか?」という問いの立て方をされているように見えます。

「「強行法規性」のすれ違い?」(@ふぉーりん・あとにーの憂鬱10/18付)

ここで個別に取り上げられている会社法の解釈問題については、すでにサミーさんからの回答もあり、一応の決着が付いた形となっています。よって付け加えることはないのですが、そもそもなぜこのようなズレが生じ得るのか、ということについて感想を述べたいと思います。

一言で申し上げるなら、鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん、ということになります。そもそも会社法の規定のどこまでが強行法規かについては、webmasterがその全体像や詳細を知るものではありませんが、当然ながら他にも強行規定とされているものはいくらでもあるわけです。仮にある規定を強行法規でなく任意法規だと考えた場合、当該規定がその境界線上にあるものであればよいわけですが、当該規定よりも強行法規にする必然性が少ないと考えられている強行規定がある場合、当該規定を任意法規と解したときには、そうした強行規定の解釈は当然に変更されると解すべきなのか、それとも反対解釈的に強行法規であり続けるとすべきなのか、という問題が出てきます。

まして、それら一つ一つの規定については、判例やさまざまな慣行、他法での準用や適用といった関係が存在しています。強行法規でなく任意法規だと解釈変更をした場合に、それらへの影響は許容範囲内にあるといえるのか、準用や適用についてドミノ倒し式に右へ倣えとしてよいのか、それとも違うのか、といったことを判断する必要があり、つまりは解釈変更のコストはそれほど小さなものではないのです。

こうした背景から、47thさんがおっしゃるような「『少なくとも立法者としては強行法規とするつもりで定めた』ということを出発点として、『強行法規として定めたことで何か実際に不都合は出ているのか?』という問いの立て方」は、webmasterにとっては、そうしたくなるのは極めて自然だと受け止められるのです。プログラミング等の場においても、問題なく動いているものをいじるな、ということは言われるそうですが、おそらく同じようなものなのだろうと想像いたします。

逆に言えば、ある規定を強行法規でなく任意法規だと主張されるに当たって、

  1. どういう基準で強行法規と任意法規とを分かつべきかを示し、
  2. それに照らして各規定がいずれに属するかの全体像を示し、
  3. 解釈変更の対象となる規定について、その影響の及ぶ範囲について検討した上で、
    1. 右に倣えとしてよいものについてはなぜそうかの理由を示し、
    2. そうでないものについては改正の要否、そして改正が不要であるならなぜ改正しなくてもよいかの理由を示し、
  4. この変更に伴い想定される主な反論に対する回答を用意する、

ところまでがパッケージとなった案であれば、議論はかみ合うのだと思います。でも、ここまでやらなければならないとの前提でお考えいただければ、上記の問いの立て方をしたくなる気持ちもおわかり(むしろ同情して(笑))いただけるのではないでしょうか?

本日のツッコミ(全23件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>宮嶋陽人さん 霞が関住人の感覚としては、国立大学病院その他の公設病院の医者はともかく、それ以外は公務員という気はし..]

宮嶋陽人 [>bewaad様 言葉が足りず、申し訳ありません。 私がコメントしたのは、最近のエントリで話題になっている医者の「マ..]

bewaad [>宮嶋陽人さん 誤解をして失礼致しました。「たらい回し」がいらだたしいのは十分分かるわけで、可能な限り回避する努力は..]


2006-10-23

[WWW][media]追い詰められたYouTube、あるいはGoogleが2,000億円の価値を認めた理由に関する一考察

以下は、主として日本におけるYouTubeの活用のされ方を前提とした考察です。先進国の中ではトップクラスのブロードバンド普及を誇る日本の現状は、アメリカその他の国の将来をも垣間見せているものと考えられますので、一般論としてもそれほど外れてはいないとは思いますが、一応お断りを。

起:YouTubeで人気を集めるコンテンツの傾向

webmasterはそれほどYouTubeを積極的に活用しているわけではないので、あくまでマスメディアで報じられたような事例に限られますが、話題となった動画としては次のようなものがありました。

  • NTV・スッキリ!!における山本圭一さんの不祥事を受けての極楽とんぼの相方・加藤浩次さんの号泣
  • NTV・24時間テレビにおけるアンガールズ100kmマラソンでのスタッフの暴言
  • TBS・イブニング・ファイブにおける731部隊特集での安倍官房長官(当時)ポスター挿入
  • EX・スーパーモーニングにおける亀田史郎さんとやくみつるさんの対決

もちろんこれらはwebmasterが一定のバイアスを基に選び出したものですが(YouTube視聴数統計の存在を知らないもので)、共通項は、

  • テレビで放映されたもの
  • 放映後に話題となり、その話題を知った人が次々と視聴した

ということでしょう。奇しくもwebmasterも、山田優のミュージックステーション登場においては似たようなお世話のなり方をしたのでよくわかるのですが、これまでは見損なった映像を入手するのは極めて困難だったところ(Winny等のP2Pファイル交換ソフトを使う等の手段がないわけではありませんでしたが)、そのニーズが満たされるというのは多くのユーザにとってさぞかし朗報だったことでしょう。

家庭においてはHDDレコーダの普及により録画のコストも相当程度普及したわけですが、それにしてもチューナ数の制約から全ての番組を録画できるわけではありません。他方で、昔からネットの可能性の一つとしてオンデマンドということが語られていた割には普及していませんが、もちろん帯域その他の技術的制約はあるものの、DVDその他のメディアで購入可能であるものはネットで視聴することが唯一の手段でない、ということも大きな理由なのではないでしょうか。

YouTubeは、この文脈で言えば、家庭でやろうとすれば多大なコストが必要となる全番組を録画した巨大なデータベースとして、他のメディアでは提供されない動画情報を提供するという点に絶対的な強みがあるということになります。YouTubeの経営陣がそれを狙っていたかどうかは定かではありませんが、実際にそのように使われているのは事実ですし、そうした認知が広がれば広がるほど、たまたま録画をしていた誰かが動画をアップできる可能性も高くなるわけで、それがデータベースとしての完成度を高めてさらに使い勝手がよくなる、という好循環が形成されているのが現状でしょう。

承:YouTubeのアキレスの踵

こうしたYouTubeの特長が必然的に内包せざるを得ない弱点といえば、多くの人が著作権問題を思い浮かべるでしょう。現にGoogleによる買収に当たっては、著作権がらみの訴訟リスクに多くの言及がありました。仮にこの手の訴訟で敗訴した場合、Googleにとってそれがどの程度のダメージになるかはさておくとしても、YouTubeにとっては致命的なものとなってしまう可能性は決して低くはないでしょう。

こうしたリスクを考慮すれば、3万弱(うちテレビ番組が約半分)の動画ファイルをYouTubeがテレビ局等の求めに応じて削除したのも無理のない話です。しかし、先に申し上げたように、YouTubeの強みがいわばネット上の巨大なビデオストレイジとしての存在感であるとするならば、こうした対応はその強みを自ら減じる「自殺行為」に他なりません。かといってこのような対応をおこなわなければ訴訟リスクがあるわけで、あちらを立てればこちらが立たないまことに難しい立場にあります。

このジレンマの根源を探れば、YouTubeは自らがコンテンツを作り出す存在ではない、という点に行き着きます。YouTubeの先行者利益も、あくまでコンテンツホルダーが自ら同様の事業を行わない限りにおいて、という留保を付さざるを得ません。仮にテレビ局が連合して全てのテレビ番組を無料ネット配信し始めれば、ほとんどのユーザはそちらに移行してしまうでしょう。何せテレビ局側には訴訟リスクがありませんし(少なくとも現状を超えて増えることはありません)、したがって削除に応じざるを得ない状況もありません。同様の理由から設けられている10分という時間制限もないことも手伝い、競走上の優位は揺らぎません。

だからこそ、これまでYouTubeもNBCワーナーといった大手から、MXのような弱小メディアにいたるまで、提携なり協力なりといった関係を築き上げることの必要性を認識しているわけです。しかしながら、それもYouTubeが赤字だからこその話で、儲かるビジネスモデルを確立したなら、コンテンツホルダー自身の事業展開なり、コンテンツ提供手数料の徴収なりを招くことは必定です。とにもかくにも、飯の種=提供するコンテンツにおいて、YouTubeは各種のコンテンツホルダーに全面的に依存しているのですから。

そもそも今のやり方を続けていけるかどうかもわからない上、続けて成功を得たとしてもその地位はしょせんは不安定なものでしかない、しかしながら自らコンテンツを作り出せるようなノウハウもなければ資金力もないYouTubeは、実際のところ非常に追い詰められた状況にあったわけです(その流れを明らかにしたのは、今年に入って急激に拡大した日本からのアクセスでしょう)。ではGoogleは、そんな状況にあるYouTubeのどこに2,000億円の価値を認めたのでしょうか?

転:汲めども尽きぬ魔法の泉

このことを考える手がかりは、最近YouTubeにおいて多くのアクセスを集めたとあるCMにあります。

大手出版社のCMに「濃厚キスシーン」が含まれていたとして、出版社に苦情が殺到、ネット上に飛び火した。これを夕刊紙が「ネット上でCM『エロい』と大騒動」と報じたが、実際にネット上を見てみると、「別にふつうじゃん」という声が支配的だ。ただ、このCMに関心が集中しているのは間違いないようで、「ユーチューブ」での閲覧数は30万を超えている。

2006年10月18日、夕刊フジが話題として取り上げたのは、大手出版社ベネッセコーポレーションが展開する、妊娠・出産・育児を応援する雑誌のブランド「たまひよ」のCMだ。CMは、たまひよ創刊13周年記念の特別CM「チュー編」として関東地区で10月14日から16日の3日間だけ放送された。

(略)

もっともこのCM、わざわざユーチューブで探さなくても、ベネッセ社のウェブサイトで普通に動画が公開されている。

J-CASTニュース「「エロい」キスCM 大騒動の真相」

この最後の一文の持つ意味を受け止めるため、一本補助線を引きましょう。

前述したように、URLはそれ自体が住所だから、消滅することはないだろう。しかし、そこに行き付くまでの過程で、URLを意識しなくなる日は、すでに訪れている。

ユーザーが嫌うのは、何といっても面倒なこと。簡単、便利だということでPCやケータイを利用していても、情報に行き着くまでに手間がかかってしまってはユーザーが付いてこないと考えるべきだ。

前述したように、かつてのWebマーケティングでは、ユーザーの誘導のためにはURLを告知し、アクセスを呼びかけていた。それが、検索エンジンでキーワード検索してという形へと変貌してきた。同時に、ケータイユーザーの取り込みにQRコードの活用も模索を続けている。

URLは崩壊してしまうのか。否。WWWの仕組みが変わらない限り、URLそのものはなくならないだろう。しかし、インターネットユーザーの意識の中からURLが消滅し、崩壊する時は、すぐそばまで来ているのかもしれない。

ITmedia「URLを意識しなくなる日 (3/3)」

先にwebmasterはYouTubeにとっての潜在的な最強のライヴァルとして「テレビ局が連合して」と書きましたが、そのことの意味はここにあります。つまりは多くのYouTube視聴者‐とりわけ、冒頭に書いたようなニーズを満たすためにアクセスする者‐のネットの使用法を前提として、コンテンツホルダーがそれぞれのコンテンツ提供サイトを立ち上げたことを想定すると、アクセス手法が一元化されている場合に比べ、そもそもの視聴回数が相当程度減少する可能性があります。

その好例がたまひよのCMです。ベネッセのサイトに公式の動画があるにもかかわらず、多くの者はYouTubeを経由することを選んだというのが実態です。J-CASTニュースの記事は「わざわざユーチューブで探さなくても」と書いているわけですが、これはITmediaの記事を併せ読むなら誤った評価であると言って差し支えないでしょう。30万を超えるアクセス数は、わざわざベネッセのサイトで探さなくても、YouTubeで簡単に探せるからこそ、CMを目にしたわけです。

ベネッセの場合はまだサイトにあるからいいのですが、CMだからといって必ずしも企業のサイトにあるとは限りませんし、かといってないとも限りません。いちいちサイトをしばらく漁ってみないことには、あるかないかがわからないわけです。また、あったとしても、サイトによってどういうルートでCMにたどり着けるかはまちまちで、探すコストはそれなりに必要です。YouTubeを使えばこれらのコストを大幅に削減できるというのは、ユーザにとって大きな魅力でしょう。

これを簡潔に表すなら、YouTubeには動画検索ポータルサイトとしての存在価値がある、ということでしょう。そのユーザにとっての利便性は先に述べたとおりですが、運営側だって慈善事業でやっているわけではありません。そのビジネスモデルは、かつてはなるべく多くのページヴューを稼ぎ、それを餌に広告を集めるというものでしたが、今ではそれは新たなビジネスモデルに取って代わられています。つまりは検索ワードというユーザが能動的に発信する情報を手がかりに、より効率的・効果的な表示を行うことを餌に広告を集めるというものへの進化。

言うまでもありませんが、この新たなビジネスモデルを活用して最も成功しているのはGoogleです。では、改めてGoogle経営陣が語る今回のYouTube買収の狙いを見てみましょう。

フィナンシャル・タイムズ(FT):最近のビジネスニュースの話題はグーグルのユーチューブ買収です。なぜユーザーが作るビデオがグーグルにとって16億5000万ドル(約2000億円)もの価値があるのでしょう。

エリック・シュミット:金銭面については簡単な話です。グーグルには世界最高と思われる広告システムがあるので、それを利用し、いずれユーザーがユーチューブで行っていることのすべてからかなりの事業を築けるからです。しかし、本当の理由は金ではなく、広告ですらありません。動画は、インターネットにおける新たな種類のメディアのうち最も重要なものの1つになる、ある程度は既にそうなっていると考えたからです。

ますます多くの人が、アイディアを伝えたり製品を売ったり思い出を記録したりするのに何らかの動画を利用するようになりますし、われわれが慣れ親しんでいる既存のテレビ番組などの多くが結局はインターネットで見られるようになるでしょう。

NBonline「グーグルCEOが語る買収の狙い:お金でも広告でもない/エリック・シュミット氏 インタビュー」

webmasterは、「動画は、インターネットにおける新たな種類のメディアのうち最も重要なものの1つになる、ある程度は既にそうなっていると考えた」という点が重要ではないかと考えています。先に示したビジネスモデルの鍵は検索ワードのデータマイニングですが、今後ネットにおける流通コンテンツの多くが動画になっていくならば、それに関する検索ワードが多く得られるサイトは魔法の泉に他なりません。Googleが2,000億円の価値を認めたのは、その検索ワードを集めるポテンシャルにこそだったのではないか、という気がwebmasterにはするのです。

ただ、そのポテンシャルを活かすためには、既述のアキレスの踵をもステュクス河の水に浸さねばなりません。その可能性を、webmasterは「広告ですらありません」というシュミットCEOの言葉に見出しています。

結:メディア1.0と2.0のポジティヴサム

改めてYouTubeのアキレスの踵とは何かを振り返れば、言い方を変えるならば、コンテンツホルダーに対してYouTubeでなければ提供できない見返りがない、ということです。単なる動画検索ポータルサイトでしかないのならば、コンテンツホルダー側は同じものを作ることができますし、自ら動画検索ポータルサイトを作らないにしても、それを作った場合にYouTubeが失う利益に相当する額までコンテンツ提供手数料を引き上げることができます。

他方、Googleのデータマイニング技術は、コンテンツホルダーがまねようと思ってもまねられるものではありません。そこから得られた成果をコンテンツホルダーのニーズに合うように加工して売りつけることができるならば、対等であるどころか現状とは逆に優位に立つことすら可能です。せっかく魔法の泉を手に入れ、しかもそれを汲み取るに格好の柄杓を持っているというのに、それで水を汲まないバカはいません‐といいますか、汲むために買収したのでしょうし。

ではどう加工するか。YouTubeにおいて広告に使う、というのはうまい手段であるようにはwebmasterには思えません。コンテンツホルダーと袂を分かったままでは訴訟リスクが残りますし、かといって提携を深めればコンテンツ提供手数料で吸い上げられてしまいます。もし何らかの手段でこれらを回避することが可能だったとしても、それで万が一にも動画関連の広告において独占的地位を築いてしまい、テレビへの広告供給を断ち切ってしまったならば‐Dan Kogaiさんが一つの可能性として指摘した将来像ですが‐、コンテンツの供給源、つまりは飯の種を自ら滅ぼしてしまうことになってしまうからです。なるほど、「広告ではありません」という言葉に嘘はありません。

自らコンテンツ制作に乗り出す、というのもまずいでしょう。YouTube単体とは異なり、Googleには既存のコンテンツ制作企業を買収し、即座に制作体制を整えるだけの経営体力は十分にあります。そこにデータマイニングで探し当てた受けるコツを注ぎ込めばヒット作を送り出す確率も上がるでしょうし、それをYouTubeにて独占提供、なんていうビジネスモデルは、一見魅力的ではあります。

でも、そんな分野ではGoogleのうまみ、あるいは強みが最大限発揮できません。仮に「受けるコツ」の活用により平均して視聴率を1パーセントポイント上げることができたとして、それがどれほどの売上げにつながるかを考えてみれば、日本の業界トップCXですらテレビ事業の売上げは3,000億円台、Googleの半期分の利益にすら及ばないわけで、高が知れています。それと引き換えにGoogleをGoogleたらしめている人材や企業文化とは異質の人材・文化、加えて活用の仕方について明らかに不案内な各種資産を大量に抱え込むのは、どう考えても愚策でしょう。

さらに重要なことは、YouTubeというメディアが特定のコンテンツ制作者と結び付けられてしまうことの問題です。そのようなことになれば、競合するコンテンツホルダーはYouTubeに自らのコンテンツを乗せることを厭い、動画検索ポータルサイトとしては機能しづらくなってしまいます。それでも事業として採算には合うでしょうけれど、魔法の泉をそうあらしめているからくり、つまりはマイニング対象となる大量のデータフローは減じてしまうわけで、結局は魔法の泉を涸らしてしまうに等しい行為です。

Googleの賢人たちは既にいろいろとアイデアを育んでいるのでしょうけれど、webmasterが思いつくものとしては、先のコンテンツ制作のところで述べた「データマイニングで探し当てた受けるコツを注ぎ込」む、というところを単独で売ることがあります‐要するにコンサルティング。自らコンテンツ制作に参入する場合とは異なり、このフィールドであれば独占的な立場を維持できるにとどまらず、自らの強みを最大限発揮できます。それを購入したコンテンツ制作者がその活用でコンテンツの質を上げることができれば視聴数も増えるでしょうし、バーターとしてYouTubeでのみコンテンツを提供させるといったこともできるでしょう。

他方で、コンテンツ制作者にとっても、コンテンツの質が上がることに異論はないでしょうし、テレビ局であればより高く広告主にCM枠を売ることも可能になります。というのも、番組制作に当たってターゲットを明確に絞り込むことができ、それはすなわち広告主に対して示すCM枠の価値を高められるからです。広告収入が上がればコンテンツ制作にまわせるリソースが増え、この面からもさらなる質の向上にもつながります。

もしこの戦略をGoogleが考えているのであれば、次の一手はコンテンツホルダーとの提携拡大です。金を払ってでもまずはYouTube経由でコンテンツに触れる視聴者を増やし、データマイニングの蓄積に努めることでしょう。最初は赤字だって覚悟の上、ひとつでも「YouTubeの検索データを使ったGoogleのコンサルティングのおかげでこのヒット作は生まれたんだ!」という結果が出るまでのがまんです。そうなればコンテンツホルダーは競ってYouTubeでコンテンツを流し、Googleから情報を得ようとするでしょうし、あとはデータが蓄積して自分の「商品」の価値が高まる一方、規模の利益が効いて競合他社との差はどんどん開く一方なのですから。

ちなみに、そうなったら既存のコンテンツホルダーは困るかといえば、実はそれほど困りもしないでしょう。Google & YouTubeが自らの得意分野で独占的な地位を享受するに満足している限り、あくまでそこで流され続けるのはDVD等で二次流通をさせるには割に合わないもの、つまりはロングテイル部分のコンテンツであるはずだからです‐Google & YouTubeにしても、コンテンツホルダーが大いに潤って自分たちの「商品」をどんどん買ってくれることが望ましいわけですし。世に出るすべての動画コンテンツをいったんはすべて流すにせよ、競合商品が発売されたらそれを止めるぐらいの配慮は安いものです。

戦争の果ての焼け野原に勝者として立つよりも、共存共栄の園において最も美味しい部分を独り占めする方がよほど得るものは多い‐Googleは将来をそこまで見通しているのではないか、とwebmasterは思うのです。

本日のツッコミ(全391件) [ツッコミを入れる]

Before...

東芝(TOSHIBA) 50型(50インチ) レグザ(REGZA) 液晶テレビ 4K LED 地上・BS・110度CSデジタル 3D対応 3Dメガネ別売り 倍速 外付けHDD対応 無線 50Z10X [私ダウン| Webテンプレート、どこやったあなたは入手するには、感謝負荷を通して|それはからを手に入れる? 東芝(..]

????? AQUOS ????LC-32DS3B [32V????笂?BS?110搴?S????儷??????с?娑叉??????????冦??? [ハウディ!あなたは、Twitterを使用していますか? 私はそれがであるかどうあなたをフォローしたいと思います。私は..]

LC-50W20-B シャープ 液晶テレビ 50V型(50型/50インチ) [私は最初にときに同じコメントを持つ|電子メールの電子メールコメントし私は今、"新しいコメントが追加された時に通知する..]


2006-10-24

[notice]trackback spamよけを導入しました

どういう仕様かを書くと裏をかかれるかもしれないという臆病者なので、具体的にどのようなものが排除の対象となるかは隠させていただきますが、よくある形のものであれば拒否されることはないと思います。できなかったじゃないか、ということがもしございましたら、その旨コメントください。

[media]大淀病院事件の報道姿勢

大淀病院事件については先日取り上げましたが、そこで紹介した毎日新聞の報道がどのような姿勢の下になされたのか、「「マスコミたらい回し」とは (その14) 今回の大淀病院の事例でどうすべきだったのか 産科救急担当医の見解(続き) 一方で毎日新聞奈良支局長は「大スクープ」に大喜び」(@天漢日乗10/22付)経由で、次の記事の存在を知りました。

今年8月、大淀町立大淀病院に入院した五條市の高崎実香さん(32)が容体急変後、搬送先探しに手間取り大阪府内の転送先で男児を出産後、脳内出血のため亡くなりました。

結果的には本紙のスクープになったのですが、第一報の原稿を本社に放した後、背筋を伸ばされるような思いに駆られました。

「もし遺族に会えてなかったら……」

というのは、今回の一件はほとんど手掛かりがないところから取材を始め、かなり時間を費やして事のあらましをどうにかつかみました。当然ながら関係した病院のガードは固く、医師の口は重い。何度足を運んでもミスや責任を認めるコメントは取れませんでした。なにより肝心の遺族の氏名や所在が分からない。

「これ以上は無理」

「必要最低限の要素で、書こうか」

本社デスクと一時はそう考えました。

そこへ基礎取材を続けていた記者から「遺族が判明しました」の連絡。記者が取材の趣旨を説明に向かうと、それまでいくら調べても出てこなかった実香さんの症状、それに対する病院の対応が明らかになりました。それがないと関係者にいくつもの矛盾点を突く再取材へと展開しませんでした。

さらに、患者、遺族は「名前と写真が出ても構わない」とおっしゃいました。「新聞、テレビ取材が殺到しますよ」と、私たちが気遣うのも承知の上の勇気ある決断でした。

情報公開条例や個人情報保護法を理由に県警、地検、県、市町村などの匿名広報が加速するなか、記事とともに母子の写真、遺族名が全国に伝わり、多くの反響が寄せられています。それは実名と写真という遺族の「怒りの力」によるものに他なりません。

支局の記者たちも、ジグソーパズルのピースを一つずつ集めるような作業のなかで、ぼやっとしていたニュースの輪郭がくっきりと見えた感覚があったに違いありません。手掛かりある限り、あきらめないで当事者に迫って直接取材するという基本がいかに大切で、記事の信頼性を支えるか。取材報告を読みながら、身にしみました。

改めて、お亡くなりになった高崎実香さんのご冥福をお祈りします。【奈良支局長・井上朗】

毎日「支局長からの手紙:遺族と医師の間で /奈良」

このような経緯で書かれた記事のスタンスは、CTを撮らなかった大淀病院に問題があり、もしCTを撮っていたら事態は変わっていた(=命が助かった)かもしれない、というものでした。これが正しいのであれば、不祥事の隠蔽を図る病院に対して、遺族の怒りを糧に真相を暴きだした正義のマスメディア、といわんばかりの自己認識もある程度正当化は可能でしょう。しかし、正しいのでしょうか?

紹介した天漢日乗のエントリ名に「その14」とあるように、この問題を継続的にフォローしていらっしゃいますが、そこでは2ちゃんねるの書き込みを中心に状況を分析していらっしゃいます。ソースが2ちゃんねるだという前提でご理解いただきたいのですが、そこでの議論の流れをまとめるならば、

  • CTを撮っても脳出血であったとわかるだけで、わかったところで大淀病院ではなにもできなかった。
  • 子癇発作と分娩という前提で搬送先を探していたが、脳出血と分娩だとわかっていたところで、現に受け入れ困難とした病院が受け入れるとすることは想定しがたい。
  • より高度な対応が必要ということで、現に受け入れた国立循環器病センターにより早く搬送が決定した可能性はあるが、そうであったとしても結果は変わらなかった可能性が高い。というのも、
    • 脳出血は出血と同時に脳細胞破壊が生じるので、3時間以内に手術できなければ死亡の可能性は高い。
    • 他方、国立循環器病センターへの搬送は1時間以上を要し、かつ、分娩中の脳出血は帝王切開を先行させるのが通例である(脳出血が発生してしまった段階で母体は死亡の可能性がそれなりにあるので、2人死ぬよりは1人しか死なない方がマシ、という判断)ので、脳出血への手術は発生から3時間以内には不可能。
  • なお、大淀病院においてCTをとる場合、安静が求められる患者を動かすリスクがあった。
  • 受け入れ態勢が整っていなくても受け入れるべきだというのは、そうした体制が整っていないのに受け入れた場合に過失責任が判例上認定されているので、望むべくもない。

ということだとのこと。

もちろん最終的には毎日新聞の報道が正しく、2ちゃんねるの書き込みが間違っていた、ということになるのかもしれませんが、少なくとも現段階においては、いずれが正しいとは決めかねるのではないでしょうか(webmasterの主観的印象では、2ちゃんねるの書き込みの方が信頼できそうですが)。であるならば、不十分な情報に基づき軽々に断罪することなく、双方の見方をバランスよく伝えてこそのマスメディアでしょう。まして、もし2ちゃんねるの書き込みの方が正しいなら、医療従事者にとっての訴訟リスク・風評リスクを高め、より医療サービス供給体制を整備するコストを増加させることになってしまうのですから。

ちなみに、奈良県の医療サービス供給体制整備の現状について、次のような報道がありました。ご参考まで。

奈良県立奈良病院(奈良市)の産婦人科医5人が04、05年の超過勤務手当の未払い分として計約1億円の支払いと、医療設備の改善を求める申入書を県に提出したことがわかった。医師らは「報酬に見合わない過酷な勤務を強いられている」と訴えており、要求が拒否された場合は、提訴も検討する方針。

県によると、同病院の年間分娩(ぶんべん)数は05年度で572件。産婦人科関連の救急患者は年間約1300人にのぼる。産婦人科医が当直をした場合、1回2万円の当直料が支払われるが、当直の時間帯に手術や分娩を担当することも多いという。

申入書によると、当直について労働基準法は「ほとんど労働する必要がない状態」と規定しており、実態とかけ離れていると指摘。当直料ではなく、超過勤務手当として支給されるべきで、04、05年の当直日数(131〜158日)から算出すると、計約1億700万円の不足分があるとした。現在9床の新生児集中治療室(NICU)の増床や、超音波検査のための機材の充実なども要求している。

医師の一人は「1カ月の超過勤務は100時間超で、医師の体力は限界に近い。更新期限を過ぎた医療機器も少なくなく、これでは患者の命を救えない」と訴える。

県は、産科医を1人増員するなどの改善策に乗り出すとともに、医療設備の改善を検討しているが、超過勤務手当の支払いは拒否した。担当者は「財政難のため、すべての要求に一度に応えるのは難しい」と説明する。

朝日「「過酷な当直」、産科医5人が超勤手当1億円要求 奈良」

[economy][BOJ]CPIは1ポイント以上でようやくゼロインフレ?

これまでも当サイトではたびたびボスキンバイアス(CPI(Consumer Price Index、消費者物価指数)は統計のクセとして高めの数字が出るということ)に言及してきましたが(最近では8/309/2あたり)、それでも最大で1ポイントを超えるかどうかだと思っていました。8月の基準改定によりそのうちいくばくかは訂正されたわけですから、今ではコンマの前半ぐらいだろうというのがこれまでのwebmasterの相場観でした。しかし、そうではないのかも、という話が。

リフレ政策にはまったく踏み込んでいないのだが、「輸入デフレをデフレの主犯格と見るのは無理。不況によって発生した需要不足がデフレを発生させた」とか「日本のCPIには0.73%〜1.34%の上方バイアスがある」とか、どこかで聞いた話が満載の隠れリフレ本的な雰囲気もある。まぁ、とかいいつつ聞いてみるとそうじゃなかったりすることもしばしばあるので予断は許さないが(w 少なくとも、この本で書かれている内容は非常にまっとうなものだと思う。

「門倉貴史著「統計数学を疑う なぜ実感とズレるのか?」を読む」(@A.R.N [日記]10/22付)

くしくも門倉本はこの週末店頭でパラパラとめくり買ったところだったのですが、8月の基準改定の影響が▲0.5ポイントでしたから、依然として0.23〜0.84ポイントの上方バイアスが残っていることになります。直近のCPI(本年8月分)は生鮮食料品を除くベースで0.3%、酒類以外の食料とエネルギを除いたベースで▲0.4%ですから(いずれも全国・総合、前年同月比)、上方バイアスを除去すればいずれで見てもまだデフレ真っ只中、ということになります。

さらには、もっと上方バイアスは大きいのではないか、という意見も。

日銀が今年3月9日発表した「新たな金融政策運営の枠組みの導入について」の中で、「『物価の安定』についての考え方」をこう説明した。

「『物価の安定』とは、概念的には、計測誤差(バイアス)のない物価指数でみて変化率がゼロ%の状態である。現状、わが国の消費者物価指数のバイアスは大きくないとみられる」

同発表の背景説明で、日銀はCPIの計測誤差(バイアス)に、指数算式など8つある可能性を指摘した。CPI算出の難しさがわかっている日銀がバイアスが大きくないというのは異例といえる。

(略)

日銀が日本のCPIにバイアスはないと指摘してから5カ月後、指数算出の基準改定が総務省から発表された。算出の基準年は5年に一度改定されており、日銀が指摘した8つのバイアスであるウエートが変更された。それによれば今年3月の上昇率は0.1%とプラスだったが、量的緩和解除を受けた4月は0.1%下落とマイナスに転じた。この4月の数値は旧基準で算出した水準を0.6ポイント下回る。日銀が短期金利を0.25%に引き上げた7月の上昇率はわずかプラス0.2%だった。

(略)

米国の統計算出手法でこうした上方バイアスを合理的に推定すると、日本のCPI上昇率は平均で1%強、実態より高めになっていたと思われる。ただし、これは年によって大きく変わる可能性がある。京都大学の有賀健教授は、分析した対象品目についてのバイアスを1.5〜2%と見積もっている。そのうえ、品質の向上と新製品の発売によってさらにかなりの上方バイアスがかかる公算が大きい。

日経「日本の統計 精度向上急務/正しい政策の前提/政府・日銀、専門人材増やせ/デビッド・ワインシュタイン・コロンビア大学教授」(10/23付経済教室)

ワインシュタインとは、当サイトで何度となくお世話になっているあのワインシュタイン‐つまりは、ブロダ&ワインシュタイン論文のワインシュタイン‐ですが、彼によりここで示されているバイアスは、なんと1〜2ポイントであり、「そのうえ、品質の向上と新製品の発売によってさらにかなりの上方バイアスがかかる公算が大きい」ときています。有賀先生の見積りとは、おそらくAriga, Kenn and Matsui, Kenji, "Mismeasrement of CPI", 2002のことだと思うのですが、レファレンスや添付図表をあわせて52ページの大論文(しかも英語)なので存在に触れるだけとさせていただきますが、それにしてもすごい数字です。

ワインシュタイン自身が示した「平均で1%強」とは、アメリカ式に、

  • 平均の計算方法を算術平均から幾何平均に変更し、
  • 基準を5年に一度でなく毎年変更することとした、

場合の数字です。後者は今年8月以降の1年間に限っては解消されていますが、例えばワインシュタインが言及している「品質の向上と新製品の発売」について、門倉本では耐久財とサービスをあわせて0.43〜0.93ポイントという推計がなされているのですから(p198)、その一部は基準の毎年変更により解消されるにせよ、1ポイント以上のバイアスが依然として残っていると考えてもおかしくはないでしょう。

こうしたバイアスによりどういう問題が生じるか、ワインシュタインは次のように指摘します。

政府の統計作成の改善には資金が必要だ。経済学者や統計学の専門家に投資する見返りに何が得られるのだろうか。

まず、日銀のエピソードが物語るように、悪しき統計は悪しき意思決定につながる。日銀が3月に物価上昇率がわずかプラス0.1%だと知っていたら、量的緩和解除はなかったに違いない。日銀の行動がデフレ回帰を促すことがないよう期待したいが、日本の戦略は期待に基づいたものであるべきではない。日銀の使命は物価安定だが、バイアスのかかった不正確な手法を使って算出された物価データしか見ていなかったら、使命を果たせるはずがない。

第二に、統計の改善は日本の財政状況に大幅な前向きの影響を及ぼす可能性が高い。公的年金など日本の政府支出の多くはCPIに連動している。これにバイアスがかかっていれば、政府は必要以上の支出をしていることになる。

例えば、日本の年金支出の伸び率が先のバイアスによって実際の物価上昇率より1%高くなっているとすれば、93年から2003年にかけて、政府はこの過ちによって合計23兆円を失ったことになる。この数字は、公共投資支出または公的医療支出の年間総額にほぼ匹敵する。言い換えれば、日本の物価上昇率を正しく計算することは、非効率な政府プロジェクトの洗い出しや医療制度改革よりも有効だということになる。

日本のために安倍首相がとることができる最もコスト効率の高い方策は、数百人の経済学者や統計学の専門家を雇用することかもしれない。

日経「日本の統計 精度向上急務/正しい政策の前提/政府・日銀、専門人材増やせ/デビッド・ワインシュタイン・コロンビア大学教授」(10/23付経済教室)

第1点については、冒頭に示したリンク先で書いているように、知っていたからこそ基準改定の直前にならぬよう冷却期間を計算してやったのではないかとwebmasterは疑っているわけですが、にしても、そうしたバイアスが専門家だけの知識にとどまらずマスメディアに広く知れ渡っていたなら不可能だったろう、とは思います。上方バイアスの存在も知らずに日銀の操作に乗せられるな、というよりは上方バイアスをなくす方が早道なのは確かでしょう。

#ワインシュタインは、うすうす察しながらも大人の態度でこのように書いたのだったりして(笑)。

第2点については、webmasterはうかつにも気付きませんでしたが、確かにそうした効果があることに間違いはありません。ただ、単純計算で23兆円のすべてが1ポイントのバイアス分物価スライドが上振れたことの反映だとするなら総額があまりに巨大になってしまうわけで、CPIがマイナスだった期間においては物価スライドが停止されたことの影響が加味されてしまっているのではないか、という気はします。いずれにしても、この点については消費を下支えする効果があったでしょうから、今後の改善はさておき、これまでに限って言えば結果的にはよかったかな、とも思うのですが。

しかし、もっとコスト効率を上げるため、数百人集めて精度を上げることに先立ち、今すぐにでも機械的に上方バイアスは1ポイントであるとみなし、それを差し引いたものをCPIとして使うことにする、というのはダメでしょうかねぇ(笑)。

[comic]現在官僚系もふ・第70話

葬儀へ参列するに儀礼として求められる服装を無視し、焼香に当たって抹香を投げつけるとは、織田信長? だからといって実は親子だった、なんてひねりは一切ないのでしょうけれど。

一、備後守殿疫癘に御悩みなされ、様々の祈祷、御療治侯と雖も、御平愈なく、終に三月三日、御年四十二と申すに、御遷化。生死無情の世の習ひ、悲しきかな。颯貼たる風来なりては、万草の露を散らし、漫漫たる雲色は満月の光を隠す、さて一院建立、万松寺と号す。当寺の東堂桃巌と名付けて、銭施行をひかせられ、国中の僧衆集まりて、生便敷御弔いなり。折節・関東上下の会下僧達余多これあり、僧衆三百人ばかりこれあり。三郎信長公、林、平手、青山、内藤、家老の衆、御伴なり。御舎弟勘十郎公、家臣柴田権六、佐久間大学、性久間次右衛門・長谷川、山田以下、御供なり。

信長御焼香に御出づ。其の時の信長公御仕立、長つかの大刀、わきざしを三五なわにてまかせられ、髪はちやせんに巻き立て、袴もめし侯はで、仏前へ御出でありて、抹香をくはつと御つかみ侯て、仏前へ投げ懸け、御帰る。御舎弟勘十郎は折日高なる肩衣、袴めし侯て、あるべき如きの御沙汰なり。三郎信長公を、例の大うつけよと、執貼評判侯ひしなり。其の中に筑紫の客僧一人、あれこそ国は持つ人よと、申したる由なり。

信長公記 巻首 備後守病死の事(webmaster注:強調はwebmasterによります)

本日のツッコミ(全24件) [ツッコミを入れる]

Before...

通行人 [見込み捜査で誤認逮捕すると、マスコミは一斉に問題視するんだから、見込み取材で捏造までして誤報をしたマスコミももっと叩..]

bewaad [>bn2islanderさん 今回に関して言えば、病院の記者会見で誤りだと(現場の事情を十分に把握しないまま?)認め..]

bewaad [>通行人さん メディアが政府を仮想敵にし過ぎていることが原因なのかな、と考えています。身内で傷つけあうのは、政府を利..]


2006-10-25

[economy][BOJ]続・CPIは1ポイント以上でようやくゼロインフレ?‐CPI改定のGDPデフレータへの影響

昨日はCPIについて論じましたが、本日の主役はGDPデフレータです。esriによる消費者物価指数(CPI)平成17年基準改定の国民経済計算(SNA)に対する影響(参考試算)から試算結果の集計表を転載すると次のとおりです。

平成18 年4-6 月期の家計最終消費支出及びGDP(実質値及びデフレーター)に関する参考試算(結果)/(単位:%)
今回試算4-6月期2次QE(9月11日公表)変化幅(今回−2次QE)
実質家計最終消費支出
(季調済前期比)
0.60.50.1
(年率)2.32.00.4
家計最終消費支出デフレーター
(前年同期比)
▲0.6▲0.1▲0.5
実質国内総生産(支出側)(注)
(季調済前期比)
0.30.20.1
(年率)1.21.00.2
GDPデフレーター(注)
(前年同期比)
▲1.1▲0.8▲0.3
国内需要デフレーター(注)
(前年同期比)
▲0.20.1▲0.3

(注)家計最終消費支出以外の需要項目の名目値、実質値、デフレーターは18年4-6月期2次QEの値を不変と仮定している。

消費者物価指数(CPI)平成17年基準改定の国民経済計算(SNA)に対する影響(参考試算)

かくも量的緩和解除時やゼロ金利政策解除時に方々から指摘されていた、まだデフレなのに逆噴射、という実態を裏付ける話題には事欠きません。にもかかわらずそれを反省するどころか更なる利上げを視野に入れる日銀の頼みの綱は、実質GDP成長率が潜在成長率を上回っているからインフレのおそれがある、との言い訳でしょう。GDPデフレータのマイナス幅が拡大するとは、実質GDP成長率を押し上げる効果があるのですから、デフレが継続していることが明らかになればなるほど利上げの大義名分が強化されるという、非常に困った事態に直面しているのが現状なのです。

蛇足ながら本件の解釈について。

内閣府は23日、全国消費者物価指数(CPI)の基準改定を受け、国内総生産(GDP)統計で物価の総合的な動きを示すGDPデフレーターを2005年4―6月期までさかのぼって改定すると発表した。内閣府の参考試算によると、今年4―6月期のGDPデフレーターの前年同期比の下落幅は拡大し、数字上はデフレ脱却が遠のく格好となった。

日経「内閣府、GDPデフレーター改定へ・4―6月期の下落幅拡大」(webmaster注:強調はwebmasterによります)

webmasterの曲解かもしれませんが、数字上遠のいたという表現は、実態は変わらずデフレ脱却が近いのに、というニュアンスではないでしょうか。そうであるとすれば本末転倒な話で、これまでは実態よりも見かけ上デフレ脱却が近づいていたように見える数字だったのが、より実態に近い数字になったというべきでしょう。

[WWW][law][book]白田秀彰「インターネットの法と慣習」

本書は全3章(終章を入れれば4章)からなりますが、第1章と第2章は法哲学・法制史の非常によくできた入門だと思います。法とは何か、英米法と大陸法の違い、法が社会においてどのように機能するのか(紛争解決のあり方)、といった論点について、短いですがわかりやすいまとめがなされており、このようなタイトルをつけてしまうのがもったいないぐらい。インターネットには関心がないけど法律について興味がある人向けの入門書としても、自信をもってお薦めできます。

#若干乱暴なまとめもあり正確さを犠牲にしている面もあるでしょうけれど、それは本書の特長の裏返しでもあり、それ自体を批判するのはフェアでないとwebmasterは思います。ただ、本書の先を考える際の参考文献の紹介はあって欲しかったな、という気はしますが。

他方で第3章(と終章)は疑問を感じざるを得ません。その内容が何であるかは、次が象徴的でしょう。

私は「ネットワークには独自の法あるいは固有の価値がありうるはずだ」という主張を掲げている。ところが実際には、そうした独自の法や固有の価値は、なかなか成長しないし明確化されない。その理由として、私たちが「名」を賭けてネットワークにおいて活動することを避けようとするため、法が発生する基盤となる「責任帰属主体」がアヤフヤであること、「名」を掲げた主体が気迫であるため、規範形成に必要な権威の成長と典礼の整備が阻害されていること、とくに日本のネットワークにおいて、政治的に活動することが忌避されていること、を指摘した。こうして、ネットワークにおいて成立しえたかもしれない固有の価値は、明確な主張や要求として形成されず、それがゆえに、モヤモヤとした不満や不都合がネットワークに蔓延し、さまざまなメンドウな事態が生じているのではないか、と考察した。……というような流れになっているようだ。

p184

疑問というのは、当然ながら究極的には「ネットワークには独自の法あるいは固有の価値がありうるはずだ」という主張に対するものになります。比較的少数の人間による同質性が保たれていたかつてであればともかく、大多数に向けて開かれた現在のネットワークにおいて、「独自の法あるいは固有の価値」は、形成されていないのではなく形成し得ないのではないでしょうか。

一例として、最近話題になった無断リンク禁止の是非(徳保さんによるまとめがもっともバランスが取れていると思います)を見てみましょう。インターネットがその成り立ちにおいて志向していた価値観や、今後の利便性の向上などを考えるならば、無断リンク禁止はナンセンスであるとwebmasterは思いますし、現に無断リンクをしまくってもいます(他からされても抗議などしませんし)。リンクの自由は「ネットワークの固有の価値」として、一昔前であれば広く認められていたといえるでしょうが、今なおwebmasterは理想として追求する価値のある主張だと思っています。

しかしながら、現状においてリンクの自由が「ネットワークの固有の価値」として、立場を問わず広く支持を集め得るかといえば、それは無理だろうとも同時に思います。現にそうでない者が少なからずいるのは否定できませんし、今後ネットに参入してくる者については、むしろリンクの自由を尊重しない方が多いぐらいではないでしょうか。リンクというハイパーテキストのもっとも基本的とも言える機能についてすらコンセンサスが形成できないというのに、まして他においてをや。

「モヤモヤとした不満や不都合がネットワークに蔓延し、さまざまなメンドウな事態が生じている」のは、「ネットワークの固有の価値」を代表・代弁する者の不存在によるではなく、従来「ネットワークの固有の価値」と暗黙のうちに想定されてきたものが、参画者の急激な増大によりその地位を追われつつあることによることが相対的には多いのではないかとwebmasterは思います。典型的には、よくMicrosoft的なるものが悪役になるわけですが、それを受け入れる者の増大こそが軋轢の原因なのであって、そこから目を逸らしてMicrosoftを叩いたところで解決する話ではありません。

結局は「お上」に対する不満に似た、あるべき状態が達成されないのは何らかの不適切な者の存在ゆえであるという視座から離れ、民主政(に限らず政治全般がともいえるのですが)とは異なる価値観を如何に妥協させ共存させるかの技術である、という認識を持たなくては、その先に待つのは青い鳥を探す永遠の旅に過ぎません。悪役がいた方が心の平安は得られるでしょうけれども、それでは運動が自己目的化してしまうわけで。

とはいっても、一般論として法化が望ましいと割り切るなら、第3章のような議論を好む層に対して第1章・第2章の内容を読もうとさせることに意義があるのだ、とも評価できるでしょう。webmasterが書いたような夢のない話を正直に明らかにするよりは、説得の技術として優れていることは事実です。そこまで見通した上であえてこのような議論を著者が選んだ、というのであれば、上記の指摘を浅薄なものとして取り下げるにやぶさかではないのですが。

本日のツッコミ(全436件) [ツッコミを入れる]

Before...

シャープ 32V型 液晶テレビ アクオス J10ライン LC-32J10-B ブラック系 [へや!私は仕事で私閲覧私の新しい iphone4からあなたのブログを!あなたのブログとすべてのあなたの記事を楽しみに..]

??儕ぐ膏?冦? PANASONIC VIERA ?????H-L32X2-K [32V????笂?BS?110搴?S????儷??????с?娑叉??????????????冦?] [こんにちは!のためウェブサイトあなたしばらく今、最終的に得た勇気先に行くし、あなたを与えるために|私は読み取り、次の..]

スーパーコピー時計 [<a href="http://www.tokei-n.net/">スーパーコピーブランド</a> <a href..]


2006-10-26

[economy][BOJ]続々・CPIは1ポイント以上でようやくゼロインフレ?‐市場が織り込む日銀のデフレターゲット

さらに警戒すべきは、物価連動国債から計算されるブレークイーブンインフレ率の急落にみられるように、期待インフレ率下落の徴候が顕著なことだ。日銀が金融を引き締めているのだから当然ではある。消費者物価指数をみても、食料及びエネルギーを除く総合指数は依然としてデフレのままである。

日経「大機小機/安倍首相の幸運は続くのか」

ブレイクイーヴンインフレ率はチェックしていなかったなぁ、とその推移をみると、非常に興味深い動きをしています。簡単にまとめると次のとおりです。

時期ブレイクイーヴンインフレ率の動き
昨年後半0.4%強をボトムに上昇に転じ右肩上がり
本年5月末約1.0%でピークアウト
〃9月後半0.8%強から0.6%へ0.2ポイント程度の急落

これに、それぞれの時期にどのようなことがあったのかを重ねてみましょう。

時期ブレイクイーヴンインフレ率の動き主な出来事
昨年後半0.4%強をボトムに上昇に転じ右肩上がり日銀の「地均し」
本年5月末約1.0%でピークアウト3/9量的緩和政策解除、7/14ゼロ金利政策解除
〃9月後半0.8%強から約0.6%へ0.2ポイント程度の急落8/25CPI基準改定

こうしてみると、ゼロ金利政策の解除はブレイクイーヴンインフレ率(≒期待インフレ率)がピークアウトしていたにもかかわらず、1%のインフレ(しかもCPIベース)すら許すまじとの断固たる決意で行われたということがよくわかります。やはり日銀は、かつてwebmasterが推測したとおりデフレターゲットを事実上導入しているとみるべきでしょう。

  1. 許容されるインフレ率の上限をCPIベースで2%と明示する一方(他国なら普通は下限ですけどね)、
  2. その下限をCPIベースで0%とも明示し(CPIでゼロってことはまだデフレ)、
  3. その運用としては下限をほんの少し上回った段階で引締めを始め(ゼロ金利維持で緩和しているだなんて悪い冗談です。ヴェクトルとして引締め方向に動いておいてよくもまあ)、
  4. 他方で仮に下限を割っても政策手段は何もないとして事実上放置を宣言しているので(量的緩和はプルーデンスだそうですから、金融危機の兆しがなければ物価が下がったところで発動されないでしょう。また長期国債買い切りについても、日銀券発行残高というシーリングを破る気は全くないでしょう。もちろんマイナス金利は不可能です)、
  5. 以上から予想される金融政策は、
    1. CPIが0%以下:事実上何もしない
    2. CPIが0%超1%以下:引締め気味
    3. CPIが1%超2%以下:2%を上回ることのないよう厳しく引締め
    4. CPIが2%超:なりふりかまわぬ引締め

「怨・デフレターゲット設定」(3/10付)

そんなに日銀を批判するのはごく一部の偏屈者だけだ、マスメディアの論調も、それに寄せられる識者のコメントも、ほとんどが日銀の姿勢を是とし、あるいは弱腰にならぬよう叱咤しているものがほとんどではないか、というご指摘もあるでしょう。しかし、ブレイクイーヴンインフレ率、すなわち投資家が通常の国債とインフレ連動債の価格差という形で示すインフレ率見込みが現に1%をキャップとして推移しているわけですから、つまりはこれこそが市場の声なのです。

加えて、一昨日書いたように、CPIという統計指標は、理念的なインフレ率に比べて高めの数字が出る傾向にあり、そのバイアスの幅は1ポイントを超えていてもおかしくはない、という状況にあります。インフレ連動債において参照されるインフレ率とは生鮮食料品を除くCPIですから、このバイアスを含んだ数字として、先の上限1%という相場観が形成されている、すなわちデフレターゲットが行われている市場は見ていることになります。市場のこのような判断が、もう少し広く認知されてもいいのではないか、とwebmasterは思うのですが。

[economy][government]産科の暗黙のナショナルミニマム

一昨日のエントリに係るコメントのやりとりを受け、iori3さんが次のようにお書きです。

bewaadさんは、
 助産師でまかなえるお産がナショナルミニマムと政府が考えている
と仰っているが
 お産には急変する場合がある
ので、
 出産途中までは普通分娩でも、急に大出血など大事に至る
のだ。だから
 普通分娩しか扱わない助産院から病院へ搬送される事例
があるわけなのだ。助産師さんから見て
 高リスクではない、普通の妊婦
であっても、油断は出来ないのだ。だから
 助産師が扱える普通のお産がナショナルミニマム
というが政府の方針だとすると
 普通の妊婦の急変が、医療サービスの薄いところで起きたら、「救命第一」ではなく「事故となってもやむを得ない」と政府が考えてる
ってことだ。

(略)

しかし、bewaadさんの仰るのが
 政府の方針
だとすれば、
 医療が整備されてない地域に居住する「高リスク妊婦」予備軍を政府は切り捨てたい
ということになるな。(略)

(略)

どういうソロバンか分からないけど、お産って、
 一生にせいぜい1,2回のヒトが殆ど
だから、
 普段ほとんどかかることのなく、批判を受けにくい産科を狙い撃ちにした、ナショナルミニマム策定
だとすると、考えついた官僚は、地獄に堕ちるなあ。

「熊本県では高リスク妊婦は出産できない? 「搬送お断り」も 周産期医療の整備難しく 医療が薄い地域では「高リスク出産を淘汰したい」のが政府の方針か?」(@天漢日乗10/25付)

webmasterの書き方もミスリーディングだったわけですが、政府が助産師でまかなえるお産がナショナルミニマムだ、などと正式決定したことはありませんし、誰かがそう企んでいるわけでもありません(少なくともwebmasterが知る限りにおいては)。ただそれは、事態がより絶望的であることに他ならないのですが。

改めて整理するならば、事実上そのようなナショナルミニマムへと事態が進展しているのは、

  1. 財政再建が日本にとって主要な課題であるとの認識が広く共有され、かつ、そのためには歳出削減が必須であるとの方向が打ち出される一方、
  2. 地方財政・医療財政がともに削減の対象とされ(反対すれば、「省益」を「公益」に優先させる「抵抗勢力」と認定されます)、
  3. その結果、地方における医療サービス供給確保に費やすことができるリソースが減少するので、
  4. なすべきことの全てがなし難い救急現場においてトリアージによって優先順位が低いと判定された患者への施療が後回しにされるが如く、産科は直接の担当者の自主的な判断によって割を食わざるを得ない状況に追い込まれている、

ということからです。誰かがナショナルミニマムを決めたのであれば、それに対して反論するなどといった対応が可能ですが、そうした者はどこにもいないので、そうした対応は何ら不可能なまま事態だけが進行しているわけです。

直接産科へのリソース割り当てを削っている地方公共団体や病院を批判したところで、上記3で「外堀が埋められている」以上は、ゼロサムどころかネガティヴサムの中でのパイの取り合いでしかありません。iori3さんがご指摘のように、お産は人生に平均で1.3回しか体験せず、他方で助産師が扱える普通のケースが過半をはるかに上回るわけですから、困る人の割合は極めて小さいというのは否定できない事実でしょう。これでは優先度は下がらざるを得ません。

さらには、厚生労働省を責めても、効果はきわめて間接的なものにとどまらざるを得ません。彼/女らにしても「外堀が埋められている」状況には変わりはないからで、彼/女らにしたって、予算が十分にもらえるのであればもっと高度な医療サービス供給を行いたいのは間違いありません。厚生労働省に対する責任追及は、彼/女らが経済財政諮問会議において民間議員に反論したり、財務省と予算折衝をしたりする際の材料提供ぐらいにはなるかもしれませんが‐よって間接的な効果を認めてはいるのですが‐、それを超えるものではありません。おそらくは、医者などから責められる担当者にしてみれば、それはメディアがあなたたちにしているのと同種のいわれなき非難だってことをわかってくれよ、ぐらいは思っているのではないでしょうか。

#個別に問題はあるにせよ、総じて、厚生労働省は限られた予算の中で、多くの関係者の利害をバランスよく調整しているようにwebmasterは思います。

ですから、現在の状態を改善しようとするならば、「外堀を埋められている」状況に対処しなければなりません。となると標的は1か2か、ということになるのですが、2ではパイの減少というそもそもの制約が回避できない上、得てして「お前のところは無駄だから削ってこっちに回せ」「いや、そちらこそ不要不急だからむしろこちらが優先されるべきだ」という分断統治に嵌りこんでしまうわけで、疲労困憊の末に出てきた結果は喧嘩両成敗、といったことにもなってしまいます。

残るは1ということになるわけで、パイを増やす中で個別の取り分の増え方で優先度合いを調整していく、という途を目指すべきでしょう。1の唱道者はまだまだ無駄は多い、それを省けばより少ない額で同じこと、場合によってはよりよいことが可能だというロジックを用いていますが、無駄を省いた分だけ総額は同額としたままで中身を充実させる、というオプションの存在を隠しているのが実態です。まずはここから反論していくというのが、現実的なやり方なのではないでしょうか。

この議論のきっかけとなった大淀病院事件を「スクープ」した毎日も、なぜこのようなことになってしまったかについてのまともな検証をまったく行う気はないというわけでもなさそうですが、上記にまで踏み込まない限り、「総論賛成・各論反対」のフレーズで片付けられてしまうであろうことには気付いていないんでしょうねぇ。

奈良県大淀町立大淀病院で妊婦が意識不明となり、搬送先の大阪府内の病院で死亡した問題で、受け入れの打診を受けた同府内17病院のうち、9病院の断った理由が25日、分かった。大半が「満床」や「処置中」などを理由にしており、病床数不足や医師不足が背景にあるとみられる。全国トップレベルの周産期医療を誇る大阪府でも高リスクの患者の受け入れが厳しい状況になっている実態が浮き彫りになった。【河内敏康】

毎日「奈良・妊婦転送死亡:9病院「満床」「処置中」で拒否 背景に医師不足」

本日のツッコミ(全64件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>鍋象さん いえいえ、どういたしまして。]

通りすがり [鍋象様> >政治を内生化できない以上、内生的モデルだけで経済予想を行うのは無意味みたいな。 おっしゃる通り。実体経済..]

bewaad [>通りすがりさん 以前取り上げた上川「経済政策の政治学」によれば、「圧力」は世間的に見られているよりもはるかに力を持..]


2006-10-27

[politics][economy][pension][book]権丈善一「年金改革と積極的社会保障政策/再分配政策の政治経済学II」

先日紹介した「I」の続刊ですが、相変わらず世間に阿らず著者自身の納得がいくまで思考を積み重ねていく様には、素直に敬服いたします。行政がやることだからといって脊髄反射で貶したりせず、是々非々で評価いただくのは霞が関住人としては落涙モノですが、御用学者といったレッテルが貼られてしまうのではないかと心配ではあります。

本書の構成は、タイトルが示す年金改革と積極的社会保障政策が2つの大きな柱であり、それに著者のサイトでも見ることができる「勿凝学問」と題されたエッセイがちりばめられたものです。政府の施策が持つ意義を丁寧に解き明かす年金改革についての記述は、野党やメディアが喧伝する年金不信に共感する方々にはぜひともお読みいただきたいですし、勿凝学問はエッセイとして時事問題の一断面を簡潔かつ軽妙に提示するもので、こんな文章を書けるようになりたいと思わせるものですが、やはり本書においてもっとも重要なのは、積極的社会保障政策についての言及でしょう。

積極的社会保障政策とは何か、その含意が一番はっきり表れているのは次の部分でしょう。

こうした状況のなか、日本が経済政策で求められていることは需要の回復である。そして需要を回復させる方法のなかで、社会問題解決とも合目的的な方法は、福祉サービスの家計内生産を外部化することである。この時、図3-15にみるように、日本の進むべき道には2つの方向がある。ひとつは、従来、家計がやっていたことを市場に任せるアメリカ型であり、いまひとつは、政府に任せるスウェーデン型である。

こうした選択に直面する時に、間違いなくアメリカ型を選択してしまうのが、典型的日本人の癖である。しかしながら、アメリカには低賃金労働者がいるために家計生産の外部化が市場において機能しうるのであるし、なによりも、「いくつかの国(たとえば、アメリカ)を除いて、ほとんどの社会サービスの成長は公共セクターのなかで起きている」という先進諸国の経験則を、われわれは知っている。(略)ところが日本は、未だに、先進諸国の経験則に反した方向に進もうとする典型的日本人好みの選択をしようとしているようである。しかしながらそうしたアメリカ型の方向では、労働者保護立法を緩め取り去り──いわゆる労働市場の規制緩和を図ることによって──賃金格差を拡大させでもしないかぎり、日本では早晩行き詰るであろう。「サービス活動が安価なところでは、市場が機能する」のであるが、労賃が高い社会ではサービス活動が安価にはならない。(略)

結論から先に述べれば、日本が進むべき道は、福祉サービスを家計生産に依存した福祉国家から政府生産に強く依存する福祉国家へと転換することであろう。そして、従来の家族依存型福祉国家から政府依存の福祉国家へと転換しながら社会サービス需要を創出していくプロセスは、公共支出をどの分野に向けるべきかという問題の解決を政治力学に委ねたままで良しとしたこれまでのケインズ政策とは根本的に異質であるが、その経済効果は第2次ケインズ革命と呼ぶに値する変化ではないかと思っている。(後略)

pp161-163

偽装請負問題などに見られる労働法制の昨今の指向を考えれば、「労働者保護立法を緩め取り去り・・・賃金格差を拡大させ」ることが「アメリカ型の方向」には必須だとの慧眼には脱帽ですが、それは脇筋ということで、本筋についても傾聴に値するでしょう。家計における社会福祉サービスの自家提供の外部化を所得再分配と組み合わせて行うというのは、専業主婦を中心とした女性の自己選択の拡大という機会平等の実現にとどまらず、このところ当サイトで話題とすることが多いナショナルミニマムの確保に資し、さらには人口減少社会として暗い見通しが闊歩する日本経済における生産人口増加という効果をももたらすものではないかとwebmasterは思います。

#労働法制に関して言えば、最近においてもしばしば目にする、国内のサービス産業の低生産性改善、ということにも相通じます。非貿易サービスであり、もっとも効率的な国で生産させて輸入することができない以上、労働集約的なこの産業の生産性を向上させるには、労働集約産業を脱するような何らかの技術革新(≒何らかの形での機械化)がない限り、労働単価を切り下げるより他ないからです。ウォルマートをご覧いただければわかりやすいかと。

ただ、気になるのは最後の「第2次ケインズ革命」という言葉です。本書では青木・吉川モデルと呼ばれ、それに小野先生の主張も同一線上にあるとwebmasterは理解していますが、つまりは「いいこと」に公共支出を行えば、民間のイノヴェーションも喚起してよろずめでたし、ということです。そりゃ「いいこと」が何か事前にわかるなら誰も反対しないでしょうけれど、ヒトは神様にはなり得ないわけですし。

こうした疑問は著者も想定しており、次のような記述があります。

さらにここでひとつ抱かれる、青木・吉川モデルに関する疑問を記しておこう。このモデルは、日本に富をもたらす基幹産業を養成するという戦略的通商政策につながる可能性をもっている。(略)けれども、この新しい国際経済学を開発したクルーグマンたちや、他にサマーズなども、成長する産業を事前に選択する政治的・技術的難しさ、および仮に選択した産業が成長したとしても国富への貢献がほんのわずかにしかならないことを指摘している。それゆえに彼らは、戦略的通商政策は利益集団に支えられた旧来型の保護貿易政策に利用されるだけだとして、この政策に強く反対する。クルーグマンやサマーズのこうした言い分は、もっともなことではあろう。

しかしながら、青木・吉川モデルと社会保障政策との関係については、たしかなことが言えるのではなかろうか。なぜならば、社会保障分野にニーズがあることは明らかなのであり、そのニーズを公主導で顕在化する政策を展開すれば社会サービス部門への需要は確実に成長し、そこに新たな雇用が生まれるのもまた確実である。そしてさらには、これはきわめて大切なことなのであるが、「国が安いデイ・ケアを提供すれば、家族と市場はどちらも変化する。主婦が減少し、労働力参加が高まり、共働き世帯のサービスの購買力が高まることで、新規需要の乗数効果が引き起こされる」。そのとき、福祉サービスの生産を家計生産に依存した日本型福祉国家であったがゆえに生まれてきた人口問題の解決を、同時に考えるのである。

pp188,189(webmaster注:強調は原文では下線です)

しかしながら、ここで書かれていることは反論として十分でしょうか。もっとも大きな問題としては、仮に「そこに新たな雇用が生まれるのもまた確実」であるとしても(確かにそうだろう、とはwebmasterも思います)、ここで雇用を吸収してしまうことが、他部門へ与える影響がまったく考慮されていない、という点があります。政府により支えられた社会福祉サービス供給に従事する者の生産性が、もしそうした政府の介入がなかった場合に他部門へ配分されていたときのそれを下回るようであれば、少なくとも国全体の生産性については、こうした介入により低下してしまうことになります。

webmasterはそうした効果を実証的に確認できるスキルを持ちませんが、仮に女性の労働参加促進に何らかの労働生産性改善効果があるとしても、全体としては大差ない部分に収まるような気がします(根拠は、「クルーグマンやサマーズのこうした言い分」ということになるでしょう)。少なくともこうした比較を可能とする試算を示さずして、単に上記引用のように述べるだけでは、成長につながるからとの論旨は説得力を欠くといわざるを得ないでしょう。

加えて、仮にそうした試算をした際に、その結果が成長につながらないものであるなら、はたして積極的社会保障政策は存在意義を失うのでしょうか。webmasterは既述のような意義が認められると考えていますが、あたかも成長につながるからこそ推進すべきと解されるような説明は、そうした意義の認知が進まないことにもつながり得るでしょう。成長につながろうとつながるまいと積極的社会保障政策には意義がある、それによりある程度国の生産性が下がったとしても、それはそうした成果を得るために必要なコストである‐そうした主張の方が著者らしいのでは、というのはwebmasterの勝手な思い込みかもしれませんが。

#積極的社会保障政策の意義ないし便益としては、著者の他の主張との整合性でいえば、経済全体の不確実性への対応力を高める、というものもあるでしょう。

ちなみに。

ところが、1980年代に現実の政策に適用されていった新古典派マクロ経済学は、その壮大な社会実験のもとに、ひとつひとつ消え去っていった。まずは、フリードマンを総帥とするマネタリストが倒れる。つぎに、ルーカスの指導のもとに、マネタリストに頑強な理論的基盤を与えた合理的期待学派も生き残ることはできなかった。また、合理的期待学派の衰退の時期に重なりながら登場してきたリアル・ビジネス・サイクルの一派は、相応の数の信者を得ることはできたのであるが、政策の場で実験されることもなく研究者仲間でのブームは消え去っていった。

p169

この記述がリフレ政策を巡る論争の経緯に照らして、webmasterは非常に気になるのですが、真贋の度合いはいかほどなのでしょうか? webmasterの認識では、マネタリストの知見は(止揚という形でそのまま存続というわけではないでしょうが(k%ルール→インフレターゲティング、等))今においてもなお重要性は失っておらず、合理的期待形成は現在のマクロ経済学の基礎として確固たる地位を占め、というように理解しているのですが(RBCの受容についてはよくわかっていないので言及は控えます)・・・。

本日のツッコミ(全7件) [ツッコミを入れる]

Before...

プラダ アウトレット [In actual fact searching for homes which usually specifica..]

グッチ 財布 [There is a reason people become endlaved by drugs. The psy..]

ミュウミュウ アウトレット [Renters should review their rental agreement carefully bef..]


2006-10-28

[economy]ナショナルミニマムのコストを定量的に議論したい‐電話回線を例に

First&Fastの「タダではない」(10/26付雑記)にて(webmaster注:11月以降は、月別アーカイヴの10月分ページをご覧いただければ)、NTTでは回線収容コストも出していて、北海道札幌局は1回線あたり月額約1.6千円で収容できるそうだが、過疎化の進んだ夕張では同40万円もかかるそうだという記述を拝見し、こうしたデータに基づく議論がナショナルミニマムを考える際には求められるのではないか、とwebmasterは強く思いました。

ソースを探したところ、「ユニバーサルサービス基金制度における適格電気通信事業者の指定の申請について」「(参考) 高コスト地域のサービス提供における費用等の状況〔平成15年度・試算〕(webmaster注:これはNTT西日本のもので、同じものを東日本も出していますが、こちらはページ分割されているので見づらいです)でした。これは、ユニバーサルサービス(≒ナショナルミニマムとして全国で等しく供給されるべきとされるサービス)を実施するためNTTが利益を度外視してやらなければならない業務にどれだけのコストがかかっているのかという試算で、NTTにとっては高コストであっても基金から補填を受けられるわけですから、きちんと効率化がなされているのかといった点について留保を付す必要はありますが、にしても興味深い資料です。

#First&Fastでも、これはもう回線交換などやっている場合ではなく、まとめてIP電話にしたらいいのにNTTはそこまで自由には出来ないのだろうかという指摘がなされています。

特徴的な数字を示すならば、次のとおりでしょう。

  • 1回線当たりの費用(月額。以下同じ)の全国平均は2,421円。
  • 平均の上下に分布する回線数の割合は、概ね8:2。すなわち、加入者の少ない20%の回線の維持に要する費用が全体の半分を占めている。
  • (First&Fastでも言及されている)夕張は全国で最も1回線当たりの費用が高い回線ですが、その額は全国平均の167倍、最も安い回線(埼玉県川口)の292倍。
  • 基金による補填対象は全回線中4.9%ですが、これとそれ以外の95.1%を比較すると、
    • 総費用の比率は補填対象:非対象で13:87。
    • 収容局数の比率は同じく43:57。
    • カヴァー面積の比率は同じく48:52。

もちろんナショナルミニマムとして提供されるべきサービスによってコスト構造は違うでしょうけれど、仮にこの電話回線のコストが全体の平均的姿を表しているとするならば、少数の高コスト地域が如何に多くのコストを費やしているかがよくわかります。コストを国で埋めるとして、補助水準の格差は回線数を人口、収容局を補助対象とみなせば、そこには実に一人当たり最大300倍近くの差が存在するわけです。例の夕張市の財政問題にしても、こうした観点からすれば、実は東京よりもよっぽど効率的な運営をしていたにもかかわらず、という可能性があることになります。

やはり地方財政問題は、まずはナショナルミニマムをどうすべきかについてきちんとコンセンサスを得た上で、それぞれの公共サービスについてコスト構造を把握し、といった手順を踏むべきだ、ということになるでしょう。単に赤字団体が多いとか、交付税交付金を多くもらっていると非難したところで、実際にはもっと交付税交付金をもらっていてしかるべきだったのかもしれませんし(先の例で言えば、夕張は川口の300倍のコストが必要なのですから)、もっともらえていれば赤字団体ではなかったのかもしれないのですから。

[economy][pseudos]トンデモ#17:金融コンサルタントとしてまずいんでないの?

当サイトで取り上げるのは久しぶりだと思いますが、いちご経由で木村剛さんの迷言を。

もっとも、筋悪のデフレ評論家が巻き散らかしたデマゴーグの毒牙にかかっている人々も少なからずいるだろうから、注意を喚起しておくことにしよう。それは、彼らによって、数年前から根気強く続けられた「デフレは悪だが、インフレは良い」というプロパガンダのことだ。

明言しておこう。

「インフレは良い」などということはない。それどころか、これからは、インフレのマイナス面を思い知る人々が多くなる危険性に留意すべきだろう。いまや日本の個人はGDPの3倍近くの金融資産を保有している。これは、GDPを3%増加させたとしても、物価が1%上昇してしまえば、富の増加という観点からみれば、ネットでマイナスになることを意味している。

フィナンシャル社長木村剛さんに聞く(1)/1%のインフレは、3%の成長を相殺してしまう

FPなんて横文字職業が登場する前から、経験則的な知恵として、投資先は預金と株と不動産に分けろ、なんてことが言われてきました。つまりはインフレによる預金の目減りリスクを株や不動産でヘッジしろということで、それを思いつきもせずインフレになったら資産が目減りして大損だ、なんて言うのはこの程度の経験則にすら知見が及んでいないということです。コンサルタントとしてそんな実態をさらけ出してしまうのは、商売上まずいのでは(笑)?

#もちろんインフレリスクのみをヘッジするなら株と不動産の両方を持つ必要はないわけで、それ以外の要素も含め分散投資をしろ、との勧めですが。

そもそもインフレにより減価するのは、あくまで固定リターンの金融資産(とインフレ率ほどにはリターンが伸びない変動リターンのもの)であって、きちんと変動リターンの金融資産(上で例示した株や不動産のほか、変動金利預金や外貨建資産など、インフレリスクをヘッジする手段はいくらでもあります。逆に固定リターンの負債を抱える、なんて手もありますが)にポートフォリオの重点を移しておけばよいだけの話です。その程度のことも考えずに漫然と固定リターンの資産に運用を張り付けておくような投資家に配慮してインフレを害悪視するようでは、木村さんが好きな市場の淘汰も働きません。

まして、資産を持たぬ身にとっては関係のない話です。昔懐かしい呼び方をするなら、プロレタリアートということですが、その原義は無産者=自らの労働力以外に資産を持たぬ身ということ。NAIRUに達するまでのインフレ率上昇で雇用環境が改善し、失業者が職を得られるのであれば、そもそも無価値であった労働力に価値が出てくるということで、その向上割合は無限大です。もともと職を得ていた者にしても、インフレ分だけ賃金が向上すれば、その現在価値を資産として観念するなら、大いに資産価値は上昇することになります。

といいますか、先進国でデフレなのは日本だけで、その他はすべてインフレなのですから、それで富が増加しているのか減少しているのかを見るぐらいのことはしてもいいんじゃないですかねぇ。あと、戦後1990年代に至るまでの日本経済ですとか。

本日のツッコミ(全19件) [ツッコミを入れる]

Before...

ぽんごり [はじめまして。 高度な議論を楽しみに、常時ROMっておりました。 電話に関することが俎上にのぼっていますので、御参..]

bewaad [>ぽんごりさん 裏を取っていないので、外れていたらごめんなさい、という程度のものとして受け止めていただきたいのですが..]

コーチ [Yeaaahhh And suitable [url=http://www.recordchina.co.jp/]コ..]


2006-10-29

[economy]大竹vs池尾論争

#これまでの関連エントリについては、グレーゾーン金利撤廃(出資法上限金利引下げ)問題indexをご覧ください。

週刊東洋経済誌上においての議論が、大竹先生のblogにて相互の直接のやりとりにつながっています。その要点は次の部分にあるとwebmasterは見ました。

私も、楽しみにしてます。なお、『週刊ダイヤモンド』06年8月12日・19日合併号の拙稿データ・フォーカス「消費者金融市場の規制問題 留意すべき3つの特徴」も参照して下さい。私のポイントは、現在の消費者金融業者のかなりの部分がプレディターだということを無視して議論をしないでほしいということです。

(略)

投稿 池尾 和人 | 2006/10/27 22:39:55

池尾先生、コメントありがとうございました。生産的な議論だけをしていきたいと思います。私の反論は、池尾先生の異論は私の議論に対する異論になっていない、ということです。

(略)

プレディターが成立するためには、借り手側の双曲割引がなければ不可能ではないかと思います。借り手側が時間非整合的行動をとるという前提ではじめて、消費者金融業者はプレディターとしてやっていけるはずです。消費者が時間整合的に行動をするという前提で、プレディターとしてやっていけるのであれば、その経済学的根拠を教えて頂きたいと思います。もし、そのような根拠がないなら、池尾先生の論説は「異説」になっていないと思います。

もし、双曲割引を前提としないなら、上限金利規制の根拠は、貸し手独占になります。ところが、貸し手独占の場合には、過剰貸し出しではなく、過小貸し出しが問題になっているはずです。この場合に、上限金利を引き下げると貸出額が増加することで経済厚生が上昇することになります。

したがって、過剰貸し出しが問題だというのであれば、異なる論拠が必要になります。双曲割引が問題であれば、上限金利規制や自己破産を容易にすることが解消策になりますが、根本的には、子供の頃から金利教育をきちんとすることが必要です。

(略)

投稿 大竹 | 2006/10/28 10:05:43

10月28日号の記述をみていただければ分かるように、「『感情論の議論が中心ではなかったか』と言われると、…異論がある」ということで、私の言いたかったのは、経済的な議論の詰めは確かに不十分かもしれないが、感情論というのは失礼でしょうという話です。別に、双曲割引等の議論が間違っているとか思っていません。もちろん、借り手に行動経済学的なバイアスがあれば、貸し手はつけ込みやすくなります。

ただし、行動経済学的なバイヤスがみられるかどうかの前に、借り手が貸付条件や貸し手が将来とるであろう行動に関して正確な情報をもっているかどうかが重要だと考えられます。借り手が(1)完全合理的で、かつ(2)完全情報下にあれば、略奪的貸し付け行為は成り立たないといえます。この場合、(1)もそうですが、(2)が当然の前提であるかのように論じるのは正しくないと思います。拙稿で引用したように、略奪的貸し付けとは「借り手の無知」につけ込む行為です(それゆえ、事前の貸付条件に関する説明義務の強化に拙稿の後段で言及しています)。

なお、前に WikiPedia をみたときには、Predatory lending is the practice of exploiting a potential borrower's ignorance for profit. と書いてあったのですが、現在は編集されていて、Predatory lending is the practice of convincing borrowers to agree to unfair and abusive loan terms. となっています。

事後的には時間非整合的とみられる行動だとしても、その原因を借り手の選好に求めるか、情報不足に求めるかでは、取るべき対応に関する含意はかなり変わってくるでしょう。借り手の情報不足が貸し手による情報操作(情報の不開示や選択的開示)にあるとすれば、なおさらです。子供の頃から金利教育をきちんとすることに全く反対ではありませんが、借り手の行動の問題性をもっと考慮していただければと希望します。

誘惑に引っかからないほどの強い意志を常に持っていれば、問題は起きないというのは真理でしょう。しかし、だからといって他人を誘惑するような行動が許容されてよいということにはなりません。法と経済学の標準的な立場からすると、コースの定理的なことはあるとしても、基本的にはパワーのある方(この場合には、貸し手)に問題解決の責任を課すというのが望ましいという話になると思います。大竹さんの議論は、これとは逆になっているような印象を受けました。

投稿 池尾 | 2006/10/28 12:23:07

「池尾先生の異論」のコメント(@大竹文雄のブログ10/23付)(webmaster注:括弧付き数字は、原文では丸付き数字です。また、池尾先生の(引用における)最後のコメントについては、続くコメントでの訂正を反映してあります)

まず、池尾先生のご議論について、略奪的貸付け(predatory lending)の問題を考慮すべきとのご主張ですが、これについてはちょうど47thさんが興味深い研究を引かれています。

ユヌス氏のノーベル平和賞受賞と上限金利規制のタイミングが重なったことで、この両者の関係をどう捉えるかについて興味を持たれる方が結構いらっしゃるようですので、今日は、マイクロ・ファイナンスと上限金利規制との関係についてのサーベイであるCGAP(マイクロ・ファイナンスに特化した研究機関)の研究員Bright Helms=Xavier Reille, Interest Rate Ceiling and Microfinance; The Stroy So Far (English PDF)というそのものズバリのペーパーの紹介です。

(略)

続いて筆者らは上限金利規制がマイクロクレジットに与える弊害について、次のように整理します。

一つめは、上限金利規制によって前述のように少額個別融資に伴って不可避的に生じる貸出コストの上昇をカバーできなくなった貸し手の市場からの撤退です。

筆者らは、例えばニカラグアで上限金利規制の前後でマイクロクレジットの成長率が30%から2%未満に落ちた事例や、マイクロクレジットの貧困層への普及度の平均が上限金利規制の有無によって20.2%/4.6%と大きく違う点などから、上限金利規制はマイクロクレジットの普及を阻害する可能性があることを指摘します。

二つめは、「金利」規制への対応として、貸し手が従来金利に織り込んできたコストを手数料として別途徴収するようになることによる弊害です。

手数料体系が複雑になれば、借り手は貸出コストを的確に比較することが難しくなるため、結局、貸手間の価格(金利)競争阻害という効果が生まれてしまいます。

筆者らは、後で競争の進展が金利の引き下げにおいて最も効果的であると主張しますが、この主張からすれば、貸手間の競争を阻害する副作用を有する「金利」規制は実質的な貸出コストの引き下げには結びつかないことになります。

こうした点から、筆者らは「上限金利規制は貧困層の保護には役立たない。寧ろ、貧困層のクレジット・アクセスを縮小するという点で貧困層を害する政策である」と結論づけます。

(略)

とはいえ、筆者らも貧困層に対する搾取的な貸出の危険は認識していますが、それに対しては、貸し手間の競争の促進、苛酷な取立手法に対する規制、開示の充実、消費者教育の充実で対応していくべきであると結び、最後に今後の研究アジェンダを提示します。

個別の内容については詳細は省きますが、要するにsilver bullete(ママ)はなく、こうした地道な手段で対応していかざるを得ないという、ある意味で至極真っ当な結論だと思われます。

「マイクロ・ファイナンスと上限金利規制」(@ふぉーりん・あとにーの憂鬱10/27付)(webmaster注:出資法の上限金利規制においては、手数料等も金利とみなされますので(第5条第6項)、第2の問題は日本ではネグリジブルであると考えられます。なお、silver bulletとは、フレデリック・P・ブルックス「人月の神話」に所収の(狼男に対する)「銀の弾などない」以来人口に膾炙した比喩です)

ここで「搾取的な貸出」と47thさんが訳語を当てられているのもHelms&Reille論文の原文では"predatory lending"でして、つまりは略奪的貸付けの問題を考慮に入れてもなお上限金利規制は正当化され得ないとの議論がなされているわけです。47thさんが「開示の充実」とまとめられている部分は、通常ディスクロージャーと聞いて連想される投資家向け情報開示ではなく、Truth-in-lending laws, for example, typically require lenders to disclose to borrowers the true cost of a loan as an effective interest rate, as well as to explain other key loan terms in all loan documents and other publicly accessible materials, such as advertising.Helms, Bright and Reille, Xavier, Interest Rate Ceiling and Microfinance; The Stroy So Far, 2004ということですから、池尾先生と同様に説明義務の強化が必要としているのですが、それと上限金利規制は必ずしもセットではないということになります。

おそらくこの違いは、債務者が略奪ないし搾取されていることを認めるにしても、それが一部であって全部ではないことをどう考えるかという点から生じているのだとwebmasterは思います。言い換えるならば、略奪的貸付けに苦しめられている債務者にとって上限金利規制が意味があるにせよ、それによってそうでない債務者の資金調達に悪影響が生じることまでを視野に入れるのか、それとも入れないのか、ということです。

もし、略奪的貸付けに対する手法が上限金利規制しか存在しないならば、それに苦しんでいるわけではない債務者の不便を承知でそれを導入しなければならない、ということはあり得るのでしょう。しかし、池尾先生もお認めのように、あるいはHelms&Reille論文に示されているように、それ以外にもやり方はいろいろあります。にもかかわらず上限金利規制を略奪的貸付けへの対応ということのみで正当化されるというのであれば、その副作用が大したものではなく、総合的に見て社会全体の厚生水準を増加させることまで論証する必要があるのではないでしょうか。

対する大竹先生のご主張ですが、債務者が双曲割引である場合には、当該債務者については上限金利規制が正当化されるということですから、それだけを取り出すならばごもっともな話です。そうでない債務者への影響はどうなるのですか、と問いかけるにせよ、おそらくご回答は「それについては言及していないし、そもそも上限金利規制を導入すべきという議論をしていない。あくまで、上限金利規制が経済学的に正当化されるとすればどのような場合かを論じただけだ」ということなのだとwebmasterは思います。

そのご回答(がwebmasterの想定どおりであれば、ですが)も筋が通ったものだとwebmasterは思うのですが、本件のような問題についての経済学者の発言として素直に肯定してよいのかどうか決めかねるというのが正直なところです。例えば、大竹先生が想定されていらっしゃる各種の前提をすっとばして都合よく引用される可能性などを勘案すれば、なかなか迷いは尽きません・・・。

[economy][law]上限金利規制の代替案

多くの方にはご賢察いただいていると思いますが、webmasterはあくまで上限金利規制に反対しているのであって、多重債務問題を放置しておいてよいとしているわけではありません。以前に代替案は提案したのですが、改めてそれをエントリとして独立させた上で紹介したいと思います(あれこれ補足はいたしました)。

  • 債務者が返済困難に陥った場合において、貸し付ける時点で債権者が返済能力を超える貸付けであることに善意・無(重)過失でなければ、返済能力を超える部分について債務は無効とする。
  • 返済困難が生じた時点で、債権者は悪意であったと推定する(債権者が自ら善意・無(重)過失であると証明できない限り無効となる)。
  • 債務者(原告)は、自らが返済困難であることについてのみ挙証責任を負う。

#挙証責任に関して言えば製造物責任法と同じ考えに立つものですが、同法上の「欠陥」の証明よりも返済困難の事実の証明ははるかに容易でしょうから、すぐさま善意・無(重)過失かどうかに議論が移ることとなり、実効性は相当程度上回るでしょう。私法上、善意・悪意とは一般の用語法とは異なり、事情を知らない=善意、事情を知っている=悪意という意味で用いられます。

もっとも基本にある考えは、返済能力を超えて貸す(借りる)ことが問題なのですから、それに直接アプローチすればいいではないか、ということです。同時に、池尾先生が求める「基本的にはパワーのある方(この場合には、貸し手)に問題解決の責任を課すというのが望ましいという話」にも合致しています。

このスキームならば、リスクのプライシングという金利の機能を歪めることはありませんし、健全な債務者は自らの返済能力を示すことで「貸し渋り」を回避することができます。自己破産と違って資産を手放すこともなく、スティグマも小さくて済むでしょう。何より利息制限法と同じく私法法規として仕組むこととなりますから、登録業者にしか効力のない貸金業法とは異なり闇金にも有効です。

具体的にどのようなことをしていれば債権者は悪意推定を破ることができるのか、市場原理と判例形成に任せておくというやり方もありますが、即効性を求めるならばガイドラインを金融庁に作成させる(所管官庁は自然体ですと法務省になるのでしょうけれど、こちらの方が専門に即していて望ましいでしょう)のがよいでしょう。基本は収入と既存債務をきちんと確認した上でカウンセリング・モニタリングを行うということでしょう。

同様のことは既に岩手県消費者信用生活協同組合が行っていてきちんと利益も上がっているのですから、十分ビジネスとして成立するでしょう。金利は10%前後ということですが、この生協は市町村から無利子資金の拠出を受けている上、地域密着ということでモニタリングコストも安いでしょうから、通常の消費者金融会社が同じことをやるなら20%を上回る貸付金利にならざるを得ない‐つまり、このやり方は引下げ後の上限金利規制の下では不可能‐でしょうし、ハイリスクと認定される債務者にはそれ以上の金利が提示されるでしょうけれど、一律の上限金利規制よりはよほど副作用が少ないはずです。

#逆に言えば、現状でも20%を下回る貸付金利を提示している銀行系消費者金融会社がどれほど貸付先を絞り込んでいるかを想像させる話ではあります。

さらには、難航している信用情報機関へのホワイト情報登録の義務付けについても、このスキームにちょっとした味付けを加えると逆転の発想が可能です。例えば、法律上信用情報機関を規定し、債務者がそこに自らの情報を登録していなければ先の悪意推定が破れることとするとか。こうすれば、債務者は登録を怠れば絶対に不利になるわけですから、自ら登録をする強いインセンティヴが生じ、放っておいても先を争うように登録が進むでしょう。そのことを知らない債務者が不利になる? 債権者に説明義務を課し、説明を怠れば悪意推定が復活するとしておけばよいでしょう。

[economy]正統派「上げ潮」政策

安倍晋三政権の経済政策構想は「上げ潮」政策と呼ばれている。具体的には年率4%以上の名目成長率を実現することによって、数々の難題を解決しようとするものである。(略)

しかし、問題は現時点でその実現のための具体策が提示されていない点である。この政策の肝はサプライサイド政策による潜在成長率の引き上げである。(略)

このような政策メニューが提示されている背景には、レーガン政権下の米国で実施されたサプライサイド政策が、クリントン時代にIT革命として開花した、という「サクセスストーリー」が政策担当者の頭に深く刻み込まれていることが考えられる。

しかし、一連のサプライサイド政策が実際にIT革命へと結実した具体的な波及経路、因果関係はそれほど明確ではないこと、そして、仮に何らかの因果関係があったとしても、この政策が実際に米国経済にプラスの影響を及ぼすまでに10年以上の期間を要したという点を考えると、これらのサプライサイド政策は、日本の将来に必要な政策であることは否定しえないものの、政策構想の実現可能性を必ずしも担保するとは限らないことは明白であろう。

それでは、その実現可能性を担保しうる政策とは何か。それは、インフレ目標の導入であると筆者は考える。1990年代半ば以降、日本の潜在成長率は大きく低下したといわれて久しいが、その理由として挙げられている様々な要因はデフレによってもたらされたものであると考える。

例えば、今ひとつ理由が明確ではないTEP(ママ)(全要素生産性)の低下は、デフレとほぼ並行して進行していた。また、資本ストックの減少(略)や長期失業者の増大も、デフレの進行が、(略)企業が必要とする経営資源の最適規模を縮小させたために生じた減少であろう。

その意味では、安倍新政権の経済政策の最優先課題はデフレの完全克服であり、そのために、政府が最適なインフレ率に関する目標を提示し、それに向けての具体的な政策を構想することが重要であると考える。

このように、インフレ目標を政府の経済政策構想の一つとして明示し、短期間でマクロ経済の立て直しに成功した国としてはブレア政権下の英国が挙げられる。(略)

その後の英国は「経済政策のベストプラクティス」といわれるような低インフレ・高成長局面を持続している(略)。

安倍政権は、2011年度でのプライマリーバランス黒字化を財政再建の第一ステップとしている。経済協力開発機構(OECD)加盟国のデータを元に計算すると、11年度にプライマリーバランス黒字化を達成するために今後5年間必要な平均名目成長率は4%超となる。

このことは「上げ潮」政策は、サプライサイド政策を中心として10年後に開花すればよいというような中長期的な目標ではなく、早く結果を出さなければならない目標であり、それほど時間的な猶予はない。いかに早くインフレターゲットの議論が開始されるかが、安倍政権の「上げ潮」政策の成功の鍵を握っているのではないだろうか。

日経金融「「上げ潮」政策成功の鍵は?/インフレ目標導入、早期に議論を/ドイツ証券シニアエコノミスト安達誠司」(10/27付視点論点)

全文転載は避けましたが、こういう議論をこそ諮問会議でお願いしたいものです。

本日のツッコミ(全504件) [ツッコミを入れる]

Before...

pasyaerabr [<a href="http://www.xunjie.com/">xunjie</a><a href=http://..]

Dennisnumb [ Don't improvise <a href=http://www.cappellasonora.com/ugg..]

EmersonSt [<a href="http://www.ferienhaus-lorey.de/Foto's/2015331-17-..]


2006-10-30

[WWW]pogemutaさん名作選‐序

こちらからの勝手な申し出につき、快くpogemutaさんにご了解いただきましたので、一挙掲載とさせていただきます。すでにqh-nuさんが予算編成関連それ以外とテーマ別の形でまとめていらっしゃいますので、こちらは原作ごとにまとめてみました。

[WWW]pogemutaさん名作選from少佐@ヘルシング4(その1)‐官庁訪問

諸君 私は官庁訪問が好きだ
諸君 私は官庁訪問が好きだ
諸君 私は官庁訪問が大好きだ

合同説明会が好きだ
霞ヶ関ツアーが好きだ
業務説明会が好きだ
秘書課面接が好きだ
原課面接が好きだ
グループディスカッションが好きだ
控室が好きだ
食堂が好きだ
日比谷公園が好きだ

財務で 経産で
警察で 総務で
厚労で 外務で
防衛で 国交で
農水で 内閣府で

この霞ヶ関で行われるありとあらゆる採用活動が大好きだ

若手職員をならべた秘書課の採用担当が東大付近の喫茶店で説明会を開くのが好きだ
無理やり狩り出された内定者が東大法学部の教室で必死に宣伝している時など心がおどる

霞ヶ関ツアーの職場見学で原課の様子を見て回るのが好きだ
虚ろな目をして議員会館から戻ってきた徹夜明けの若手総括ラインの疲労困憊ぶりを見た時など胸がすくような気持ちだった

着慣れないリクルートスーツを着込んだ受験生の大群が官庁訪問に押し寄せるのが好きだ
恐慌状態の二流私大生が既に余裕たっぷりの東大生に何度も何度も情報を聞き出している様など感動すら覚える

敗北主義の切られ組を控室に吊るし上げていく様などはもうたまらない
不安げな切られ組が採用担当の遠まわしな切り文句とともに切られ部屋にゾロゾロと連行されるのも最高だ

原課の気難しい課長補佐に滅茶苦茶に論破されるのが好きだ
必死に語るはずだった日経の受け売りの持論が論破され化けの皮が剥がされていく様はとてもとても悲しいものだ

秘書課の長時間拘束に押し潰されて疲労困憊にされるのが好きだ
終電間際まで控室に押し込められ脱兎の様に地下鉄に急ぐのは屈辱の極みだ

諸君 私は官庁訪問を地獄の様な官庁訪問を望んでいる
諸君 秘書課に付き従う受験生戦友諸君
君達は一体何を望んでいる?

更なる官庁訪問を望むか?
情け容赦のない糞の様な官庁訪問を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な採用選考を望むか?

『官庁訪問! 官庁訪問! 官庁訪問!』

よろしい ならば官庁訪問だ

我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗いキャンパスで4年もの間堪え続けてきた我々にただの官庁訪問ではもはや足りない!!

大官庁訪問を!!一心不乱の大官庁訪問を!!

我らはただの学生 国家1種試験合格者に過ぎない

だが諸君は一騎当千のエリートだと私は信仰している
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の軍集団となる

我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている秘書課を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に恐怖の味を思い出させてやる
連中に我々の皮靴の音を思い出させてやる

天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる

一千人の受験生の戦闘団で
霞ヶ関を燃やし尽くしてやる

「全受験生へ」

目標霞ヶ関中心街各省庁庁舎!! 第一次官庁訪問作戦 状況を開始せよ

征くぞ 諸君

[WWW]pogemutaさん名作選from少佐@ヘルシング4(その2)‐予算要求

諸君 私は予算要求が好きだ
諸君 私は予算要求が好きだ
諸君 私は予算要求が大好きだ

一般が好きだ
特会が好きだ
公共が好きだ
非公共が好きだ
直轄が好きだ
補助金が好きだ
庁費が好きだ
謝金が好きだ
旅費が好きだ

原局で 官房で
主計で 理財で
担当官で 主査で
主計官で 局長で
次官で 大臣で

この霞ヶ関で行われるありとあらゆる予算要求が大好きだ

同内容で異なる様式の資料作成の大量依頼が轟音と共に原局を吹き飛ばすのが好きだ
机高く積み上げられた概算要求資料を見た時など心がおどる

予算担当課の操る詰めがマル政案件を撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかる原局から飛び出してきた補佐を無駄詰めでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった

積算単価をそろえた係員の横隊が原局の計数を蹂躙するのが好きだ
事情を知らない係員が既に付く可能性のない予算の積算を何度も何度も詰め直している様など感動すら覚える

敗北主義の原局補佐を再ヒアリングで吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ補佐が担当する既存補助が私の振り下ろした手の平とともに新規補助のスクラップ財源にされるのも最高だ

事業要求を潰されて調査要求で健気にも立ち上がってきたのを予算担当課が補助制度ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

財務の主査に滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだった予算が蹂躙され課長が一回り以上年次が下の主査に懇願する様はとてもとても悲しいものだ

予算スケジュールに押し潰されて殲滅されるのが好きだ
シナリオの決まっている復活折衝のためにサクラ大戦ディナーショウを諦めるのは屈辱の極みだ

諸君 私は予算要求を地獄の様な予算要求を望んでいる
諸君 私に付き従う予算担当課員諸君
君達は一体何を望んでいる?

更なる予算要求を望むか?
情け容赦のない糞の様な予算要求を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な予算要求を望むか?

『予算要求! 予算要求! 予算要求!』

よろしい ならば予算要求だ

我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ
だがこのゼロ・マイナスシーリングで数十年もの間堪え続けてきた我々にただの予算要求ではもはや足りない!!

大予算要求を!! 一心不乱の大予算要求を!!

我らはわずかに一課 百人に満たぬ敗残兵にすぎない

だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している
ならば我らは 諸君と私で総兵力10万と1人の軍集団となる

我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に恐怖の味を思い出させてやる
連中に族議員の罵声を思い出させてやる

天と地のはざまには 奴らの哲学では思いもよらないゴリ押しがあることを思い出させてやる

百人の予算担当課員の戦闘団で
予算を奪い尽くしてやる

「最後の大隊 予算担当課長より全課員へ」

第二次ゼーレヴェー作戦 状況を開始せよ

征くぞ 諸君

[WWW]pogemutaさん名作選fromピップ・ベルナドット@ヘルシング7‐予算折衝

もう駄目だ
俺達はもうおしまいだ

うるせえ!!
馬鹿野郎!!

もう主査の相手なんかいやだ!!
もう限界だ!
会計課も総務課も俺達を見捨てやがった!!

何いってんだおめえは
どこにも出れねぇし
どこにも行かさねぇぞ

俺は帰る!!
もういやだ!!

どこに行く気だ?
おまえの墓穴はここだぞ
墓標はこの狭い主査机
墓守りはあのおっかねぇ主査だ
碑文にはこうだ

「すごく格好良い補佐が無駄詰め主査をやっつけて、すごく格好良く対前年比増」

だが、おまえのせいで変わっちまう
おまえがメソメソしてるから

「ヘタレの根性無し、女の様に泣きながら虫の様にゼロ査定される」

冗談じゃねえ
おまえには無理やりにでもカッチョ良く対前年比増してもらうぞ!!
好き好んで、金もらって、好き好んで役人やってんだろが!!
おい補佐!!
だったら好き好んで要求して激詰めされろや!!

[WWW]pogemutaさん名作選fromエンリコ・マクスウェル@ヘルシング7‐予算査定

主査・・・!
主査だ 主査だ!!

その通り私は財務省の主査である!
これより予算要求の査定を行う!
案件!! 「○○着工」!!
案件!! 「○○調査」!!
査定は ゼロ査定!
ゼロ査定だ!!
ゼロ査定ゼロ査定ゼロ査定ゼロ査定ゼロ査定ゼロ査定!!

おまえたちは自民党部会に強要された要求だ
だが許せぬ!!
寸断された第二東名の様に死ね!!
関空の様に沈み 吉野川河口堰の様に死ね!!

なんだ!
あの主査 やれば出来る子だったのじゃあないか

根回し要員傾注!!
ご説明資料装備!!
集結!! 集結!!
国会バッジッ
根回し要員 集結!!
根回し要員 集結!!

そこを削れ!
あそこを削れ!
財政健全化の敵を根絶やしにせよ!
目標「公共事業!」
査 定 開 始!!

うわ ひゃあぁぁぁ
中にッ 中にお入りをッ
大臣も退避させなければッ
この○○省の予算規模とてこのゼロ査定攻勢では 長く保ちません!
課長! 課…
…ッ!!

要求をしている 予算の要求を
誰も 邪魔できない

根回しを・・・しておられる!!
根回し・・・!!

我々は根回し要員だ!!
ご説明資料を持って族議員を煽り議員会館を這いずる根回し要員だ

削減削減削減削減  削減!!
いいぞっ ゼロ査定だ!!

これが我々の力だ!!
目で見よ!!
これがMOFの力だ!
要求省庁どもめ!

はははは見ろっ あの哀れな連中を!!
ゼロ査定された案件だけが良い案件だ!!

[WWW]pogemutaさん名作選fromシャア・アズナブル@逆襲のシャア‐総務省

この役所、総務省は内務型と通信型(原注1)をつなぎあわせて設置された極めて不安定なもの(原注2)である!

それも「1府12省」を達成するために数合わせで統合されたものだからだ。
しかも、行革推進本部が各省庁に対して行った施策はここまでで、入れ物さえ造ればよしとして彼らは第10森ビルに引きこもり(原注3)、我々を権限争議から解放することはしなかったのである!!

私の父、ジオン・ダイクンが電気通信の民すなわちテレコムノイドの独立(維持)を要求したとき、父ジオンは好戦的な通産一党に暗殺された。そしてその通産一党は行政改革をかたり、霞ヶ関に省庁再編をしかけたのである!その結果は諸君らが知っているとおり郵政省の崩壊に終わった!

それはいい!(原注4)しかしその結果各省庁は混乱し、業務の質は低下し、官僚バッシングのような反官庁運動を生み、構造改革の尖兵をかたるジュンイチローの跳梁ともなった!
これが難民を生んだ歴史である!!

ここに至って私は役所が今後、絶対に権限争議を繰り返さないようにすべきだと確信したのである!!

それが経産省を庁に落とす作戦の真の目的である!!

これによって霞ヶ関の戦争の源である経産省に居続ける人々を粛正する!!
諸君!自らの道を拓くため、難民のための行政を手に入れるためにあと一息、諸君らの力を私に貸していただきたい!

そして私は・・・父、ジオンの元に召されるであろう!!

#原注

  1. Ministry of Internal Affairs and Communications
  2. 分野が違うために実は安定しているという説も(笑)
  3. 行革推進本部は第10森ビルにありました
  4. いいのか?(笑)

[WWW]pogemutaさん名作選from Neko Mimi Mode@月詠 -MOON PHASE-‐予算折衝(その2)

折衝
折衝モード
折衝モードで〜す

折衝モード
折衝モード

折衝モード
折衝モードで〜す
折衝モード

うにゃ〜
うにゃにゃ

ゼロゼロ・ゼロさて〜い!

予算・予算・予算………

主査〜さまっ

予算・予算・予算………

し・ん・き・だ・ま

予算・予算・予算………

あたしの補助金〜

予算・予算・予算………

折衝モード
折衝モード

折衝モード
折衝モードで〜す
折衝モード

折衝モード
折衝モード
折衝モードで〜す

予算、欲しくなっちゃった…

(次回予告)
主査さまっ!葉月となぞなぞしましょ!
元気いっぱいの予算費目ってなーんだ?
葉月はすぐにわかっちゃいました! (千和地声「はいわたしわかりましたよ」も可(笑))
ぜろ・ぜろ・ぜろ・さて〜い!
次回「一局で宿題だらけ(はぁと)」
正解は、謝金でした! (`・ω・´) シャキーン えへっ
http://www.yukawanet.com/sunday/syaki_button.html
予算ください、主査〜さまっ

[WWW]pogemutaさん名作選from私立リリアン女学園生徒のたしなみ@マリア様がみてる‐法令協議

「応じられない」
「応じられない」
鬱になる朝方の協議回答が、淀みきった曇り空にこだまする。
霞ヶ関の省庁に集うキャリアたちが、今日も家でシャワーだけ浴びてタッチ&ゴー!の疲れきった表情で、東京メトロの改札をくぐり抜けていく。
疲れきった心身を包むのは、深い色のスーツ。
相手省庁の質問ははぐらかすように、意見は受け入れないように、夜を徹して協議するのがここでのたしなみ。
もちろん、一発目で「貴見のとおり」と回答するなどといった、はしたないキャリアなど存在していようはずもない。

「第○次意見を提出する」
「第○次意見を提出する」
鬱になる朝方の意見提出が、淀みきった曇り空にこだまする。
霞ヶ関の省庁に集うキャリアたちが、今日も家でシャワーだけ浴びてタッチ&ゴー!の疲れきった表情で、東京メトロの改札をくぐり抜けていく。
疲れきった心身を包むのは、深い色のスーツ。
相手省庁の原案には質問を提出するように、意見提出して修文・覚書をゲットするように、夜を徹して協議するのがここでのたしなみ。
もちろん、一発目で「特段の意見なし」と回答するなどといった、はしたないキャリアなど存在していようはずもない。

本日のツッコミ(全554件) [ツッコミを入れる]

Before...

kjrdqegj [http://www.newhunthorses.co.uk/tag/juicy-couture-bags/ htt..]

ztauovgz [http://www.northernquarterstories.com/category/nike-free-r..]

sotdasysino [オークリー サングラス http://www.jeffwrayarch.com/ オークリー サングラス,トゥミ ビ..]


2006-10-31

[economy][government]「貧すれば鈍す」or「鈍すれば貧す」?

日本経済新聞社と日経産業消費研究所は、全国の市(779)と東京23区における公共料金や福祉、教育など住民向け政策を比べる「行政サービス調査」を実施した。総合評価のトップは東京都千代田区。ランキング上位には景気回復で税収が増えた首都圏の地方自治体が並び、2年前の前回調査で5位に入った富山市が50位台に後退するなど地方都市が総じて順位を下げた。(詳細を30日付の日本経済新聞朝刊と11月6日発行の「日経グローカル」に掲載)

調査は隔年で実施し、今回が5回目。764市区から回答を得た(回答率は95.3%)。公共料金、高齢者福祉、子育て環境、教育、住宅・インフラの5分野で、計30項目を調べて点数化した。調査は原則として今年4月1日時点。

千代田区は高齢者福祉や教育分野での独自助成策などが手厚く、前回調査の6位から上昇。2位の千葉県浦安市と東京都三鷹市は子育て世帯への支援が充実しており、公共料金も比較的安い。上位10位のうち東京都の市区が9を占めた。 (07:02)

日経「行政サービス、首都圏勢が上位に・日経など調査」

最近のwebmasterの問題意識からすると、極めて興味深い調査です。というわけで、ネット非掲載の部分から。

主要都市では名古屋市が36位で、大阪市が65位。政令指定都市では最低点の札幌市は578くらいだった。財政破綻した北海道夕張市は水道料金が全国で最も高いなど行政サービスも見劣りし、610位に低迷。財政力の格差が住民向けサービスの水準もとも深く関係していることがわかった。

日経「行政サービス/首都圏勢、上位に/本社産消研調べ/税収増、福祉など充実」

日本経済新聞社と日経産業消費研究所が実施した「第5回行政サービス調査」で、地方自治体の住民向けサービスに大きな差があることが浮き彫りになった。水道料金で7.3倍、保育料4.7倍、介護保険料2.7倍、……。どこに住むかによって負担は全く異なる。教育や医療の面でも格差は鮮明だ。国や地方の行財政改革が本格化しようとするなかで、今後どこまで地域差が広がるかが焦点になる。

ランキング上位に名前を連ねる東京23区。二年前の調査では県庁所在地だけで比べてみても平均点が16位にとどまった「東京躍進」の原動力は、少子化対策の充実にある。

例えば渋谷区。昨年4月、保育料を改定し、認可保育園の月額保育量(所得税30万円の場合)を22,600円から11,300円に下げた。調査対象の全地方自治体で最も安く、最も高かった北海道夕張市の53,500円と比べると、年間では50万円も住民負担が変わってくる。

若者の街・渋谷も出生率でみると全国最低水準。都内各区は似たような状況で、景気回復で税収が増え独自財源に余裕があることから、子育て世帯に手厚い支援を準備している。台東区などは中学三年生まで、所得に関係なく保険診療の自己負担分を全額助成する。逆に、宍粟市(兵庫県)や歌志内市(北海道)などは、乳幼児向けの独自制度すらない。

財政破綻した夕張市が行政サービスの全面見直しに追い込まれたように、税収が乏しい地方都市を中心に負担増を求める動きもじわりと広がる。苫小牧市(北海道)は今年4月、住民票一通の交付手数料を50円増の300円に、無料だった個人による体育館使用量も100円に改定。ランキングも2004年の前回調査の117位から299位にまでダウンした。

日経「行政サービス調査/暮らし コスト差どこまで/認可保育園では4.7倍/小学校教育独自色競う」

これらの部分では、日経も「貧すれば鈍す」、つまりは何らかの要因で財政状況が変化した場合、それに応じて行政サービスの水準も変化していくとの方向で事態を分析しているように見えます。しかしながら、違うように読める部分も。

行政サービスが充実していても、財政が厳しければ長く続けていくのは難しい。国の借金が膨らみ、地方自治体を支える余裕を失っているだけになおさらそうだ。財政事情とのバランスをみるために、県庁所在地を抜き出して分析したところ、4分の3が「高サービス・財政悪化型」に分類できることがわかった。

サービス水準を評価するためには、平均点よりも高ければ「高サービス」、低ければ「低サービス」とした。財政の健全度をはかる指標としては、地方自治体の2005年度決算において借金返済に充てる公債費や人件費などの経費が収入(一般財源)に占める割合を示す「経常収支比率」を使った。健全さの目安とされる80%を下回れば「財政良好」、上回れば「財政悪化」とした。

一般的に望ましいとされる「高サービス・財政良好型」に入ったのは東京(23区平均)のみ。37年が「高サービス・財政悪化型」だった。2年ごとに実施してきた行政サービス調査で、前回04年調査まで3回連続で「高サービス・財政良好型」に入っていた長野市、鹿児島市も同分類に転落した。

(略)

「低サービス・財政悪化型」に入ったのは9市で、前回調査に比べて3市増えた。福岡市、京都市、青森市、徳島市などが「高サービス・財政悪化型」から移動し、財政難から福祉や教育政策などの選択肢が制限されてきている姿がうかがえる。一方で千葉市は同分類に移った。「低サービス・財政良好型」はゼロだった。

日経「行政サービス調査/暮らし コスト差どこまで/県庁所在地/「高サービス・財政悪化」型/37年にのぼる」

こちらを見る限り、「鈍すれば貧す」、すなわち財政力に見合わないような不釣合いの高水準サービスを提供していると財政状況が悪化し、そうなってようやくサービス水準を切り下げる決断が可能となる、という因果関係もありそうにwebmasterは思います。とりあえずここは、日経グローカルに期待、ということでしょうか。きちんとした統計学的手法を用いた分析であってほしいものです。

[economy]続々・サラ金にノーベル平和賞を!

#これまでの関連エントリについては、グレーゾーン金利撤廃(出資法上限金利引下げ)問題indexをご覧ください。

フマさんのエントリ経由で、「サラ金にノーベル平和賞を!」に対するhamachanさんの批判を知りました。

ところで、グラミン銀行がノーベル平和賞を貰ったから、日本のサラ金にもノーベル平和賞を、とか言ってる人がいるみたいだけど、そもそも事業活動によって価値が増えることを前提とした事業者向け金融と、何も生産せずに食いつぶすことが前提の消費者金融を同列に論じて何か意味があるのか知らん。貸してる間にお金が増えるはずがないことがわかっているから、ちゃんと命という担保をとって、まともなビジネスモデルにしているんでしょう。いや、もちろん、商工ファンドにノーベル平和賞を、というのなら、それはそれなりに話にはなりますけど。

(追加)

http://www.asahi.com/national/update/1014/OSK200610140090.html

なるほど、財務官僚がグラミン銀行にノーベル平和賞をやるならサラ金にもやれと言うはずだわ。

投稿 hamachan | 2006/10/14 19:45:43

念のため言っておくと、消費者は何の付加価値も生産しないけれども、消費者は多くの場合同時に労働者であって、この「人的資本」を使って付加価値を生み出しうるし、そこから金利を支払うことも理論的には可能です。
サラ金から借りた金で教育訓練を受けて稼得賃金水準が向上すれば、その賃金上昇分の一部でもって金利を支払うという美しいモデルも作れるかも知れません、経済学の教科書的にはね。
しかし、これはサラ金というより育英会ですな。

労務管理史的には、金銭消費貸借の相手方と労務提供先とが一致するタコ部屋モデルというのがありまして、労働者を借金漬けにして逃げ出せないようにするというのは、労働異動の防止という観点からは合理的です。利子が増えていつまでたっても返せないから、いつまでも働かせることができる。

金銭消費貸借の相手方と労務提供先とが法人格としては一致しないけれども実質的に一致するモデルとして、「ねえちゃん、金返せないならカラダで返してもらおうか」という古典的な風俗労務供給事業がありますね。
かつて(2003年改正前)の職業安定法には、兼業禁止規定というのがあって、貸金業と紹介業を兼業してはいけなかったんですが、これは今は廃止されていますので、借りた金を返せない方に善意で高給アルバイトを紹介することは別に問題ありません。命を担保にするより労働力を担保にする方が遙かに人権を尊重したものであることは間違いないでしょう。

投稿 http://app.f.cocolog-nifty.com/t/comments?__mode=red&id=3853245 | 2006/10/16 17:40:38

日本のサラ金にもノーベル平和賞を、とか言ってる人がいる

浩生先生の被害者?

投稿 フマ | 2006/10/16 18:44:25

繰り返しますが、私は山形浩生氏は大変優秀な翻訳家だし、自分のよく分かっていないところではおっちょこちょいはするけれども、おおむね気の利いたエッセイを書ける方だと評価しています。
フマさんを出入り禁止にする気は全くありませんが、ある方に対する中味抜きの悪口だけのコメントは控えていただければさいわいです。

ちなみに、私はこの件では、現役財務官僚(らしい)立場でこういうことを発言された方を主として念頭に置いています。

投稿 hamachan | 2006/10/17 12:53:25

「パターナリズムは悪か?」のコメント(@EU労働法政策雑記帳9/7付)(webmaster注:エントリのタイトル中「パターナリズム」は、原文では半角カナです)

まず用語の確認として、hamachanさんは「事業活動によって価値が増えることを前提とした事業者向け金融」に対する「何も生産せずに食いつぶすことが前提の消費者金融」という対比を前提に「同列に論じて何か意味があるのか知らん」とのご批判なわけですが、事業者向けであっても運転資金融資であれば「何も生産せずに食いつぶすことが前提」です。事業者向けであれば設備資金と運転資金が主な資金使途ということになりますが、ご指摘は前者にしか当たらないとwebmasterは認識しています。

事業継続を可能とするという限りにおいては、運転資金融資であっても「価値が増える」(正確には減らない)ともいえますが、就労を含む生活の維持を可能とする意味において、同様のことは消費者金融にも当てはまります。いずれも、融資によって新たなキャッシュフロー源を作り出すわけではなく、既存のキャッシュフローのミスマッチに充当する流動性を確保するに過ぎません。ですから、hamachanさんのご批判は、グラミン銀行が設備資金融資のみを営んでいることを前提としているのでなければ、論旨が成り立たないということになってしまいます。

#その意味であっても、そもそも当サイトの当該エントリにおいては、「事業性金融のグラミン銀行に対する消費者金融のサラ金という違いはありますが、この議論の本質は日本に持ってきても同じことです」と明記してあり、貸倒損失を減少させることができれば(資金使途が設備資金・運転資金のいずれかを問わず)事業者向けであれ消費者向けであれ金利を下げることができるよね、という議論をしているわけで、「同列に論じて何か意味があるのか知らん」とおっしゃるのであれば、設備資金融資と違って消費者金融は貸倒損失を減少させても金利が下がらない、といった同列に論じられない何かをお示しいただかないことには、議論がかみ合わないと思います。

しかして、グラミン銀行の実態はどうなのでしょうか。のびたさんによる岡本真理子、吉田秀美、粟野晴子「マイクロファイナンス読本」のご紹介を次に引きます。

グラミン銀行や農村のインフォーマル金融の実態を知る上でとても参考になります。

  • 一般的には、グラミン銀行の会員は新規に事業を起こし、企業家として成長することによって収入水準を向上させていると考えられているが、このような例は、きわめて稀である。
  • ローンの返済は、主に、ローンを利用した新規事業からの収入ではなく、既存の定期収入で行われている。
  • 具体的なローンの使途は、土地の耕作権の獲得、病気の治療、親戚の接待、賄賂の支払い、家畜の購入、家屋の修復、古い融資の返済、行商の資金など、その時々の都合で様々である。ただし、実際にお金の使途を特定するのは困難なため、これらは融資を得る時期に前後して浮上した、同額程度の主な支出先と考えた方がいい。
  • グラミン銀行の貧困緩和への効果は、生産的投資を促進する機能によるというよりは、貧困世帯内の資金の流れを潤滑にし、彼らの世帯運営の安定化に役立つ社会的・経済的資産を増強するという機能に拠るといった方がいい。
  • グラミン銀行の会員は、「貯蓄の前借り」としてローンを利用している。
  • 一定の貯蓄能力以下の貧困世帯は、会員選抜から漏れる傾向がある。
  • グラミン銀行のローンがほとんど事業の立ち上げに利用されていない理由
    1. 貧困世帯の多くが起業家としての才覚を持っているとは限らない。
    2. 司法が的確に機能しておらず、農村のインフラが整備されていないので、新規に事業を起こすのが難しい。
    3. グラミン銀行の貸し出し方法は事業の立ち上げには適していない。例えば、既存の定期収入を確保していない場合、融資を受けた翌週から返済するというのは困難・・・
  • 農村のインフォーマル金融の高利は、リスクや取引費用を考慮すると、必ずしも搾取的とはいえない。
  • 農村のインフォーマル金融は想像以上に発達している。(6−7割の世帯が何らかの形で係わっている。)
  • 貧困層(グラミン銀行の標的層)はインフォーマル金融で黒字(貸出額>借入額)、富裕層はインフォーマル金融で赤字(貸出額<借入額)という意外な事実。
  • インフォーマル金融の1世帯あたりの取引規模は、約半年分の賃金相当の金額で想像以上に大規模。
  • グラミン銀行の融資の少なからぬ部分がインフォーマル金融市場に転貸されている。農村貧困層はこれによって利ざやを稼いでいる。

というのが、グラミン銀行と農村のインフォーマル金融の実態のようです。

「マイクロファイナンス読本」(@Elleの遺跡7/30付)

というわけで、事実として、グラミン銀行の貸付の資金使途は事業用運転資金と生活資金がほとんどで、設備資金に向けられる部分はほとんどないようです。つまりは「事業活動によって価値が増えることを前提」にはしておらず、そうした前提に基づくものであるかどうかで認識をことにするべきとのhamachanさんの整理からすれば、webmasterが言う意味を越えてグラミン銀行と日本の消費者金融会社とは「同列に論」ずべきということになるのではないでしょうか。

#ちなみに、hamachanさんが例に挙げている商工ローンもまた、主力は運転資金融資であって設備資金融資ではありません。

以下はwebmasterの勝手な推測ですが、「貸してる間にお金が増えるはずがないことがわかっているから、ちゃんと命という担保をとって、まともなビジネスモデルにしているんでしょう」という観測が大元にあってのことではないかと思うのです。しかし、消費者金融の債務者の9割程度(=全債務者−多重債務者)は、既述のようなキャッシュフローのミスマッチ解消のためにお金を借り、無事に返しているわけです。例えば月収20万円・貯蓄なしの者が急に10万円必要となり、1年かけて月1万円ずつ返していくような。このような過半を占める部分を無視して、一部の問題事例を一般化するのは、消費者金融会社にとってフェアな評価ではありません。

蛇足ながら、この一連のエントリの流れにおいて、webmasterがグラミン銀行と消費者金融会社を何でもかんでも同じだと主張しているかのように理解されてしまう傾向があるようですので、違いを明記しておきましょう。日本の消費者金融会社は「村八分」を担保にとったりしていない(といっても、禁止されている取立て行為である職場への押しかけなどは機能において類似していますが)などあれこれあるわけですが、最大の違いは、モニタリングの密度の違いでしょう。

グラミン銀行のやり方は、貸し付ける前から返済に至るまで、債務者の詳細を把握してそもそも貸倒が起こらないように密なモニタリングを図るものです(その中には、「隣組」による相互監視も含まれます)。他方で消費者金融は、一定の貸倒の発生確率・期待損失を前提に、その確率や損失を下げずにコストを削減していく方法で利益を確保しています。銀行融資の例で近いものを探すならば、リレーションシップバンキング型のグラミン銀行に対するスコアリングシステム型の消費者金融会社、といったところでしょう。

本日のツッコミ(全54件) [ツッコミを入れる]

Before...

bewaad [>フマだよ〜んwwwさん おっしゃるとおりかと存じます。]

Baatarism [こんな文章をみつけました。 http://www.cafeglobe.com/news/hama2/hm061115..]

bewaad [>Baatarismさん すごいですねぇ(笑)。じゃあグレーゾーン金利の抜本的対策として、五人組ないし隣組を復活させ..]


トップ 最新 追記