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2006-11-12

[economy][law]情報(知的財産)と経済学

それでもなお、経済学者たちは一つ大事なことを見落としているのではないかと感じざるを得ないのだ。それは、「売っても減らないものをどう扱うか」という問題に、「売って減るようにしてから売る」という答しか今のところ用意されていない--ように見える--ことだ。

それは何かというと、ずばり「人々の知恵」、あるいは経済学者が「知的財産」と呼ぶものだ。「情報」でもいい。これらの特徴は、「複製が移転よりも簡単かつ本質的」ということだ。プログラマーなら皆知っていてしかるべきことだが、情報を「移転」するには、まず「コピー」した上で「オリジナル」を「消去」しなければならない。財産 (property)というのは、誰かに譲ったら自分の手元からなくなる故properだったのだが、情報はこれに当たらない。

現在のところ、このproperでないpropertyを我々がどう扱っているかというと、いったん「モノ」に「転写」することで、ある意味強引に properにしている。例えばこのアイディアを適用すると、これだけ「費用」が節約できるから、そのうちの一部を「代金」とみなすべきとするわけだ。特許はそれを法律として実装したものと見なすことができる。あるいは人々が自分でも見てみたい絵があれば、それを「媒体」に「転写」して媒体に対して値段をつけ、あとは「市場」に載せるわけだ。著作権がこれに相当するだろう。

しかし本質的に、これらの「モノ」は物ではなく、properでもない。

その矛盾が顕在化したのが、今の我々がおかれている状況なのではないか。

(略)

これを扱うのに、今までの「モノの経済学」だけでしのげるのですか?というのが私の抱いている疑問なのだ。少なくとも、私が関わってる open source の世界は「モノの経済学」ではうまく切れない。

私はなにも「だから今までの経済学は Fashionable Nonsense だ」と言っているつもりは毛頭ない。今までの経済学の知見は必ずそこでも活かせるはずだし、そうしなければならないはずだ。

「いや、今までの経済学でそれは充分説明が付く」というのであれば、そのポインターを示して欲しい。

それともその説明を経済学に求めるのは、単なるお門違いなのだろうか?

「経済学からの伝言」(@404 Blog Not Found11/11付)

情報のコピーしても減らないという性質は、既存の経済学においては、

非競合性
同時に複数の者(理念的には無限の者)が利用できること
非排除性
他の者の利用を排除できない(11/13訂正)こと

という2つの要素で分析されています。同じことの言い換えでは、というようにお考えの向きもあるかもしれませんが、同じことではありません。例えば道路を考えた場合、有料道路は料金を払っていない者は利用から排除されるので、非競合性は維持しつつも排除的です。しかし、道路の非競合性は限定的で、多くの者が利用するあまり大渋滞となってしまえばそれ以上の者は利用できなくなりますから、一般道の渋滞というのは非排除性を維持しつつも競合的になってしまっている状態であると言えます。

#非競合性・非排除性の話は、ミクロ経済学の教科書の公共財を取り扱っている部分においては必ず出てくる話ですが、手軽な解説としては、例えば内閣府のページが有用でしょう。

これを頭の片隅にとどめつつ、次を読んでください。

Information as a public good

純公共財は非競合的であり、かつ非排除的である。情報財は本質的に非競合性を有する。しかし、非排除性を有するかどうかは法制度に依存する。

Economics of intellectual property
知的財産法は、何も非排除性を認められなければ知的財産を生産するインセンティブが弱くなってしまうと考えている。が同時に、永久に続く知的所有権を認めてしまうと独占による死荷重が生じる。適切な期間とは。とくに著作権の及ぶ期間は経済的に見てあまりにも長い。

(略)

Other ways to deal with exclusion

所有権を割り当てることだけが知的財産をうまく取り扱う唯一の方法ではない。コンテンツを排除性のある財とバンドルするというのもひとつの方法である。伝統的なメディアである、本、レコード、ビデオ、CDなどもバンドリングの例である。しかし、純粋なデジタル財の場合、メディアに焼き付けるというわけにはいかない。しかし、暗号技術などがその代替の役割を演じることがありうる。

あとは、監査や統計的追跡、あるいは広告などとの抱き合わせ提供などがありうる。

Terms and conditions

ライセンスなどのように期間と条件をより柔軟に設定し、共同使用や再販売などを認めることができれば、潜在的ユーザにとっての情報財の価値は増加する。しかし、一方で販売数量は減るだろう。両者のトレードオフのバランスの中に最適な選択はある。

(略)

Business Models

(略)

知識は本質的にコピーすることと分かち合うことが容易である。シェアすることにコストがかからないのであるから、社会的にはそうやって知識を分かち合うことが効率的である。しかし、その場合に知識生産のインセンティブ設計の問題が発生する。知的所有権で取り扱うことには限界がある。なぜなら考えや思想(idea)には特許権は与えられない。また、著作権では思想の表現方法が保護されるのみであって、思想そのものは保護の対象ではない。

アカデミック世界が持つ特色に解決のヒントがあるかもしれない(出版か消滅か、終身在職権、盗作のタブー、仲間間批評、引用など)。これらはよい考えや思想を生産するためのインセンティブを提供している。

Varian, Hal R., "Markets for Information Goods," Draft, 1998.の森田正隆による要旨

ヴァリアン(説明不要という方も多いでしょうが、現役バリバリの経済学者です)自身のサイトに原文がありますのでご関心の向きにおかれてはそちらも参照いただきたいのですが、これがDanさんの問題意識に対して、現在の経済学が提供できる最良の分析結果でしょう(原論文は1998年なので、その後の進展があり得ます。webmasterの無知ゆえにそうした進展を取りこぼしているとすれば、まことに申し訳ないです)。非常に良くまとまっているのですが、さらに骨子のみをあえて抽出するなら、

  1. 情報は本質的には非競合性・非排除性を有するので、そのままでは供給過少になってしまう。
  2. 知的財産権等は、情報に人工的に排除性を付加して、需給バランスの最適化を目指す手法である。
  3. しかし、それにより満たされるべき需要が満たされていない面もあるし、法的技術等の限界もあり、最善であるわけではない。
  4. 排除性を付加せずに供給を維持してきたアカデミズムの世界の慣行は、別解の手がかりとなるかもしれない。

ということになるでしょう。

#言わずもがなのことを付け加えるなら、ヴァリアンが検討するまでもなく非効率として捨てた他の別解を経済学から導くことができます。すなわち、非競合性・非排除性を有する財=公共財の供給過少を解決する伝統的手法である政府による供給です。知的財産の分野においてこれがなぜ非効率かは、webmasterは学術的に問題のない形できちんと論証する自信はありませんが(笑)、直感的に多くの人に理解してもらえるのではないでしょうか。

確かに、既存の経済学は現在の経済における情報の取扱いに係る問題に答えを与えてくれてはいません。しかし、その問題がどういうメカニズムで生じているのかについては十分な説明を与えていますし、現状を改善するあり得べき道の必要条件も提示しています。こうした現状について、肝腎な部分に手が届いていないとするか、それともそれなりに役に立つとするか、いずれの評を採るかは究極的にはeye of the beholder次第ということにならざるを得ないのだろう、とwebmasterは考えています。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]
小僧 (2006-11-12 16:59)

ただの typo だと思いますが Samuelson の純粋公共財の定義では
非排除性: 他の者の利用を排除【できない】こと
のはずです。取り急ぎまで。

bewaad (2006-11-13 04:05)

>小僧さん
おっしゃるとおりです。お恥ずかしい。さっそく訂正いたします。

一国民 (2006-11-13 22:54)

「明示性」みたいなファクターは考慮されていないのでしょうか。
高速道路の場合は、使ったら早く着ける、ということが明らかですが、技術とか、情報一般については、難解なために有用性がすぐに判断できなかったり、本当に役に立つかどうかわからなかったり、ということがあるので、すぐには供給過少にならない可能性もありそうです(個々ではなく全体で見れば)。
アカデミズムの慣行というのも、アイデアを提案した人を尊重する文化と、公開することによって使い道の示唆を得られたり、技術の融合が起こったりということがあるので、公開に対するインセンティブが働く点があるのかな、という気がします。

bewaad (2006-11-14 05:24)

>一国民さん
どちらかというと、供給過少になるのに時間がかかるのは、技術の担い手がそれなりの期間にわたって活躍し続け、世代が変わってようやく影響が顕著に現れてくる、ということなのかな、という気がします。こんな世の中じゃばかばかしくてやってられない、と引退が進めば早いでしょうけれど・・・。


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