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2007-01-04

[government][book]森田朗「会議の政治学」

年末年始の休みを利用した積読処理の中で、一番面白かったものです。審議会等に委員として参加する側からの審議会の分析ですが、本書でいう事務局側から審議会に携わったことのあるwebmasterからみても、その中身はおおむね納得できます。

具体的な内容としては、

  1. 第一章は「会議の政治学」として審議会の場で起こる出来事を分析し、
  2. 第二章は「会議の行政学」として事務局がどのような役割を果たしているかを解き明かし、
  3. 第三章は「会議の社会学」として審議会が世間でどのように受け止められているか、とりわけメディアとの関係に力点を置いて見解を疲労披露(1/6訂正)する、

構成となっています。

著者自身が何度となく、審議会に隠れ蓑としての性格があるのは否定できない、としていることからも、審議会というものを否定的に見て、本書で描かれているような運営の実態についても、何らかの詐術、あるいは非効率な営為として批判する向きも多いかもしれません。しかし、著者は審議会を基本的には肯定的に評価していることを抜きに論じるのは、webmasterはフェアでないように思います。

審議会の存在意義について、著者は最終的な政治の場への決定の負荷を減らすための「前さばき」の場として形成されてきた人間社会の知恵(p179)としています。ここで言う「知恵」とは、政治的には立法府等の政策決定の場の質を高めるということですが、会議のあり方として政治的色彩を抜くなら、時間コストの評価が低い組織における会議ほど、非生産的・非効率的なものはない。たしかに時間をかけてじっくりと皆が納得するまで議論をすることは、有意義なことではあるが、その機会費用が大きいことは忘れてはなるまい(p175)という問題意識への対応とみるべきでしょう。

つまり、著者の言う会議の手続や運営体制が仕組として洗練されている(p4)というのは、限られた時間の中で、何らかの答えを出すという目的に向けて効率化がなされたことに他なりません。確かに、そうした効率化がなされた結果として、本書で描かれているようなさまざまな運営術が編み出され、ときとして議論を形式的なものとすることもあったでしょう。それは、この目的を達成するために必要なコストというべきものです。

今となっては、このコストは意味のないものであるかのごとく受け止められる場合も多いのは事実でしょう。では、このコストを捨て去ることで、あわせて目的が達成されなくなることをどう捉えるのか・・・従来型の審議会(ないしそれに類似した運営がなされる会議)ではない新たな合議体形式を模索するにせよ、本書はその成果を測る物差しとして、きわめて有用なものであるとwebmasterは思います。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
一国民 (2007-01-05 10:42)

年末年始、休んでいるブログが多い中、お疲れ様です。
上記構成紹介の部分、3. ... 見解を「疲労」→「披露」と思います。
…心の叫び?だったりして。

bewaad (2007-01-06 18:07)

>一国民さん
ご指摘ありがとうございました。訂正させていただきました。

意味ありげな変換ミスは、無意識のなせる業(笑)?


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