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writings concerning kasumigaseki issues and others: 共有地の喜劇

馬車馬氏との議論集

前口上

序幕:更新履歴での議論(文体が違うのは原文ママ)

続きまして、マーケットの馬車馬さんのところで続いていた金融政策に関するテキスト、「金融政策論議の不思議」シリーズ全9回(しかし、ココログはカテゴリ機能がついていないので不便です・・・多分、7月の記事を下から順に読んでいただくのが、全体を眺める一番楽なやり方だと思います)についてです。 最初に申し上げますが、馬車馬さんは反リフレ派なのですが、そのおっしゃりようとは反対にリフレ派(馬車馬さんのターミノロジでは量的緩和派)は一方的に悪罵を投げつけられてきたという思いがありますので−山崎元には「声の出るゴキブリ」と言われ、木村剛に至ってはクルーグマンに対して「学者としての信条をかけた、本気の議論じゃないと思いますよ。 ちゃらちゃらと言っているだけでしょう。 自分の国じゃないから、無責任に主張しているだけでしょう。」 「東洋の島国、イエロー・モンキーの国だと、心の底で思っているからこそ言えるんじゃないですか。」 などと全くいわれのない人種差別主義者の濡れ衣を着せているのですから(ちなみにクルーグマンは一時期アメリカ経済にデフレ懸念が存在したとき、このままだと日本のようになるから将来にわたる金融緩和をコミットしろと当然ながら提言し、それに沿った金融政策運営をFRBが行ったことにより未然にデフレを防止したわけですが、その後木村剛が自分の暴言を謝罪したなんてことは寡聞にして知りません。 蛇足ではありますが、かの国で他人を人種差別主義者呼ばわりするのは、それが事実無根であれば間違いなく最悪の部類に属する誹謗中傷です)−、冷静にかつ細かな気配りをもって議論される馬車馬さんの態度に大変感銘を受けました。

さてコメントですが、筆者がこれから書こうとしていることとは(半分くらい)主張が逆(第1回)webmaster注:リフレ派の主張とは逆、の意)と明記されていらっしゃることもあり、立場の違いをことさらに取り上げるのは建設的でないと思いますので、内容に疑問がある場合はコメントを頂ければ幸い(第9回)とおっしゃられていることも踏まえ、いくつか主要な骨組みに関する点についてコメントさせていただこうと思います。

  • 第1点目(全体を通じて)。 ゼロ金利の世界では金融政策は無力なものとなり、財政政策や為替政策(IS-LMの枠組みで言えばIS曲線をシフトさせる政策)こそが有効、というのは流動性の罠に対する古典的な対処法ですが、リフレ派もそれは十分わかっています。 クルーグマンが明言しているように、現在の金融緩和は流動性の罠に対して無力ですが、将来の金融緩和に対するコミット(裏返して言えば、将来インフレ気味になってもなお金融緩和が続くとの投資家等の信頼)があれば、それこそが流動性の罠に対する最も有効な対応だ、というのがリフレ派の主張の根本です。 ご指摘のとおりゼロ金利環境下では通貨と債券が完全代替関係になり、いくら債券の買いオペをしても金融緩和としての効果をもたらさない(先ほど同様IS-LMの枠組みで言えば、LM曲線が水平となるので、同曲線が右シフトしても交点が移動しない)、というのは流動性の罠の定義としてどのマクロ経済学の教科書にも(それが流動性の罠を取り扱っていれば)載っている話で、リフレ派がその点を否定したことはないはずです。
  • 第2点目(第4回関連)。 バーナンキの背理法の解釈の関連で、マネタイズする形で日銀が国債を買えば妥当するものの、セカンダリーマーケットで玉を拾っても前提が違うので成り立たないとのご指摘がありましたが、ことさらにプライマリーとセカンダリーを分ける実益があるのかどうかという点です。 銀行全体のポートフォリオ構成方針が変わらない場合に、銀行から日銀が国債をセカンダリーで買えば、銀行はその売却代金を用いてプライマリーマーケットから新しい玉を拾ってくるわけですから、実態としては日銀がプライマリーマーケットでマネタイズすることと変わらないわけです。 つまり、プライマリーでのマネタイズを前提とした場合にバーナンキの背理法が妥当するのであれば、セカンダリーで拾ったところで妥当するはずだと考えられます。
  • 第3点目(第6回関連)。 確かに不良債権が増えれば、自己資本比率規制との関係で貸出しは増やしにくくなりますが、それだけが貸出しが伸びない原因でなく、他の理由によって貸出しが伸びないこともあり得ます。 そして、今の日本には「他の理由」が当てはまるでしょう。 別に銀行は誰かから命令されて資金を貸出しではなく国債にまわしているわけではないので(時々思い出したようにリスキーだとか騒いで、なぁんの遠慮もなくヒステリックに一斉に国債売りに回ったりしているじゃないですか。 結局、他にろくな運用先もないので気がつくと国債に回帰してますが(笑))、貸出しを増やしたほうが儲かると思えば貸し出すところを、総体的にはリスクに見合うだけのリターンが確保できないから貸出しが伸びないのであって、不良債権があるから貸出しが伸びていないわけではない(言い換えれば、銀行が必要なリスクをテイクしていないのではなく、全体として銀行がテイクできないほどリスクが高い部分が多い)と考えるほうが合理的です。 だって、例えば財務状態が比較的健全とされる東京三菱銀行だって、他のメガバンクと同じように貸出しを減らしているじゃないですか。 資金循環勘定を見ればわかりますが、最近の企業セクターは全体では資金余剰なわけで、彼らの借り入れ=銀行貸出が伸びるのは、彼らが資金不足主体(今ある手許のキャッシュを使い切ってなお投資などを行いたいと思う状態)になったその後でしょう。 ちなみにリフレ派の多くは、不良債権処理促進そのものに批判的なのではなく、不良債権問題さえ解決すれば日本は生まれ変わるといった議論や、不公平・不公正な銀行検査や産業再生機構といった政策ツールを用いての政府による個別企業への経営介入に対して批判的であるということを、念のため付言しておきます。
  • 第4点目(第7回関連)。 インフレターゲットは一定の範囲で指定されることからも明らかなように、中央銀行が完璧にインフレ率をコントロールできるなんてことは前提にしていません(完璧にコントロールできるのであれば、ピンポイントでターゲット設定すればよいのですから)。 よく言われる喩えですが、インフレターゲットは自動車のスピードを一定に保つようなもので、例えば50km/hで走ろうと思えば、それはきっちり50km/hを維持するのではなく−また、やろうと思ったからといってできるものでもありませんが−、45km/hぐらいになればアクセルを踏むし(急な上り坂で一気に30km/hまで減速したような場合であればうんと強く)、55km/hぐらいになればブレーキを踏むようなものです(急な下り坂で一(略))。 だいたい、世界中でインフレターゲットを導入している諸国のどの中央銀行だって、インフレ率を完璧にコントロールなどできていませんし、それが当然なのです。
  • 第5点目(第7回及び第8回関連)。 最後に、日銀はデフレをインフレに変える力があるかどうか、そしてやるべきことをやっているかどうかについて。 これは図らずも日銀自身が、自分にはそうした力があり、でもそれを行使してはいないということを衣の下からちらつかせてしまっています。 例えば日銀の福井総裁は、「この歯止めは日銀の通貨政策に対する信認、国債そのものの信認を維持することに役立っている」「望ましい将来の姿と対比すると、経済実態に対して日銀のバランスシート(財務諸表)は膨れ過ぎている」webmaster注:最初の発言の「この歯止め」とは国債保有残高に日銀券発行残高というキャップをはめていること)と発言していますが、ここでいう「日銀の通貨政策に対する信認」ってのは、日銀はインフレを目指すような金融緩和はしません、ということと同義です。 逆に言えば、日銀券発行残高にとらわれることなくどんどん国債を買い増していけばインフレになると、日銀自身思っているわけです(要すればバーナンキの背理法を彼ら自身も認めている、ということなのですが)。 また後者の発言は、将来的には日銀のバランスシートを縮小させます、すなわち金融を引き締めますという宣言をしたのと同じです。 これでは、将来においてもなお金融緩和を継続しますというデフレ脱却に必要なコミットメントとは全く正反対のことをしているわけです。 既述のとおり、FRBは実際に国債買い切りオペに踏み切る前に、それを匂わせるだけでデフレ突入を阻止したわけですが、それもグリーンスパン議長やバーナンキ理事がデフレ対策として本気でそれをやると皆が信じたからこそ。 日銀のようにゼロ金利解除に代表されるデフレフレンドリーな金融政策の前例が山のように積み上がってしまっていては、口先だけデフレに全力で立ち向かうといったところで、誰もが色眼鏡で見て当然だというのに、さらにデフレフレンドリーなコミットメントをしてしまっているわけです。 したがって、日銀はデフレをインフレに変える力があると自覚しているにもかかわらず、それをあえて行使していないという判断をせざるを得ないのではないでしょうか。

第2幕第1場

同サイトにおける金融政策論議の不思議についてのwebmasterからのコメントに対して、馬車馬氏から金融政策論議の不思議(10) Comments and Answersと題するリジョインダーをいただいた(なお、文体のことを気にされていたが、webmaster"writings"ページでこの話題を取り扱うこととしたことに伴い、ご覧のとおり他にあわせて文体を変更させていただいたことをお断りしたい)。 丁寧なご対応に感謝の意を表した上で、再度コメントさせていただきたい−今回はもう少しテクニカルな物言いを減らして(笑)。

第一点目はバーナンキの背理法について。 馬車馬氏曰く、この論調(webmaster注:財政拡大に消極的な論調)では「日銀が国債を買うのと同時に政府は減税(別に公共投資でも良い)をすべし」というバーナンキ教授の主張とは噛み合わない。 財政政策に消極的な人がバーナンキの背理法を使うのは矛盾なのだwebmaster注:強調は原文による)とのことであるが、この点についてコメントしたい。

まず、バーナンキ理事の主張は本当に「日銀が国債を買うのと同時に政府は減税(別に公共投資でも良い)をすべし」というものなのか。 理事の講演集、リフレと金融政策を紐解いてみよう。 5つめの「日本の金融政策に関するいくつかの論考」が、題からも明らかなように日本をテーマとしているが、確かにその中では財政支出や減税について触れている。 しかし本人が財務省が日銀のバランスシートを金利リスクから保護し、代わりに日銀が国債の買い入れを増額するというやり方は、日本で進行中のデフレを撃退するよい方法である(p140)と自らの主張をまとめている以上、それはあくまで補助的な手段にすぎないと解すべきだろう。

では、これはバーナンキ理事が自らの主張の含意するところを理解していないということなのだろうか? webmasterはそうは思わない。 十分な規模の国債買い入れは、それ単独で効果を有するものであり、財政拡大を伴わなければならないものではないと考えられるからだ(正確には同時でなくてよい)。 再び理事の言葉を見てみよう。 日銀による国債買い入れは、元利負担のある債務をそれらがないマネーに換えることにより、現状の赤字と元利負担、ひいては将来の税負担についての国民の期待感を低下させます(pp138, 139)という部分が本質を突いている。

つまり、日銀が国債を買った場合、利払いは国庫納付金という形で国に返ってくるし、日銀が保有国債が満期償還を迎えたときに借り換えに応じている限り、元本の返済も実質的に免除されることとなる。 有り体に言えば、リフレレジームの下では、中央銀行が買った分だけ国債がチャラになり、それだけ減税なり新たな財政支出に回す財源が生まれるということだ(そのいずれもしないということであれば、国庫に膨大な剰余金が積み上がることとなる)。 そうした枠組みが作られたことによりインフレ期待が生じ、投資や消費の活性化を通じて実際にインフレが発生してインフレターゲットのレンジに入ってくれば、結局はかかる減税や新たな財政支出への期待は空手形となるが、それでもなおインフレが発生しないようであれば、それこそ日銀が買い占めた国債(既述のとおり満期国債は借り換えることが前提。 脇道にそれると、現在日銀は国債買入額を増額しないことにとどまらず、満期国債の借換えに応じないという全くもって許し難い行動をしている)の量に応じて減税でも財政支出をすればよい。 これが「無税国家」への具体的プロセスであり、だからバーナンキの背理法は少なくとも金融緩和と同時の財政拡大がなくともインフレが発生することを証明しているのだ。

第二点目は銀行貸出しと不良債権について。 実は貸出しの増加に不良債権問題の解消が必要かどうかという議論は、デフレ脱却という観点からは傍論にすぎない。 webmasterがあれこれ書くよりも、馬車馬氏もリンクしている岩田(規)教授の国会発言を見てもらえば明らかなように、少なくとも歴史上のデフレ脱却プロセスを見る限り、貸出が増えなくてもデフレからは脱却できているのだ。

銀行からお金をなぜ借りるかといえばそれは投資なり消費なりをするためであるが、デフレである現在は極端に流動性選好が高まっている−要すれば余裕がある人は手許にキャッシュをため込んでいる−ので、インフレ期待が生じた際には、銀行から借金をするまでもなくまずはその手許のキャッシュで投資なり消費なりをするのが自然である。 だから、貸出増加なくしてはデフレ脱却ができないなどということは全くなく、むしろ手許のキャッシュを使い果たした段階−当然それほど投資や消費が活性化していればインフレになっているだろう−になってはじめて、銀行貸出の出番がやってくるのである。

第三点目は日銀について。 インフレにする能力があるかどうかは既述のとおりなので繰り返さないが、もしマスコミに対して自分の無力さを主張してぐだぐだ言い訳したら、筆者はそのプロ意識の欠如を思いっきり罵倒するだろうとの指摘について一つだけ。 第一次オイルショックへの対応を巡る小宮隆太郎と日銀の間で戦われた論争の際に日銀から明らかにされた見解(いわゆる日銀理論)以来、今に至るまで日銀の主張は一貫して「自分たちにはマネーサプライはコントロールできない」というものである(そこからの帰結として、当時は今とは逆に、「(オイルショック型の)インフレを日銀は防ぐことができない。 日銀に罪はない」ということを主張していた。 そのときだって最後まで日銀は誤りを認めなかったのだが、第二次オイルショックの際にきちんとインフレを防止したという結果を出しただけ、今よりは比較にならないほどましであった)。

つまり日銀は、この四半世紀というものまさに「自分の無力さを主張してぐだぐだ言い訳」していたのであって、大いにそのプロ意識の欠如を罵倒していただきたいものである(なお、webmasterが指摘した日銀の主張に関していえば、彼らは決してインフレに出来るとはいっておらず、円の信認が失われるだの、日銀の財務体質が悪化するだの、そういった言葉を使っている。 馬車馬氏の解釈するように、できないことでもできるといわざるを得ないと考えているなら、はっきりインフレに出来るといえばよいのだ。 であるにもかかわらずそういう言い方をしないというのは、一方で今までずっと日銀にはインフレを引き起こす能力はないと主張してきたことと矛盾していることがばれないよう意図的に言い換えているのか、それとも円の信認の低下や日銀の財務体質悪化はインフレ率の上昇と同義であることがわからない無能者であるのかのいずれかであり、webmasterは彼らが前者であるということを前提として非難したのである)。

(2004-08-08記)

第4幕第1場

経緯は以前同サイトを取り上げた際のテキストをご覧いただくとして、早速そのテキストに対する馬車馬氏のコメントについて、webmasterの考えるところを述べていきたい。

第一点目はバーナンキの背理法について。 異論があるのは財政政策に消極的な人がバーナンキの背理法を使うのは矛盾とのご指摘についてであるが、矛盾とは考えないものの、なんの説明もなしに通用するものではないことは事実である。 今回の馬車馬氏のコメントを見て、何を説明すべきかが見えてきたように思えるので(とっくにわかっていたという慧眼の士がいたら失礼)、その点を書いていきたい。

結論から書いておこう。 リフレ派は一般に、国債買入れを増やすことがインフレ期待の醸成につながるトランスミッション・メカニズムはバーナンキの背理法が示すそれに限るものではなく、複数あると考えている。 他のメカニズムでマイルドインフレが達成できればベターだと思うが故に、あたかもその主張とバーナンキの背理法が一見矛盾しているように捉えられるのだ。

じゃあバーナンキの背理法なんぞ持ち出さなければいいじゃないか、ということになるが、バーナンキの背理法は論理的に必然である一方で、その他のメカニズムはそれほど頑健な根拠がない(=インフレにはならないかもしれないだろ、という反論を完封できるものではない)。 従って、国債なんか買い増していってもインフレになんかなるもんか、という論者と議論を詰めていく過程では、バーナンキの背理法故にインフレにすることは絶対に可能だ、というロジックを使わざるを得ない局面がでてくるのだ。 言い換えれば、他のメカニズムではマイルドインフレに至らなかった場合には、バーナンキの背理法が含意する政策手法(=金融緩和と財政拡大の組み合わせ)に踏み切るにやぶさかではないのだが、それは最後までとっておこうよ、ということである(この点にはリフレ派内でも温度差があるので、もう少し財政拡大に積極的な向きもある)。 以下、他のメカニズムとは何かということと、それが金融緩和と財政拡大の組み合わせよりも優れていると考える理由を述べたい。

他のメカニズムの主たるものは2つ考えられる。 まずはポートフォリオ・リバランス。 それって何? という質問に答える前に、重要な補助線として限界効用逓減の法則を紹介しておく必要がある。 よく言われる例でなんだか、ビールは最初の一杯が一番美味しくて、飲めば飲むほど飲みたさが減っていって、最後にはもういいやとなるというあれである。 つまり、モノやサービスは増えれば増えるほど、増えることについての満足が少なくなっていくということだ。

日銀がどんどん国債を買い入れれば、その対価としてキャッシュが銀行に支払われていくが、キャッシュを受け取れば受け取るほど限界効用は逓減していき、それが他の資産の限界効用を下回った時点で、そのキャッシュをその他の資産に替える動きが出てくる−すなわち、有価証券や固定資産を買うこととなる(ちなみに、貸出に回すとか、消費してしまうというのも同じことだ)。 銀行にそれらの資産を譲渡した者も、当然対価としてキャッシュを受け取っているので、そのキャッシュについての限界効用が他の資産のそれを下回った段階で同様の行動に出、さらに、・・・という具合に、各経済主体がそれぞれのポートフォリオを組み替えていくことが予想される。

これがポートフォリオ・リバランスで、日銀がキャッシュを世の中にばらまけばそのこと自体が投資や消費を刺激するというメカニズムだ。 というと、読者にはキャッシュをばらまこうにも札割れが起きるだろうから限度があるのでは、との疑問が浮かんでくるかもしれない。 先のリンク先によれば、資金供給オペレーションで札割れが起こっているということは、金融機関に十分な資金が既に行き渡っているため、金融機関がオペレーションに全額は応じようとしなくなるほど、日本銀行が豊富に資金供給を行っていることを意味用語解説(あ行)@教えて!にちぎん)するとの説明があるからだ。

しかしこれは真っ赤なウソで、札割れというのは、日銀が定める基準価格(正確に言えば定められるのは基準利回りだが、そこから価格は一意に決定される)以下で売ってもよいという金融機関がそれだけしかいなかったということにすぎない。 基準価格などとっぱらって、オペ額に達するまですべての札を受け入れるのであれば、札割れなど起きるはずもないのだ。

脱線から元に戻って、次のメカニズムは円安効果だ。 今頃になってまだマネタリー・アプローチかよ、という声も聞こえてきそうだが、実証分析の結果(webmaster注:以下で紹介する本の第2章は、上記のポートフォリオ・リバランスについてより高度な論証をお求めの方にお薦め))は以下を物語る。

・・・得られた結果を要約すれば以下の3点である。 第1に、金融政策の指標としてベースマネーを用いる方が、マネーサプライを用いるより、為替レートに対して大きな説明力を有する。 第2に、為替レートに対して日米ベースマネー比と期待インフレ率の影響がきわめて大きいということも確認された。 これは90年代以降の日本経済において適切に推計された期待インフレ率の説明力が大きいということであり、本章の強調する点である。 第3に、ベースマネー増減を伴わない不胎化された為替介入や、公表介入額に基づいた為替介入の指標はモデルに追加的な説明力を与えない。 これらの結果により、金融政策に関わる変数であるベースマネー、期待インフレ率が為替レートに与える影響が大きく、不胎化介入などベースマネーの変更を伴わない金融政策の説明力が弱いことが導かれる。

浜田宏一・原田泰・内閣府経済社会総合研究所編「長期不況の理論と実証」p97)

従って、マネーサプライが増えないいわゆる「金詰まり」の状況にあったとしても、とにかく日銀がベースマネーを供給、つまりは国債をどんどん買い取って日銀当預残高を積み上げていけば円安となる可能性が極めて高いのだ−どうしてそうなるのかは今はまだ解明されていないが。 日本は経常黒字国であるので、円安による外需拡大効果は当然ながら大きなものとなる。

では、これらのメカニズムに比べ、財政拡大を後回しにすべき理由は何か。 一般に財政の三機能といわれるが、財政政策が用いられれば必然的に資源配分や所得再配分にも影響を与えざるを得ない。 むろんデフレ脱却を最大の目標とする以上、それしか手段がなければ財政拡大もためらうべきではないが、他に副作用の少ない手法が残されているのであれば、まずそちらを頼りにすべきという主張なのだ。

第二点目は銀行貸出の重要性について。 馬車馬氏も別に邦銀がダメでも外銀から出資なり融資なりを受けられるなら何の問題もないと記されているので、議論の本質に関わる部分についてはほとんど認識に差はないと思うので、いくつか余談を。

  • クルーグマン教授も強調していることだが、持続的な回復が見込めるようになってはじめて日本はデフレから脱出することができるとの点について、クルーグマンは経済成長とデフレ脱却は分けて論じている。 「復活だぁっ!」論文で、実質均衡金利がマイナスであっても、期待インフレ率を引き上げることができればデフレ脱却が可能だとしていることを参照されたい。
  • 外資でなくとも、東京三菱銀行や静岡銀行が有名な日本の健全行も、真に資金需要が出てくれば貸出を伸ばすことができるだろう。
  • さらに、銀行以外でも、企業間信用や証券市場を通じた資金調達もまた可能である。 企業間信用が銀行と同様、場合によっては銀行以上に重要な資金循環チャネル足り得ることについては、先に紹介した長期不況の理論と実証の第5章をご覧いただきたい。

第三点目は財務省について。 あの病的な財政赤字恐怖症は、日銀のこれまた病的なインフレ恐怖症に比すべき誤った信仰だが、ことデフレ脱却に関しては、日銀が長期国債の買入れはしない一方で、外為介入は半ば不胎化(介入額よりも介入時のベースマネー増加額が少なくなるようオペをしているという意味で使用。 為念)している以上、彼らにできることは限られていると考えられ、この文脈では日銀ほど非難されるべき対象ではなかろう。

ただ、リフレ派の多くも、財政拡大のみによってはデフレ脱却はできないとは思うものの、景気回復のたびにやたらと緊縮財政を持ち出す姿勢がデフレ期待に一役買っているとは思っているわけで、当面財政政策は全体として中立であるべきと主張している。 特に現状、地方公共団体が総じて緊縮財政に走っているので、中央政府、すなわち国の財政政策は拡張気味でちょうどよいだろう。 そうした観点からは、日銀ほどではないにせよ、財務省にも問題があるのは事実であり、その改善が求められよう(というか、あそこは財政畑と国際畑で意見統一がなされていないように思われる。 国際畑は財政畑よりはきちんとデフレの害を認識し、それを解消するという目的に添って政策を立案していると評価してよいのではないか)。

実は財務省のそうした態度は、以上のような経済学的文脈よりも、政治的・社会的文脈で糾弾されるべきである。 浅井隆、幸田真音といった財政破綻・国債暴落イデオローグが社会的に受け入れられる土壌ができてしまったことに関しては、間違いなく財務省の財政赤字をことさらに騒ぎ立てる姿勢にその責任の多くを帰せられるからだ。 貯蓄投資バランスを考えれば、一定程度の財政赤字は日本においては不可避なのだから、赤字それ自体を問題したって始まらない(ちなみに、昭和41年度の建設国債発行開始により均衡財政主義が破られ、昭和51年度以降は赤字国債の発行も恒常化した一方で、昭和40年代に入り日本の経常収支は黒字化し、昭和40年代後半以降、それまでは繊維という一業種の問題であった貿易摩擦が広範な分野において見られるようになったということは、当然ながら貯蓄投資バランスを介して整合的に説明可能な事象だ)。

よくその手の論者が取り上げるアルゼンチンのように、経常収支が赤字(=貯蓄投資バランスが貯蓄過少)であるにもかかわらず財政赤字(=過少である民間貯蓄をさらに政府が吸い上げている)というなら、確かに財政赤字をなんとかしなければクラッシュは必然である。 しかし、そうではないにもかかわらず、(財政支出の使い方が非効率だから改善しようとかいうのではなく)赤字の存在そのものを問題視し、このままでは大変なことになると煽ることは、単に杞憂であるにとどまらず、社会不安をあおって消費を萎縮させるものであり、自ら財政政策の有効性を損ねているのだ。 金融緩和をするたびにそれは効果が薄いと言いつづけた速水前日銀総裁のそれと同種の愚行と言うより他ない(あ、政治的・社会的文脈じゃなくって経済学的文脈になってしまった(笑))。

(2004-08-22記)

第6幕第1場

再度馬車馬氏から、財政政策についてのコメントベースマネー増加の効果についてのコメントをいただいたので、それらに関するwebmasterの考えるところを述べていきたい。 なお、この議論については、svnseedsさんH.A.Economicさんジュタローのボヤキ。さん徒然なる数学な日々さんという多くのギャラリーを集めるにいたっている。 これもひとえに馬車馬氏に丁寧にお付き合いいただくことができた故だろう。 あらためて感謝させていただくとともに、結果がどうであれ、恥ずかしくない姿勢を最後まで貫くことができればと思う(内容が恥ずかしいことは大いにありえるので、それについてはそんな希望を持てないのが残念だが(笑))。

さて本題。 まず財政政策についてであるが、かなり議論も長くなってきたので、鹿座氏のコメントも参考に次のように論点を整理したい。 まず、これまでの議論を通じて明らかとなった、馬車馬氏とwebmasterのおおむね一致した認識は次の通りである:

バーナンキの背理法は、「政府の支出をすべて刷り増した紙幣で購う=無税国家は不可能」であることを前提としている。 従って、バーナンキの背理法を用いてリフレ政策を正当化する論者は、(当然に無税国家の前提となる)税の減免を肯定すべきである。

他方、議論が分かれているのは次の点である:

馬車馬氏の見解
不良債権問題がある以上、銀行をチャネルとする金融政策は(単独では)無効であり、財政政策を活用すべき。
webmasterの見解
不良債権問題があっても金融政策は有効である可能性が高く、かつ、金融政策は財政政策より副作用が少ないことから、まずは金融政策をメインとして活用すべき。 仮に金融政策が無効であれば、その際には財政政策を活用すればよい。

以上から、残された論点は、1に不良債権の存在と金融政策の効力をどう考えるか、2に財政政策の副作用をどう考えるか、に整理されることとなる。 これを前提に(もしwebmasterの整理に問題がある場合にはご指摘願いたい)、以下論じていきたい。

ここでは、順序は上記整理の逆となるが、馬車馬氏のコメントのそれに従い財政政策の副作用について。 とりあえず「実際にインフレ率の上昇が起こるまでベースマネーを継続的に増加させていく」というコミットメントが期待インフレ率の上昇に貢献すると仮定すると(その仮定の是非は後述)、今政府が行いたいのはベースマネーを増加させることであって、経済主体間の相対的な有利・不利の関係を変化させることではない。 例えば法人税を引き下げれば、企業活動が相対的に有利となり、個人や家計の活動は相対的に不利となるが、そんな関係の変化をもたらしたいわけではないのだ。

もちろん馬車馬氏の指摘するとおり、あらゆる経済政策は資源配分にゆがみをもたらす。 国債買切りオペの増額であっても、国債の保有者でなければ買い取ってもらえないわけであるし、なによりオペ対象は金融機関に限られているわけであるから、なんの歪みも生じさせないわけではない。 しかし、国債市場は日本で最も規模の大きい市場であり、かつ、インターバンク市場でもない。 日銀がどんどん国債を買い取っていくことにより国債価格が今後上昇すると予測する投資家は市場で国債を買うことができるし、非金融機関は金融機関に国債を売却することにより、日銀オペに参加するのと同様の効果を享受できる。 ゆがみを生じさせること自体が目的であればともかく、そうでないのだからなるべくゆがみが少ない手段を選ぶべきだというのがwebmasterの主張である。

次に不良債権の存在と金融政策の効力についてだが、これは馬車馬氏の2つめのコメント、ベースマネー増加の効果についてのテキストのテーマでもある。 これを取り上げるに当たって最初にお詫びしなければならないのだが、ベースマネー増加が円安に繋がるとの仮説について馬車馬氏からいただいたコメントについては、webmasterにそれを理解し、了解なり反論なりをする知識・能力がないので、仮説自体を(webmasterの主張としては)取り下げさせていただきたい。 馬車馬氏と議論できる方々がいらっしゃれば、直接馬車馬氏のサイトでコメントをしていただくか、webmasterまでメールをいただければご紹介はさせていただくので、そのようにしていただきたい。 自分でネタを振っておきながらこのような次第となり、本当に申し訳ない。

というわけでもう一つのロジック、ポートフォリオ・リバランスであるが、馬車馬氏によればポートフォリオから国債が減ってしまったので、その分株や社債を買おうなんていうでたらめなポートフォリオマネージメントは聞いたことがないということになるのだが、では馬車馬氏は、今年3月末現在で民間金融機関が保有している160兆円以上の国債(FBとJGBの合計(速報値))を残らず日銀が買い取った場合であっても、その代金を全額日銀当預にブタ積しておくとお考えなのだろうか。 株と国債とでは、そのリスクも値動きの特性も全く異なるというなら、日銀当預と国債だってそのリスクも値動きの特性も全く異なるわけで、ポートフォリオから国債が減ってしまったのでその分日銀当預にブタ積しておこうというのもでたらめなポートフォリオマネイジメント。

国債に投資するということは、一定の価格変動リスクをテイクしてリターンを求める投資活動を行うことに等しく、それが全くのノーリスク・ノーリターン資産である当預への投資で完全に代替されるものではないはず。 ポートフォリオ戦略に変更がなければ、国債が日銀当預に入れ替わったことを受け、何らかのリスク資産への投資が一定程度行われ、リスク・リターンバランスの修正が行われるはずである(それがどういった資産かは各金融機関の投資判断によるが)。

これに対する馬車馬氏の見解は次のとおりだ。

2点目。 100歩譲って、現金保有が増えた銀行が株や社債を買いたくなったとしよう。 しかし、自己資本比率の低い今の(2年前の)日本の銀行は株や社債を新規に買うことが出来ない。 銀行はBIS(国際決済銀行)の定めた規則に従わなければならず、BISは自己資本比率の低い銀行が株や社債、融資などを増やすことを事実上禁止しているからだ。

唯一の例外は国債で、これは自己資本比率が低くてもいくらでも買うことが出来る。 過去数年間、都銀が血眼になって国債ディーリングに賭けてきた理由はこれだ。 他に買えるものがなかった以上、国債で勝負を賭けるしかなかったのだ。

だから、たとえ銀行が現金を持ちすぎて他の資産に換えたいと思ったとしても、現実的には国債しか買えない。 結局、日銀が国債を買っても都銀は新発債の入札にますます気合を入れるだけで、世の中は何も変わらない、ということになる(もう少し詳しい話はコメント欄の脚注参照)。

この点については、これまで何回か書いてきたことだが、すべての金融機関が自己資本比率の制約に縛られているわけではなく、財務状態が健全な金融機関がいることをどう捉えるかお伺いしたい。 実際に数字を見てみよう。 金融機関の自己資本比率の分布は次のとおりだ。

自己資本比率別銀行数(昨年9月期決算における単体基準)
 基準未満〜+2%ポイント未満〜+4%ポイント未満+4%ポイント以上
国際基準行(基準値:8%)00115
国内基準行(基準値:4%)352286

(出所)全国銀行協会

さて、いったいどれだけの銀行が自己資本比率が制約となって国債やキャッシュのようなリスクウェイトがゼロの資産にしか運用できないと考えられるだろうか。 基準+2%ポイント以上(国際基準行で10%以上、国内基準行で6%以上)あれば健全という場合、ほとんどの銀行は自己資本比率故に運用が制約されるということにはならない。 基準+4%ポイント以上(国際基準行で12%以上、国内基準行で8%以上)とハードルを上げても、国際基準行の約3割、国内基準行の約7割は大丈夫だ。

問題は自己資本比率の水準ではない、現在の邦銀は極めてリスクアヴァースで自己資本比率は高ければ高いほどよいと考えているのが問題なのだ、という主張もあるかもしれない。 この主張が正しければ、いくら自己資本比率が高い金融機関であっても投資活動をシュリンクさせることになるので、そうした行動が不良債権問題によってもたらされているのであれば馬車馬氏の主張はそのとおりと言える。 しかしそうであるなら、金融機関はすべてのリスク資産からどんどん資金を引き揚げてリスクウェイトがゼロの資産に振り向ける−わかりやすく言えば、限りなくいわゆる貸し剥がしが進行する−はずだが、現実はそうではない。

結局のところ、馬車馬氏が指摘するように銀行が国債を日銀に売った分だけ新発債を買っているのは、日銀の国債買入規模が小さすぎるから。 webmasterがかねてから主張しているように、日銀の国債買入規模は市中で流通する玉の数を減らすものでなくてはならない。 今年度でいえば、市中で流通する国債の残高は、最大で新規財源債と財政融資特会債(市中発行分)あわせて50兆円弱増加する(新規財源債については市中発行分とそれ以外の内訳が表示されていないが、市場外消化が皆無ということはないだろうから、これよりある程度は少ない額だろう)。 以前webmaster毎月4兆円の国債買入を提案したが、これなら年48兆円の国債を市中から吸収するわけだから、絶対にある程度のポートフォリオ・リバランスは発生するはずだし、それで足りなければ月5兆でも6兆でも買えばよいのだ。

で、そこまで日銀がベースマネーを供給する態度を明確にしたとき−正確には、ちょっとインフレ気味になったらすぐやめるというのでは意味がないから、インフレターゲットを設定しマイルドインフレになるまで供給を絞らないとコミットすることを伴う必要があるが−、直接オペの対象となる銀行以外の経済主体は、オペの対象ではないからといって影響を受けないだろうか? 日銀がある意味「堕落」したとして、手持ちのキャッシュや企業間信用を用いた消費や投資を活性化させる−経済学的にいえば、期待インフレ率の上昇により期待実質金利が低下し、将来の消費・投資(=現時点での貯蓄)が現時点での消費や投資により代替される−ことはないだろうか? 金利操作による通常の金融政策であっても、コールレート水準を誘導するためのオペの効果に加え、金利というわかりやすい形で示される中央銀行の姿勢が直接金融機関以外の経済主体に影響を与える部分もあろう。 国債買入にしたって、金利ほどわかりやすい形ではないにせよ、そうしたメッセージとしての役割を果たすと考えられるし、その意味で、金融機関は金融政策にとって重要なチャネルではあれど、唯一のチャネルではないと思うのだが。

(2004-09-05記)

第7幕第1場

馬車馬氏に対するコメントも第4回目。 このやりとりも、svnseedsさんのところで議論が派生し始めたり(馬車馬氏のバイタリティあふれる活動はすばらしいと思う)、2ちゃん経済板の名物スレ(マンネリスレとも(笑))、インフレターゲット支持こそ経済学の本流その150で取り上げられたりと、ますます広がりを見せている。 さて今回は、馬車馬氏のポートフォリオ・リバランス及び銀行の自己資本の質についてのコメント論点整理が対象である。

第1点、ポートフォリオ・リバランスについて。 webmasterの意見がポートフォリオから国債が減ったら代わりに株を買うだろうという直感的に到底受け入れがたい結論にたどり着いてしまったといわれても、こちらもそんな結論にたどり着いた記憶はないのだが(笑)。 各銀行がどの程度国債を現在ポートフォリオに組み入れているかはそれぞれのポートフォリオ戦略にも依存することなので、国債が日銀にすべて買い占められた世界が仮に実現したときに、どの資産に対価として得た現金を振り向けるかは銀行によって異なるだろう(確かに国債と株式の金融商品としての特性はかなり異なる(まして、銀行には株式保有制限が課せられている)ので、株式に向かうことは考えづらいことに異論はない)。 だから国債が減ったら代わりに○○を買う、なんてことは予測がつかなくて当然ではあるが、ただ一つだけ言えるのは、馬車馬氏が主張するように一番手っ取り早いリバランスはまたどこかから国債を買ってきて、2-6-2のアロケーションを組み直すことだが、もしこれが出来ない場合、残された唯一の方法は株を全額売却し、100%のキャッシュポジションを取ることだwebmaster注:2-6-2のアロケーションとは、キャッシュ20%、国債60%、株式20%のポートフォリオ構成)ということだけは絶対にあり得ないということ。 なぜなら、銀行だって預金金利やら行員の給与やら各種物件費やら、とにかくもろもろのコストを支払わなければいけないのだが、100%キャッシュポジションを組んでしまっては資産からのリターンはゼロとなり、それらのコストを負担できなくなってしまうからだ(フィービジネス等の他の収益源は捨象)。

今だって例えばUFJは赤字続きで不良債権処理費用を勘案すれば資産からのリターンはマイナスなのだが、100%キャッシュポジションの方がそれよりはベターであり、あり得ないとは言えないという考え方をする人もいるかもしれない。 ただ、不良債権の場合はあくまで事後的にリターンがコスト負担に見合わなかったケースであり、他方100%キャッシュポジションは事前に見合わないことが明らかなケース。 考えてみて欲しい。 株主総会で銀行の頭取が、「国債を全部日銀に買い占められてしまった結果、当行にとってのベストポートフォリオは全額日銀当預に積んでおくことになりましたので、来年はそういう業務運営を行います。 その結果、次の決算は絶対に赤字になります」と発言して、それを唯々諾々と株主が受け入れるかどうかを。 その答えは、まあ想像に難くないだろう。

代替資産が全くなければ、それも完全には否定できない選択肢とは言える(無い袖は振れぬ、というやつだ)が、馬車馬氏にネグリジブルと判断された社債の発行残は50兆円強為替リスクヘッジに用いられる各種デリバティブ(OTC(相対)のみであり、上場商品は含まない)の想定元本は2.1兆ドル、まあ200兆円強はある(ただし、1年以内のものが74.8%を占めており、長期国債の代わりとして使いづらいのは馬車馬氏ご指摘のとおり)。 その他を考えても、債券では発行残80兆円弱の地方債発行残60兆円弱の政府保証債といった大所があるし、svnseedsさんが指摘する貸出だってある。 デフレ下でキャッシュリッチな企業セクターに大した借入需要があるわけではなかろうが、国債買入を進めれば長期金利は下がるわけで、多少出て行きはするだろう。

以上は、限界信用乗数はデフレ下で低下が著しくはあるがそれでも正の値をとる、つまりベースマネーが増えたときには、ほんの少しかもしれないけどマネーサプライが増えるということを主張していることに等しい。 馬車馬氏が主張するように、日銀が国債を買った際に銀行が他の資産を売却するようなことがあれば、それは非金融セクターから銀行が現金を吸収してかえって金融引き締め効果が出てくるということになり、すなわち限界信用乗数が負の値をとることとなる。 この点についてはsvnseeds氏が検証されるということなので詳しくはそちらに譲りたい(webmasterが適任でないのは明らかだし)。

第2点、銀行の自己資本の質について。 馬車馬氏は公的資金と繰延税金資産の存在に着目して質が悪いと主張している。 さて、実際にそうだろうか。

まず公的資金だが、公的資金は主に優先株という形で自己資本に算入されているわけだが、言うまでもなく株であろうが何であろうが公的資金には返済義務があるというのが馬車馬氏の根拠である。 しかし、残念ながら優先株には返済義務はない(劣後債にはあるが)。 論より証拠、実際にどういった形で「返済」が行われてきたかを見てみよう。 これまでに優先株の引受けの形で注入された公的資金を「返済」したのは三菱信託銀行関西さわやか銀行住友信託銀行、横浜銀行(第一次第二次第三次)及びみずほフィナンシャルグループ(一部)であるが、本当の意味で返済と言い得るのは買入消却のみ(自分の金で買い戻して消却により資本を減らすため)。 その形で「返済」したのは関西さわやか銀行、横浜銀行(第一次・第三次)及びみずほフィナンシャルグループだけであって全部ではない。 その他の場合−三菱信託銀行、住友信託銀行及び横浜銀行(第二次)−は政府保有株式を売却する形で「返済」している。 つまり返済義務はないということだ(なんで政府が株式売却によって資金を回収するという「返済」は本当の意味での返済ではないかということは説明不要だろう)。

次に繰延税金資産だが、倒産の瀬戸際で自己資本の重要性は増すというのに、倒産したら消滅するのが繰延税金資産だ。 その意味で、詐欺性は公的資金よりも高いというのが馬車馬氏の根拠である。 その理屈でいうなら、繰延税金資産に限らずすべての資産をゴーイングコンサーン価値ではなく清算価値で評価していなければ詐欺的だということになってしまうが、そんな会計基準を用いてバランスシートを組んでいる企業など国内・海外を問わずwebmasterは寡聞にして知らない。 大甘な収益計画を書くことで繰延税金資産を増やすことが出来るというのはご指摘のとおりだが、それは他の資産にも当てはまる−例えば大甘な回収計画を書くことで貸出債権の貸倒引当金控除後の計上額を増やすことができるし、大甘な地代・賃借料を見込むことで(収益還元法で評価した場合における)不動産の減損処理を免れることができる−ことであり、要すれば粉飾をしているかどうかの話。 繰延税金資産だけをことさらに取り上げるのは為にする議論ではなかろうか。

結局、こんなに日本の銀行の自己資本は充実しているというのに、なぜ彼らはあんなに消極的なのだろうか? 同じ自己資本比率のドイツ銀行はあれだけアグレッシブに投資をしているというのにwebmaster注:「ドイツ銀行はあれだけアグレッシブに投資をしている」という部分については、馬車馬氏の別テキスト、今週のThe Economist:銀行がギャンブラーになる日をご覧いただきたい)という問いの答えは、自己資本比率ではなく経営判断の違いに求めるべきなのだろう。 The Economistがわざわざドイツ銀行を記事にしたのは、それが珍しいものであるということ(いわゆる「犬が人をかんでもニュースにはならないが、人が犬をかんだらニュースだ」)。 ドイツ銀行の判断の是非はさておき、そういう経営をする銀行がありふれていればニュースになるはずもなく、またThe Economistがああいった評価を下すはずもないのだから。

第3点、政策による「ゆがみ」をどう考えるかについて。 Bewaad氏が具体的にどのように「ゆがみ」をとらえているかが良く分からないといわれても、それは財政政策が具体的にどういう手段でどの程度の規模かをお示しいただかないことにはとらえようがない。 非常に直感的かついい加減にコメントすれば、「何やったってゆがむんだから何やってもいいんじゃないの?」とも思うのであれば、じゃあ例えばすべての失業者に毎年1,000万円づつ国からプレゼントしてもいいのでしょうか? ということになってしまう。 だから、単に財政政策を用いるというのではなく、○○税をいくら減税するとか、××費をいくら増額するとかそういった話にならないと、そのゆがみが国債買入れとインフレターゲティングの組み合わせによるそれや円安誘導によるそれと比べてどちらがよりマシなものかどうかは議論のしようがない。

議論のしようがないなら、財政政策によるゆがみが大きいのではないかとも言えないだろう、という反論が考えられるが、一般論としていえば、あるインフラを公共事業で整備すべきじゃないかとか、経済主体間の所得再配分をどうすべきかという話は、外部性や情報の非対称性などの有無に依存し、要すれば時の経済情勢によってそう大きく変わるものではない。 逆から言えば、やるべきでないことはデフレ(ないし不景気)だからってやっちゃあいけない。 とすれば、デフレ対策として発動し得る財政政策というのは、やるべきだけど予算制約があるので後回しにされていたものの前倒しでしかあり得ない。

もしそういう財政政策を提案しているというのであれば、その発動にはwebmasterも異論はないが、そういう理解でいいのだろうか(ただ、この場合でも「そういう財政政策」とは何かという議論は残るが、少なくともやるべきかどうかという点では馬車馬氏とwebmasterの意見は一致を見たということになる)? そうではなく、本来やらない方がいいものではあるけれど、デフレの害の方がより大きいのだからやるべきというのであれば、やっぱり具体的にそれは何をどの程度やることをイメージしていて、それが各種リフレ策よりましかどうかを議論する必要があろう。

第4点、金融政策の波及経路について。 直接的な効果がゼロなのに間接的な効果だけはあるというはおかしいというところを見ると、どうやらwebmasterが早とちりをしていたようだ。 何が早とちりだったかというと、以前、大恐慌(昭和恐慌)時のアメリカや日本における回復過程では、貸出が伸びなくてもインフレになったと書いた際に、特にそれに対する反論をいただかなかったので、その点については賛同があったものと考えていたのだ。 従ってその後の議論も、じゃあなんでそうなった(なり得る)のか、馬車馬氏の言葉を借りれば直接的な効果がゼロなのに間接的な効果だけはあり得るというのは具体的にどういうプロセスを経てなのでしょうか、という点についてのものだと勝手に理解をしており、そもそも間接的な効果があるのかどうかについて意見が分かれていたという認識がなかった。

というわけで改めて大恐慌からの回復過程における日米両国のマネーサプライ、銀行貸出と財政支出を見てみると、日本であってもアメリカであっても、マネーサプライの増加は財政支出の増加や銀行貸出の増加とは無関係に実現している。 つまり、「銀行貸出が増えない以上マネーサプライは増えない」ということもなければ、「銀行貸出が増えないときにマネーサプライを増やすためには財政支出の増加が必要だ」ということもないということが、少なくとも歴史を見る限りはわかる。 馬車馬氏がなおこの2つの仮説を主張されるのであれば、一に大恐慌期において銀行貸出・財政支出の増加がなくともマネーサプライが増加したのはなぜか、二に大恐慌期にはそうしたことがあり得たのに現時点ではあり得ないのはなぜかについての説明をいただきたい。

第5点、これは第4点と密接に関連するが、デフレ脱出に当たっての期待の役割について。 ゼロ金利の状態でどのようにデフレから脱出するかという一般的な議論と、将来ゼロ金利ではなくなったときの金融緩和を約束すればよいという議論があるとのことだが、リフレ派で両者を分けて議論している人はほとんどいないというのがwebmasterの理解だ。 継続的なマネーサプライの十分な増加は企業セクターを中心に死蔵されているキャッシュの流動化が主力となってもたらされるものであり、そのためには期待インフレ率の上昇が必要で、期待インフレ率を上昇させるのは将来インフレ率がプラスになってもなお継続される(プラスになったらスタートする、ではない)金融緩和が必要だと。 例えばスヴェンソンの議論にしても、ずっと為替ターゲットで行かずに途中でインフレターゲットに切り替えるというのは、結局現在から将来に至るまで金融緩和を継続するというコミットメントの実効性を上げるためにはどうしたらよいかという思考の中から出てきたテクニックである。

これに対する馬車馬氏の反論は、銀行貸出の増加がない限りマネーサプライは増えないから金融緩和、具体的にはベースマネーの増加の将来に渡っての継続をコミットしたって期待インフレ率は上昇せず、死蔵されたキャッシュは死蔵されたままだ(他方で財政支出の増加ないし減税はマネーサプライを増加させられるので期待インフレ率の上昇に繋がる意味あるコミットメントが可能)、というものだが、第4点で書いたとおり銀行貸出の増加はマネーサプライ増加の必要条件ではない。 たまたま議論の行きがかり上ベースマネー増加の直接的効果の話に焦点が当たってしまっているが、本当に大切なのはいかなる政策手段が効率よく副作用が少ない形で期待インフレ率を上昇させられるかどうかの議論。 リフレ政策を実行したらハイパーインフレになってしまうという論者が相当数いる以上、リフレ政策の実施は自己実現的に期待インフレ率を上昇させることが可能だという予測がそれほど不合理だとは思えないのだが。

(2004-09-21記)

第8幕第2場

第5回目であるが、再び、論点を整理するというエントリと、銀行というボトルネックというエントリについてコメントしたい。

さて、上記の2つのエントリの議論は、以下の4つの論点(そもそもwebmasterが提示したものではあるが)に整理可能だ(登場順)。 ずいぶん間が空いてしまったので、なるべく簡潔にお答えしたい。

  1. ベースマネーの増加がマネーサプライの増加につながらない場合であっても、根源的につながらないケースではベースマネーを増加させてもインフレは起こりえないが、将来的にはつながるのだが一時的要因でつながっていないケースなら、将来のつながりを見越したインフレ期待が発生し、インフレが起こりえる。 で、単に日銀が国債を銀行から買うのは前者なので効果がない。(「再び」参照)
  2. 現金と国債は現在の経済環境の下では金融商品としてもっとも似通っており、日銀が銀行からどれだけ国債を買ったところで、経済の外部環境が変わって経済全体としての信用リスクが下がらない限りは、国債売却代金が社債や貸出に向かうことなく死蔵される。(「ボトルネック」参照)
  3. 銀行の自己資本については、公的資金は買入消却で「返済」されようと市中売却で「返済」されようと実質は同じであるし、繰延税金資産は金融庁が規制をかける検討をしていることからもやはり脆弱な資本と言えるので、両者に頼っている点でやはり問題がある。(「ボトルネック」参照)
  4. 経済政策がもたらすゆがみは定性的な話であり、これ以上議論を進めることは難しいのではないか。(「ボトルネック」参照)

最初の点について。 計量的な話はsvnseeds' Ghoti!に譲るとして(風邪を引かれているとのこと、無理はされぬよう)、概念としてのマネーサプライと統計上のマネーサプライ、すなわちM2+CDがイコールとは限らない点だけは指摘したい。 以前馬車馬氏も、いくら国債買い切りを増やしても広義流動性には影響がないではないか、という指摘をしていたが、つまりはM2+CDが増えるとしてもそれで本当にインフレになるのか、ということ。 逆に言えば、ベースマネーの増加が統計上のマネーサプライ=M2+CDの増加につながらなかったとしても、インフレにつながらないと限ったものではない。 つまり、直接的な効果がないと証明されたわけでもないのだ。 いずれにせよ、この点はsvnseeds氏の検討を待ちたい。 (なお、繰り返しなので長くは書かないが、日銀が無制限に国債を買えばハイパーインフレになると信じている人間がそれなりにいることを前提とすれば、合理的なメカニズムがなくとも、それ自体がベースマネー増加→インフレ期待醸成のメカニズムたり得る。)

次の点について。 銀行の経営陣にとっては馬車馬氏の指摘は合理的だが、株主にとっては合理的でない。 つまり、単にキャッシュを死蔵すればよいなら、その様々なコストを負担させつつ銀行を存続させるより、銀行を清算して株主自身がキャッシュを死蔵する方が明らかに合理的な手段だ。 だから、銀行の経営者が内心どう考えようと、自社への投資がキャッシュ保有よりも有利な投資だと説得するためには、やはり全額をキャッシュに振り向けることは許されないのだ。

次の点について。 まず公的資金についてだが、政府保有株式を売却、というのは、要するに優先株(公的資金)の保有者である預金保険機構が、優先株を普通株に転換して市中に売却した事を言うのだが、これは銀行が一般投資家から新株を発行して出資を募り、そのお金で公的資金を返済したのと完全に同義webmaster注:強調は原文による)というのは全く正しい。 しかし、それが当てはまるのは公的資金だけではない。 ごくふつうの一般投資家が市中で株式を売却するときだって、銀行が一般投資家から新株を発行して出資を募り、そのお金で買入消却するのと(諸費用を除けば)経済的には同義。 つまり、公的資金だけを特別視する理由にはならない。

他方、繰延税金資産についてだが、少し誤解があるようなのだが、繰延税金資産がこれほど問題となるのは、これが自己資本としてバランスシートの借方に計上されるからというのは、やはり他の資産も同じ。 粉飾で資産が過大計上されれば、基本的にはその分利益剰余金が過大計上されることになる。 だから、繰延税金資産であろうがなんだろうが、ある資産が過大計上されていれば、その分だけ利益剰余金=自己資本が過大計上されるし、適正な額の計上であれば、(資産評価との関係では)自己資本の額は正しく実態を表していることになる。 だから問題にすべきは繰延税金資産が将来の節税効果を正しく計上しているのかそうでないかであり、多額であっても正しい評価額が計上されていれば問題はないし、少額であっても過大評価していればそれは粉飾であり問題であるということについては、他の資産と何ら変わるところはない。

ちなみに金融庁による繰延税金資産の算入規制だが、そのベースとなる金融審議会報告自体に問題がある。 当該報告では、繰延税金資産については、その資産性が将来の課税所得に依存していることや、金融機関が破綻した場合には無価値になるという脆弱性があるとの認識で概ね一致とされているが、同じ報告において、破綻時には繰延税金資産だけでなく繰延資産についても無価値になるほか、清算時には固定資産等の価値も大幅に下がることから、破綻時に繰延税金資産が無価値になることを敢えて強調することを疑問とする意見もあると反対意見が出されているのに、結局は繰延税金資産だけを特別扱いしているからだ。 具体例を見てみよう。 昨年破綻した足利銀行の破綻前の資本745億円(昨年3月期)と破綻後の資本-6,790億円(本年3月期)との差額は-7,535億円であるが、これに対する繰延税金資産全額取崩しによる部分-1,387億円の寄与度は約18%。 では何が効いたかというと、貸倒引当金を4,850億円も増加させたこと。 まあ一例だけで一般原則を導くのは乱暴だが、少なくとも足利銀行においては、繰延税金資産の3.5倍分、貸出資産の過大計上が自己資本を水増しさせていたわけである(厳密に言えば、1年間で正常債権が不良化部分もあるだろうから、全部が「水増し」というのは多分言い過ぎだが)。

最後の点について。 いかなる財政政策によるゆがみも議論には値せず、財政政策の有効性を論ずるにはその規模だけに意味があると仮定する。 この場合、例えばX兆円規模の財政政策が必要と考えられるのであれば、それだけの財政支出増加なり減税なりを行うのであればその具体的あり方はなんでもよいということになるので、全国の納税者の所得を上から順に並べ、順次所得税の免除を行なっていき、免除額の合計がX兆円になったところで終わりにし、それ以下の所得の人間は通常どおり税を徴収する、という財政政策であっても問題ないということとなる。 しかし、こんな減税は経済学的に見ても(明らかに平均的な限界消費性向の低い部分を対象とした政策であるから)フィージビリティから見ても(消費税でも逆進性が問題視されるのだから、まして)大いに問題である。 したがって、財政政策の有効性を論ずるのであれば、規模だけではなく、それが具体的にどのような政策をイメージし、それによる作用・副作用は何かを検討していく必要があると思うのだが。

(2004-10-31記)

(2004-11-03追記)

第9幕第2場

第6回目、ベースマネーをいじってインフレには出来ないというエントリを受けてのコメントだが、おそらく議論が平行線をたどるであろうことが明らかになってきたようなので、ここで一区切りとすべきではないか、とまず提案したい。

なぜ平行線かというと、実はwebmasterと馬車馬氏との議論は、その内容はさておき、構造としては「ザモデル論争」と同じ種類の争点を巡るものであるからだ。 (というと勘のいい人は気付くかもしれないが、経済学に関わる議論としては・・・。)

さて、「ザモデル論争」は、様々な論点が行きつ戻りつ絡みつつ長期間にわたり進行した論争であるが(匿名掲示板故に仕方がないことではある)、その中の一つの論点を上げると、議論の対象をmicro-foundedな(=ミクロ経済学的基礎を有する)モデルに限るべきかどうか、というものがあった。 micro-foundedなモデルとは、ミクロ経済的な説明が成立する厳密に演繹可能な前提のみに立脚して完結するモデルのことで、「インタゲ設定して長期国債をどんどん買って、ベースマネーを思いっきり増やせばリフレはできる」という主張はmicro-foundedではない(ので、そんないいかげんな論証不能命題を議論しても意味がないし、最先端の経済学では相手にされない)とザモデル氏から批判を受けたわけである。

で、この批判はその事実関係は全く正しい。 しかしながら、その価値判断はいかがなものか、というのがリフレ派の「パッチワーク」論で、きちんとしたmicro foundationを有するモデルで語り得る経済事象以外にもなんとかしなきゃいけない課題は世の中にあって、そうした課題への対策を考えるときには、micro-foundedでないとわかっていても、とりあえず参考になりそうなものをかき集めただけのつぎはぎ(=パッチワーク)でいいから、何らかの方向性を打ち出すべきだ、という議論である。 実際、貨幣に対する合理的とは限らない偏愛(=流動性選好)のミクロ経済学的な効用関数化はなしとげられていないので、その帰結たるデフレへの対応について、micro foundationを前提としたモデルに検討対象を限ると、非常に視野の狭い議論しかできなくなってしまう。

こうした立場に対しては、それではどうやって議論の客観性(objectivity)を担保するのだ、という批判が成立する。 パッチワークでいいなら、極論を言えば陰謀論的モデル(例えば、日本のデフレはユダヤ・WASP枢軸が巧妙に作り上げた黄色人種をおとしめるための謀略によるものなので、その枢軸を打ち破らなければデフレは解消できない、とか)だって立論可能になってしまうではないか、と。 それに対する回答は、普遍性(universality)の有無で判断するというもので、経験則的な経済学の知見に照らして十分に確からしいかどうかを判断すればよい、ということ。 わかりやすい例をあげると、現在においても個々の気体分子について運動方程式を立てることによっては気体の状態についての解を求めることはできないのだが、ボイル・シャルルの法則(気体の状態方程式)はそんなことにかかわらず近現代の物理学・工学を支えてきたのだ(このあたりにご関心の方は、いちご経済板の数学的モデルの歴史とその特徴と使い方についてスレをご覧いただければと思う)。

この論争をこうした観点から整理するなら、micro-foundedであるかどうかを重視する(例:ベースマネーを増やしたらなぜ(期待)インフレ率が上がるのか、その理論的背景を示せ)という馬車馬氏の立場と、普遍性に照らして妥当かどうかを重視する(例:過去のデフレ脱却プロセス等を見ると、どういう理屈かはわからないが、ベースマネー増加が(期待)インフレ率を引き上げるだろうという推論は十分に確からしいと言えるはず)というwebmasterの立場の違いが残された論点ということになる。 公平を期すために確認しておくが、経済学の議論としては、馬車馬氏の立場の方が極めてまっとうである。 本来、webmasterがリフレ策のmicro foundationを示すことができればかみ合った議論になるはずのところ、それができないことを分かっているので、別の立場・観点を導入して、その結果として平行線になっているのである。 だから、ディベートの勝敗を仮に判定するなら、webmasterの反則負け、ということになるだろう。

なお、どうせ負けなら開き直って、リフレ策がどういう端布のパッチワークかを示しておくと、次のようなものである(素直に白旗を掲げるのも悔しい(笑)ので負け惜しみを一つ言っておくと、馬車馬氏がスヴェンソン流の為替介入を用いたリフレ策政治的には難しいだろう金融政策論議の不思議(16) 再び、論点を整理する)として採用しないのは、パッチワーク論的な価値判断に基づくものであろう)。

  • micro-foundedではないが多分、限界信用乗数は負の値はとらないようなので、ベースマネーを増やせば、マネーサプライは少しは増える(少なくとも減ることはない)。 中長期的には貨幣数量説はある程度妥当するようなので、マネーサプライを増やすことができれば、中長期的にはインフレ率は上昇する。
  • それがデフレ脱却に必要とされるだけの効果をもたらすかどうかは定かではないが、長期実質金利の低下をもたらす金融拡張は、それがいかなるものであるにせよ、均衡においては必ず実質ベースでの為替減価を伴うものであるラルス・E・O・スヴェンソン, 開放経済下における名目金利の非負制約:流動性の罠を脱出する確実な方法, p32)ので、長期国債買切増加→長期金利低下→円安→インフレ率上昇という効果は生じる。
  • それがデフ(略)、金利の引下げは、銀行が保有する長期債券の量に応じてプラスの富効果を生むものであり、この効果は、(1993年のアメリカの景気回復期にそうであったように)支配的となるかもしれない。 この場合には、銀行は当初たとえ屈折点に位置していたとしても、次第にはっきり離れていくようになるJ・E・スティグリッツ/B・グリーンワルド(内藤純一/家森信善訳), 新しい金融論 信用と情報の経済学, p193)(webmaster注:引用部冒頭の「金利」とは長期金利、中程の「屈折点」とは貸出が増加しない均衡点)ので、銀行の長期国債保有量によっては、長期国債買切増加→銀行貸出増加→マネーサプライ増加→インフレ率上昇という効果は生じる。
  • 財政政策は対象がなんでもいいというわけではなさそうだが、では何がいいかはよくわからなさそうという見解を覆す有力な材料も見あたらない現状で直ちにむやみな財政拡大に走るのはuniversalityの観点からは抵抗がある(ただし、「いい財政政策」があるならそれを行うにやぶさかではない)が、とりあえず中央銀行に国債をどんどん買わせておけば、買うこと自体ではリフレ効果が出ずにデフレが継続して非常にまずい状態になり、とにかく何でもいいから財政出動でがんばろうということになった場合でも、国債償還のロールオーバー等ですぐに財源がひねり出せるので、やっておいて損はない。

以上が本筋に関する議論であるが、そのほかにも上記エントリでは別途3つ議論があり、それを無視するのも不誠実であろうから、以下コメントさせていただく。

銀行が100%キャッシュポジションをとったときの株主の行動はいかなるものか

馬車馬氏の主張は、株価が低下してもなお株主が株式を保有し続ける場合、そこでいう低下した株価とは100%キャッシュポジションを織り込んで形成されたものであり、退出しても損が取り戻せるわけではないので、経営陣の100%キャッシュポジションは追認される、というものである。

まず、退出した場合に損が取り戻せるかどうかはサンクコストなので、考えても意味がない。 ここで株主が考えるべき選択肢は、このまま現経営陣の判断を追認するか、銀行を清算してしまうかの2つである(現経営陣はベストの判断をしており、首をすげ替えたところで、よりよい判断は行い得ないものと仮定)。

追認する場合、キャッシュは収益を生まない一方でランニングコストは発生し続けるので必ず毎期赤字がでるが、その割引現在価値(P)はP=C/r(C:毎期の赤字、r:割引率。 100%キャッシュポジションは将来にわたり変化しない=赤字が永続すると仮定)の式で表せる。 ここで、今はデフレ下の状況を前提としており、rは限りなくゼロに近づく(ゼロ金利状態)ので、Pは無限大に発散する。 すなわち、現在の純資産額がいくらであれ、経営を継続する場合にはこの銀行の純資産を時価評価するとマイナス(債務超過)となる。

他方、清算を選択すれば将来の赤字は考慮する必要がなく、現時点での純資産について出資比率に応じて分配を受けることとなる(なお、分配を受けたキャッシュを銀行預金に放り込んでおく限り、株主にはランニングコストはかからない)。

したがって、株主にとっての合理的判断は、やはり経営判断の追認ではなく清算となる。

公的資金は銀行の自己資本を水増ししているかどうか

当初の馬車馬氏のロジックは、返済義務のあるお金をしゃあしゃあと自己資本に算入すること自体がほとんど詐欺だ金融政策論議の不思議(14) 日銀が国債を買うと株投資は増えるか)というものであったが、正直、この理屈と今でも、銀行が新規の出資者探しに苦労している状況に変わりはない以上、公的資金を抱えている銀行の自己資本比率は十分に割り引いて考えなければならない金融政策論議の不思議(18) ベースマネーをいじってインフレには出来ない)という理屈がどうつながるのかわからない。 当初の「返済義務」の議論と、直近の「返済のフィージビリティ」の議論は同じことの言い換えなのか、違う話なのか。

ある株主が株式を売却し得る法的ステイタスにあることを返済義務と呼ぶなら、それは株主が一般投資家であろうと政府であろうと同様に当てはまることなので、公的資金「のみ」は返済義務のあるお金なので自己資本に算入するのはおかしいという議論はなりたたず、出資者が誰であれすべての資本金は自己資本に算入すべきでないということになる(この場合、各種準備金・剰余金のみが自己資本の構成要素となろう)。

他方、新規の出資者探しに苦労する状況を問題視するのであれば、確かにそうした状況においては、いったん自己資本が毀損した際に新たに出資を仰いで埋め合わせることができないので、自己資本を毀損する可能性のある行動はとりづらくなるとは言える。

しかしながら、新規の出資者探しに苦労するかどうかは、基本的には現在の株価と、新規の株式発行に係る株価との関係で決まる(当然、前者が後者よりも高ければ出資者は集まりやすいし、逆であれば集まりづらい)話であり、やっぱり公的資金の有無とは関係ないし、そもそも返済義務があるから自己資本に算入すべきではない、という当初の主張とは別の話になっている。

繰延税金資産の計上は銀行の自己資本を水増ししているかどうか

こちらも、公的資金の話と同様、当初の議論と現在の議論をどう整合的に理解して良いか、webmasterにはわからない。 倒産の瀬戸際で自己資本の重要性は増すというのに、倒産したら消滅するのが繰延税金資産だ。 その意味で、詐欺性は公的資金よりも高い金融政策論議の不思議(14) 日銀が国債を買うと株投資は増えるか)という主張は取り下げられたという理解でいいのだろうか?

もしBewaad氏のコメントを全面的に受け入れたとしても、結局「繰延税金資産以外でもバランスシートはいくらでも粉飾できるのだから、この問題だけを特に取り上げる必要はない」という主張は、筆者の「銀行の自己資本比率はあてにならない」という主張をむしろ補強するものでしかない。 Bewaad氏は足利銀行の例も紹介されているが、これも自己資本比率というのがいくらでも操作可能な数字でしかないことを強調するものであって、Bewaad氏の本来の主張とは矛盾したものとなっている金融政策論議の不思議(18) ベースマネーをいじってインフレには出来ない)とのことだが、馬車馬氏の当初の繰延税金資産に係る指摘は、あくまで邦銀の自己資本比率の高さにはからくりがある金融政策論議の不思議(14) 日銀が国債を買うと株投資は増えるか)という主張の証拠として提示されたものであったはず、要すれば「邦銀」についてであって「銀行」一般についてではなかったはずである。 つまり、「筆者の『銀行の自己資本比率はあてにならない』という主張をむしろ補強するもの」といっても、それは主張がすり替わっていることに留意する必要があって、少なくとも当初の主張を補強するものではない。

他方、webmasterの主張が矛盾しているかどうかであるが、少なくとも繰延税金資産の存在故に邦銀の自己資本比率は外銀のそれに比べて信頼性が劣るわけではない、という点については矛盾していないはずだ。

では一般論として、繰延税金資産以外の要素も加味した場合に邦銀の自己資本比率が外銀のそれに比べて信頼性に劣るかどうかであるが、webmasterは大差ないと考える。 いわゆるレジェンド問題は解消に向かっているし、そもそもレジェンド問題自体、各種粉飾決算がタイミング的に日本で一番早く露見したことにより起きた面が大きいと考えられる(少なくとも日本では、エンロンのように監査法人が積極的に粉飾に荷担した事例はないはずで、タイミングが逆であれば理屈としてはアメリカ企業の会計にレジェンド問題が生じてもおかしくはなかった(会計事務所の世界シェアを考えれば、タイミングが逆であってもそういったことにはならなかったろうが、それは理屈ではなく実態の話))。

参考までに付言すれば、ある銀行−この場合足利銀行であるが−の自己資本比率が不正確だったとしても、それが邦銀全体の傾向を代表しているものとは限らないのは当然である。

(2004-11-30記)

第11幕第3場

前回のwebmasterのテキストを受け、議論の終わり方と政治のあり方というエントリが示された。 馬車馬氏の誠実かつ冷静な議論もあって、いい形での意見の応酬ができたのではないかと思う。 webmasterにもう少し専門知識があればより高度なやりとりになったかもしれないが、それは今後の馬車馬氏及びそれに対するネット上の他の論客の方々のご活躍に委ねたい。 馬車馬氏、それに議論を見守っていただいた読者の方々に感謝を申し上げて、この一連の議論の締めとしたい。

(2004-12-22記)