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bewaad institute@kasumigaseki予告編第3弾:こんな文書が掲載される、らしい(1)

bewaad insitute@kasumigasekiオープン10周年記念:この10年を振り返って(前編)

2013年1月1日をもって当サイトも立ち上げ以来10年が経過、ということで、その間を振り返ってみましょう。

ちょうど10年前は、まだまだデフレのまっただ中で、今となっては覚えている人も少ないのかもしれませんが、当時は景気が回復すると改革する気がなくなるから景気は停滞していた方がいいんだ、とか、リフレ策はハイパーインフレやスタグフレーション、果ては通貨危機を招くからだめだ、とか、デフレは世界的・歴史的趨勢であって共存していくしかないんだ、といった暴論がはびこっていたわけですが、ご存じの通りこの手の議論はリフレ策によってマイルドインフレが達成されるとともに景気が回復するに従って撲滅された、そういう10年間でもあるわけです。 しかし、この点は当サイト立ち上げ時でもわかっている人にはわかっていたことですし、今では異論もほとんどないわけで、あえて言挙げしなくていいでしょう。

それでは、当サイト立ち上げ時でも見えているべきだったことであるにもかかわらず、見逃されてしまったものは何かと言えば、「平成三十年」やっぱりありえないだろ、ってことじゃあなくって(まあ、平成30年まであと5年ですが、「パソエン」は一向に流行りそうにないし、"Wave 2010"も発売されてませんが。笑)、人々が共有する情報量が著しく減り、結果として、今まで人々が拠って立ってきた集団があやふやになってきたということです。 当サイト立ち上げ時に、それが何によって示されていたのかといえば、それは小泉政権と、歴史教科書騒動に代表される一連の保守回帰運動と、そして関西地方の地盤沈下でした。

世の中で入手可能な情報量は、前世紀後半あたりから指数関数的に増加しているわけですが、当然ながら、それを受け取る人間の情報処理能力は、そんなには進歩していません。 もちろん、コンピュータに代表される情報処理を支援する機器の発達や、学問体系=「ある一定の範囲の情報に関する定型化された処理の枠組み」が深化したことなどにより、より効率的な情報処理が可能にはなっていますが、ヒトという種である以上、例えば100万字を1秒で読むとか、そういったことは不可能であることに変わりはないわけです。

これによりどういうことが起こっているのか。昔であれば、各個人の専門分野であるとか、趣味の領域といったものの情報量はたかがしれていたので、人が処理する情報の多くは、それ以外の、特に進んで見たり聞いたりしようと思うこと以外の分野に関するものだったわけです。 卑近なもので言えば、お隣からいい匂いがするけど、魚でも焼いているのかな、とか、この前○○さんのところの娘が泣いて帰ってきてたけど、あれって××さんの長男に振られたからだってさ、とか、そんなのだし、もう少し抽象度の高いものであれば、例えば日本人なら白米が好きだよね、とか、桜の花の散るのを見てもののあわれを感じる、とか、そういったもの。

ところが、これだけ人々の間を流通する情報が増えてくると、その気になればどれだけでも情報なんて集めることが可能で、各専門分野や趣味のように少しでも多くの情報を知りたいと思う分野があるときには、それに関する情報だけで、人の情報処理能力なんてものは簡単に手一杯になってしまいます(何でもいいですが、興味のある分野に関する言葉をサーチエンジンにかけてみれば、その結果は全部読むとすれば一生かかるほどの情報量でしょう)。 まして、興味も無い分野に関する情報なんてものは、生きていくのに最低限度のレベルでしか消化されなくなってきているわけです。

ここで、人の集団というものは一体何ものなんだということを考えてみれば、とどのつまりは情報の共有がそのコア。 これには2つの意味があって、1つは情報を共有するもの同士がそれ故に連帯するという、そもそもの集団の成り立ちの点。 つまり、何にも話が合わない人とは同一集団に帰属している、なんて意識はもてないということ。 もう1つは集団自身が新たな共有すべき情報を独自に作り出すという、集団の自己強化の点。 つまり、集団の中で誰がどうしたとか、集団の中でしか通じない特殊な用語法ができたりして(例として霞ヶ関の言葉を出すと、首相のことを"PM"(Prime Ministerの略)と言ったりとか、仕事の内容と手続をそれぞれ「サブ」=substanceと「ロジ」=logisticsと言ったりしてますが)、その結果、ますます情報の共有が多くなって集団内部での連帯感が強くなるということ。

したがって、上記のように、それぞれの個人の自ら進んで追い求める情報量が増加し、それに伴い既存の集団内において共有する情報量が減少するということは、既存の集団の存在価値がその分だけ薄れていって、これまでの国家・社会といったものを支えてきた基盤が揺らいできている、という結果につながるわけです。(以下次回更新分)

1st preview (12.15 on the web)

2nd preview (12.21 on the web)

3rd preview (12.29 on the web)

last preview (12.31 on the web)

and...

bewaad institute@kasumigaseki

03.01.01... OUT!

webmaster@bewaad.com

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