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官僚道を歩く

第一歩:総論

官僚が実際のところどんな仕事をしているのか、その本質は何なのか、案外知っている人は少ない(霞が関の住人を含め、だ)。 ここでは、webmasterの理解するところを示して、

官僚道を極めてもらおうという企画である。 第一歩目は「総論」、つまり、省庁にかかわらない、霞が関全体の普遍的枠組みを論じてみよう。

官僚はどのような仕事をしているのか(官庁営繕のような現業は除く)。 抽象化すれば、情報処理である。 霞が関には、国民各層、所管業界、各種のメディア、国会議員や外国当局、国際機関といった関係者から、質問や意見、要望、陳情、脅迫(笑)などの形でいろいろな情報がインプットされる(ここでいう情報ってのは、普通に使う意味での「情報」ってのとはちょっと違う。 例えば、官僚のやることが不評を買って建物にペンキをぶっかけられるなんてことがある。 これは普通情報とは言わないかもしれないが、そういう行動があったということ自体が、ここで言う情報(むしろ、医学や生物学などでいう「刺激」(stimuli)と表現した方がいいのかな)である)。 そのように入ってきた情報に対して、何がしかのアウトプットを出す、例えば法案を作るとか、反論するとか、無視するとか(相手にしないというのもアウトプットの一種だ)、そういったことをするというのが官僚の仕事である。

ならば、そのインプットとアウトプットの間では、どのような処理が行われているのか。 具体的な話は次回以降するとして、この処理の枠組みを示すとすれば、「実現重視」「『国民』無視」「理屈主義」の三原則に照らして処理がされていると言ってよい。

「実現重視」とは、官僚にとって、何らかの政策を立案する場合には、それが実現するということが、極めて重要であるということ。 何かをしたいとして、それが世論受けが悪いとか、与党が反対しているといった理由で、そのままでは実現しがたいものである場合には、基本的に官僚は実現できるよういくらでも修正する。 仮に原案は自分の評価が100点だったとして、そうした修正をすることにより自己評価が50点に下がっても、実現しない100点は0点と同じであるから、実現する50点の方がましと考えるのだ。

「『国民』無視」とは、あえて議論を呼びそうな表現にしているのだが、無視も何も、「国民」なんていう中身のない存在は相手にしたくてもできないということ。 中身がないというのは、どこかに「国民」というものがいて、それに「どうなんでしょうか」とお伺いを立てることは不可能ってことのたとえ。 だって、日本国民ってのは佐藤さんとか鈴木さんとか、名前も違えば年齢も違えば職業も違えば・・・っていう一人一人が1億人以上集まったものの総称に過ぎないわけで、メディアなどで「今回の政府の判断は国民の意向を無視したもの」などと言われても、「『国民』って誰よ。ここに連れてこいよ」と思うだけだ。

結局のところ、官僚がやったことについて「国民」がどう受け止めているかを知る手段というのは、取材に来た記者の○○さん、説明に行った先の国会議員の××さん、苦情の電話をかけてきた□□さん、・・・といった、自分たちがじかに接することができるごく限られた人たちの反応しかない。 1億2,000万余りの国民すべてに聞くことができない以上、そして、まったく知識や興味がない人に聞いても仕方がない以上、官僚にできることは、「この人の意見なら信用できる」という人にできるだけ多く知り合って、その人たちの意見を聞くことしかないのだ。

「理屈主義」とは、今の日本で問答無用で正しい政策なんてものはなく、どんな政策であっても批判・反対がでることは避けられず、また、例えばスポーツ選手や営業担当者の成績のように、数値で議論の余地のない結果がでる政策もないので、何か政策を実現するときは、それをどのように説明すればより反対が少なく、円滑に可能となるのかを重視するということ。 ここで理屈というのは、理論という言葉はあえて使っていないわけで、学問の世界における理論ほど体系化されたものではなく、納得してもらう筋道、仕方がないとあきらめてもらうための物語と考えてもらうのが一番わかりやすいと思う。

その中で感情に訴えることも必要だが、それだけでは例えば自分の言葉の中で矛盾が出たりしてしまい、そうなれば同じ感情を共有しない人にとって説得力はなくなってしまう。 かといって、精緻な理論体系として主張を組み立てても、官僚のやることは得てして社会のさまざまな人々を相手にしていて、学会で議論を戦わせる学者ではないので、「世の中ってのはそんなきれいごとじゃないんだよ」という人が社会の中にそれなりにいる以上、「理論的にはこうなるはずですから」で許してもらえる機会は非常に少ない。 そのあたりのバランスを考えながら、いかに多くの人に、積極的な賛成が得られるのが理想ではあるけれど、「まあいいでしょう」と受け入れてもらえるような説明が可能となるかを、官僚は常に追求しているのだ。

では、この三原則が実際にどのように機能するのか。 次回以降、各論の具体例を順次取り上げつつさらに掘り下げていく予定。 現時点では、

といったあたりを紹介しようと考えている。

(2003-01-11記)

bewaad<webmaster@bewaad.com>

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