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2005-02-28更新分

[書評]:会計とは何ともよくできた制度であることか−「公会計革命 『国ナビ』が変える日本の財政戦略」(桜内文城著)

この本を読んで、webmasterはタイトルのごとく本当に感動した。 会計とは、ある組織の財務状況を明らかにするという唯一の目的の達成のために数百年にわたり積み重ねられてきた人類の叡智の結晶であり(現代会計制度の基盤となる複式簿記は15世紀のイタリアで発明され、これはゲーテ曰く「人知のもっともすばらしい発明」とのことである)、その理解がまるでダメだったりしても、一定のフォーマットに従って計数を処理することにより、それなりのアウトプットが出せるのだから。

というと、本書の題名を見て、「そうかぁ、公会計の革命により、財政政策についての理解や理念がなってなくても、きちんとした財政運営が可能になるのか」と思われた方もいるかもしれない。 が、webmasterの言いたいことは正反対である。 「著者のように会計について全くわかっていない人間であっても、やろうとすることを会計のフォーマットに落とし込んでいけば、それなりに使い物になる会計基準を作ることができるんだなぁ」ということなのだ。

著者が本書で提案する「国ナビ」とは、企業会計の3種類の財務諸表−貸借対照表、損益計算書、資金収支計算書−に加えて損益外純資産変動計算書を作成し、予算ベースでこれらの財務諸表を突合することにより、将来の国民負担をもシミュレーションを通じて明示できるようになり、政策判断に当たってはそれを必ず意識して行わざるを得なくなることを指している。 となれば、当然新たに加わる損益外純資産変動計算書、及びそれに記載される処分・蓄積勘定の導入が「国ナビ」のキモであることは明らかだ。

では、それらはいったい何を表しているのか。 折に触れ繰り返し説明されているが、代表例として次の記述を紹介しよう。

・・・国ナビが将来世代の負担を算出できるのは、会計期間中のフロー(取引)情報を処理する勘定として、企業会計で用いられる「損益勘定」だけでなく、新たに「処分・蓄積勘定」を導入しているからだ−ということである。

p168

ふむふむ。 では「処分・蓄積勘定」で経理され、損益外純資産変動計算書に記載される取引はなんだろうか。 該当する記述を探すと、損益計算書の尻の他に、社会保障給付や、インフラ資産を整備した際の資本的支出のような、損益外で財源を費消する取引を指している。p168

はあーん? 何書いてんだ、こいつ? どっちも損益外で純資産を変動させるものじゃないじゃん!

具体的に見てみよう。 まず社会保障給付であるが、生命保険協会作成の「生命保険会社のディスクロージャー〜虎の巻(2002年版)」の「3.損益計算書について」を見ると、「経常費用」の主なものは、(1)保険金・年金・給付金・返戻金などの支払p16、以下略)とあり、要すれば損益内で純資産を変動させるものである(更に言えば、企業会計には存在しないものだという理解も間違っているわけだ)。

次にインフラ資産を整備した際の資本的支出であるが、これは損益外であるのは確かなのだが、逆に純資産を変動させないものだ。 支出をした瞬間の経理処理は、貸借対照表上の現金が同額のインフラ資産に振り替わるだけなので、純資産の額(=資産と負債の差額)には影響がない。 必要な資金調達まで視野に入れたところで、資産と負債が両建てで同額計上される、つまり、資金調達による負債の増加分はインフラ資産の額と使われずに残ったあまりの現金の額の和に等しく、やはり純資産の額には影響がない。

いや、言いたいことはわかる。 人件費などのランニングコストと政策判断により配分が決定されるものをきちんとわけて、それぞれに適した意思決定プロセスを構築すべきという方向性には異論はないし、狭義の国にとどまらず、日銀とも会計を連結させ広義の国の財務状況を把握して財政政策・金融政策・為替政策を一体的に見るべきとか、そういう着眼はとってもいい。 しかも、会計についての本で、自分のアイデアを会計に落とし込むためのコアになる概念についてここまででたらめなことを書いてあるにもかかわらず(いちいち挙げないが他にも妙な記述はいろいろある)、公認会計士等を交えて結果としてできあがった財務諸表及びその使い道はなかなかのもの。 だからこそ冒頭書いたように、会計制度とはfoolproofである点においてかくもすばらしいものだと感じ入らざるを得ない。

更に言えば、このような仕掛けをいろいろと考える動機もいかがなものかと考えざるを得ない。 筆者は財務省出身者なのでそういう考え方に染まるのも無理はなかろうが、歳出要求に対してタックスイーターなどとラベルを貼って一方的に攻撃するというのはさもしくないか(タックスペイヤーの反対だとしているが、ほとんどの「タックスイーター」は同時に「タックスペイヤー」であるはず。 「然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。 そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。 平生はみんな善人なんです。 少なくともみんな普通の人間なんです。 それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです」という「こころ」の一節でも読んでほしいものだ)。 財務省が予算要求を切るのが仕事なら、他省庁等は予算を要求するのが仕事。 他省庁等をおとしめる前に自らの査定技術のつたなさを悔いるのが先であろう。 ま、国債は全額返済しなければならないと考えていたり、政府と国民の関係について、比喩を比喩とも考えずに延々と信託がどうのこうのと議論を続けたりと、そういった自らの考えを相対化できない資質では望むべくもないか。

というわけで、本書はいいツールを紹介しており、実際どのような記帳をしたらよいのだろうか、ということを知るためだけに読むにはお薦めであるが、筆者の哲学を開陳しているような部分はすべて飛ばすことを忘れずに、ということを念押ししたい。 ちなみに、会計に関する部分以外の記述も、戦後の経済成長を産業政策によるものとしてみたり、デフレ対策として斉藤理論的に名目金利引き上げを主張したりと、そういったものである。 しかし、こういう薄っぺらい「エリート」を見ると、「日本のエリートには教養がない」との俗っぽい批判にも一定の説得力を認めざるを得ないのが悲しいねぇ・・・。

桜内文城(2004)、「公会計革命 『国ナビ』が変える日本の財政戦略」講談社

(2005-02-28記)

※リンク用パーマネントURI
http://bewaad.com/archives/timeseries/2005/200502.html#feb28051(時系列)
http://bewaad.com/archives/themebased/2005/bookreview.html#feb2805(テーマ別)

2005-01-11更新分

[新春鼎談]2005(前編)

1号
新年あけましておめでとうございます。 当サイトオープン以後、年の初めも3回を数えまして、私たち3人の出番も3回目となりました。 今年もよろしくお願いいたします。
主任
昨年はうれしい誤算で、財務省の大規模為替介入に日銀の当預残高引き上げという大規模金融緩和−正直、あれは金融緩和を大規模にやればインフレターゲットの設定はいらないんじゃないかっていう議論につながるかと思ったのだが−に好調な外需も手伝って、とりあえずは景気の腰折れが避けられたけど、今年は本当に危ないんじゃないかね。 景気循環的に見ても、定率減税の段階的廃止に代表される可処分所得の減少にしても。
2号
今年要警戒なのはやっぱ財務省でしょ。 福井日銀は、能動的に景気回復には動かないという意味では腹が立つけど、速水時代のゼロ金利解除がいい薬になっていて、能動的に景気頭打ちにつながる愚行はしないという意味では信頼できそうだから。 それに比べて財務省は、財政再建優先路線をはっきり復活させてきてる。 まあ財政赤字総額を気にするのはあきらめるとして−マクロ経済政策を担うプライドを失った、単なる予算屋に落ちぶれたっていうことだよ、これ。 念のため(笑)−、個別の政策論によけいな口を挟むのは勘弁してくれって感じ。 代表例を出せば、片山さつき防衛担当主計官のアホさにはあきれたね。 「自衛隊にも構造改革が必要だ」(中央公論2005.1号、pp156-163)って、そういう軽佻浮薄な煽りは政策新人類の眷属の専売特許のはずだったのにねぇ・・・。
1号
まあ片山主計官の主張については、そのペーパーで防災は自衛隊の仕事じゃないといったという報道に反論するなど、一部メディアで不当におとしめられてる面はありますけどね。 ペーパー自身、シビリアン・コントロール関係は「枠組み」については正しいことを言っているわけですし。 2ちゃんねる軍板なんかで言われているような、制服組は官僚に従えってことを主張しているわけではなくって、行政府の意思決定である閣議決定には行政府の一員として制服組も服するべきだってことだから。 ただ、その閣議決定自体、片山主計官が解釈するようにBMD用の予算は従来装備の削減により捻出すると明記しているわけではなくって、あくまでそうしたリストラ努力もしつつ防衛関係費を抑制するっていうのが文面だから、一介の主計官があの閣議決定をそう解釈すること自体にどこまで正当性が認められるかって問題はあるし、BMDに金を使うぐらいなら従来型の人や装備に金を使った方がいいという主張を制服組がすること自体をシビリアン・コントロールの危機というのはどうかと思うけど。
2号
つーか、事実関係の記述はともかくとして、意見の部分でまあ及第点なのってそこだけじゃん。
主任
相当言いたいことがたまってそうだから、しばらくつきあってやるか。
2号
彼女の軍事知識のなさについて一番わかりやすいのは、その中央公論のペーパーからは外れるけど、「曽祖父は旧陸軍の軍人で、日露戦争では騎兵。 二十世紀初めに、もはや大砲や騎兵の時代ではないと言って、いち早く退役した。 その子孫の私が、大砲は古いと言って縮減を迫っているのには因縁を感じます」って発言だね。 曾祖父が本当にそんなアホなことを言っていたかどうかは裏がとれないし、文脈によってはアホではないわけだけど、文字通りこんなことを言っていたならアホだし、文脈をくめば本意は違っていたとしても、こんな不肖の曾孫をもったことを草葉の陰で悔やんでください。
主任
20世紀初めに大砲の時代じゃないっていうのは間違いなく的はずれだけどね。
1号
現に、第1次世界大戦の西部戦線や朝鮮戦争の鉄の三角地帯を巡る攻防は砲撃命だったわけですし。 かのスターリンに言わせれば、砲兵は戦場の神。
2号
騎兵だって、少なくとも日露戦争で使えないことがわかったわけじゃないよ。
主任
大胆だねぇ。 軍オタだってたいていは、騎兵はともかくって言い方なのに。
1号
そこが文脈によるってところなんでしょうけど。 とりあえず、日露戦争の次の大国間戦争である第1次世界大戦では、ほとんど騎兵は無用の長物となってたわよね。
主任
でも、アラビアのロレンスで有名なパレスチナ戦線ではけっこう活躍してるし、東部戦線でも西部戦線ほど使い物にならなかった訳じゃないのは事実。
2号
そう、なんで西部戦線では使い物にならなかったかと言えば、基本的には総動員態勢により空前の兵力投入が可能となって戦線に切れ目がなくなり、迂回機動が封じられたため。 さっきも話に出たように、西部戦線は砲撃しまくりだからまともに馬が走れるような地面じゃなかったってこともあるし。 迂回機動が可能な局面ではそれなりに使い道があるのよ、騎兵には。
1号
で、そういう戦訓を得られるようなものでは日露戦争はなかった、と。
2号
そのとおり。
主任
日露戦争の戦訓として、ボルトアクションライフルの性能向上や機関銃の本格導入による歩兵隊の火力増強があって、これにより騎兵は歩兵に対抗し得なくなったってことはあるけどね。 かの曾祖父はそれを言っていたのかねぇ。
2号
だとしたらやっぱり曾祖父はアホなの。 十分な火力を持つ歩兵に真正面からぶつかったら騎兵に勝ち目はないなんてことは15世紀にヤン・ジシュカがフス戦争で明らかにしている。 有史以来人類最強の兵科であった遊牧民族の騎兵ですら、16世紀にはオスマン・トルコの火力の優越により、チャルディラーンでサファヴィー朝が、マルジュ・ダービクでマムルーク朝が敗北を喫している
1号
まあそこまで遡ると近代兵制における騎兵とは同列に論じられないかもしれないけど、近代の戦争でも、ワーテルローでのネイ元帥の騎兵突撃とか、クリミア戦争中のバラクラバの戦いにおけるカーディガン卿の騎兵突撃とか、悲惨な実例はあるわけで。
主任
そりゃ、15世紀や16世紀以降、歩兵が有する火力はどんどん増強されるけど、それに見合うだけの騎兵の戦力増加はないからね。 確かに日露戦争では火力の顕著な増強が明らかにはされたけど、なんつーか、それまでの延長線上であって、何か革命的な変化があったわけではないとも言える。
1号
要すれば、日露戦争における強大な歩兵火力のデモンストレイトも相対的なものでしかないと。
2号
そう。 だから、確かにそれにより騎兵の活躍の場がさらに狭まったのは事実だけど、決定的に息の根を止めたのは自動車や鉄道により歩兵の機動力が向上し、騎兵の機動力優勢が失われたこと。 機動力の優勢があれば、火力で劣っていても何とかなる局面はあるわけで。 サルフの戦いにおけるヌルハチの作戦が典型だけど。
1号
だからこそ、騎兵は最終的には第2次世界大戦において機械化部隊によってリプレイスされたと。
主任
確かにそういう戦訓は日露戦争では得られんわな。 自動車なんて国産化以前だし、鉄道だってロシア軍の退却には活用されたけど、タンネンベルグのドイツ軍のように戦術移動に用いられたわけでなし。
2号
だから、そんな曾祖父の発言を引いて得々としゃべる時点で、彼女の底の浅さが透けて見えちゃう。 まあ、曾祖父が主観的にどのような理由で退役しようとそれは個人の人生だけど、国策を論じる以上どのような理由でもいいとは言えないっすよね。 さて、彼女はこの程度の軍事知識しか持っていないんだってことをバックグラウンドとして、中央公論での主張を批判しましょう。
1号
せっかくネットでやっているんだから、先人の貢献は最大限活かしましょう。 片山主計官の主張に対する批判としては、まとめサイトや2ちゃん軍板のコテハンミリ屋哲氏運営のミリ屋哲の酷いインターネットで連載されている反論がよくまとまっているので、それを読んでいただいているという前提で、そこに載っていないものをお願い。
主任
あと、マッチポンプがどーのとか、リークがこーのとかいう部分に踏み出すのもむなしいだけなので、その辺もパスしてくれ。
2号
じゃあ一番しょーもない部分を指摘しましょう。 その中央公論のp161で、どれだけ主要先進国で軍縮が進んでいるかっていうことを延々彼女は数字を並べているわけだけど、彼女がRMA云々といっているのは、究極的には軍事費の削減を目的としたものであって、人員等の削減はその手段に過ぎない。 じゃあ軍事費はどうなっているのよ、ってことをsipri(Stockholm International Peace Research Institute)がまとめた1994から2003までのNATO各国の軍事費の推移を見てみると、どうなってる?
1号
あらまあ。 ものの見事に微増。
主任
片山女史の出している数字とは期間が違うし、ドルベースの実質値だから単純には比較できないけどね。
2号
にしたって、あのペーパーを読む限り、最初の方ではさんざん軍事費削減だといってるから、人員等が削減されてるって話が出てくると当然それに伴って軍事費も減ってるもんだと読んでしまうけど、それはとんだごまかしだってこと。
1号
sipriのデータは他にもおもしろいのがいっぱいあるよね。 冷戦後はどこも軍事費を減らしているようなことを片山主計官は言っているけど、実際に減っているのはヨーロッパだけで他は世界中どこでも増えているとか(これもドルベースの実質値だけど)。
2号
ともかく、あのペーパーでだって、防衛庁が単に軍拡を要求しているわけではなくって、戦車・火砲部門の削減を歩兵に回す、要すれば「スクラップ・アンド・ビルド」をしているとは書いてある。 つまり、本来あり得る選択肢というのは、RMA化をそれほどには推進せずある程度の人員を維持するか(これが防衛庁案)、それとも人員をある程度削減してその分RMA化を進めるか、どっちにしても軍事費はそれほど減りようがないものしかない。
主任
じゃあ、人員を減らしてRMA化を進めることにより軍事費を削減するっていうのは・・・。
2号
彼女の脳内世界だけだね、そんなのが成立し得るのは。 だいたいRMA化ってのは、いわば歩兵一人一人にGPS端末やら情報処理端末やらを持たせた上で、それらをネットワーク化して集中管制を図るものなんだから、どう考えたってそんなにコストが減るわけないだろう。 まして、ソフトウェア開発なんてどうすんだ?
1号
で、今の日本がおかれている防衛環境を考えれば、その選択肢なら前者の方がよっぽどましですね。 イラクでのアメリカにしたって、結局今の方が戦争しているときより兵力を増加させているってことは、攻撃よりも防衛の方がより多くの兵数を要するってことの端的な証明ですし。 攻撃側は攻撃する時間・場所を選べるから容易に局地的優勢を確保し得るわけで、日本みたいに専守防衛を謳っていれば、そう簡単には兵力を減らしちゃいけないはずです。
主任
まさか片山女史も真の意味でラムズフェルドに共鳴する徒として、RMA化した自衛隊で某国を先制攻撃しろといいたいわけではあるまいし(笑)。
2号
結局彼女は、中央公論のp161が典型だけど、日本と西ヨーロッパではまるで戦略環境が違うはずだっていう問いから逃げてるんだよね。 ソ連崩壊以降の情勢の変化ってのは、イギリスやフランス、ドイツから見れば東欧諸国、さらには旧ソ連のベラルーシやウクライナという新しい兵力・緩衝地帯を手に入れたに等しいということ。 これに相当する状況ってのを東アジアで想像すれば、北朝鮮が西側入りした上、ロシアの沿海州、中国の満洲や山東省、上海市、福建省や広東省が独立・西側入りしたようなものであって、そうなって初めて西ヨーロッパの事象を日本に当てはめることができるようになるわけ。
1号
考えてみれば、片山主計官の言う冷戦型の従来の戦力っていうのは、米軍と協同して旧ソ連の上陸侵攻に対抗する−類型としては朝鮮戦争−ためのもので、独力で旧ソ連を撃退するようなものではなかったはず。 他方、ゲリラ・コマンドウには基本は独力対応だから(もちろん在日米軍基地が巻き込まれるような事態なら別ですが)、自衛隊の規模を維持したとしても、実際に戦場で発揮される戦力は下がることになります。
主任
だいたい、BMDは文字通りballistic missile、つまり弾道弾用の装備であって、決して従来の装備を代替するものではないのだから、単純にスクラップ・アンド・ビルドを当てはめるのが間違い。
2号
結局問題は、BMDの導入に行き着く。 従来は、アメリカの核の傘を前提に、弾道弾は撃ち込まれない前提、逆に言えば、撃たれちゃったらお手上げという戦力だったのが、BMDを導入して、撃ち込まれても撃ち落とすべしと要求水準が高くなったわけだ。 BMDが本当に有効かどうかは眉唾だけど、まあとにかくそうしろという政治決断、もちろんこれもアメリカへの配慮とかいろいろ事情はあるが、そういう決断にはシビリアン・コントロールに基づき従うべき。 でも、弾道弾にも対抗しろ、海外派遣も積極的に、災害対応はもちろん、ゲリラ・コマンドウ対策も怠るなと言われたときに、それをやるにはこのぐらいの戦力が必要ですという専門家の判断は尊重されなきゃいけないんです。
主任
片山女史の案が、専門家をうならせるようなものであればともかく、とにかくRMA化すれば人は減らせるんですっていうものだからねぇ・・・。 それも結局は論理のすり替えで、本当にRMA化を進めれば結局防衛費自体は削減できない可能性が高いっていうのに、予算を切るのが絶対目標だから、多分この案が実現すればエセRMA化で人数も戦力も落ちるハメに。
1号
せめて、どうやっても○○兆円しか防衛費には出せないから、その中でなんとかしろというならわからないでもないんですけど。 まあそれでも、いわゆる「従来」のミッションが横ばい・増加する中で、それに一切寄与しないBMD導入を理由に削減するっていうのは、少なくとも現場の人間は釈然としないでしょう。
2号
彼女の理屈が正しいなら、増税を理由にして増員が認められた国税庁の定員が、減税ばっかりしている最近でも減らないのはおかしいってことになる。 ましてや、BMDならぬロボマルサ(笑)をアメリカが開発中だから、その開発協力のための予算を人減らしで捻出しろなんてことになったらどうなることか。 ロボマルサが導入されれば少人数でも効率的に徴税できますから、って(笑)。
1号
このペーパー、陸上自衛隊しか触れていないからよくわからないけど、空自・海自も大変だったんでしょうねぇ。 例えば、中国がSu-27ジュラーブリク(とその改修型のSu-30。 フランカーって言い方は嫌いなので)を増強しているような状況で、尖閣諸島なんてどうやって防衛していくのか・・・。 沖縄米軍基地の縮小は政治的課題として中長期的には実施されることになるでしょうけれど、米軍がフィリピンのスービック基地・クラーク基地から撤退した後に中国がスプラトリー諸島を占領した前例などを考えると、今からきちんと対策を考えておかないと。 特に日本は、韓国による竹島の軍事占領・実効支配を事実上許容している前例があるから、もし米軍が沖縄から全面撤退なんてことになったら危ないんだけど。
2号
「従来型」のF-15(MSIPを含む)じゃなくて最新型のF/A-22ラプターでも導入しろってことになるんじゃないの。 例によってそのコストや予備部隊の重要性を無視して頭数を減らすことだけ考えて主張して、決定後にこんなに単価が高いとは知らなかったとか言って更に機数を減らすの(笑)。 ・・・しかし、こう考えてみるとホントにこの女クソだし、こんな無能な働き者をこんな重要なポストにつけている財務省もクソだ。 そんな財務省が構造改革の旗頭としてもてはやされている小泉政権もクソだな。
主任
ところがどっこい、そう考えるのは早とちりかもしれないぜ。
2号
えっ、どーゆーことよ。 国債30兆円枠だの道路特定財源の見直しだの、小泉総理が財務省の代弁者のように振る舞ってきたのは政権発足当初からのことじゃない。
1号
・・・でも、今具体例で挙げた2つとも実現してないよね?
2号
あっ・・・。
主任
ま、次回はその辺りから議論を続けようか。 今回は2号の趣味につきあったせいで当サイトのいつもの方向性から随分それたので、軌道修正して(笑)。 とりあえず2号への宿題として、竹中大臣の定率減税縮小・廃止に対するネガティブな態度をどう考えるのか、という問題を挙げておこう。

(2005-01-11記)

※リンク用パーマネントURI
http://bewaad.com/archives/timeseries/2005/200501.html#jan11051(時系列)
http://bewaad.com/archives/themebased/2005/newyeartalk.html#jan1105(テーマ別)

2004-12-31更新分

[共有地の喜劇]:第12幕

flapjackbookmarksおよびisuzukiの日記でのご指摘

キャリア問題の最終回として、縦割り行政の問題をとりあげたい。 おおかたの想像どおりだと思うが、webmasterは基本的に縦割り行政といわれるものは望ましい行政のあり方と考えている。 そのロジックは政府組織と官僚のインセンティブ:中央省庁再編の評価と基本的には同じなので詳しくは述べないが、乱暴にまとめれば、現実社会に利害対立が存在するのであれば、政策決定過程においてもその対立を隠蔽するのではなく顕在化させた方が透明性は向上するし、行政の各部局の行動原理は簡明なものとなるし、行政内部の都合のみで政策決定されるおそれが減るということである。

とはいうものの、それなりに欠点があり得ることもまた事実であり、それらへの対策ができるかどうかも考えなければなるまい。 いくら長所があっても致命的な短所があっては、そうした制度を用いることは不適当だからだ。 代表的な短所は次のようなものだろう。

  1. 似通った業務を複数の部局が行う無駄が発生しやすい。
  2. 「省益(ないし局益・課益)」が「国益」に優先されるおそれがある。
  3. 政府内調整に時間・コストがかかり、迅速な意思決定ができない。
  4. 国民から見て担当等がわかりづらく、また、担当が自らのことしか対応できず、「たらい回し」が起こりやすい。

個々の短所を論ずる前に、よく官僚組織の縦割りに関して引き合いに出される旧陸海軍の例について触れておく。 第1点については陸軍が潜水艦空母を、海軍が戦車を作ったこと、第2点については陸軍が大陸、海軍が太平洋と主力を2方面に分割することとなったこと、第3点についてはポツダム宣言受諾の意思決定が「聖断」によらざるを得なくなったことなどが代表例だろう(まあ第4点は関係ないとして)。

戦前・戦中期の陸海軍の対立構造は様々な要素が複雑に絡まり合っているが、その主要なものの一つとして統帥権問題がある。 一般に統帥権といえば行政府(内閣)からの軍(令)の独立の文脈で語られるが、大日本帝國憲法においては「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(第11条)とされており、陸海軍相互間でも口出しがなされなかっった(軍令を総括する大本営が設立されても、日露戦争期以降はあくまで参謀総長・軍令部総長が対等の立場で組み込まれることとなっており、大本営自体のトップは存在しなかった)。 陸海軍を統合する軍令組織がないのは大いに問題ではあったが、軍(令)全体の行政府からの統帥権独立もそれ以上に問題であり、縦割り自体よりもそうした制度を生み出した状況こそがより重要な問題であったといえよう。 そして当然ながら、今は全ての省庁が内閣の傘下にあることは明らかで、戦前の陸海軍と同じものとして論じられない。

さて、各点についての考察に移ろう。 第1点については、必要なコストとして割り切るしかない。 三権分立にしても地方分権にしても、政府の機能を分割してその担い手を増やすのは、効率よりもチェックアンドバランスによる効果的なガバナンスの達成を目指す制度である。 例えば旧郵政省と旧通商産業省の間でのコンピュータネットワークを巡る対立構造は有名であった(なんでも、民間でシンポジウムを開催したりする場合には、どっちか片一方だけを呼んでも、また、両者を呼んだとしてもそのランクに差があるといろいろと物議を醸すので、出席者の調整などの無駄な業務がずいぶんと増えたらしい)が、そうした対立構造がなくどこか一つの省庁が所管していれば、キャプテンシステムシグマプロジェクトは、何倍ものリソースをつっこんだ上で、日本のテレコム業界全体にさらなるダメージを与えるようなより大きな失敗となっていた可能性は極めて高い。

第2点は内閣のリーダーシップの問題である。 といっても、政治家の資質云々、ということがいいたいわけではない。 行政府はあくまで内閣総理大臣をトップにいただく内閣という合議体により代表される政府部門であり、法制度はあくまでそうした前提に立って設計されている。 例えば事務次官等会議は全会一致が原則であり、ここである省庁の事務次官等が反対すれば閣議の議案とすることができないことが、各省庁が高度な自治権を有する原因の一つとされているが、これはあくまで慣例である。 事務次官等会議で否決された案件や、そもそも事務次官等会議にかけられていない案件であっても、それを閣議案件とすることにはなんら法的制約はないし、そこで閣議決定されてしまえば、省庁側に拒否権はない。

私見を言えば、こうした各省庁こそが自らの省益を押し通して国益を無視している、という神話は、政治家と官庁、そしてメディア、国民のすべてにとって都合がいいからこそ形作られ、維持されてきたのではないかと考える。 こうした神話があれば、国民に不人気な政策−例えば増税−を行う場合、政治家は、これは官庁が国民を無視して押し通しているもので、自分たちとしては国民に配慮して若干の修正はさせたが、全体としてはこれが精一杯だ、といういいわけが可能になる。 他方で国民にとっては、そうした悪辣な連中の陰謀ため増税を強いられたのだ、というストーリーの方が腑に落ちやすいしあきらめもつく。 国民の部分集合たる財界にとっても、自分たちの主張の実現に額に汗して邁進し(細かなブレはあれど、法人税の引き下げ・高額所得者層に係る所得税の引き下げは、シャウプ勧告より後の税制改正の方向性としては、一貫して続いている)、さらに国民の矢面にまで立ってくれる官庁という存在がありがたくないわけがない。 メディアは国民に支持されてなんぼの商売であり、国民に受けがいい神話を否定する実益はない。 じゃあ官僚にとっては何がメリットかといえば、国のことを本当に考えているのは自分たちだけだ、という安っぽいヒロイズム&くだらない優越感に浸ることができることだろう。

第3点も第1点同様にそれも必要なコストだ、ということに加え、往々にしてここで言われる「迅速な意思決定」とは、反対派がいてもそれを無視して多数派の意向の速やかな実現を図れ、ということだったりする。 日本とは話し合い至上主義の国だ、とは井沢元彦が唱えて以来人気のある日本人論だが、実際のところ話し合いの効用とは、適度にガスが抜けあきらめがつくことが多いこと。 極端な例を出せば、三里塚は話し合いを全くしなかったことで明らかにこじれたケース。 話し合いは確かに迂遠に思える場合が多いが、急がば回れということだって世の中には数多くあるのだ。

第4点は縦割りとは実際のところ無関係な話。 政府と国民のやりとりについてのインターフェイス設計がうまくいっていないというだけのことで、バックグラウンドでの処理(各省庁における事務処理)をそのままインターフェイスにするからわかりづらくなる。 きちんとした総合窓口を設け、国民の側でどこが担当かを探す必要なく受付でそれを探し、かつ、国民からのアクセスが相談なのか苦情なのか何らかのアピールなのか等々を判定して適切な場所で処理するようにすればよい。 確かにこのインターフェイス設計に改善の余地が多分にあるのは事実だが。

(2004-12-31記)

2004-12-22更新分

[その挑戦、受けよう(仮)]:その8「官の詭弁学 誰が規制を変えたくないのか」(続)

今回の挑戦者(再掲)

プロファイル
福井秀夫, 2004, 「官の詭弁学 誰が規制を変えたくないのか」, 日本経済新聞社
主張の概要
  • 官僚の行動原理の一つは官尊民卑であり、規制は社会の実情や経済合理性ではなく、身勝手な内向きの論理で作られていることが多い。
  • 公開されている審議会の議事録には、そうした内向きの論理が数多く記されており、それらを具体的に取り上げて問題点を指摘する。

対戦の結果(続)

第3章(1) 理容師と美容師が混じると危険か

挑戦者の主張の骨子

  • 理容師と美容師は、それぞれ理容所と美容所でしか働けず、両者が同僚となることは法的に許されていない。
  • それぞれは文化が違うというが、ヘアカット専門店はそれぞれの文化にあてはまらない新しい営業形態であるし、もし違いを示す必要があるなら、個人単位でできる。
  • 安全性が損なわれるとの主張に至っては、まったく根拠のない言いがかりに等しい。

判定

いくら挑戦者が強弁しようと、理容所と美容所には棲み分けが成立しているというのが世間の常識というものだろう(あやふやな言い方で恐縮だが)。 理容所と美容所、という法律上の言い方をすればともかく、普通は床屋に行けば理容師が、美容院に行けば美容師が出てくると思うのが普通であり、例えば床屋に行ったときに、「当店では理容師と美容師を取りそろえておりますが、どちらがよろしいでしょうか、もし美容師にということですと顔剃りはございませんが、・・・」などという説明を聞くぐらいなら、床屋に来たのだから黙って普通の床屋のサービスをしてくれ、と思う人も多かろう。

しかし、であればこそ、厚生労働省に・・・QBというのは、ある意味でむしろ床屋だと誤解されて行かれるところが多いわけですけれども、そういうところにおいて、美容師の混在を認めることはややいかがかpp156,157)(webmaster注:QBとはQB HOUSEのこと)などといわれるのは困りものである。 一例をもって代表させるのはなんだが、QB HOUSEを「1,000円床屋」というページは簡単に見つかったりするわけであり(webmaster注:先のリンク先では未熟練職人云々という記述があるが、QBの名誉のため、別の見方も紹介しておく)、あれを美容院と思って使う人も少なかろう。 でありながら、先に「別の見方」として紹介したリンク先をご覧いただければわかるとおり、QBを美容院として開業することは可能。 前述のような消費者の期待はそもそも法律の埒外にあり、今さら混在を認めない理由にはならない。

通算成績:挑戦者の4勝4敗

第3章(2) だったら「富山の薬売り」はどうなる−薬剤師を守る医薬行政

挑戦者の主張の骨子

  • 薬局には薬剤師が必要という現在の制度は、アメリカではそうした義務づけがないなど、必ずしも合理的なものとは限らず、また、薬剤師の在・不在別の副作用の発生確率の統計もないまま規制が維持されている。
  • だいたい、昔ながらの「富山の薬売り」は薬剤師でないのに薬を販売しており、要すればこの規制は薬剤師とそうした薬剤師以外の薬販売者の既得権維持に他ならない。
  • 医薬部外品の拡大等は、こうした問題を隠蔽するための姑息な対応に過ぎず、厚生労働省には薬販売の規制を任せられない。

判定

多分挑戦者も、医師の処方箋に基づき混合調製される薬や、完全自殺マニュアルで自殺に使えるとされているメジャートランキライザーであっても薬剤師不在の薬局で取り扱えるようにしろ、ということを主張したいわけではあるまい。 であるとすれば、その主張は薬局に薬剤師を置くことを義務づけるな、ではなくて、レディーメイドの大衆薬(の多く)は薬剤師不在の場所−例えばコンビニ−で売ってもよいようにしろ、ということであるべきであって、つまりは医薬部外品にすればよいわけだ。 webmasterは薬学の知識がないので具体的に何を医薬部外品にし、何を医薬品にとどめるべきかは判断する立場にないが、外国の例だの統計だのを見るまでもなく、先の前提を是とする限り、論理必然的にそうなる。

つまりは厚生労働省の対応は、少なくともその方向は正しいものであって、医薬部外品への分類替えが少なすぎる(ないしは医薬品と医薬部外品の中間に大衆薬を想定したカテゴリを新設すべき)という議論ならばともかく、目くらましの材料として医薬部外品の議論を主軸に据えようとしているようにしか読み取れないp171)のは、官僚はおしなべて既得権維持のために規制改革に反対している、という挑戦者自身の偏見で目がくらんでいるからであろう。 もちろん、冒頭の前提があてはまらず、およそいかなる薬−鎮痛剤としてのモルヒネ等も含め−を薬剤師の関与なしで売らせるべき、という主張であれば話は別だが・・・。

なお、富山の薬売りについては、挑戦者自身が過疎地や離島など薬の入手が困難とされる地域p165)に限られていると書いているのに、なんでその合理性が彼に理解されないのかがわからない。 当然、そうした地域に住む人々の生活にとって、経験則上ある程度の安全性が認められる販売手段で薬が入手できる方が、全く薬が入手できないよりも望ましいからに決まっている。 そうした事情に顧慮することなく、富山の薬売りの薬を現実に管理しているのは、薬剤師でも薬売りでもない。 購入者本人だ。 カタログで郵送されている薬の副作用の説明も「対面」では行われていない。 店舗の薬剤の管理は薬剤師でないと対応できないというなら、そもそも薬剤師なしで薬剤を売る特例販売業者をただちに禁止してはどうか。p172) などというのは、オール・オア・ナッシングでしか物事を判断できない原理主義的な考え方がにじんでいる。

実際のところ単なるイヤミなのだろうが、そういうことを言うから蟻の一穴云々、つまり一つ規制に穴を開ければ止めどなくつけ込まれるという話になり、合理的な規制改革であっても必要以上に警戒されるようになるのだから、戦術的にもやめるべきであろう。

通算成績:挑戦者の4勝5敗

第3章(3) 幼保一元化を阻む「園児以下」の理屈

挑戦者の主張の骨子

  • 厚生労働省によると、保育所と幼稚園を同一の規制とすることができない理由は、保育所には調理施設がありそれが人格形成に貢献するからということだが、調理現場を見せる等の指導はしておらず、言っていることが一貫していない。
  • そうした理屈がやりこめられると、後出しで栄養・衛生面の話を持ち出すなど、やり方が汚い。
  • なお、問題があるのは幼稚園を所管する文部科学省も同じで、既述のとおり株式会社やNPOによる運営を認めていない。

判定

調理施設の設置義務に焦点が絞られた段階で、はっきり言って厚生労働省の負けである。 アレルギーへの対応や夕方・夜間における給食等、設置されていた方が望ましいのは間違いないだろうが、外部でそれもできる場合には敷地内になくてもいいではないか、と言われれば(現に言われているが)おしまいである。

しかし逆に、規制改革会議もそんなディベートには勝てるけど実際に何が問題かを意識しない議論に埋没していていいのかねぇ。 本書でいみじくも指摘されているとおり、・・・保育所への入所は多くの地域で困難を極めている。 そもそも現状では、保育所の絶対数が圧倒的に不足している。 一方、機能的に保育所と同様の役割を果たしうる幼稚園については、保育所と比べて余裕があるp174)のはなぜかと考えてみれば、幼稚園に比べて保育所の枠組みが社会のニーズに応えているからであろうことは容易に推察可能だ。

ちょっとネットで調べてみれば、保育所が幼稚園よりも好まれる理由は、一に子供を預かる時間が長いこと、二に弁当ではなく給食があること、三に行事や親同士のつきあいの少ないことで、要すれば共働き夫婦のニーズに応えているからだということはすぐわかる。 問題は、これらは幼稚園が規制されていてできないことではなく、長時間預かりや給食を行っている幼稚園は現にあるし、行事はちょっと微妙だが親同士のつきあいの多寡なんてものは規制でもなんでもない。 であれば、幼稚園はそうした方向に自主的にどんどん対応してしかるべきなのに、なぜかそうした自主的な対応が進まず、上記のとおり保育所不足・幼稚園余剰だというのが現実。 その原因は何かをきちんと分析して適切な対策を考えることなくして、待機児童の問題は解決しないはずだ。

そのあたりを文部科学省ときちんと議論しているかと思えば、相変わらず上にまとめたとおりの法人格の神学論争がメイン。 厚労省の言い分には、保育所設置の際に相当の支出項目を占める調理室を何が何でも義務付けることにより、一保育所当たりの建設費・維持運営費、さらにこれらに伴う補助金をなんとしても高止まりさせ、自らの省の所管として維持したいという動機以外、何も見当たらないのだp184)という挑戦者の言葉をアレンジすれば、「挑戦者の言い分には、経済実態とは無関係に役所の理屈を何が何でも論破することにより、議論に勝ったというその場限りの優越感を味わいたいという動機以外、何も見当たらないのだ」ということではなかろうか。

ちなみに、前回も触れた「株式会社の学校経営参入賛成・補助金受取り反対」のワタミの渡邉社長が、日経ビジネス2004.12.20-27合併号のp12においてその論拠の詳細を明らかにしている。 規制をはじめ、およそ物事の利害得失を判断するには、具体的な問題に即すべきであるp185)というなら、挑戦者こそ先ず隗より初めよ、株式会社の何が悪いんだなどという抽象論ではなく、渡邉社長の具体的シミュレーションにきちんと答えるべきだろう。

通算成績:挑戦者の5勝5敗

最終コーナーを回ったところで挑戦者が追いつき、いよいよ最後の直線に勝負は持ち込まれた。 はたしてその行方は・・・。

(2004-12-22記)

[共有地の喜劇]:第11幕

flapjackbookmarksおよびisuzukiの日記でのご指摘

前回に引き続いてのキャリア問題シリーズ、今回は、キャリアの選抜についてである。 およそキャリアに限らず、あらゆる人材のスクリーニングはいかに有為な人材を集められるかどうかで評価すべきであるが、残念ながら人類の歴史上、有為な人材を集めるための完璧な手法が確立したことはないので(有為かどうかは外部環境や直面する課題に依存するのだから当然である)、演繹的に理想の姿を語ることは難しい。 よって、よくある指摘を手がかりに、漸進的に近づく試みとしたい。

webmasterの感触としては、キャリア選抜の問題点として以下のような指摘が比較的よく見られるように思われる。

  1. 東大卒、とりわけ法学部卒のような試験秀才ばかりを選んでいる。
  2. 博士号保有者のような専門能力を持つ人間が選ばれていない。
  3. 20代前半で受けるたった一回の試験だけで選んでいる。 さらに細分すると、
    • II種・III種採用者との入れ替えがなく、有能なそれら職員をしかるべき地位につけることができない(選抜の話からは離れるが、その反射的効果として、無能なキャリアがのさばったり、若いうちから苦労もせずに高い地位に就き人格がゆがんだりしている)。
    • 社会人経験者等を選抜するコースがなく、結局キャリアは霞が関という狭い世界で偏った価値観に基づき純粋培養された人間ばかりになっている。
  4. ポリティカル・アポインティ(政治的任用)がなく、官僚のテリトリが形成されている。

まず最初の指摘だが、これは誤解としか言いようがない。 何度も書いていることだが、I種試験のレベルは本当にたかがしれていて、webmasterの学生時代の認識では、司法試験や院試に比ぶべくもない。 また、昔のことは知らないが、これも何度も書いているとおり、I種試験の合格順位よりもいわゆる官庁訪問の際の面接結果の方がよほど重視されている。 結果において東大法学部卒が圧倒的に多いのは事実だが、大学入学前からI種試験を受けようとしている人間は東大法学部へ進学しようとする場合が多いとか、前回紹介したシグナリング理論とか、そうした要因を考慮に入れれば、試験秀才を選んでいるという仮説を棄却しても、十分に現実は説明可能ではないだろうか。

2つ目の指摘については、以前書いたように別に霞が関側から拒んでいるわけではない、というのが事実関係である。 なぜそうした専門的スキルの持ち主が入ってきてくれないかと言えば、やはり専門的スキルが求められる業務が少ないからだろう(金を積めば話は別だが)。 例えば旧経済企画庁には原田泰氏や新保生二氏のような、霞が関の外でもエコノミストとして通用する人がいたわけで、結局は業務で求められればそうした人々を採用せざるを得ない。 ただ、組織全体のミッションに関わるようなものであればともかく、そうでない専門的スキルについては、採用して一生面倒見るよりも、必要に応じて外部調達を図る方が効率的ではないかとも思われる(実例としては各省庁のCIO補佐官)。

3つ目の指摘の前半については、やはりII種・III種採用者からの昇格はあってもいいと考えられるが、難しいのはどのような基準で行うか。 戦時昇進のような結果をもって実力が証明される制度が仕組めればいいのだが、実際のところ、管理能力というのをどう図ってよいのだろうか。 友人のコンサルの言によると、マネージャーがマネジメントするに当たって何が大事かというと、自分が最前線に立たないことという。 下がどれほど頼りなくても、そこに自分が赴いて直接仕事に携わってしまうと全体が見えなくなってしまうからだ。 じっと我慢をし、指示をするにとどめるという能力は、例えば課長補佐や係長といった最前線の責任者たるポストでは量れないし、鍛えられもしない。

若干の脱線をするなら、その意味では、特権意識を助長する「バカ殿教育」だといって廃止された(旧)大蔵省の税務署長や警察庁の警察署長、(旧)郵政省の郵便局長へのキャリアの就任は、それなりに意味のあったことなのではないだろうか。 更に言えば、退職年齢の高齢化や霞が関のステイタスの低下に伴い、以前であれば課長がやっていたような仕事を局長がやり、課長補佐がやっていたような仕事を課長がやる風潮が最近の霞が関にはある。 将来の管理職として登用したキャリアであるはずなのに、管理職としての実体験を積むのが局長から(最近では50代前半以降)というのでは遅すぎる。 このままでは冗談抜きに、50歳を過ぎてからでないと管理職としての経験ができないという世界になってしまうのではないか、と思うときがある(身の回りだけを見た近視眼的感想で恐縮だが)。

3つ目の指摘の後半については、やはりどのような待遇を用意できるかを考えるとフィージビリティの点で問題があろう。 現在でも多くの民間人が出向して霞が関で働いているが、そのほとんどは、出身母体が給料の差額を補填しており、つまり、そうした補填がなければ民間から官界に転じようなどは普通は考えないからだ。 他方で、企業の存在意義についてのコースの取引費用分析を応用すれば、内部化することにより効率化が図られる部分−霞が関であれば法令関係の事務、国会議員や関係業界間の調整等についてのノウハウの蓄積−のみを内部化することが合理的であり、その余の部分については必要に応じ外部調達を図るべき、ということになる。 要すれば、民間の方々には先に例示したCIO補佐官のように委託・嘱託等によりピンポイントで働いてもらうほうが、役所の仕事をする以外の時間にお金儲けと経験の蓄積ができ、役所の内部で質量ともに限られた経験しか積めずに朽ちていくよりよほどいいのではないか。

その点、今の霞が関の問題としては、次期防衛大綱をめぐる財務官僚の勘違いのように、本来自分の専門でもないところに法文系キャリアがでしゃばって判断ミスをする、ということが少なからずある。 自らの得意と不得意をきちんと見極め、不得意なものについてはゼネラリストとしてのチェックにとどめるという自制が必要であるし、具体的にどうすればいいかのイメージはないが、それを制度的に仕組めればなおよい。 一般論ではあるが、素人は自分が素人であると自覚している方が、中途半端に知ったかぶりをするよりよほどましなのだから。 なお、具体的にどのような分野を外部委託するかについては、まずは経済分析(これは内閣府が選任でする一方で、各省庁においてはということ。 純粋に民間企業でなくても、rietiのように独立行政法人でもいいのだが)や広報といったところだろう。

4つめの指摘については、実際のところポリティカル・アポインティでなくては政治家の統制が効かないわけではない。 外務省とは何なのか。(後編)などをご覧いただければ、政治家のリーダーシップがあれば、十分にその意思を政策に反映させることが可能なのはおわかりいただけるだろう。 ポリティカル・アポインティにも長所・短所があり、少なくとも上記のように現状のシステムの手直しで事態が改善する見通しが立つのであれば、そこまでの冒険をする必要は少ないのではないか。

Gunsi氏からのメールでのご指摘

キャリア問題に関連し、読者のGunsi氏からメールをいただいたので、以下引用しつつ(レイアウト及び機種依存文字には手を入れた)、webmasterの見解を示したい。

「共有地の喜劇 第10幕」を読ませていただきまして、今後の議論の参考になればと思い、少々長くなっておりますが、意見を申し上げます。
以下、貴サイトの文章を追っていく形で考察いたします。

まず、冒頭で述べている「将来の管理職を担う人間を囲い込む特定の集団が形成されるのは、こと官界に限らず多くの世界に見られることである。」については、いわゆるキャリア・ノンキャリアをめぐる議論の焦点は特定の集団が形成されることの有無ではなく、その過程(始めに全員囲ってしまうか、始めはある程度幅広に確保して、勤務態度・実績等によって選抜していくか、或いは全員一律に競争させるか)の是非にあると私は認識していましたので、この点は異論ありません。
従って、キャリアの存在意義について言及されている「集団の管理に必要とされる一定のスキルがあるから」という点には同意します。

選抜については、今回新たに記述したので、それを受けてコメントがあれば再度メールをいただければと思う。

次に、「キャリア制度を廃止して、全ての公務員を一律の基準で採用すること」により、「従来I種採用されていた学生層にとっては、公務員という職種は選択肢からはずれることとなる」という指摘については多少言い過ぎではないかと考えます。
何故ならば、言及されている「I種採用される学生が志望する他の職種−法曹、学者、外資系を含む金融関係者、コンサルタント等」の待遇面の加重平均値とI種採用者のそれとを単純に比較することは困難であるからです。

それぞれの業種によって待遇の上限と下限は、

民間:
上限も下限も経営状況の如何によって天井・底なし
学者:
上限も下限も研究・諸活動の如何によって天井・底なし
法曹:
裁判官・検事・弁護士それぞれ待遇のシステムが異なっているので単純化困難
⇒将来的には法曹人口の増加によって総体的に地位の低下が想定できる
I種採用者:
民間・学者との比較では、上限は劣り、下限は勝る
法曹との比較は上記により困難

となっていると私は認識しておりまして、もしこれらの認識が妥当であるとすれば、それぞれリスク・リターンの兼ね合いは異なっており、合理的な学生であれば、その兼ね合いの価値判断によって業種を選択するはずであり、待遇そのものの優劣で業種を選択することは困難です。
仮にキャリア制度を廃止したとしても、待遇面の変化は勝っていた下限が他の業種に近づいていたに過ぎず(同じになるとは言えないでしょう。 何故ならば公務員は身分保障が充実しているからです。 民間企業であれば経営状況如何によって常に解雇の可能性がある訳ですから)、この変化をもって従来I種採用を選択肢にしていた学生がI種採用を選択肢から外す傾向が高まるとは言えないと思います。

また、全てのI種採用者が待遇面のみを選択の基準としているわけではないと思います。 実際は職務内容や、適性等を判断して選択するはずです(特に天下り・キャリア批判の中で採用を敢えて希望する若手キャリアはそもそも待遇面にそれ程期待をしていないと思うのですが。 この点はbewaad様も過去に発言されていたと思います)。

以上により、「つまり、一般にキャリア制度を廃止すると…」の段落は説得性に欠けると思います。

待遇に関するご指摘については、相対水準の変化と絶対水準の比較を混同されているのではないだろうか。 確かに「待遇」を構成する各諸要素(給料、仕事の内容、福利厚生etc)に対する効用関数は、各職業を選んだ集団ごとに有意の差があるだろうと想像することは容易であるし、Gunsi氏ご指摘のとおり、webmasterはかねてからキャリアを選ぶような連中は(良くも悪くも)それほど金に執着しているわけではないと主張している。 しかし、今回の話は、キャリアの待遇における将来の不確定性の増加以外の要素は不変との前提で、それのみを引き下げた場合におけるキャリア志望者の行動の変化に係るものである。 簡単に言えば、平均的なリターンが下がりリスクが上がるわけで、そうした待遇についての効用評価の絶対水準がどうであれ、そうしたリスク・リターンバランスの変化の前後を比べれば、必ず職業選択肢間での相対的魅力は下がるはずである。

次に、「大学教育を受けるというコスト負担を受け入れることに意味がある」とするシグナリング理論ついて、それ理論自体には説得力がありますが、だから「学校歴」のみを採用の基準として良いか否かという訳にはいかないと思います。
「学校歴」について考察する際には社会階層の観点が必要であると考えます。

近代国家における「学校歴」が一般的に受け入れられている大きな理由に、「(大学)教育を受けるというコスト負担」という「平等」な基準によって「全て」の国民に社会階層の上昇の機会が開かれていることにあります。言い換えれば「頑張れば報われる」というということです。
しかし、教育社会学者(海外ではP.ブルデュー、国内では刈谷剛彦が著名)の実証研究によれば、社会階層移動は実際には部分的なものであり、階層固定がかなりの程度進んでいることが明らかになっています。
彼らの議論によると、社会階層において相対的に高い位置にある世帯は、低い位置にある世帯に比べて、子どもに対してより充実した教育の機会を提供できるとしています。 社会階層において相対的に高い位置にある世帯の子どもは、家では親が見識を得るために獲得した新聞・書籍等に囲まれ、また小さい頃からお稽古、塾に行ったり、旅行等によって様々な経験をしたりすることが可能です。

以上のような充実した教育を受けた子どもは結果として「学校歴」においても有利な位置におかれることになるでしょう。

また、コスト負担への意識においても貧乏な過程に育った苦学生に比べれば、「学校歴」のコスト意識もそれ程感じることもないでしょう。 生活費・学費等において親に依存することができますから。一方苦学生はアルバイトや奨学金制度によってやりくりする必要があります。
これは入学試験だけではなく、国家公務員試験や司法試験においても言えます。 これらの試験に合格する手段としては試験のノウハウを効率的に吸収できる各種試験予備校通うことがスタンダードでしょうが、社会階層的に上位にある子どもは試験予備校に通うコストも殆ど感じることなく、勉強に専念できる一方、下位にある子どもは予備校に通うためには学費のやりくりに苦労することになるか、(手段としては不利な)独学に頼らざるを得なくなります。

以上を踏まえますと、「学校歴」に対するコストを負担することは、個人の資質だけではなく、その親の社会階層に大きく左右されるということが分かります(また、生まれた地域にも大きく左右されるでしょう。 国家公務員に限定すれば、霞ヶ関がある東京周辺に実家を有する者の方が、地方の片田舎に実家を有する者に比べて、I種採用へのコストは相対的に低いでしょう。 何故ならば、後者は採用の段階で東京と実家を往復する必要性があるでしょうし、また採用されてからも引越し・一人暮らしを余儀なくされることになるからです)。

故に、「大学教育を受けるというコスト負担を受け入れることに意味がある」とするシグナリング理論のみをもってI種採用者を確定し、彼らのみに幹部候補生としての地位を与えてしまうことは、個人の資質は高いが社会階層・環境によってI種採用を断念せざるを得なくなった人々へ幹部候補生への道を閉ざしてしまうことになります。

もちろん、人事管理の点で、I種採用を断念せざるを得なくなった人々へ特段の配慮をすることはその人々の比率に比してコストが高過ぎるから行わないという施策も可能です。 しかしながら、このような施策は自由民主主義社会の原則である機会均等を否定し、社会階層固定を容認していく方向性になるのではないでしょうか(残念ながら現在の教育政策は(政策担当者がそれを意図しているか否かは別として)その方向性に進んでいるようですが)。

まずお断りしておきたいのは、Gunsi氏の指摘するとおり、どうやら現在の社会情勢は階層の固定化方向に動いている可能性が高く、それに対して何らかの対策が必要だということについては、webmasterにも異論はない。 ただ、その対策がキャリア採用に当たってのアファーマティブ・アクション的な学校別クォータの導入かどうかについては懐疑的だ。

なぜなら、それが有効となるためには、キャリアが他の職業に比べて圧倒的に有利な立場にあり、その程度の選択肢としての魅力の低下(端的には東大法学部卒にとっては競争率の上昇をもたらすので)では他に逃れない、という前提が必要だからだ。 しかし、既述のとおりそうした前提は成り立っておらず、少なくとも就職におけるキャリアという選択肢には有力な競合先があり、そちらについても同様の措置をかけない限りは、単にキャリアの社会的ステイタスが下がるだけで何も解決されないこととなる。

結局この問題への対応はティンバーゲンの定理に従って、社会階層の固定化への対策とキャリアとしての優秀な人材の確保のための対策を別々に用意することが正しいと考えられる。 webmasterの感想としては、決してキャリアの採用は学校歴を基準として行われているものではないが、結果において特定の大学−と言葉を濁しても仕方がない、東大法学部−出身者が多くなろうとも、キャリアとしての優秀な人材確保策としては、そのことのみをもって否定されるべきではない。

また、I種採用を断念せざるを得なくなった人々へ幹部候補生への道を閉ざしてしまうことは、業務へのモチベーションの点でもマイナス点があります。 採用段階で将来がある程度固定されていること(I種採用者で言えば課長級までの昇進が保障されていることによること、II種・III種採用者であれば、せいぜい課長補佐級までの昇進でしか保障されていないこと)はII・III種採用者における業務へのモチベーション低下につながります。 頑張っても頑張らなくても待遇面で大きな差は生じないという理不尽さに直面するからです(I種採用者においても同様だと思います。 「頑張らなくても課長にはなれる」という甘えを許してしまうシステムですから)。

以上の問題を解決するためには、入省後に「幹部候補生」と「一般職」との入れ替えを制度として担保しておく必要があると思います。 役に立たないI種採用者が保障された地位によってのみ昇進を繰り返し、課長級になった場合の業務上の損失は恐らく省内にとどまらないことは容易に想像できます。 一方、「管理者」として有能な資質を有するII種・III種採用者のモチベーションを徒に下げてしまうことも長期的に見れば組織にとって損失になるでしょう。

ただし、「幹部候補生」と「一般職」との入れ替えの基準となる評価の方法を導入する際には慎重を要すると思います。
まず実績評価は公務という特殊な業務である上、それぞれの業務が多種多様であるため、定量的に量れるプラス面の実績基準は殆ど皆無でしょう。 従って実績評価については現状通りマイナス査定にせざるを得ないでしょう。
一方、勤務態度については360度評価等によって多面的に評価する余地が残されていると思います。

I種採用者とII種・III種採用者の入れ替えそのものについての評価は今回のテキストをご覧いただくとして、モチベーションについてのみ触れるとすると、競争の有無は確かに重要だが、そうした採用区分別の昇進のいわばキャップの存在は、決して競争がないことを意味しない。 まずI種採用者について言えば、課長にとどまるのか、それとも事務次官まで昇進するかの差がある以上、そこに競争は存在する。 課長までの昇進保証といったところで、無能故に馘にすることがなければ、しょせんは程度問題に過ぎないだろう。 他方でII種・III種採用者にはそれほどの地位の差は生じないが、これも「課長補佐」と言ってもそのステイタスは千差万別である以上、やはり競争は存在する。

結局重要なのはいつまでそうした競争が存在するかであって、仮に事務次官から平係員まですべてになり得る競争であったとしても、例えばそれが30歳までに終わってしまうのであれば、当然ながら30歳以降は無競争になってしまう。 つまりは、キャリア制度及び上記入れ替えの有無とは別の話、ということではないだろうか。

最後に、あくまで例示されただけだとは思いますが、II種・III種を廃止して派遣社員・アウトソーシングにすることについては反対です。 例え現在II種・III種の業務として与えられている「一般職」的な業務であっても公務である以上、守秘義務に関わる知識を得る可能性は大いにあります。 民間企業に比して、守秘義務事項に係る情報が漏洩した時の周囲への損害は計り知れない訳ですから、「一般職」的な業務であっても派遣社員・アウトソーシングにしてしまうことは危険であると思われます。

これは余談ですが、現在情報システムについて霞ヶ関の各省庁は業者にアウトソーシングしているようですが、これは非常に危険であると思います。 もちろん業者の側は「お得意様」である官庁の不利益なことを行なうことは想定しずらいですが、一方一度漏洩してしまってからでは手遅れであるという考え方もあります。
情報システムについては専門的に従事する職員を雇い(もちろん給与面等において十分な保障をする必要性はありますが)、守秘義務を徹底させることが必要であると考えます。

以上、長々と論じてしまいましたが、私の考察とさせていただきます。

ま、あれは例示というより当てこすりですが(笑)。

マーケットの馬車馬でのご指摘

前回のwebmasterのテキストを受け、議論の終わり方と政治のあり方というエントリが示された。 馬車馬氏の誠実かつ冷静な議論もあって、いい形での意見の応酬ができたのではないかと思う。 webmasterにもう少し専門知識があればより高度なやりとりになったかもしれないが、それは今後の馬車馬氏及びそれに対するネット上の他の論客の方々のご活躍に委ねたい。 馬車馬氏、それに議論を見守っていただいた読者の方々に感謝を申し上げて、この一連の議論の締めとしたい。

(2004-12-22記)

[年間10大ニュース]2004年「芸能・スポーツ等部門」

第10位 映画「デビルマン」公開
原作ファンの端くれとして、これだけ原作ファンの話題となったテーマはやはりはずせない。 内容についてはm@stervisionのレビューに付け加えることは何もないが、とりあえず「ハッピーバースディ・デビルマン!」
第9位 皇室悲喜こもごも
今年終盤にさしかかって紀宮殿下の婚約(の事実上の)内定や高松宮妃殿下の逝去が起こったが、やはり皇太子殿下ご夫妻の話題が中心。 最近の秋篠宮殿下のコメントは、天皇家の歴史より皇太子妃殿下という一人の女性を選んだ皇太子殿下への割り切れない思い故なのだろう。 「王冠を捨てた世紀の恋」どころか、「皇統を捨てた千年紀の恋」であるからして、波紋が起こるのも当たり前。 秋篠宮家に男子が産まれ、その男子が男系皇統を継ぐこととなるのが、皇太子殿下・皇太子妃殿下・秋篠宮殿下の3人にとってもっとも幸せな未来だとは思うが。
第8位 若手お笑い芸人ブレイク
webmasterの好みのトップ3は第3位ドランクドラゴン、第2位だいたひかる、第1位アンガールズ
第7位 EURO2004でギリシャ優勝
ナショナルチームよりもクラブチームが強くなってしまったという、ある意味当然だが多くの人が目を背けている事実を傍証した。 無名選手しか集められなくてもクラブチームなみにチーム練習をたたき込めばヨーロッパでトップに立てるというのだから。 トヨタカップ(脱線だが、トヨタカップを呼んだ男たち@sportsnaviというインタビュー企画は一読の価値あり)が衣替えする世界クラブ選手権の方が、そのうちワールドカップよりも権威ある大会になる可能性も否定できない。
第6位 「韓流」
きゃあきゃあ言っている人間の年齢層等を考えても、お約束のベタなドラマのニーズは一定程度存在するということの帰結であろう。 舞台が日本ではないことによる若干の非日常感があるので、そのベタな展開がそれほどは鼻につかず広く受け入れられるに至ったのでは。
第5位 アテネオリンピックで日本代表が16個金メダル獲得
最も鮮明な記憶として残っているのは男子体操団体。 出だしで躓き、徐々に追いつき、最後の鉄棒での冨田の吸い付くような着地、その際の「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への掛け橋だっ!」(by刈屋アナ。 ちなみにあの実況は、まぎれもないプロの仕事である)、そして選手たちを包んだ満場の拍手の嵐まで、あの一連の流れは陳腐な言い方だが筋書きのないドラマそのものとしか形容のしようがない。
第4位 カルロス・クライバー死去
webmasterが生きている姿を知っている中でもっとも指揮者らしい指揮者であった。 録音が少ないことで有名であったが、少ないといえど録音を残してくれたことを感謝したい。 ・・・っていうか、ヴォツェックの全曲録音の話、本当であってほしいなぁ・・・。
第3位 Winny作者47氏逮捕
判決がいつになるかは知らないが、悪い意味で歴史に残るような判決にならないことを祈るばかりである。
第2位 日本プロ野球界再編騒動
とりあえず楽天の参入とソフトバンクによるホークスの買収で一区切りはついたものの、来年の動きも十分にあり得る。 要注目はやはりライオンズであろう。
第1位 イチローのメジャーリーグ年間最多安打記録更新
メジャー史上最強バッターの座をバリー・ボンズから奪うことは不可能だろうが(出塁率6割超はやはり空前絶後と言わざるを得まい)、メジャー史上最高の安打製造器となるための今後の活躍が大いに期待される。 テッド・ウィリアムス以来の打率4割や年間300安打など夢は広がるが、さすがのイチローでも破るのが難しそうなのはジョー・ディマジオの56試合連続ヒットと、タイ・カッブの通算打率.366(ピート・ローズの通算4,256安打やタイ・カッブの9年連続首位打者は難しいのではなく無理だろう(前者は日米通算ならともかく))。 今引退したとしても十分メジャーの歴史に残るだろうが、これらを達成する日が来るのを楽しみに待ちたい。

(2004-12-22記)

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新刊に限定せず、政治・経済関連書ガイドとして
新春鼎談(毎年初更新予定)
毎年の初めに当たり、その年の展望など
その挑戦、受けよう(仮)(不定期更新予定)
悠然と、しかし容赦なく、官僚批判を折伏
共有地の喜劇(不定期更新予定)
当サイトのテキストについていただいたコメントへのリプライなどによる読者との交流
日本道路公団騒動始末記(完結)☆
2003年の秋を彩る話題を徹底特集
年間10大ニュース(毎年末更新予定)
毎年の終わりに当たり、その年を振り返って
法令XML文書化計画(短期集中連載予定)
法令をXML文書とするためのサブセットを作成中
月旦評(「月旦」なんで、毎月1回(多分最初のサイト更新時)更新予定)
各界の人々について思うこと(「月旦評」って何、ってのは辞書をどうぞ)
膝蓋腱反射(完結)
旬の時事ネタを直感だけで論じてみよう
みなごろしの会計(短期集中連載予定)
知る人ぞ知る究極の会計学が、今、明かされる
官僚道を歩く(不定期更新予定)
官僚の実態ってのはこんなものです
霞が関p級グルメ録(不定期更新予定)
これが日常官僚が食っているメシだ
外桜田書院講義録(完結)
世の官僚志望者に伝える、官僚から見た公務員試験&官庁訪問
余は如何にして利富禮主義者となりし乎(完結)
現在の日本経済にはリフレ政策が必要となぜwebmasterが考えるようになったのかの軌跡
文系人間のためのテキストサイト用HTML&CSS入門(不定期更新予定)
今までの各種入門は敷居が高いという人へ(参考もあります)
オープン宣言
当サイト開設時のwebmasterの問題意識など
previews
当サイト正式オープン前の幻のページたち

注記

時系列の各ページでは"MmmDDYYX"の3文字+5桁(Mmm:更新日の属する月の英語名の最初の3文字(例えば1月なら"Jan"(最初の1文字のみ大文字))+DD:更新日+YY:西暦の下2桁+更新日の記載の順番(16進数。 アルファベットの場合は小文字で表記)。 例えば2003年1月1日の最初の記事は"Jan01031")を、テーマ別の各ページでは"MmmDDYY"の3文字+4桁をアンカーとして設定してありますので、必要に応じてご活用下さい。